夜会で気づいた恋心と、命の危険
夜会の会場は壮観でした。色とりどりの魔族の人々が、色とりどりの衣装に身を包んでいるのです。そのザ異世界な光景を見ながら、私は日本に思いを馳せていました。
緑色の肌の女性が真っ赤なドレスを着ているのを見てクリスマスを思い出し、黄緑色の頭髪からピンク色の角がのぞいているのを見つけて桜餅を思い出し、蛍光イエローの肌色に、蛍光ピンクのドレスの女性を見て受験勉強を思い出しました。
私が陛下の肩の上で会場の色に目を奪われているうちに、陛下の開会の挨拶が終わりました。ちなみに陛下は今日で百十一歳でした。周りの人たちがそろそろ結婚していただかないと、としきりに言っています。どうやら魔界の適齢期は百歳くらいまでらしく、陛下は少し適齢期をすぎていらっしゃるようです。
陛下が乾杯のワインを飲み干されると、楽団の演奏が始まりました。踊り出したくなるような軽快な曲です。どこか懐かしい旋律が猫心をくすぐります。揃いのピンク色のドレスを着た少女たちが出てきて、輪になってダンスを披露し始めました。
「リリーも踊ったら?」
そう言われて、私も陛下の肩の上でステップを踏んで遊びました。時おり陛下の頭までジャンプして、陛下のつるつるの黒い角にタッチしてみたり、肩の上からとんがった陛下の耳をぺろんと舐めてみたり、少しイタズラもしました。陛下は私にイタズラされると、くすぐったそうに笑うのです。その笑顔が見たくて、この一週間、すきがあれば陛下へイタズラしているのです。
けっこう長い曲でした。私が踊り疲れて陛下の腕の中でまったりしていると、宰相が言いました。
「陛下、リリーはこちらでお預かりしていますので、どうぞダンスを」
宰相が私に手を伸ばします。
「ニャー(いやー)」
私は陛下から離れたくなくて抗議しましたが、宰相の腕に抱かれてしまいます。魔界の猫でも、猫は非力です。
「リリー、すぐ戻ってくるから、いい子でね」
陛下が行ってしまうのを私はとめることができませんでした。
「ミャ、ミャー(おいていかないで)」
私の声は陛下に届いても、私の言葉は陛下へは届きません。
陛下がダンスフロアへ下りると、あっという間にドレスの女性たちに囲まれてしまいます。
華やかな人、可憐な人、かわいらしい人、艶やかな人、それぞれに美しい女性たちと、にこやかに言葉を交わす陛下を見ているうちに、私は懐かしい痛みを感じました。前世で恋をしていたときに感じた痛み。胸が張り裂けそうに切なくて、喉の奥が苦しくて、泣きたくなるような痛みです。それを実感した私は猫のくせに陛下に恋していることに気づいてしまったのです。陛下を認識して、まだ一週間だというのに。
「ニャ、ニャー(見たくない)」
私は宰相の腕から飛び出て走りました。
「リリー!!」
「「「リリー様!!」」」
宰相と、多分侍従たちの声が聞こえましたが私はとまりませんでした。陛下の声はしなかったので、女性たちとの会話に夢中で私のことなど気にしていなかったのでしょう。当たり前のことです。私がどれほど陛下にかわいがられていても、私がどれほど陛下をお慕いしても、私は猫で、陛下は人なのです。結ばれることなど、絶対にないのです。
適齢期をすぎた陛下は魔界中から結婚を望まれているのです。陛下自身もそろそろ身を固めようと思っていらっしゃるのかもしれません。そういうことを考えているうちに、いつの間にか泣いていました。猫なのに、人のように泣けるのです。悲しくて、苦しくて、何も考えたくなくて、無我夢中で走りました。魔界の猫でも涙は塩味で、それが余計に私を切なくしました。
気がつくと、私はビオラの咲く庭園にいました。猫だからでしょうか、夜なのにビオラの紫がはっきりとわかります。どうやら夜目が利くようです。
「まあ、リリー。こんなところにいるなんて」
不意にかけられた声に振り返ります。声の主は陛下付きの女官でした。夜会に参加していたのでしょうか、いつもの紺色のお仕着せではなく、紫色の美しいドレスを着ています。
「こっちへ来なさい」
夜会を抜けて探しに来てくれたのでしょうか。それにしては女官の様子がおかしいような気がします。微笑んでいるはずなのに、目が鋭いのです。緑色の瞳の奥が金色に光っています。金色は魔法を発動するときの光です。
「早くしなさい」
女官の魔法なのでしょうか、体が勝手に動きます。行きたくないのに、私は女官に向かって歩いているのです。
「フミャー! (いやよ!)」
本能が危ないと告げているのに、私はもう女官の腕の中です。
「全部お前が悪いのよ」
女官の瞳の金色が濃くなった気がします。逃げ出したいのに、金縛りにあったみたいに体が動きません。口も動かないので猫語すら話せなくなってしまいました。
「お前さえいなくなれば、陛下も私の魅力に気づいてくださるわ」
女官の妖しい笑顔に毛が逆立ちます。全身の皮膚がぞわぞわと波打ちます。動けないのに毛や皮膚は恐怖を訴えてくるのです。
「お前が死ねば、陛下は私と結婚してくださる」
光って見えるものが刃物でありませんように、という願いはどこにも届きませんでした。
「お前がずっと邪魔だった」
銀色に光るナイフを女官が握り直しました。
私はまた死ぬのでしょうか。前世では寿命の半分も生きられなかったので、今世では長生きしたかったのに。すごく怖くて、心臓がどくんどくんいっているのに、どうしてこんな、のんびりした思考が頭の中では流れているのでしょうか。
「さようなら、リリー」
女官が狂気の笑顔のままで、私の顔に向かって刃物を振り下ろします。
スローモーションのようにゆっくりと、銀の光が瞳に近づいてきます。命の危機だというのに、穏やかとさえ言えそうな不思議な感覚なのは、私の脳を支配しているのが恐怖よりも諦念だからでしょうか。
それでも最後の最後の瞬間は怖いので目を閉じます。あとは痛みのときが早く閉じてくれることを祈るばかりです。
「バリ―――――ン!!!」
私の胸元から何かが弾けたのがわかりました。
「ぎゃあっ!!!」
悲鳴が聞こえ、私は地面に投げ出されました。猫のくせに軽やかに着地することができず、背中から落ちましたが、ビオラがクッションになってくれたのか、痛みはまったくありません。何が起こったのでしょうか。恐る恐る目を開けます。
「ウミャ――――――!!! (キャ――――――!!!)」
私はあまりの恐ろしさに駆け出しました。
私を殺そうとしていた女官が目にナイフをつき立てて悶絶していたのです。目からは赤黒い血が流れ、顔中に私の首輪についていたはずのルビーの破片がたくさん刺さり、そこからもおびただしい血が流れていたのです。
体は自由になったはずなのに、恐怖のあまりに手足がもつれます。激しい焦りに反して、ちっとも体が前に進まないことに、さらなる焦燥感を覚えながら、懸命に手足を動かします。
死にもの狂いで走り、夜会会場の入り口付近まで来たところで、私は抱き上げられました。
「こんなところでお会いできるなんて、光栄です。陛下の最愛」
その男の灰色の瞳を見た瞬間にある記憶がよみがえりました。
一週間前、この男に噴水の中へ沈められた記憶です。
恐怖が恐怖で上塗りされました。
私は一週間前にこの男に殺されそうになって、しかし偶然通りがかった陛下の侍従に発見され、そして陛下に治癒魔法をかけてもらってことなき得たのです。
それがきっかけで私は前世の記憶を取り戻したのでしょう。
「リベンジの機会がこんなに早く訪れるなんて僥倖です。しかも陛下があなたにつけた忌まわしい防御の首輪が破損しているではないですか」
どうやら私の首輪には陛下の魔法がかかっていたようです。そのおかげで先ほどは女官から逃げることができたのでしょう。しかし私の命の延長はそれほど長くはなかったようです。私を抱いていないほうの男の手に青い炎が現れ、私はその炎に呑みこまれていきます。
――熱い、熱い、熱い…………痛い!!!