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3.脆きもの、其は安息

中盤です。

やがて血に染まりし村にも朝が来る。

本来なら新しい一日の訪れを知らせる鳥のさえずりは静寂に空しく響き、東の空が白みやがて朝日が昇り始め、闇に包まれた村を照らし出す。

照らし出された景色は死の景色。

教会の中にも朝日が差し込んでいく。

中に倒れているのは二人の人間。

血だまりの中に伏したその二人はまるで死体のようであったが、朝日が顔にさし、そのうち一人がゆっくりと目を開いた。


「僕は……生きているのか? 」

二人のうち一人、アレクは一瞬朝日に目を細め小さく呟く。

目の前には司祭の死体。アレクの体に目立った傷がないところを見ると全身をべっとりと濡らす乾いた血は司祭のものだろうか。周りを見回すが教会には他には誰もいない。

「僕を許してくれたのか……」

呟いた瞬間、脳裏に涙を流す紅い彼女の姿が過ぎる。

すでに乾きつつあった血溜まりに一滴、二滴と水滴が零れおちた。


そしてゆっくりと立ち上がり彼は手を組み合わせ一瞬祈りを捧げる。再び朝日を拝めた幸運と彼女へのせめてもの罪滅ぼしのために。


――この日湖の畔にありし村は僅かな数を残し死に絶えた。





――穏やかな日々、それは悲劇を生き延びしものが何よりも望むもの

――しかし咎は消えることなく


――復讐の女神は裁きから逃れることを許さず

――深紅の魔女は彼らを決して逃がさない






一月後――


湖の畔の村の生き残りたちは近くの大きな街に身を寄せていた。

湖の水を供出する代わりに有事の時は支援するという取り決めがあったためである。

これで彼らはひとまずの安寧を得るはずであった。


東の空がゆっくりと白み始めた頃。

まだ薄暗い部屋の中で眠っていた男は弾かれたように身を起こし荒く息を吐く。

右手で顔を覆うように暗がりでもわかるくすんだ金色の髪を搔き毟り、苦しげに息を吐く。

「またか……」

縁に深く隈が刻まれた紫の瞳を歪め唇を噛みしめる。


絶望の光景が目を閉じるたびにフラッシュバックする。

旋律が耳を澄ますたびにリピートする。

ああ、それは自分にかけられた呪いなのか。

それとも……

延々と繰り返される不毛な問い。


彼、アレクはひとまずの安息を得たにもかかわらずその精神は少しずつ削られていた。せっかく生き延びたにもかかわらず頬は青白く痩せ、さながら半死人である


「なんで……生かされたんだろうな」

自嘲気味に息を吐く。

確かに死にたくなかった。だが彼女に見逃された今、こんなにも苦しい。

眠れぬ夜、後悔の朝。いっそ死んだ方がましである。

歯を食いしばると唇を切ったのか鉄の味がねっとりと口の中に広がり、不快感に彼は唾を吐き、水差しから直接水を飲む。しかし少しも喉は潤わない。

その時不意にベッドの上の固いものに手が触れた。

「何だ? 」

取り出してみるとそれは短剣。鞘から抜くとくすんだ刀身が顔を見せた。

彼はあまりにも見覚えのあるそれに彼は目を瞠る。それはあの夜彼と共にあり終にそれに課された役割を果たすことなく打ち捨てたはずのものであった。

「これ……捨てたはずじゃ」

刀身にかろうじて映る彼の顔が不安に歪み、次第に震える刀身によってぶれ始める。震え始めた指先を押さえつけつつ彼はぶつぶつと呟き始める。

大丈夫、問題ない。

うわごとの様に繰り返される呟きのみが部屋の中を支配した。





「大丈夫? 」

畑を耕していると眩暈がし、一瞬立っていられなくなかった。

そんな彼の様子に耕した場所で種をまいていた村の生き残りであるセシル・フュリーという名の少女が問いかける。

ふわふわとした栗色の髪が揺れ、明るい青の瞳が心配そうに揺らめく。

「……大丈夫」

「それならいいけど。無理しちゃ駄目だよ」

「わかっている」

あまりに心配そうな彼女のその様子にアレクは男なのに情けないと、自分を情けなく思う。

それにしても最近どう考えてもおかしい。

たとえば朝起きると寝ていたとは思えないほどの疲労と全身の痛み。

時折途切れる意識。

心臓を抉られる悪夢。

そして再び脳裏で聞こえだすあの呪詛の歌。

彼女は自分を見逃したのではなく……わざと逃がした?

「どうしたの? 」

セシルは彼より一つ二つ下くらいであるが、やたら彼の世話を焼こうとする。シレーヌとは正反対、太陽のような娘である。過去はシレーヌもいたし、単に友人の妹という認識だったがここの街に身を寄せるようになってその関係は次第に近くなりつつあった。


それはシレーヌへの言い訳のしようのない裏切りであった。

しかし、今の彼は一人で生きていくには脆すぎた。

『そう、自分もこれから生きていかなければならないのだから』


そう思い、手を貸そうとした彼女を制して立ち上がった時、畑の向こうの方から駆けてくる影が視界に入った。

「ジャン、どうしたんだ? 」

「お兄ちゃんどうしたの? 」

その影が知り合いのものだったためアレクとセシルは口々に声をかける。

セシルの兄であり、アレクの友人でもある、ジャン。

あの日この街に来ていたため難を逃れた彼は、二人の前に駆けてきてセシルによく似た顔を鬼気迫る表情に歪め苦しげに息をつきながら二人に告げた。


「――昨夜ユグドさんが死んだ。奥さんも一緒にだ」

数少ない生き残りの老夫婦の名を告げられ二人は硬直する。

何かの間違いと彼に問い返そうとする前に沈痛な面持ちの彼は再び告げた。

「あの村に転がっていたみんなと同じ、だ」

同じように胸を損傷していた。ジャンは知らせを聞いて慌てて村にとって返したのち、死者の埋葬を行ったのでそれを当然知っていた。

アレクは不意に頭痛を覚える。

胃にずんと圧し掛かる不快感とこめかみを刺すような痛みを感じる。

そんな中で再びあの呪詛の旋律を聴こえた気がした。





やがて日が沈み夜となる。

その夜は月が出ておらず星明かりが大地を照らしていた。

不意に路地にわだかまる闇が蠢き、人が現れる。

アレクである。

もともと地味な色の服は闇にまぎれ、金色の髪は星明りにわずかに輝く。

その紫色の瞳はどこか虚ろであった。


しばし明らかに意思ない表情でふらふらと歩いていたが、不意にその目に光が戻り、立ち止まる。


「いつの間にか夜だな……」

あのあとどうしたっけ。

さすがにそんな知らせを聞かされてはもう作業にならず、家に戻ったのはわかる。

そしてセシルが一旦訪ねてきた後が問題だ。

そのあと頭痛に襲われてからの記憶がない。

いったい何をしていたのか、体が酷くだるくm記憶が欠けている。

そういえば昨晩もそうだったか……

おかしいと思いつつも、彼はその時に約束した通りフュリー兄妹の元へ向かっていた。


一人でいては危ない。みんなで集まっていた方がよい、という結論に村人たちは至り、いくつかの家に別れて集合することとなった。


「だが……何人残っているのだろう」

あの悲惨な夜を生き延びた者。偶然難を逃れた者。

この街に身を寄せたら安全だと思った。

しかし再び露見した死。また死が連鎖しているのかもしれない。もしかしたらジャン達も死んでいるのかも知れない。

最悪の可能性に彼の顔は青ざめる。

急ごうとしても体にのしかかる絶大な疲労感がそれを阻む。

「だが行かなければ……」

そう呟く彼の声は元気がない。

彼の心中ではシレーヌへの罪悪感が急速に膨れ上がってきていた。今やあの呪詛の旋律は彼に感じられる音の大半を占めていた。美しく澄み渡っているがどこまでも怨嗟に淀みきった歌。本当にそれが聞こえているのか定かではない。

しかし、その心を激しく揺さぶる声はあの時に感じた後悔と罪悪感を呼び起こす。


あの時自分の身に危険が及ぶことを覚悟で彼女の側に付いていれば。

いや、二人で村を出れば。

魔女狩りさえなければ。

……僕たちさえいなければ。


ゆっくりと崩れ去る何かに彼は気づかないまま駆ける。

何度も何度も思ったことを反芻し続ける。


――彼の顔は笑っていた。





――その頃

「おそいね。アレク」

「だな」

フュリー兄妹は彼を待ちながら夕飯の準備をしていた。

本来村人全員が一か所に集まった方がいいのだが、何せ街に支給してもらった仮の家は十数人もはいらないし、下手に屋外に集合して、街の人間を不審がらせるのは悪い気がする。

それで結局出た案が数人ずつに別れ、しばし生活することである。

確かに二人ともいまだに不安を感じている。日が暮れる前に来るといったアレクも今だに来ていない。

早くアレクが来ることを祈りつつ、いつもどおりに二人は談笑していた。

「まあ、あと少しで来るだろう。何か事情があるのだろう」

皿を並べつつそう言って笑うジャンにセシルも鍋をかき混ぜながら頷く。

もともと仲の良い兄妹であったが、あの件により両親を失い二人きりになってしまったことから、尚互いの存在がなくてはならないものになっている。

あの時何が起こったのか生き残りのほとんどがそうであるように二人にはよく分からない。

ジャンは村にいなかったわけだし、セシルはただ部屋の隅で震えていただけで何が起こったかは正確に分からないのだ。

アレクは何か知っているようだったが、二人はあえて聞かなかった。

シレーヌのことは直接的に関与はしていないがやはり心にしこりの様なものを感じていたのは確かなのだが……

「元の生活に戻れればいいよね」

「そうだな……死んだ人間は戻らないが生きている人間だけでも」

ただ二人は再び始まった死に言い知れぬ不安を抱きつつも穏やかな日々が送りたかった。

その時、不意に二人は顔を上げる。

「何か聞こえた? 」

「……一瞬だが」

二人の耳にほんの一瞬であるがあの旋律が聞こえた気がした。


その時、家の扉がゆっくりと開き、扉に付けていた鈴がりんとなった。


「ノックもなしに……アレクか? 」

やっと来たかと呟きジャンは立ち上がり、玄関へ向かう。

「遅いぞ。何時間待ったと……」

そう言った瞬間彼は言葉を失う。

視線の先のあまりに異常な光景に。封じておきたい記憶を燻りだすかのように心を揺さぶるかのようにあの旋律が聞こえていた。


次の瞬間戸口に立っていた影は人とは思えぬ動きでジャンの胸に手に持った短剣を突き立てた。



「何故……」

その一言を最後にジャンは崩れ落ちる。

「僕らは死ぬべきなんだ」

感情のこもらぬ声で呟いたのはアレクであった。いや、その虚ろな目から推察されるに彼であり彼でないものと言うが正確か。

友人であるはずのジャンの胸に突き立てた短剣の柄を握り二度三度さらに突き立て続ける。

短剣を引き抜くたびに大量の血が吹き出し、彼はそれをもろにかぶることとなるが気にするそぶりはない。その目には狂気が宿り爛々と輝いていた。


短剣を突き立てられつつも何か言おうとしていたジャンだがそれが声になることはなく絶命した。

最後に彼が見たのは自らの血を浴びつつも笑う友人の姿であった。


「お兄ちゃん! 」

一瞬のことでどう判断すればいいのかわからなかったのだろう。彼女は兄が殺される姿をただ見ていた。そして彼が絶命したところでやっと悲鳴を上げた。

逃げるなぞ、彼女には考え及ばなかった。

ただ一人の肉親を想い人に殺されたのだ。その内心に渦巻く思いは非常に複雑であり、彼女に逃避を許さなかったのだ。


「セ……シル? 」

ただただ狂ったようにジャンの胸部に短剣を突き立てていた彼はその悲鳴にハッとしたように顔を上げる。

その目は先ほどのように茫洋としたものから次第に理性を取り戻す。

「何で……お兄ちゃんを」

目の前にはぽろぽろと大粒の涙を流す友人の妹。

そして彼の下には……


すでに光の宿らぬ青い瞳を困惑と絶望に見開いたまま息絶えた友人の死体。



「どういうことだ? 」

手に握った凶器、全身に浴びた血、目の前で悲しみと憎悪の入り混じった目で睨みつけるセシルを見ればこれを自分がやったことは明確だ。

だが……覚えていない。何が起こったのか、自分が何をしてしまったのか。

「よくも……お兄ちゃんを……」

セシルは涙もぬぐうことなく立ち上がる。手近にあった包丁を手に取り彼に殺意に満ちた視線を送る。彼女にとってアレクとジャンの比重は唯一の肉親であったジャンのほうが圧倒的に大きかった。

彼女の耳の奥にもあの旋律、あの日部屋の隅で震えながら聞いて、もう二度と耳にしたくなかったあの旋律が響き続けていた。

アレクはその様子を見てがっくりと頭を垂れる。

何故こんなことをしてしまったのかわからない。何故大切な唯一の友人を殺してしまったのか……

そして同時によみがえる。

昨日、ユグド夫妻を殺した記憶。


その時、彼は気づいてしまった。

何故あの日村が滅びたのか、その理由を。


『ああ、そう言うわけだったのか』

シレーヌにとってもそれは計算外だったのかもしれない。

だが……それが結果として……


『僕はここで殺された方がいい。少なくともセシルだけは生き残る』

そう思った。


その刹那だった。


包丁を腰だめに構えたセシルの目がひときわ大きく見開かれる。

その左胸が一瞬膨れ上がったかと思うと爆ぜ、彼の視界が赤に染まった。


ど……う……して

彼女の唇は最後にそのような形に動く。

目の前のアレクは頭を垂れて何もしていない。

じゃあ何故自分の心臓は弾け飛んだ?

疑問とともに自分がもう助からないことを彼女は悟る。

彼女は最期にアレクの方に這い寄ろうとする。

それは一人床に伏して死ぬことへの孤独を厭うてか、それともアレクを今際の際の幻で兄の姿と見たためかはわからない。

しかし、その努力は虚しく、その指先は力尽きて静かに床を叩いた。




その時、他の村人たちのところでも同じことが起こっていた。

そのうちフュリー兄妹、ユグド夫妻ともう一か所はアレクの手によるものだったのだが別のところでも誰かが突然発狂し、あるいは突然心臓が内より爆ぜ次々に死んでいった。

それらに共通するのはすべて損傷は胸部に集中していたことだった。


――そして村の生き残りは今やアレクただ一人





読んでいただきありがとうございます。一応これで中盤。ジャンとセシルには悪いことをしましたが進行上出番がこんなことに。しかし救いも容赦もない展開……結果を言えば善人だろうがなんだろうがシレーヌにしては皆同罪なんですよね。残り二話。御意見御感想お待ちしています。

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