VS 島娘30 後編
島娘の設定6を求めて自宅より範囲を広げて捜索した所、私の条件に当てはまる優良店を見つけました。
自宅より1時間半かかる、このホールは‘おらたち’の住む街にありました。
しかし、ホールにおらたちの姿はありません。
後にわかるのですが、彼達はとっくの昔に廃業に追い込まれているのでした。
《このホールにライバルらしい輩はいない!》
素直に胸躍ります。
実際、ライバルらしい輩が現れたのは私が通い始めて半月後のこと。
約半月間は私の独壇場。
設定6を掴みまくり、ハイエナもちょこちょことやれました。
ライバルが現れてもホールが設定6を使う限り、争奪戦にも参戦しました。
いちいち真似されず、台の選択と考察に集中できて充実の日々を送ったのを記憶しています。
約2カ月間通い詰めて収益は約180程、体力的にはかなりキツかったのですがそれに見合う収益でした。
これより、各地で島娘戦線を展開していきます。
ヌルいホールを探してはガッチリ抜きまくりました。
その間、約1年半。
もちろん、島娘ばかりではありませんでしたが、各地で激しくしのぎを削りあいました。
島娘はハイエナもやれたので設定6を掴めないときにはハイエナしながら立ち回っていました。
このハイエナにしても、解析前の簡単なフローを見てある程度は推測し実践してみましたが…
《そんなことできるはずない!》
そう断言していた自分達グループの仲間が何人かいました。
私がハイエナして上手くいっているのを見て、のちに雑誌の解析を読み真似をするのに…
プロフェッショナルとしての考察、推測をせず、ただ解析待ちのどのあたりがプロの仕事なのだろうか?
私には疑問で仕方なかった。
そのような浅はかな考えで今現在(2016)までの長い間、この生業を成立できている輩は私の周りにはいません。
各地を転戦していくうちに私は自分のプロフェッショナルとしての価値観を理解してくれる仲間に出会うのでした。
彼達は今現在(2016)も健在です。
私にとってはとても感慨深い経験をし、仲間だと思っていた人々を信じられなくなっていた時期でした。
《これが人間の本性なのだろう》
お人好しな私にはナカナカ理解できませんでしたが、これより目が覚めるような思いでした。
《なぜこのような輩に今まで自分の考察を話してしまったのだろう》
《助けようと思ったのだろう》
経営者としての根幹が腐っているのに、表面上いくら取り繕ってもそれは
《ザルで水をすくっているようなものだ》
私は悲しかった
そんなことも理解できなかった‘めでたい’自分自身に。
私の認識が甘かったのだ。
減算値系の創意工夫、AT機への取り組み、ホール情報、ホール攻略、各機種の攻略、すべて私の見解を包み隠すことはなかった。
実際、グループ内では
《勝てばなんでもいい》
と、私の思想とはドンドンかけ離れていくのでした。
《目先の勝利》
彼達はこれが最優先。
目先のカネを手にすることにすべてを捧げた輩は、きっと何をやってもたいして上手くはいかないだろう。
なぜなら
その一時のために大事なモノを無くすのだから。
この数ヶ月の立ち回りで自分の限界を知りました。
朝は6時起床、帰りは12時頃。
正直、体力的には気合と根性でなんとかなるのですが、冷静さと緻密さを兼ねて作戦を立てることは容易なことではありません。
簡単にいうと、疲れている状態では頭が働かないのです。
これはずっと私のテーマの1つになっていますが
頭が冴えないと機転が利かず→敗戦。
という、私としてはもっとも悔しい負け方を無くしたいと、かねてから思っていました。
ですが、何度やっても疲れがピークを迎えるとどうしても思うようにやれません。
まるで深い海の底にいるかのように体が重く発想も貧困という感じです。
深い海の底でもきちんと対応することを念頭に置き、勝負に挑むのですが
これ以降も何度やっても上手くはいきませんでした。
もう、私のキャパシティを超えているのは明白な事実です。
しかし、これ以降も海の底でも‘キレる頭’を得るための努力をしていくのでした。
一生懸命やること以外、何も出来はしないのだから。