とら外伝 方法論(スタイル)
Since2003
ジグマと転戦
この頃、各地のホールでは過激なイベントが行われていました。
それこそ、朝一から設定6確定台告知や各機種6あり、ハーフ6、オール6、挙げだしたらキリがないぐらい…
当初、私はそんなに広くない行動範囲でしたがこの頃から、徐々に県内全域へと変わっていきました。
前にも書きましたが、各地でイベント狙い+ヌルいホールでの転戦を繰り返し始めていた時期です。
シオサイ終焉の頃
私は元々、A・B店がマイホールになっていました。
A店は、ほぼシオサイオンリーだったので(他機種はイマイチの為)、シオサイの衰退と共にB店に通うようになっていきました。
B店はAT機がホールを席巻していくと、設定6(エクストラせってい)をガンガン使っていました。
そのようなホール状況もあり、B店には沢山の人が集まっていました。
そして、規制がかかるこの頃には、AT機で私腹を肥やした沢山の自称プロ連中がホールにいました。
そのグループの一大勢力がドラゴン先生始め、私達でした。
グループ的には主要なメンバー(スロットをきちんと理解している)は、少数(7人ほど)でしたが‘自称プロ’は掃いて捨てるほどいました。
私は島娘のときにドロドロとした関係に嫌気がさして転戦することを決意していくのですが…
転戦でも色々と苦戦をしています。
私のような転戦する者は、各ホールにいる常連との関係性が大切になる場合があります。
私は基本、ジグマ連中を尊重して転戦していました。
ジグマと喧嘩しても自分にとっていいことはなかったから。
ジグマの良いところは、ホールの情報に長けている所です。
転戦するということは、各ホールを攻略する所から始めるので、非常にホール情報が乏しいものでした。
シオサイ30はA、B店で修業時代から数えて、約2年以上。
獣王はB店でも打ちましたが、イロイロなホールに狙いにいきました。
ミリオンゴットの宵越し天国モードはB店で約2か月、その後はホールを転々として狙っていきました。
シオラー30は、グランドオープンしたホールで約1か月半ほど打ちました。
島娘はC店で2週間ほど打ちそれからB店へ通い、その後、各地へ転戦。
各機種、それ以外にも打てるホールがあれば、どこでも打ちました。
この頃(2003)
《ジグマと転戦のどちらがいいか?》
など、B店グループ+ドラゴン先生と話になりました。
ジグマを尊重する人も多数いましたが、私はそのホールが衰退したらアウトなのでその前には手を打つべきだと思っていました。
やはり転戦が正解なのではないかなと今でも思います。
そうでなくては私の生業を今日まで成立させることは不可能です。
私は各地のホールでタイプ別の同業者などとしのぎを削り合い、イロイロな方法論を見ることにより、成長していったのは間違いありません。
この方法論で勝つためには、私自身が嫌でも成長しなければならなかったのです。
それに比べ、B店グループは‘ぬるま湯’に浸かりすぎたのでしょう。
仲良しクラブ的なホール環境が全ての面で成長を遮っていたのです。
知識・技術はもっていましたが、自分を成長させること、言わば修行することを怠ったのです。
《楽な方に楽な方に》
そんなに簡単にやれるほど、この生業は甘くはない。
そもそも、いい状況がいつまでも続くはずがないのだ。
その結果は誰が見ても分かるように顕著に現れていました。
当時からジグマで、今現在(2016)まで成果を上げ続ける人を見たことがありません。
一時だけ良い思いが出来るだけでは、この生業を成立させることが出来ないのは明白。
時代の流れを読み、目先の金には飛びつかないという、したたかさが必要だと思います。
私はどんなに結果が出ていても必ず反省点を考えます。
人間である限り、完璧などありえないのです。
当時、そんな私のストイックな考え方は同業には全く受け入れてもらえず、どちらかというと
《アタマがおかしい》
と陰口を叩かれる始末。
しかし、世の中のサラリーマン達は実際にこれ以上の仕事量をやっているのだ。
自分で自分を経営する私達を例えるなら、一個人事業主。
上手くいかなければ、すぐそこに破綻がまっている。
私達はその狭間で常に揺れているのだ。
彼らはそんなことも理解できなかったのだろう。
結局、私の結論としては転戦がいいと思いますが、私自身の行ってきた作戦自体は
《転戦とジグマの融合》
だったと結論づけます。
確かに私は転戦してきましたが、そのホールの攻略の糸口が見つかれば2週間~1年ぐらいはそのホールに居座ったのだから。
そのホールに通いながらも他店の確実性の高いイベントなどには必ず通いました。
我々人間界で生き抜くには
いつ何時も考える必要がある
一寸先は闇なのだから。




