邂逅、そして覚醒 2
別れてから一分もたっていないにも関わらず、少年は煙のように行方をくらませていた。似たような景観の路地や建物が京介の追跡を阻んだのだ。
「チックショウ!あのガキ、なんて逃げ足だ!」
それから実に十数分ほど、辺りを闇雲に走り回って、京介は独力での捜索を諦めた。近くにいた男を捕まえ、尋ねたのだ。
「黒髪で、歳は十代後半。ジーンズとヘソを出したTシャツにジャケットを羽織って、鋭い眼をした碧眼の少年を知らないか?」
探偵モドキの行動は中々成果があがらなかった。区といってもその広さは広大だし、似たような容貌の人物は何人でもいるようだった。中には京介のことをわざわざスラムにまで来る少年好きの日本人観光客と勘違いしたのか、そういった店を紹介しようとする者までいた。
だが、捜索から2時間近くたち、ようやく路上で寝そべっている老人からそれらしい情報を得ることが出来た。
「そいつなら多分知ってるよ。手癖の悪いガキだろ?」
「ああ!その通りだ。サイフをすられたんだ。なんてヤツなんだ?」
「まぁ…教えてもいいが…。」
老人は一つあくびをすると、目の前に置かれた缶詰の空き缶を指さした。中には数枚の硬貨が重なり合っていた。京介がポケットから5セント硬貨を落とし込み、金属が床に弾かれ続ける音が鳴りやむのを確認すると、老人はまたゆっくりとした口調で話しはじめた。
「そいつはフェリシアだよ。キレたヤツだって一部じゃ有名さ。」
「そのフェリシアにはどこに行けば会える?」
老人は答えず、顎で缶を示した。今度は10セントコインを投げ入れる。
「近隣の浮浪児や不良どものリーダーをしてるんだよ。だからそいつらに聞けばわかるんじゃないかな。」
「それで、そいつらには何処で会えるんだ?今度は25セント硬貨を渡すから、1から10までフェリシアのことを教えてくれ。」
「オーケー。1000までだって教えてやるさ。しかし少年ね…ククク…。」
「どうした?なにか問題でも?」
「いや、なんでもねぇよ。じゃああんたが望む情報、教えてやるよ。」
なけなしマネーと引き換えに、貴重な情報を得た京介は次に浮浪児やストリートギャングたちのたまり場になっているというヘーゼ通りにたどり着いた。
掃きだめの中のゴミ、と多くのスターゲイズ島民は浮浪児たちを揶揄し、嫌悪する。近年、青少年の凶悪犯罪が浮き彫りになっており、その多くにストリートギャングが関わっていると信じているのだ。実際のところ、少年犯罪の件数は年々減少傾向にあり、窃盗や傷害、強盗などの事件はともかくとして、殺人の数は格別にストリートチルドレンが多く関わってはいないというデータもある。
そのことを知っていてもなお、京介は彼らを警戒していたし、彼らの方でも大人を信用していないから、警戒しているようだった。どうしたものか、と悩んでいたところに、後ろからスーツを引っ張られた。
「おい、あんた。ここら辺じゃ見ない顔だな。」
振り返ると小学校高学年か、中学生ほどの男の子が立っていた。その服はボロボロであったが、瞳や身体には強い力というか、感情が宿っていた。その隣には同い年くらいの女の子がおり、こちらは対照的に気弱そうな印象を受ける。
「ちょっと人を探していてね。」
京介はわざわざ男の子の目線に合わせるように腰をかがめ、優しい口調で返したが、男の子は気に入らないらしく、非好意的な感情だった。
「怪しいな。お前、サツか?」
「怪しいヤツには間違いないが、僕も今はサツにはなるべく関わりたくない。」
「どういう意味だ?」
「僕もお尋ね者ってことさ。それよりフェリシアってヤツを探しているんだが、知らないかい?」
その名を聞いた瞬間、二人の雰囲気がざわついたのを京介は見破った。二人は視線を交わし、目線や首の動きでどうするかを決めているようだった。数秒して、男の子が口を開いた。
「知ってるけど、フェリシアに何か用かい?」
「貸したものを返してもらおうと思っててね。大切なものなんだ。」
「…いいよ。教えてやるよ。」
少女が慌てて男の子を静止に入った。
「キオ!駄目だよ!」
「大丈夫だって。それよりアンタ、教えるのはいいが、条件がある。」
男の子は少女のポケットをまさぐり、中から何かを取り出し、京介に差し出した。よく見るとそれはビーズでできた薔薇のブローチのようだった。
「よく出来ているね。」
「そうだろ。こいつが作ったんだ。」
男の子が親指で少女を刺すと、少女は恥ずかしそうに微笑み、顔を紅潮させながら俯いてしまった。
「それで条件なんだが、コイツを買ってくれ。」
「いくらだい?」
「10ドル。」
「高くないか。」
「日に作れる数が決まっていてね。それに情報料込みの値段だ。」
「今は持ち合わせが少ない。5ドルなら出せる。」
内ポケットに押し込んでいた釣銭などを全て取り出し、見せた。硬貨と紙幣を合わせて7ドル95セントあった。
「5ドルじゃ赤字だよ。7ドル50セント。」
「喉が渇いているんだ。コーラを買いたい。6ドルで頼む。」
「分かった。それでいい。」
社会人生活で培われた交渉術が成功したことに京介は思わずほくそ笑んだ。子ども相手であったとしても、自らの技術が通用した瞬間は嬉しいものだ。
上機嫌のまま硬貨と紙幣ないまぜの6ドルを少年に渡した時、後ろの少女の顔が見えた。値切り交渉をされて自身の商品の価値が下がったことに、少し悲しみの情を浮かべているようだった。どうにも罪悪感に苛まれた京介は50セントを追加した。
「その娘へのチップだ。取っといてくれ。それでフェリシアはどこにいるんだい?」
「ここを北にいったところに、さびれた露バスケット場がある。この時間ならいつもそこにいるはずだよ。」
礼を言うと、京介はフェリシアを見つけるべく、踵を返したが、またスーツを引っ張られ、振り返った。少女だった。
「あの、ありがとうございます…買っていただいて…とても嬉しかったです。」
「ああ…。」
京介は襟についていた社章を外し、代わりに今購入した雑だが、温かみのある薔薇のビーズのブローチをつけた。
「いい感じだ。良い物を手に入れた。ありがとう。」
少女は嬉しそうに表情を輝かせると、一礼して、彼女をしきりに呼んでいる男の子に向けて駆け出した。
二人との短い交流は京介のストリートチルドレンやギャングたちに関する偏見を幾分か和らげさせた。これならばフェリシアとも話し合いで解決できるかもしれない。そう思わせるほどに
キオ、と呼ばれていた少年は京介の後姿を見えなくなるまで睨みつけていた。その視線に好意と感じられるものはなにもない。一方で少女の方はキオと京介の姿とを交互に不安そうに見て、呟いた。
「大丈夫かな…。」
「ケッ!あんな野郎、フェリシアにボコボコにされちまえばいいんだ。俺らのことを見下してたぜ、あいつ。」
「でも、いい人そうだったけどな…」
「騙されるなよ、ユニカ。上流階級の奴らは見てくれだけはいいんだ。でも内心じゃ、俺ら最底辺の人間を家畜か、それ以下の存在にしか見てない。搾取する対象としか見てないんだ。」
「でも、あの人もお尋ね者だって…。それに逆にフェリシアさんも危ない目に会うかもしれないよ。そしたらどうするの?」
「フンッ!あいつが簡単にやられるタマかよ。それに、そうなったらそうなったでいい気味さ。少しは痛い目を見ればいいんだよ。ま、助ける義理はないけど、恩は売っとくか。」
口元を歪ませるキオを、なにかよからぬことを考えている、とユニカと呼ばれた少女は確信したが、彼を止める術を、彼女は持っていないのだった。
―
フェリシアなるスリを剣備京介が探しているのと前後して、同じく、人を捜し求めてある人物がヴァーゴに入区した。
珍妙な男だった。全身黒ずくめの服装なのはともかく、いくら冷えているとはいえ、春の季節に黒い帽子と手袋、マフラーをつけているのは異様の一言だった。しかも衣服全てに黒い羽が大量についているのだ。まともと言い難いヴァーゴの住人達でさえも面食らったのは仕方のない話だ。
「カァ~ラァ~スゥ~♪なぜぇ鳴くのォ~♪カラスの勝手でしょォ~♪ってカァ!」
音程の外れた歌声を、高らかに男は響かせる。迷惑極まりない行為だ。住人たちは非難がましい視線を向けるが、男が睨み返すと、視線を下に向けてしまう。だれだって狂人や、薬がキマっているやつに関わりたくはない。なにをされるか分からないからだ。
だが、実のところ男は精神的にはマトモであった。自分の行動で住人達が嫌がるのを楽しみながら、観察をしていたのだ。
「カッカッカ…。どいつもこいつも掃きだめにふさわしい奴らだな。ここには見どころが一つもない。社長に再開発とお掃除をおススメしとくカァ。」
耳をつんざくような叫び声が響き渡った。人間のものではない、とこの男が判断したのは建物と建物の間の裏道にたまったゴミ置き場でネコとカラスが争っているのを確認したからだ。
カラスはヒットアンドアウェイを繰り返していたが、機動力の削がれている場所ではいかんともしがたく、ネコに次第におされ、最後に手痛いネコパンチを食らうと悲鳴をあげて逃げ出していった。
「あらら。」
男は争いに勝利し、今晩の飯にありつくネコの姿を微笑ましくながめながら近づいた。ネコの方は近づいてくる人影に一瞬警戒したが、元来人懐っこいのだろう。男にすりよると、親愛の情を表すかのように猫なで声をあげた。
「カァわいいネコちゃんですねぇ…。よしよしよし。強いんでしゅねぇ~。カラスさんと戦って勝ったんでしゅねぇ~。」
男はこれでもか、というくらいにネコを褒めちぎり、顎を撫で、抱きかかえた。触り方が上手いのか、ネコの方も嫌がる様子もなく、嬉しそうに目を細めた。
「いやぁ~ホントにホントに…。カァ弱いカラスさんを追い払って、餌を独り占めしようなんて…ホントにホントに…悪い子じゃねぇカァ!」
男が、突如豹変した。叫ぶとネコの首を絞めあげて、壁に叩きつけたのだ。ネコがそれこそ潰れたような悲鳴をあげた。
「テメェ!なにしてくれたカァ!分かってンのカァ?!オメェは神聖なカラス様のお食事を邪魔しただけじゃなくて、怪我を負わせたんだぞ!」
バンバン、とネコを壁に叩きつける音が響き渡った。ネコは悲鳴をあげ、暴れるが、男は止めようとしない。
「テメェみたいなゴミ野郎は、そこらへんの生ゴミでも食っとけばいいのによォ!それを欲張って、カラスさまの食事を強奪しようとは…。泥棒猫とはよく言ったもんじゃねぇカァ!聞いてるのか?オイ?」
男は執拗にネコを叩きつける。ネコがやがて暴れる力も、声も消えていってもなお、叩きつけ、止めたころには潰れたトマトのようになっていた。
「死んでも償えると思うんじゃねぇぞ。」
ネコの死骸を男はゴミだまりに投げ捨てた。すると一晩の地主の死をどこからか嗅ぎ付けてきたのであろうか。数羽のカラスがゴミだまりに降り立った。その中には先ほどのカラスの姿もあった。
「おぉ~おぉ~舞い戻ってきたカァ!カラスちゃんたちよぉ!」
餌を求めて、生ゴミを荒らしまわるカラスたちを、男は愛おしそうに見つめた。その思いが通じているのであろうか、カラスの方も特に逃げはせず、一礼するかのように一声あげた。
「ほらほら、たぁんとお食べ、沢山お食べ。ここはお前たちの楽園だぞ。おお、おお。良かったな、お前。カラスちゃんたちがオメェを地獄に運んでってくれるってよ。」
カラスに啄まれ、原形をとどめなくなっていくネコに、男は微笑んだ。心からの祝福と安寧を、確かに願っていた。その間にも一羽、また一羽とカラスの数は増えていく。
「カラスさんよぉ~お食事中悪いんだが、少し聞きたいことがあるんだが、いいかい?」
男の言葉が分かっているのだろうか、カラスが返事のごとく鳴き声をあげた。男は満足して頷くと、今度はカラスの鳴き声をあげはじめた。するとなんと、周りのカラスたちも呼応するかのようにけたましい鳴き声をあげだしたのだ。
「フンフン…ふ~ん。なるほどねぇ~。サンキューな。愛しのカラスちゃんたちよ。なに?お礼?いいって、んなことはよ。ま、なんか情報あったらまた教えて頂戴よ。」
男が踵を返して歩き始めると、カラスたちが別れを言うように鳴き声をあげて、周囲を飛び回った。羽の雨の下で、男は不気味に微笑みながらつぶやいた。
「相方おいといて、他のヤツの尻を追いかけまわすなんて薄情じゃないの、京介クンよ。こりゃあお仕置きしねぇといけねぇカァ?」