スピンオフ VS 獣王 O氏
since2005
O氏と私はプロデビューする前から一緒に苦闘し、辛酸を舐め合った旧知の仲。
*六話、九話参照
Aタイプのシオサイから始まり、AT機も共に攻略していきました。
勿論当時、彼は仕事をしています。
しかし
4号機終焉の頃、彼は突然仕事を辞めてしまうのでした。
詳しい理由についてはここでは触れませんが、私の退社理由とは全く異なることです。
彼も紆余曲折し、私と同じ業界へとデビューしたのでした。
彼は私とは違い独身、さらにこの生業で長いことやっていこうとは思っていなかったと思います。
おそらく、お金をもっと貯めて、いずれは料理人への道へと進もうとしていたのでしょう。
彼がデビューしたときには既に4号機終焉の頃、初代北斗の拳がホールを席巻していた真っ最中。
AT機全盛を知っている私達からすれば、決して‘いい状況’とは言えません。
私は北斗をメインで打つことはありませんでしたが、イベント内容次第ではそれなりに狙っていくことも多々ありました。
O氏は北斗をメインにし、積極的に狙っていきます。
当時の北斗の拳のイベント内容は過激で
北斗の拳全台中、1/2、1/3、1/4などで設定6を使うことなども日常茶飯事。
北斗の台数は、ホールにもよりますが60台以上ある所も多々ありました。
そんな中での1/〇で設定6というイベントには、私も何度か参戦していきました。
当時、北斗は比較的わかりづらい種類の機種です。
展開もかなり激しく、設定6でも負けることなどは日常茶飯事。
そのかわり上手く当たれば、万枚は軽くオーバー。
設定6のペイアウトは119%ですが、差枚数偏差の大きな台なのです。
私は個人的には北斗を面白いと思っていましたが、設定判断するのに時間がかかり効率が悪かったため、無理には打ちませんでした。
逆にO氏は北斗をガンガン攻めていました。
それなりの収益も上げていたことでしょう。
しかし、北斗にも陰りが見え始めた頃、彼は近所のとあるホールに通い始めました。
このホールにはB店常連の若い連中が沢山流れ着いています。
O氏が通い始めて一月も経つと、O氏はこの常連達とイマイチ仲良くやることができないのが浮き彫りになっていきます。
これは私がD店に通い詰めていた頃の話。
O氏は朝一、狙い台を聞かれそれに答えれば、その狙い台を開店ダッシュで奪われてみたり、その他にも嫌がらせも多く散々な目にあっていたとの話です。
しかし、私はD店に通い詰めていた為に、このホールでの理ごとは全く知りませんでした。
くしくも、私がD店を追われた頃、O氏は私に相談してきました。
《常連達の頭と和解したい》
と、私に申し出てきたのです。
この常連の頭と私はB店からの友好関係がありました。
私は内情を全く知らなかったので、ビックリしました。
彼は決して人に揶揄されるような人間ではありません。
それどころか、人が良すぎるぐらいです。
私には不思議で仕方ありませんでした。
ホールでは初代キン肉マンがデビュー。
各地で激しい並び合戦が勃発。
O氏の通っていたホールでも朝の並びはドンドン早くなっていきます。
私は彼から事情を聞き、常連の頭からも事情を聞いてみました。
すると、頭は
《アイツはアイムジャグラーを打っている俺達をバカにしてる!》
そう言い放ち怒りをあらわにしました。
頭から事情を聞けば、朝一からアイムは6告知が数台あり、並びのキツイ狙い台より容易に確保できるとのこと。
朝一、または途中などでも、頭達が押さえてくれたアイムの設定6をO氏は
《そんなのやらないよ!》
そのようなことを何度も言っていたそうです。
やらないにしてもそんな言い方はないだろう。
少なからず、彼達は良かれと思い好意で台を押さえてくれたのに…
そう思っていてもそれを言ってしまったら、アイムを真剣に打っている連中全員を敵に回すことになるだろう。
それは、しょうも無いことなのかもしれませんが、たいして当たらないアイムを一生懸命に打っていた頭達からすれば、かなり腹立たしいことでしょう。
私もこの時期にアイムを打っていたので、頭達の気持ちがよくわかります。
そもそも、O氏はそんなKY発言なことは言わない人間性なのに…
私は不思議で仕方ありませんでした。
これは推測になりますが、おそらく、O氏を変えたのは先の会社を辞めた理由なのでしょう。
彼は精神的に情緒不安定なようでした。
私が仲立ちし、一度は頭達との仲も回復しましたが、その後はまた徐々に相手にされなくなり、このホールからも私の前からも姿を消してしまいました。
彼はイロイロなことが重なり、精神的にも肉体的にも疲れていたのでしょう。
私はD店を追われた頃で、自分自身のことで精一杯だったためにO氏のことを、そこまで深くは考える余裕がありませんでした。
気がつくと彼は誰の電話にも出ずに、私達プロ一同と音信不通になりました。
私も自分が落ち着いた頃に電話したのですが、やはり出てはくれません。
私はあれ以来、今も(2016)O氏とは再会していません。
一度だけ、彼が土木作業員のような姿をしてトラックに乗っていたのを遠目に見たことがあるぐらい…
《きっと、全てがイヤになってしまったのだろう…》
私は無理に連絡を取りませんでした。
しかしながら、彼と話したプロフェッショナル談義が、今でも私の中で生きているということを伝えたい気持ちが心の片隅にあります。
私がまだ会社員をしていた頃に彼と話していたことが、今でも私の中で沸々と熱く脈を打ち、生き続けているのです。
イロイロな経験と家族の存在が今の私を突き動かしているのは事実。
しかし
その根底には、必ず彼と話していたようなことが基盤となり、私は幾度となく再構築されてきたのです。
まぎれもなく、彼は私にとって数少ない‘同志’。
O氏とは、私の家族と彼と彼の彼女とも一緒に沖縄旅行にもいった仲。
もう少し、彼の話を聞いて心の助けになれればよかったと、今でもそう後悔している気持ちもあります。
今、彼がどこで何をしているのかもわからないのですが、きっと立ち直り料理人へと一生懸命に努力していることを切に願います。
願わくば、彼に幸あれ




