厭う月の神さま
激情。膨れ上がった感情が爆発し、私の中の全てが持って行かれた。そもそも其処に夢など存在しなかった。
人間的な、余りに人間的な生き方をしていた以上、仕方が無かった結末なのかもしれない、と言う予定説的な論理はもうこりごりだ。
今や私は蛻の殻だった。脱皮されて残された皮そのものであった。光の中で消え去ったかの中に、罪を背負った私の世界は余りにどす黒かった。
藪の中で輝く玉桂は美しく、端麗に存在していた。それとは裏腹に私は――かの夢の中で過ごしていた私は――遠い流刑の旅路の最中であった。
曠劫あらゆる事々を体験し、経験した私の『罪』。人知れず持った感情が、狂気と化した。延々と続く、超然とした佇みは反って此の空間にそぐわない。
ただ感覚は広大だった。大海のようであった。人知れず流れゆく泡沫を見ていても飽きさせないほど、感性は理性や悟性と共に『終わりのない』と言う排中律を辿って見せていた。
私の足は光陰、閃光が煌めくような恍惚のシンボリック。何もかもが灰塵と化して消え失せた私の中の者物とは比較に上がらないほど存在感を際立たせている。
ふと、その光の中から白蛇が姿を現し、私の右足に絡みついて蜷局を撒く。閃耀はふと蛇を覆い隠した。しかし蛇は出てきた。そして『光』を噛んだ。牙が差し込み入った。溢れだす。
豊艶的な潤沢の光の前で、蛇は一切たじろがなかった。ただ、その鋭敏な眼差しをふと此方に向けると、細長い深紅の舌を少し出してから光に消えた。
月は美しい。穢れた地より遥かに貴く、尊かった。数多の凹凸は零落した私を慰めれくれる。盈虧は更に思い出を募らせる。
辛苦が無を初めて覆い尽くす。それは神であった。そこから「ワタシと言う世界」の中で萬物が創造された。彼は天之御中主神であったのだ。
高天原に大雨が降り注いだ。するとイザナギとイザナミが顕現して、ごちゃごちゃになった理性と悟性とを混ぜ合わせて自凝島を作り出した。其れは『感情』となった。
罪への意識が誕生した。久遠の時を後に有するであろう絶対的な覇者が、それを指摘した。私の胸を劈いた。心が時間を持ち始めて、私は意識を相対的に感覚した。
神の前の絶対的な真理は遠くにあり、今や目には玲瓏な闇が立ち誇っている。彼らは徒党を組んで、私の前で警備を張っている。…見覚えのあるような景色。旧来私はそう言った〈積善の家には必ず余慶あり〉的な報復論理は終始嫌っていた。
何が積善なのか。罪と言う言葉を口に出すだけでも甚だ苦しいのに、否、其れが世界を産みだしたのに、専ら私に積善を持つような意思の勃発性は無かったとなかんずく思うし、そう思いたがっている自己が高天原の奥地に居た。
何時か彼らは世界を変革し得るだけの力を抱くだろうし、それ以前にも抱かれた。しかし世界は決して揺るぐこと無く、ただ遠くから朧げに希望と絶望と言う夫婦が顔を出したりしているだけであった。
宵闇の中で私はぞっとした。其処にも「罪の意識」は宿っていたからだ。過去に桎梏として結ばれ、繋がれた者の末路はこうであった。人知れず、過去は黄泉國であった。
過去から私に向かって、黄泉醜女が追いかけてくる。一跳びで数万年も跨ぐ彼女たちに向かって、私は蔓草で出来た髪飾りを投げ、湯津津間櫛を投擲した。過去は生えてきた山葡萄とタケノコに食らいつき、辛うじて私は逃げ切れた。
中身はなんであれ、この、穢れた地よりも究極的に愚かで、 杳々たるほど怜悧狡猾な彼女たちに感じ取ったのは、先程の白蛇の気配。意識的にそう感じ取ったが、「現実」は真逆の行為を働いていた。
今宵の風が身に染みる。徐々に苔に覆われゆく私は、そうやって静かに終わりを待つだけなのであった。しかし終わりは訪れることを知らない。
――――常にそうであった。私と言う観測者はこうやって浅はかな世界線を歩いてきたのだし、また逆も然りであった。だが決して後悔や懺悔をさせることは無かった。
今まで以上に胸苦しさと明朗快活な感情が犇めき合っている。それを照らすは大いなる神の聖寵。それを瀆神するような私は右手を天に向かって伸ばし出し、徐に手のひらを見せつけた。
泰平が其処にはあった。槍鉾が重なる事の知らない世界は、其処の上に存在していたのである。月の闇がそれを嗤った。私も嗤った。―――"そんなのは存在しないのだ"
偉大さは寛大であり、手のひらを見せつけていた私はぎゅっと握り潰し、拳を見せつけた。月の闇がそれを懼れた。私も懼れた。―――"それは罪だ"
私はすぐさま、其れに向かって禊祓をした。穢れはすぐさま落ち取れたが、彷徨っていた神霊が再び宿り付いた。結局、元も子もなかった。なにゆえに抱かせた罪は、こうも観測者を縛るのだろうか?
私は畢竟、それを思っていた。考えても思っても、結果は禊祓に落ち着く。全て此処に帰結してしまうのか、と考えると、やはり感情が爆発した。激情である。そして、再び全てが持って行かれた。…私は、逃げられない愚かさでいた。
光と影。確かに私はそれを神聖な、私にとって絶えず必要なものであった。しかしそれは反して言えば″私の罪を作り上げていた″。瀆聖的な罪は、正しく矛盾律の中に位相を見せていたのである。
現象は今や潰えた。そこに淡々と光るのは霊怪な衛星、私の傍にずっといる衛星であった。往々にしてそれは如何なる事があっても不変であろう真理のようにさえ感じさせた。其れほどまでに衛星は輝いていた。
侃侃諤諤として私の中は蠢く。喧噪ささえ思い出す。しかし朗々とせず、うっすらと不透明な何かが蟲のように動くのだ。…機械的であって、英雄的でもあった。
その度、毎回私は「感情の輻輳」をさせる。こうでもしないと、どうも倦怠感を醸し出してしまうからであった。反射的反応にさえ見えるそれは、蟲を理性や悟性が簡単に叩きつぶしてしまうのだ。
一寸の虫にも五分の魂なんて言葉は弱者的理念の抱擁に過ぎない。彼らは決して弱さを剣に生きてなんかいない。盾にしている。故に質がかなり悪い。
しかし天高く金色は私を見つめていた。ささやかな視点が小雨のように降り注ぎ、遍く希望が私を浄化させる。端麗なそれを邪魔する穢れは、其処には存在しなかった。
―――――これから私はどうなってしまうのか、分かった事では無い。私とて知らないだろうし、八百万の神々でさえ分からないだろう。
……別にそれで構わない。幻想をただ思惑に乗せて動くよりかは、幻想を固定してしまった方がいい。寧ろそっちのほうが合理的であろうし、何より科学的であろう。
かの金色で、私はどんな罪を犯したのかどうかも―――また―――どうでも良かった。威勢だけは一丁前だと、総てを知る精神が誤解するだろうから。
だけれども、私は私自身の中の感情は決して永久的に失せることは無いだろう。激情が一天四海を消し去っても、彼だけは何時か復活するだろうから。
さて、これから私は再び消えなければならない。そして、また復活し、消えなければならない。細長い舌が「失せることは美徳である」と言ったように、私にも何時か罪は襲い掛かってくるのだから。
私は静かに目を閉じた。身体は拒否反応を起こして藻掻き苦しんでいるが、感情は幸せだった。
どうせ、叶わないのだから。
底根の 心ぼそさを 波間より 出てしらする 有明の月




