邂逅、そして覚醒 6
「予想以上にとんでもねぇ状況になってやがるな。」
指を折り曲げしながら、文字通り死体と血で塗装された道を歩きながらフェリシアは二人に近づいていく。時折、周囲の死体を一瞥するが、さほどショックを受けた様子はなく、淡々としていた。
「こいつは、テメェの仕業か?」
フェリシアは瞳に冷たい炎を宿し、黒爪を睨みつけるが、彼はまるで怯んだりなどいないようだった。むしろ不快そうな表情を浮かべた。
「誰だ、お前?」
「誰だっていい。お前こそ何者だ?ここら辺じゃ見たことない顔だな。」
「俺は黒爪クラウス。コイツの、京介クンの友達だよ。今ちょっとお取込み中だから、邪魔しないでもらえるカァな?」
「そうは行かねぇな。そいつは俺の獲物だ。ソイツを離せ。」
「なんだ。オメェも京介クンのお友達かよ。嫉妬しちゃうナァ、京介クンよ。長年のパートナーをポイ捨てして、新しい男に乗り換えちゃうなんてよ。」
「なに言ってやがるんだ、お前。気持ち悪い野郎だ…。」
唾を吐き出した後、カラスが集まっているのが気になるのだろう。空を仰ぎ見るフェリシア。そして彼女もまた京介と同じく、キオとユニカが吊るされているのを見つけたようだった。
フェリシアの瞳に、今まで見た以上の業火が宿っていた。
「テメェが何者だろうが、なんでこんなことをしたのか、そんなことはどうでもいい…。だが、落とし前はつけさせてもらう。人の縄張りで好き勝手したことの落とし前をテメェの命でなぁ!」
唾を吐き捨て、フェリシアは駆け出す。京介は止めようとするが、声が出ない。出たとしても彼女は止まらなかっただろう。それを証明するかのように握りしめられた拳は断固たる殺意そのもののようだった。
「はぁ…やれやれ…本当にこの地区は野蛮だなァ…。ヤク中がいっぱいいやがる…。」
黒爪は小さくため息をついた。京介との楽しい時間を横やりを刺されたことに興を削がれていたのだ。襲い掛かってくるフェリシアをやる気なさげに迎え撃つ。隙だらけの構えだが、それでも一般人を容易に殺すことができる。
「さっさと片付け…ありゃ?」
突っ込んできたフェリシアに突き出したカギヅメはむなしく宙を切った。どころか、黒爪の視界からフェリシアの姿が消えていたのだ。一体どこに?
コンマ数秒後、黒爪は危険察知能力からフェリシア気配を捕らえた。危険?あのクソガキが?一瞬の疑問が黒爪の動きを止めた。目だけが動き、フェリシアの姿を捕らえた。彼女は黒爪の懐に入り、拳を構えていた。そして突き上げられた拳が黒爪の顎を捉え、彼の体で美しい曲線を描かせた。
「な?え?」
「まだまだ行くぞ、オラァ!」
呆然とした黒爪にフェリシアは追撃をかけ、殴り、蹴りとばす。同じく呆然としているのは京介だ。ただの人間が異能の力を持つ黒爪を圧倒している。蟻が像を斃すがごときその光景が信じられなかったのだ。
だが、京介はすぐに我に返った。
「止めろ、フェリシア!早く逃げるんだ!」
この状況を京介はすぐに分析した。これは全てが上手くいった偶然、いや、奇跡の産物に過ぎない。そして黒爪はそのありえない出来事に驚き、対応できていないのに過ぎないのだ。
「ああん?なに言ってやがる痴漢野郎。テメェが負けたヤツに俺が勝てないと思って賢し気に忠告でもしてんのか?なめんなよ、さっきの勝負はテメェが卑怯な真似をしたからだ。俺は負けてねぇ。次は俺が勝つ。」
「そういうことじゃない!ヤツは君や俺とは違う次元の人間…いや種なんだ!絶対に勝てない存在なんだ!」
「ハッ!大した評価だなぁ、オイ!こいつは宇宙人ってか?じゃあ確かめさせてもらうぜ!」
倒れこんだ黒爪の頭にかかと落としをかますフェリシア。その強烈な一撃は格闘家のソレに匹敵し、受けた対象の頭を潰れたトマトに変えてしまうだろう。そのスピード、そして黒爪の体勢から避けることなどできない、まさに必殺の一撃だった。
その一撃を黒爪はいとも容易く、腕で受け止めた。
「少し調子に乗り過ぎですよ、あなた。」
ダメージを受けた様子もなく、その腕でフェリシアの足首を掴み、放り投げる。その距離は1m、2m、いや、10m以上にも及び、壁に打ち付けられたことでフェリシアはようやく止まった。
「カハッ…な…に…?」
血反吐を吐きながら、フェリシアは立ち上がる。今度はフェリシアが混乱する側だった。あの細身の黒づくめにどこにこんな力があったのだろうか。恐るべき攻撃力の前に、戸惑わざるを得なかったのだ。
だが、混乱の種ではそれで終わりではなかった。黒爪はその場で黒マントを翻したかと思うと、そこから何かを飛ばした。ほぼ同時にフェリシアの体の各所に痛みが走る。その痛みの原因はナイフめいた黒い羽だ。だが、何故?人間にそんなことが出来るのだろうか?
疑問を解く間もなく、黒爪がフェリシアの眼前に現れた。急いで構えるが、その防御を嘲うかのように繰り出された拳により、フェリシアはまた吹き飛ばされた。
人間ではありえないその力にフェリシアは思わず疑問を口にする。
「何者だ、お前?」
「ン?俺が何者かだって?カッカッカ。俺に一撃をくらわした褒美に教えてやるか。俺は星輝士。カラス座の力を宿した星輝士よ。」
「星輝士?」
「そう。人知を超えた能力と力を持つ、神の戦士たち。それが星輝士だ。」
「何を言ってやがる。いかれてんのか?」
「カッカッカ!理解しなくてもいい。お前たちのような価値も能力もないゴミどもには関係のない話だ。それにお前は…死ぬんだカァらなぁ!」
先ほど、フェリシアが黒爪にしたように、攻撃を繰り出す。だが、攻め手の攻撃は重く、受けての防御は柔いのが違うところだった。フェリシアの体に痛々しい打撲痕と裂傷が増えていく。
いずれも致命傷とは言い難い傷だ。黒爪が楽しむためにわざと外しているのは明白だった。
「オラァ!」
蹴り飛ばされ、地面に叩きつけられるフェリシア。血反吐すら吐くほどのダメージを負いながら、瞳から戦意が削がれていないのは賞賛すべきだろう。
「どうなってやがる。人間の動きじゃねぇ…。」
「だから人間じゃねぇって言ってんだろうガァ?つまんねぇし、もう殺しちまうカァ?」
フェリシアの視界から黒爪が消えた。周囲を見渡すも、影すらない。
「どこに…?」
ふと首筋にチクリとする感覚を覚え、確認すると黒い羽だった。そして彼女は肩越しに見た。黒そのものの影が背後にいるのを。振りかぶられた大爪に死を予感させた。
その攻撃を妨害したものがいる。…京介だ。振りかぶられた黒爪の腕に右手の甲を当て止めると、続いて左で黒爪に攻撃する。油断していた黒爪は遠く吹き飛ばされた。
「お前…。」
フェリシアの声からは助けられたことに複雑な感情が混じっているようだった。それを無視して京介は叫ぶ。
「逃げろ!」
「なに?ふざけるな!背をみせてみっともなく逃げろってのか?俺にそんな恥をかけと?」
「そうだ!ヤツとの実力差は分かっただろう。このまま戦っても殺されるだけだぞ!」
フェリシアは言い返そうとして、出来なかった。認めがたき事実を他者に指摘されたこと、そしてそれを認めざるをえなかったのだ。
「ならお前はどうするんだ?勝てるってのか?」
「分からない。だが、勝機はある。それにアイツがここに来たのはボクに責任がある。それを取らなくちゃいけないし、ボクはもう誰かが自分のせいで死ぬのを見たくない。」
フェリシアは京介の眼に必死の覚悟を宿していたのを認めた。それはこのヴァーゴを懸命に生きるものたち、そして彼女が知る最も強かった男が宿していた光だった。
「大丈夫だ。あのユニカとキオという子どもたちは必ず救って見せる。これはボクがつけなきゃいけないケジメなんだ。」
フェリシアはこの男を理解した。詳しい事情は分からない。だが、この男は認めるべき戦士なのだと、魂が理解した。
普通ならば、誰かの指示に従うことも、敵を前に逃げることも誇り高きフェリシアにはすることが出来ない。だが、誇りある戦士の意を汲むならば、素直に受け入れることが出来る。
「お前もあの怪人野郎と同じ星だかなんだかってヤツなんだな?」
「…そうだ。」
「…ふん…。俺にはソレがなんなのかよくわからん。だが、認めたくないが俺じゃああいつに勝てないってのは分かる。悔しいがお前に任せるしかないようだ。」
軽くもらしたため息に自嘲の影があった。だが、不敵に歪ませた口元には卑屈さの欠片もない。強がりではない、生来のものなのだろう。
「死ぬんじゃねぇぞ。お前は俺が殺す。」
その軽口を京介は目線で返した。それを確認するとフェリシアはその場を駆け足で走り去る。その後姿にほっとするのもつかの間、背後から嗜虐的な笑い声が響く。
「お話は終わったカァ?京~介クゥン!」
ゆらりと、風に吹かれる草木のごとく立つ黒爪にダメージを受けた様子はまるでない。
「自分が犠牲にってカァ?かっこイイィィねぇ京介クン!俺っちうっかり見惚れてあのバカ見逃しちゃったぜ。」
答えずに、構える。「無視かよ、いじわるだねぇ」と黒爪は軽口を叩くが京介の方にはそんな余裕はない。
星輝士。星の力を宿す異能の存在。人を超越した身体能力と特殊能力を持つ女神の戦士たち。京介はかつて、星輝士たちを集めた獅子王財閥にてある任務に従事していた。ある目的のため、獅子王財閥に入社したのだ。だが、そこで行われた行為の数々は罪深いものであった。彼の生命を差し出しても償いきれるものではない。今も彼が引きおこした問題。解決しても贖罪にはならない。それでもわずかでも贖えるならば、彼は戦わねばならない。責任を果たすために。
黒爪がマントから黒羽を飛ばす。その一本一本はナイフよりも鋭く、弾丸よりも速い。だが、その攻撃を京介は紙一重でかわす。続けて迫ってきた黒爪のカギヅメのラッシュもかわし続ける。
黒爪クラウスはカラス座の力を宿す星輝士だ。カラスを自在に操る能力を持ち、彼自身もカラスのごとき肉体を有し、肉を容易に貫く羽を飛ばし、骨を簡単に切断する爪を振るう。格段に優れているわけではないが、戦闘に適応できる能力だ。一般人は敵うべくもない恐るべき力を秘めている。
だが、京介にも星輝士としての肉体と異能を有している。黒爪とは異なる能力が。
「お~う。相手すると驚いちゃうねぇ。それが顕微鏡座の星輝士の能力の一つ。未来予知にも等しい動体視力。」
侮蔑交じりに黒爪は賞賛する。モノクルを通してみる黒爪の動きは、京介には二手も三手も先を予測することが出来る。これを以てすれば速度も、戦闘能力も劣る京介でも黒爪の攻撃を防げる。
「だけどよォ、いつまでついてこれるよ、体の方はよォ?」
振るわれた一撃を、京介は躱すことができなかった。つづいて、二撃、三撃、追い打ちを受ける。かろうじて防御するものの、完全には防ぎきれない。
「ほぉらほぉらほぉら!ちゃあんと防がないと死んじゃうぞォ、京介クンよォ!」
猛烈な連打を繰り出す黒爪の前に、次第にジリ貧になっていく。そしてついに思い一撃を食らい、倒れ伏した。
「あららら。もうちょっと頑張らねぇとよぉ、京介クン。早く俺を倒さないと死んじまうぜ、あのガキどもも、さっきのバカもよ。」
「くそ…!まだボクは戦えるぞ。必ずお前を…。」
「カッカッカッカ!泣かせてくれるねぇ。でも駄目だぜ京介クン。お前は俺に勝てない。そんでお前もあいつらも皆死ぬ。…だけど仮にもパートナーだったオメェと俺の仲だしィ、殺すのも忍びねぇんだわ。だカァラよ…助けてやるよ、お前のこと。ああ、もちろんあいつらも助けてやるよ。俺っち、超優しい~。」
思わぬ提案に京介は固まる。このまま戦い続けても勝機はゼロだ。黒爪の提案は願ってもいないことだった。だが、あの残虐な黒爪が無条件で見逃すわけがない。
「条件はなんだ?」
「お?京介クン話がはやいネェ。単刀直入に言う。盗んだものを返して戻ってこいよ。また昔みたいに、一緒に贅沢三昧、好き放題しようぜ。」
「なに?」
「これでも俺はお前のこと買ってるんだ。お前のもう一つの能力、星輝士の鑑定と分析能力…他の奴らは馬鹿にしてるがよ、実際強力な能力だ。俺の能力と組めば隠れた星輝士のパンツの色や性癖だってわかる。」
星輝士の素質ある者、または星輝士を鑑定し、さらにその詳細な能力を知ることができる…それが顕微鏡座のもう一つの能力だった。事実、今、京介の頭の中には相対する黒爪の守護星や能力値、保有する能力など詳細な情報が浮かんでいる。
いくつかの条件はある。だが、それでも相手の情報を知ることの出来るこの能力は強力なものであった。彼はその能力を以て、黒爪と組み、何人もの星輝士をスカウトしてきたのだ。
「俺ら、非、準戦闘員はどうしても純粋な戦闘員に比べて待遇も評価も劣っちまう。だけど、お前と俺のタッグは違う。組織の戦力や作戦に貢献してんだ。わかるか?戦闘しか出来ねぇアホどもより大きな貢献をな…。お前と俺ならば、あおの組織で富と栄光を得ることが出来る。頭のいいお前ならわかるだろ?」
「フッ…確かにな…たしかにいい暮らしが出来たよ…。」
その通りだ。京介と黒爪のコンビを以て組織の戦力は増強された。その分析能力は敵対する星輝士への対応を練る上でも、野良星輝士を懐柔する上でも役立つものだ。その見返りである報酬は確かに莫大であった。
その代わりに大勢の人が任務の最中に死んだ。それを悔いて彼は逃げ出したのだ。であれば、その条件は呑めるべくもない。だが、彼のせいでまた誰かが死ぬ…しかも幼い命が失われるとなっては…。
「分かった。その条件受け入れる…。」
「ン~いい子だぜ、京介チャン。だけどよ、散々人を困らせたんだから誠意を見せてくれねぇとな。やっぱ日本人はあれだろ。土下座してくれよ。」
その条件も京介は無言で受け入れた。地面に這いつくばり、土下座する。
「頼む。お前の条件をのむ…。だからあの子たちは助けてやってくれ。」
「うんうん。お前の誠心誠意見届けたぜ。」
上機嫌に笑顔を浮かべ、黒爪は京介の頭に足を置いた。自分に近寄ってきたカラスを肩に乗せると愛しそうに頭を撫でた。
「けどよぉ、京介クン。実は一つ残念なお知らせがあるんだよ。俺はお前を気に入ってて、助けてぇなぁ…って思ってたんだが、一つルールを思い出したよ…。裏切り者と目撃者は消せってルール…。これ破っちまったら社長になにされるか分からねぇ…。」
「なに…?」
京介は思わず顔をあげた。黒爪の瞳には嗜虐的な喜びが浮かんでいる。
「やっぱり殺すことにしたわ、お前とあのガキども。その方がポイントも高そうだしなあああぁぁぁ!」
大きな笑い声をあげ、喜びもだえる黒爪。それに呼応するかのようにカラスが鳴いた。最初から、助けるつもりなどなかったのだ。ただ、自分が楽しむためだけに…。
「黒爪貴様ぁぁぁぁ!」
「おっと。」
絶叫し、起き上がろうとする京介を黒爪の足が抑え込んだ。その力量差に跪くしかない。
「本当はあのガキどもを殺す様子を見せたいところだが、少し遊び過ぎて時間がァねぇ。お前を始末すれば任務に一区切りつくしなぁ。」
「クッソ!クッソ!黒爪!貴様は絶対に許さない!俺はお前たちを絶対に許さない!」
「ああ、ハイハイ。負け犬の遠吠えは見苦しいものだぜぇ。恨むならよ、京介クンよ、テメェの弱さを恨みな。」
黒爪の表情と声から、感情が消えた。黒爪は殺すまでの流れを楽しむ残虐な男であったが、殺す瞬間は無感動に一瞬で終わらせる。冷酷なプロの戦士の血が、この男には流れているのだ。
―すまない…マリア…。すまない、ユニカ、キオ…。
憎しみと絶望の中、京介は死を覚悟した。無慈悲の一閃が振り下ろされた。