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04.人間らしさとは

 アイリスに店を教えてもらってほこらの材料を買う算段もつき、ラジーニアの信者も増えて、うきうきと仕事をこなすディーの日々に、ある知らせがやってきた。

「ディートハルト君、だったっけ、ありがとうな! 明日から俺も店に出るから」

「いえ、こちらこそ仕事と住まいをご紹介いただき、感謝の言葉もありません。自分のことはディーとお呼びください、ご主人」

『未知への挑戦亭』の主、ロルフの腰が全快したのだ。主の帰還でお払い箱かと思いきや『ぜひこれからも働いて欲しい』と頼まれて、ほっと息をつく。

「ずっと動けなかった毎日はヒマでな! 新商品のアイデアが次から次へと湧いてきて……試作品を味見してもらえないか?」

「は、はぁ」

 そんなわけで、ロルフが復帰した日の夕方。

 ディーは店の二階にある今に招かれた。食卓と思しきテーブルについているクラウと目が合ったが、すぐにそらされる。隣にアイリスとペトラも座っているが、三人ともどうも顔色がよろしくない。

(なんだこれは……三人とも食べ物を前にしているというのに、希望が全て潰えたかのような表情ではないか)

 依代から出てきた女神が、不思議そうな顔で居間を見まわす。

 だが、そんな疑問は、すすめられたパンを口にした時に氷解した。

(……もしかして、これが『まずい』ということなのでしょうか! パンは美味しいのに中に挟まっている魚とかぼちゃがしょっぱい上に生臭く、歯と舌にこびりつく感触が大変気持ちわる)

(ば、バカ者! まずさを詳細に報告しなくてもいい!)

 女神の悲鳴を聞きながら、初体験の『まずさ』をなんとかのみこむ。笑顔で感想を待っている人の前で、残したりしづらいという事はディーにも分かった。アイリスとペトラもだいぶ苦労してのみこんでいるようだ。

「クラウ、どうした?」

 何とか食べ終えたディーの横で、クラウは皿の上のパンを凝視して震えていた。心なしか額に汗をかいているような気もする。

(ど、どんだけまずいパンなのだ?)

 握りしめたクラウの拳が白くなっているから、彼は『新製品』を食べるのが初めてではないのかもしれない。再び目が合ったが、ぷいっとそっぽを向かれた。

 まるで『お前の助けなどいらん』と言われた気がして、カチンときたディーは口を開いた。

「クラウ、顔色が悪いな。腹でも痛いのか?」

「えっ」

「ご主人、クラウは体調が優れないようです。彼の分を頂いてもかまわないでしょうか」

 ロルフが頷くやいなや、クラウの皿からパンをかっさらうようにして口に押し込む。

(よくやった! それでこそ私の信徒だ)

 笑顔の女神に頭をなでられ、アイリスの口が『ありがと』と動くのが分かる。

「お腹が痛かったのか? ごめんな、クラウ。おじさん気づかなかったんだ」

 クラウはしょんぼり顔のロルフに寝室に送られる際、通り過ぎざまにボソッと言った。

「……助けたなんて思うなよ」


「叔父さんって普通のパンを作る分には美味しいんだけど、ちょっと手を加えて新商品を作ろうとすると、壮絶なマズさになっちゃうの」

「なるほど、そういうことか」

 翌日。

 アイリスの休みと自分の休みを合わせ、店から借りた荷車を引いて歩くディー。ほこらの建材を求める道行の途上で、新商品の裏話を聞く。

「まぁ『いつものパンの方が好き』って言えば納得してくれるから、いいんだけどさ。叔父さんにとって、新商品づくりは生きがいみたいなモノなのかなぁ」

「……生きがい? それは何だ?」

「何って言われても……」

 アイリスの案内で店に到着し、首尾よくほこらの建材を入手。あとは荷車に積んで運ぶだけだ。

「これ、どこに運べばいいの?」

「一時的に、店の裏に置いてもいいと許可はもらっている」

 パン屋の裏に建材を崩れないように積み上げると、額の汗をぬぐって、質問を再開した。

「アイリス、『生きがい』とは何だ? 人間はみな持っているような言い方だったが」

「みんなって……まぁ、無い人もいると思うけどね、生きる張りあいなんて」

「生きる張りあい? それが『生きがい』か」

「そう。ロルフ叔父さんはパンの新作で色々なアイデアを試すのが生きがいなんじゃないかな、って話」

 アイリスの言葉に、むぅ、とディーは唸った。どうやら『生きがい』というのは人間にとって大切なものらしい。

 ――ならば。

「君に頼みがある。『生きがい』とか『人間らしさ』について、教えてもらえないだろうか」

「はぁ?」

 アイリスはぽかんと口をあけて、しばし固まったものの。

「まぁ、ディーが浮世離れしているのは今に始まったことじゃないものね。今からやってみる? 『人間らしい』こと、一通り」

 くすりと笑って、頼みを引き受けてくれた。


 引き続きアイリスに街を案内してもらう、とロルフに伝えてから、『未知への挑戦亭』を後にする。

「どこへ行くんだ?」

「まずは図書館かな。人間が他の動物と違うところって言ったら『文字』だろうし。ディーは本、読めるんだっけ?」

「あぁ。特に問題はない」

 かつて数度、父に連れていってもらった事を思い出した。あの頃はまだ幼く、父の腕の中に収まる大きさだったが、今のディーは人間の姿でなければ入れなかっただろう。

(ラジーニア様、図書館に行って何か、ほこら作りに役立つ本を探そうと思います)

(それは良い考えだな。私も人間の書物はしばらく見ていないから、楽しみだ)

 ディーが女神に報告する姿に、アイリスが驚いたり。『声を出さずに意思疎通する方法』を伝授したりしながら、図書館に到着。

 目的の資料を見つけて、三人で熟読。心地よい疲れと共に、図書館を後にする。

「頭を使った後は甘いものが必要でしょ? ケーキでも食べに行きましょ」

 道中伸びをしながら、アイリスが行く手にある一軒のケーキ屋を指さした。

「そういうものか?」

「人間らしさを勉強するんでしょ? そういうものなの」

 不思議に思ったものの、『人間らしさ』と言われてディーに否やはない。

「ここ、学校の友達とよく来るお店でね。バウムクーヘンが絶品なんだから」

 女性客で賑わう店内に連れ込まれ、席につく。薄く切り分けられた一枚をほおばるアイリスは、頬を染めて至福の表情だ。ディーも見よう見まねでフォークを使い、バウムクーヘンを口に運ぶ。

「こ、これは! 幾重にも重なった生地がしっとりとした食感で、まわりの、このつやつやしたモノがまた、絶妙の味わい……うまい」

「でしょう? 周りの艶出しはグレーズっていうの。これが甘さひかえめの生地と相性抜群なのよねー」

 時折ティーカップを傾けつつ、もぐもぐと口を動かす彼女のそばで、宙に浮く女神がとても物欲しそうな顔をしている。ディーは試しにひと切れ差し出してみたが、小さな両手はすり抜けるばかりだ。

(うぅ、信者がもっと増えれば肉体を得られるのに……!)

(そのかわり、まずい物も食べなくていいじゃないですか)

 あの『新商品』の味が蘇り、ディーは慌てて次のひと切れを口につっこんだ。


 その後夕方までアイリスに『人間らしさ』を教わって、彼女を店まで送る。夫妻に挨拶をしてから自分の部屋に戻ろうとすると、ロルフに呼び止められた。

「ディー君、いい酒が手に入ったんだが、君はイケる口か? 一緒にどうだ」

 イケる口、という言葉に首をかしげたものの。酒を飲もうと誘われている事は分かったので、ご馳走になることにした。

「ほら、ここに座って。飲め飲め」

「はい、頂きます」

 食卓に招かれ、ロルフの隣席と酒のつまみをすすめられる。

(苦くて熱くて……不思議な飲み物ですね)

(ふふっ、酒は初めてだろう、好きなだけ飲むといい。顔には全然出とらんし……そもそも人間が飲む程度の量で酔っぱらう訳がない)

 ボトルを2本空けたあたりで、ロルフの顔は真っ赤になった。女神の弁ではこれが『酔っ払った』という状態らしい。

「ディー君、田舎から出てきたばかりなんだって? 慣れねぇ街で大変だろぉ、俺が何でも相談に乗るからなぁ」

 ロルフはそう言うと、泣きながらぐいっと酒をあおった。

(ディートハルトよ、これが『泣き上戸』だ。酒に飲まれてはならぬという、いい見本だ)

 したり顔の女神を横目に、ディーはロルフに質問してみることにした。『何でも相談に乗る』と言ってくれているのだから。

「あの、ロルフさんはどんな時に、人間に生まれて良かったと思いますか?」

「生まれて良かった、だって! 何かツラい悩みでもあるのか?」

「い、いえ、そうではなくて。にんげ……人生の先輩に、うかがいたくて」

「なるほど! そうかそうか!」

 ガバガバ酒を飲むロルフに、バシバシと背中を叩かれて咳き込む。

「そりゃあ……こうやって酒飲んで、しみじみしている時かねぇ。気のいい嫁さんがいて、店もうまくいってる。子供には恵まれなかったが、アイリスやクラウ、お前さんみたいな奴らが来てくれたわけだし」

 ロルフはコップの中の酒を揺らし、くいっとあおった。

「これ以上贅沢言ったら、バチがあたるってもん、よ……」

 言うだけ言って、ロルフは机に突っ伏していびきをかきはじめた。

「ディー君、つきあわせてしまってごめんなさいね。この人は毛布でもあればいいから」

 居間に入ってきたペトラはこう言ったが、ディーは彼を寝室まで運んでからお暇することにした。せっかく腰が治ったのに、風邪でも引いたら大変だ。

 酔っ払いをおんぶして階段をのぼりながら、じっと考えた。

 これで少しは人間らしくなれただろうか、と。


 ほこらの建材を入手してから、仕事の合間をぬって図書館に通い、建築技法や各種工具の使い方について学んだ。パン屋の常連に大工がいたので、図面について意見をもらって修正を入れる。

 女神の希望に合った、『清浄な水がそばにある環境』については、水車小屋くらいしか思いつかなかった。なので、粉引きに行った時に管理人に許可を求めたが――色よい返事がもらえなかったので仕方なく、アイリスとクラウを信者にした時と同じ手を使って、管理人を強引に信者にして、許可をもぎ取った。『水車小屋は町の共有財産なので、その周りで布教活動をしないこと』という但し書きがついてはいたが。

(ラジーニア様、信仰の無理強いは良くないと思います)

(し、仕方ないだろう! 町の外に作っては信者が来ないし、他の神との縄張りを考えると、あの場所が一番適切なのだ!)

 挨拶まわりが大変だったのなんだのと言いつのる女神の声を聞き流しながら、パン屋の窓から空を見上げる。

 雲一つない、太陽のまぶしい朝だ。

 なじみの客に挨拶をし、売れた商品を補充して調理場に戻ろうとすると、次のパンが目の前に。

「おい、焼けたぞ」

「ありがとう。助かるよ、クラウ」

 パンを受け取って並べ、買い物を終えた客を見送って頭を下げる。

(ラジーニア様! 自分も少しはパン屋らしくなってきたと思うのですが、どうですか?)

(そこそこ板についてきたのではないか)

(ふふ、ますます人間らしくなりますね!)

(だから、今のお前は姿が人間なだけだ!)

 この『声を出さない意思疎通の方法』は、女神がそうしようと思わなければ他の信者には伝わらないとかで、ちょっと恥ずかしい意気込みを言ってみたディーである。

「高い棚の補充は自分がやろう」

「ん。終わったらカゴを洗うぞ、手伝え」

「まかせろ」

「その次は生地を釜に入れる」

「よしきた」

 店員としての経験はクラウの方が少しだけ長いのだが、いかんせん彼には背丈がない。クラウには踏み台を用意し、それでも届かない場所の作業はディーの担当だ。

(なんだか、クラウとの会話が増えたような気がします! 自分は頼りにされているのでしょうか?)

(頼り……というか、うまく使われているように見えんでもないが)

 女神は苦笑いで天井のあたりを漂っている。

(では、今日も人間について勉強してきます!)

 ディーは焼きがひと段落ついた所で、店の外に出て、呼び込みを始めた。

 『未知への挑戦亭』には、様々な人間がやってくる。

 子供を連れた母親、港で働く男たち。そして、仲睦まじい男女など。彼らはどんな人で、どんな話をして、どのような暮らしをしているのだろう。それをこっそり想像するのが、最近の楽しみなのだ。

「パンのお兄ちゃん、またね!」

「はい。またのお越しをお待ちしております」

 買い物を終え、母と手をつないで帰る子供を見送る。唐突に父の記憶が蘇り、ブルブルとかぶりを振った。思い出はいつも、燃える街と血の匂いで終わるのだから。


 一日の仕事を終え、閉店準備をしていると。

 ディーはペトラに、クラウを連れて公衆浴場に行って欲しい、と頼まれた。

 初めての依頼を不思議に思って理由を聞くと、鬼気迫る顔で一言。

「また、新製品を作るつもりみたい」

「な」

 絶句するディーの前、ペトラに連れられたクラウの表情が固い。

「お、俺はヘンな奴の手なんか借りない」

「そんな事言わずに、ディー君と一緒にいってらっしゃい。ここは私にまかせて」

「そんな、ペトラさん一人で」

「……大丈夫よ、伊達で妻をやってきたわけじゃないの。せめてあなた達だけでも……はやく、うちの人が気づかないうちに」

 ペトラは悲愴な面持ちで、ディーとクラウの背中をぐいぐい押してくる。

 クラウと合った視線はいつものようにそらされたが、小さな肩が震えているのが分かった。封印していた新製品の味を記憶から掘りおこし、ディーはぐっと腹に力を入れる。

「ペトラさん、行ってきます」

「行ってらっしゃい。ゆっくりしてきてね」

(ディートハルト、我が信徒よ。こうなれば、せめてペトラの犠牲を無駄にはすまい)

 言われるまでもないと、暴れるクラウを抱っこして、足早に出発した。


「なぁ、クラウ」

「なんだよ」

 公衆浴場に到着し、クラウの頭を洗って背中を流していると、女神から(耳の後ろも洗え)という指図がきてその通りにする。なぜか風呂に入ってからずっと握っている拳も、そのまま洗った。

「君の意見を聞きたいんだ。『人間らしさ』とは一体どんなものだろう?」

「……そんなこと聞かれても、わかんねぇよ」

 石鹸の泡を全て洗い流すと、背中を流してやるから椅子にすわれ、と言われた。

「なら、今までの人生で、君が『人間に生まれて良かった』と思ったことは何がある?」

「なんにも知らない、頼りないお前に教えてやろう、って言いたいとこだけど」

 クラウはフンと鼻を鳴らしつつ、小さな手でディーの背中を流す。

「人間らしさなんて、俺にはよくわからない。……よく覚えてないんだ、むかしのことは」

 彼の顔を見ようと後ろを振り返ったら、顔にお湯をかけられて笑われた。

「目に泡が入ったじゃないか」

「あはは! 変なかお!」

 きれいに泡を流して湯船につかり、ゆっくり温まって外へ出た、その時。

「うわっ、と」

 クラウが足を滑らせて尻餅をついた。

「大丈夫か? 怪我は」

 声をかけ、クラウを助け起こす。

 転んだ拍子に開いてしまった拳の中身は、ディーが首に下げている女神の依代とよく似ていた。

「さわるな!」

 拾って眺めていたら、すごい剣幕のクラウに取り上げられ、一目散に走り去ってしまう。ディーは(風邪をひいてしまうぞ! 早く服を着せろ)と女神にどやされて追いかけるはめになった。

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