異世界に転生して溺愛されています
「おはよう、リリー。今日もかわいいね。愛してるよ。ちゅっ」
漆黒の髪に真っ赤な瞳のイケメンに、愛してるよとキスをされるところから、私の一日は始まります。前世でもイケメン耐性がなかった私は、転生してもイケメンに弱いです。毎朝悶絶しています。
地球の皆様、異世界転生って本当にありますよ。
前世、地球人で、なかなかの夢見る夢子ちゃんだった私は、異世界転生もののネット小説を読んで、ファンタジーな世界に憧れていました。もしも異世界に転生できるのなら、魔法がある世界で、溺愛されるお姫様とか、悪役令嬢という名のヒロインとか、そういう主役級に生まれ変わりたいなと、心密かに思っていたのです。そんな私は二十歳の誕生日に交通事故死という劇的な最期を遂げました。
そしてまさかの異世界転生を果たしたのです。
私が転生したのは、様々な形状の角と耳、そしてカラフルな体色を持つ魔族の住む世界、魔界です。もちろん魔法もあります。そして念願叶って溺愛されているのです。それも魔界の王、超絶イケメンの魔王陛下から。
陛下は片時も私を離しません。私は陛下から、一日中、愛の言葉を囁かれます。毎日たくさんのキスを体中に受けます。夜はもちろん抱きしめられて眠ります。陛下の愛に窒息寸前だということを除けば、何の不満もないというべき、ぬるま湯生活です。これで文句を言っては罰が当たりそうな気もしますが、私には不満があるのです。
暇なのです。とてつもなく暇なのです。
だって、陛下に愛される以外、やることがないのです。皆無です。仕事もなければ、習い事もなく、義務や義理とも無縁の生活。
本当に、本当に、暇で、暇で、暇で、仕方がないのです。
それでこうして心の中でラジオDJ風にひとりごとをつぶやいているのです。
そんなに暇なら、本を読むとか、刺繍をするとか、料理をするとか、したらいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そんなこと不可能なのですよ。
だって私、今世は猫なのです。
本を上手にめくることもできないし、針も持てない。包丁なんて握れるわけがないのです。
――魔王陛下が溺愛する愛猫リリー、それが私です。
「今日もしっかり食べてえらかったね、リリー。ちゅっ」
陛下の膝の上で朝食をいただいたら、トイレタイムです。トイレは各部屋のソファの下におかれています。高機能トイレです。見た目は地球の猫トイレと変わりませんが、大でも小でも、猫砂に落ちた瞬間に消えるのです。この世界には消失魔法というものがあり、その機能がついているのです。もちろん脱臭機能も標準装備です。ここは人の心を持った猫の私にやさしい世界なのです。
陛下の肩に乗って執務室へ移動した私は、ふかふかのソファへ下ろされます。
「さあ、私は今から仕事だから、少し待っていてね。寝ていてもいいんだよ。愛してるよ、リリー」
執務机についた陛下は秘書官たちと一緒に山積みの書類をさばいていきます。
陛下は目が合うと「かわいいね」とか「大好きだよ」とか「愛してる」とか必ず声をかけてくれるのですが、そのたびに仕事が中断するのが申し訳ないので、私は仕事中の陛下のことをできるだけ見ないようにしています。
やることもないので、窓の外を見ます。魔界にも天気があって、今日は快晴です。雲がゆっくりと動いているので、風は弱いみたいです。それから庭園に目を移します。陛下が私のために作ってくれた花壇では、私の瞳の色のビオラが満開です。魔界のビオラは地球のビオラよりも大きいのが特徴です。花一輪が私の顔くらいあります。地球比、三十倍といったところでしょうか。花壇のとなりの噴水には虹がかかっていてきれいです。魔界も地球同様に美しいものであふれています。
窓の外に見るべきものがなくなると、窓枠から下りて鏡の前に立ちます。
美しい銀色の長い毛、すみれ色の瞳、猫ながら整った顔。私は美猫です。首には陛下の瞳のような真っ赤なルビーの首輪がついています。
ノックの音がして「失礼します」の声が聞こえます。見上げると銀髪に黒い角、紫の瞳の宰相です。宰相はよく執務室に来ます。そしてそのたびに私におやつをくれるいい人です。
「おはようリリー。今日はリリーの好物の胡桃クッキーをエリーゼが作ってくれたからね」
宰相が手の中でクッキーを食べやすいサイズに割ってくれます。宰相の手ごと舐めることになるので、最初は抵抗があったのですがもう慣れました。だって毎日のように手ずからおやつをくれるのです。たいていは宰相の奥様のエリーゼ様という人の手作りお菓子です。そのお菓子をとてもおいしく感じるのは、私の前世が人間だからでしょうか。私は人の食べ物がとても好きな猫なのです。
お腹がくちくなるとお昼寝タイムです。浅い睡眠と覚醒をくり返します。
起きているときには色んなことを考えています。
前世のことを考えることが多いです。というのも、前世の記憶が戻ったのが一週間ほど前なので、考えることがたくさんあるのような気がするのです。でも実際はそれほど色んなことを思い出せてはいません。もしも前世のことを鮮明に思い出せたら、私の暇問題も解決するかもしれないのに残念です。
そして前世の記憶を取り戻した弊害なのか、私は猫の記憶をすっかり失っているのです。
記憶が戻ってすぐに、陛下が私の十六歳の誕生日を祝ってくださったので、十六年分の記憶がないことが判明しました。わかったところで私の生活に変わりはないのですが。そしてここは魔界なので、猫も寿命が長いらしいです。陛下はよく「私もリリーもあと二千年は生きるのだから、急がなくてもいいんだよ」と頭を撫でてくださるのですが、私は何を急がなくてもいいのかがわかりません。気になるのですが、猫語しか話せないので訊けないのです。陛下の言葉は普通に理解できるのに、こちらの気持ちを伝えられないのはひどくもどかしいです。
ちなみにこのお城には私以外に猫はいないみたいで、話し相手もいない淋しい猫なのです、私は。
昼食を終え、午後の政務も終えられた陛下と、再び愛の巣へ帰ります。今度の移動は腕の中です。陛下の腕はぬくぬくして安心します。いい匂いもします。
部屋に戻ったら、夕食までの間、陛下が私の体中を撫でてくださいます。マッサージみたいでとても気持ちがいいです。二人きりの至福のとき、あまりの心地よさにうっかり眠ってしまうことがよくあります。二人きりといっても、実際は一人と一匹ですけど。
「失礼いたします。陛下、そろそろお召し替えのお時間です」
真っ赤な二本の角がチャーミングな侍従が来ました。この時間に着替えなんて珍しいと思っていると陛下が説明してくださいます。
「リリー。今日は私の誕生祝いの夜会があるんだ」
「ニャニャニャニャー、ニャアー(おめでとう、陛下)」
猫語なので通じていないと思うのですが、陛下はありがとうという風に、大きな手で私の頭をわしゃわしゃと撫でてくださいました。やさしい陛下に飼われて、私はとても幸せです。
そういえば陛下はいくつになられるのでしょうか。見た目年齢は二十代前半ですが、寿命が二千歳を超える魔族ですから、私の想像以上に高齢でいらっしゃるのかもしれません。
「リリーも一緒に行こうね」
「ニャッ(うんっ)」
私の言葉は通じませんが、気持ちは通じていると信じたいです。