第二の刺客 1
スターゲイズ島第四地区、「エリアス」は島でも有数の高級住宅地区であり、高層マンションや高級住宅が立ち並ぶ場所だった。道歩く人々の姿も、それに見合うように綺麗な服装や高級なアクセサリーに身を包んでいる。道路には人々の生活レベルの高さを証明するかのように高級車が走り、高級レストランやブランド店がずらりと並ぶ。地区全体が社交場のような雰囲気であり、その点ヴァーゴ地区と正反対の場所であると言えた。
そのエリアスに場違いな存在がいた。エリアスの上品な静寂を嘲るほどの大音量を流し、駐車禁止の路肩に寄せている高級オープンカーだ。その色合いは派手な赤色で、下品なスラングやイラストがペイントされ、アレンジされている。
エリアスの住民はオープンカーを使わない。エリート意識のある彼らにとってオープンカーは無学な若者や成金の趣味という偏見があるのだ。
その偏見はおおむね正しかった。その所有者であるらしき、車の運転席にいる男はこのエリアスにふさわしくない、ドレッドヘアーに、タンクトップにダメージジーンズの姿で、両腕に四足の爬虫類の刺青が彫られていたのだ。
故にエリアスの住民はこのオープンカーを汚物を見るかのように白眼視した。だが、誰も注意するものはいない。日系人の多いスターゲイズ島にも日本人特有の事なかれ主義が蔓延しており、特にエリアスではその気が強かったのだ。
そんな事情を知ってか、知らずか、どこ吹く風の男は、ハンドルの上に足を組み、背もたれを最大限まで下げた状態で、メンズもののアクセサリーの雑誌を読んいた。時折大音量で流れる音楽に合わせ鼻歌を歌い、首を左右に揺らしている。
「んん~。やっぱりメーゲルのネックレスはごつくてカッコイイなァ!髑髏が最高にロックだぜ。でもシュレーゲルの指輪も捨てがたいしなぁ。」
ブランドものを身に着けた自分を想像し、男は悦にひたる。ページをめくるたびに胸の鼓動は高まっていくが、直後にその値段を見て落胆することを繰り返す。
「金がねぇなぁ。ついこの間、車を買ったばかりだしなぁ。」
音楽の大音量にも負けず、大声をあげるドレッドヘアーの男。道行く人々がビクリ、と跳ね上がるのを見て歪んだ笑みを浮かべも、すぐ不機嫌そうに身を沈めるのだった。
音楽の音量を更にあげて気を紛らわそうとするが、突如としてレコーダーから流れる音楽が止まった。間違えて昇温したのか、さもなくば故障かと思いつまみをいじくりまわすが、効果はない。
新しくかったばかりの新品だというのに…。男は心でごちた。不良品を掴ませたとしたら、あのディーラー締め上げてやる。
自分にこの車を売りつけた細見のディーラーの姿を思い出し、彼へのいらだちを募らせたが、直後にレコーダーから音が再び出始めた。だが、それは音楽ではなかった。
「ライザード。応答せよ。」
若い男の声だった。レコーダーから音楽ではなく声が漏れたことに男は困惑する様子もなく、答える。
「はいはい、コチラ、ライザード。聞こえてますよ。」
「今どこにいる?」
ライザードの声に、レコーダーの声も答える。どうやらラジオの類ではなく、生の通信らしい。そして声の主はライザードのよく知る人物、彼の上司のものだった。
そのため、声音だけは恭しく返事をする。
「今はエリアス地区で仕事中です。」
「さぼっているんじゃないだろうな?…まぁいい。それより任務だ。至急のな」
「ほぅ…この俺に任務ですかい?で、どこに行けばいいんです?」
「ヴァーゴ地区だ。」
スターゲイズ島のゴミだめの名を出されて、ライザードは戸惑いを露にした。
「ヴァーゴ?島の外の任務じゃないんですか?まさかこの俺にゴミ掃除をしろと?」
声の主はすぐに答えず、代わりにライザードが会社から支給されたデバイスが鳴った。そのデバイスを確認すると、複数の資料が添付されたデータが立体ソリッドビジョンとなって現れた。
「今から15時間前、神風隊所属の星輝士、黒爪クラウスが現在地の定時連絡をした後、消息が途絶えた。現在も行方が分かっていない。」
「酒でも飲んで、女遊びしてるんじゃねぇですかね?」
「…ヤツとパートナーを組んでいた星輝士も同じく消息を絶っている。奴らは主に野良星輝士や、候補者のスカウトを担当していた。同日もその任務に当たっていたと報告で分かっている。」
それを聞くとライザードは面白そうに目を細めた。
「へぇ…だとすると殺られた?へっ。だとすると情けねぇ話ですな。勧誘に行って返り討ちにされるなんて。」
「…だが、仮にも奴らはプロだ。そこらの野良星輝士や覚醒したての奴にやられるとは考えにくい。もしかすると外部の敵対勢力が潜伏しているのかもしれん。そこでお前に任務を命じる。ヴァーゴに向かい、現地で調査。黒爪たちに何があったのか報告しろ。そしてもし星輝士を確認した時は…。」
「ぶち殺せ、ってわけですね。」
ライザードは愉快そうに口元をゆがめた。
「油断するな。」
「へっ。誰に言ってるんですかい?俺は裏方しかできない神風隊の鳥頭どもとは違いますよ。隊長もそれを知っているから俺に命じたんでしょ?」
「早めに連絡しろ。…期待しているぞ。」
それだけ言うと、男の声は途絶えた。通信が完全に切れたことを確認するとライザードは背もたれを直し、車のエンジンをふかす。特殊改造されたオープンカーは発進と同時にすぐ最高速度に達し、爆音とともに風を切る。
蛇行運転を繰り返し、他の車と接触ギリギリに走るライザードの車は危険そのものだ。先ほどの大音量の音楽とは異なり、明確な犯罪行為に、今度は見咎めるものがいた。
「そこの車、止まりなさい!そこの車止まりなさい!」
サイレンを鳴らしながらパトカーが追跡をしてくる。その姿をバックミラーで一瞥して、ライザードは舌打ちし、その指示には従わず、なおも爆走を続けた。
とんでもない奴だ、と、警察官たちは呟いた。そしてこの無法者を必ず捕らえてやろうと、周辺のパトカーに応援のための無線を入れる。
だが、まさにその瞬間、車を急なスリップが襲った。スターゲイズ島は冬季、厳しい冷気により地面が凍り付き、車のスリップを誘発することがある。そのため冬にはタイヤにチェーンをつけることが必要だ。公用車であればそれは義務だ。だが、このパトカーはチェーンをつけていなかった。
何故なら今は暖かな春だからだ。
疑問の答えを得るまでもなく、パトカーはそのコントロールを失い、半回転する。そして警察官たちの目の前には電信柱が迫っていた。
大破し、やがて火を噴くパトカーと、その周りで叫び、そして逃げ回る人々の姿を一瞬だけ面白そうに眺めると、ライザードはすぐに運転に意識を戻し、ヴァーゴへそのまま車を走らせた。
「坊ちゃんのご機嫌とりも楽じゃねぇなぁ…。ま、これも仕事だ。金のために頑張るとするか。」
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「まぁ、適当に腰かけてくれ。」
そう言って、フェリシアは部屋に一つしかないソファーに座り込んだ。京介は仕方なしに床にあぐらをかいて座り込み、彼女から投げ渡された缶ジュースの栓を開け、その中身を喉に流し込んだ。
フェリシアと京介がいるのはヴァーゴ地区の一角、小さな雑居ビルの一室だった。すでに廃ビルと化しており、誰も買い手のいない不動産で、それを彼女は勝手に間借りし、家具や生活必需品を置いて、アジトの一つとして活用しているようだった。
黒爪との一戦後、フェリシアと京介はキオとユニカを家に帰した後、傷ついた体を癒すために、彼女のアジトで休ませてもらえることになった。それから一夜明け、現在に至っている。
「それで話ってなんだ?」
自らはビールを選んだフェリシアが、それを喉に流しながら、話を切り出した。その体には黒爪によってつけられた傷は既にない。星輝士特有の回復能力が傷を癒したのであろうが、京介の方はまだ、深い傷が何か所も残っていたことから、京介よりもはるかに優れた戦闘能力ないしは治癒力を有していることが伺えた。
自らの傷が癒えていることについて、彼女はどう思っているのだろうか。その顔からは伺い知ることはできない。
「君は自分の身に起きた事態について、どこまで分かっている?」
「…漠然とは理解している。」
星輝士になった者は、その覚醒と同時に自身が何者であるのか、星輝士とはなんであるのか、そして星戦とその内容や目的などの様々な知識が与えられる。彼女自身もその知識を授かっていたが、それを完全に理解することは不可能だった。
得る知識も星輝士間で差がある。また、現状について彼女が全てを知っているわけもなかっただろうから、京介は彼の知る全てを教える必要があると判断した。
「星輝士…超人的な肉体と異能の力を持つ女神の戦士たち。伝説上の存在。それが僕たちだ。」
フェリシアは頷く。輝きに包まれた瞬間、老若男女、どれにも聞こえる声が教えてくれたことだ。そしてその声はこうも言った。
「そしてその星輝士たちが神の座を巡って殺し合う戦い…それが星戦。…つまり俺とテメェは敵同士ってわけだ。」
フェリシアは不敵に笑う。その笑みに空恐ろしさを覚えた京介は思わず身構えた。まさかこの場でやろうと言うのか?だが、フェリシアにはそんな気はないらしく、京介の反応を見て面白そうに喉を鳴らした。
「冗談だ。…神の座?くだらねぇ。」
鼻で笑うフェリシアである。神そのものを馬鹿にするような態度だった。だが、自身が人ならざる存在になった、ということは認めざるをえないのだ。
「で、あのカラス野郎は何だったんだ?ヤツも星輝士だろう?神の座を狙ってたのか?」
「いや、ヤツは…黒爪は違う。ヤツは獅子王財閥の所有する星輝士の特殊部隊、神風隊の一員だ。上から命じられる様々な任務を行う兵士だ。逃げ出したボクを追っていた。」
「逃げ出した?」
「そうだ。僕も獅子王財閥の一員だった。だけど残虐な任務に嫌気が差して逃げたんだ。君に力を与えた星導器を盗み出してね。」
京介について、フェリシアはそれ以上追及しようとはしなかった。興味がないのかもしれなかったが、詮索されたくない彼にとってはありがたかった。
「獅子王財閥…。」
フェリシアはスターゲイズ島の最大の企業にして支配者の名を呟く。この企業なくしてスターゲイズ島は成り立たない。経済、インフラ、産業、政治…すべてがこの企業から、そして中心に回っているのだ。そしてその影響力はアメリカ本土にも至るとさえ言われている。
「それで、その獅子王財閥は何が目的なんだ?」
「分からない。奴らは他に何人も星輝士を雇って様々な任務に充てている。ボクとクラウスは星輝士や、専門部署のスカウトだった。他にも企業の恐喝をしているというのも聞いたことがある。」
「へっ…神の戦士って割には随分小さいことしてるんだな。まぁ、神だかなんだかよりは常識的で理解できるがよ。」
フェリシアは獅子王財閥をせせら笑う。ヴァーゴ出身の彼女にとって、この地区を見捨てた獅子王財閥は軽蔑し、憎むべき対象であるのだ。一方で京介は彼女に同調しない。獅子王財閥がどれだけ恐ろしい組織か、身を以て知っているのだ。
それに、獅子王財閥の最終的な目的が、金や企業の拡大とはどうしても思えなかった。そう感じさせる恐ろしい何かが、あの企業にはあった。
それを止めることこそが彼の使命なのではないか、それこそがこの少女と出会った意味なのではないか、京介はそう考える。
「フェリシア、頼みがある。ボクと一緒に…獅子王財閥と戦ってくれ!」
「断る。」
京介の必死の頼みを、間髪入れず拒否するフェリシア。思わず唖然とする京介だったが、慌てて問う。
「な、何故だ?昨日は…」
「面倒事はごめんだ。昨日は成り行きと、ケジメのために共闘しただけだ。逆に聞くが、なんで俺がお前と一緒に奴らと戦わなきゃならん。」
「そ、それは…。」
「獅子王財閥があのカラスのようなヤツを何人も雇ってるってなら、尚更だ。割りに…というか一銭の得にもならねぇ。あいつらと事を構えてもいいことは一つもねぇ。」
正論ではあった。だが、そのまま引き下がれるほど、京介には余裕があるわけではない。使いたくない文法を使わざるを得なかった。
「君に星輝士の力を与えたのはボクだぞ。」
「頼んだ覚えはないね。それにあの時、ああしなきゃ、俺たちは死んでただろうが。」
京介の切り札を、フェリシアは一刀のもとに切り捨てる。黙り込む京介を尻目に、フェリシアはビールの空き缶をゴミ箱に投げ捨てるとど、ドアへと歩いて行った。
「何処へ行くんだ?」
「仕事だよ、仕事。働かなきゃ生きていけねぇ。こんな場所でもな。お前も休んだら早く出ていけよ。俺とお前の関係はこれで終わりだ。」
「…。」
「安心しろよ。真っ当な仕事だ。星輝士だかこの超能力も今後使う気はねぇよ。…忠告じゃねぇが…あのカラス野郎一人を相手にしてすら、お前はボロボロじゃねぇか。変な正義感なんか捨てて逃げちまえよ。流石に島の外まで行けば追手こないだろ。」
そう言うと、フェリシアはポケットから部屋のカギを取り出し、京介に投げ、カギをかけた時、最初に隠してあった所に置くように指示した。それからドアノブに手をかけ、外に出ようとしたところを、京介の微かな声が空気を振るわせて耳に入った。
「別に正義感じゃないさ。戦わなきゃいけないと思っただけだ。君もあの時、そう思ったから、黒爪に立ち向かったんだろう?」
フェリシアの手が止まる。その鋭い碧眼で京介の顔を撫でつけたが、結局何も言わずに出て行ってしまった。
その後姿を見送り、京介は考えにふける。確かに、彼女の言う通りかもしれなかった。獅子王財閥の力は強大で、たった二人だけで立ち向かえるものではない。逃げ出せたこと事態奇跡だったのだが、その後のフェリシアの覚醒、そして黒爪への勝利という更なる奇跡が彼に、何か自身は特別で、やれるかもしれないという思いを抱かせてしまったのかもしれない。少し冷静になるべきであった。
しかし…島から逃げるにしても彼にはもう、切り札はもうない。黒爪との戦いでフェリシアに使用してしまったあの極彩色の羽である。獅子王財閥の研究室から盗み出したあの羽は、素質のある者を星輝士へと進化させる女神の道具、星導器の中でも最高ランクとして組織で位置づけられていたものだった。すでに星輝士である京介にはあれを使って、強力な星輝士になることは出来なかった。だが、それ以外にもあれには使い道があったのだ。今となっては無駄な話だが。
それに逃げるといってもどこに行けばいいと言うのか。彼には行き場所などない。それに金だってない。密輸船に乗る金も、その後の逃亡や生活の資金も、フェリシアに盗まれてしまったのだ。
そうフェリシアに盗まれてしまったのだ。その金はまだ返してもらってない。
そこまで思考が至った時、彼は今まで思い出せなかった大事なことを思い出したのだった。憤然と立ち上がり、手にしたジュースの空き缶を握りしめた。
「あ、あの野郎~!なにがもう関係ないだよ!ふざけるんじゃねぇ、金返しやがれ!」
空き缶をゴミ箱に叩きつけると、彼は急いで上着を羽織り、部屋を出た。カギを乱雑に隠し場所に投げ捨てると、慌ててフェリシアの後を追うのだった。