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黒衣の女公爵  作者: 桐央琴巳
第十三章 「人質」
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(13-1)

「そう、マイナールへ」

「はい」

 新緑祭から、一月ほどが経って。

 サリフォール家の姉妹は揃って、王后ドロティーリアのお茶会に招かれていた。

 初夏の新緑祭に端を発し、秋の仮面祭に幕を閉じるまでの数か月は、毎年王都で過ごす貴族が多く、デレス宮廷の社交界が時めく時期である。加えて今年は、王太子の数年来の恋煩いが白紙に戻ったことを受けて、近年にない盛り上がりを見せていた。

 そんな世間の風潮に流されることもなく、グネギヴィットが他家の当主に先駆けて【北】(エトワ)州城へ引き揚げるつもりであることを告げると、ドロティーリアは至極不満げな顔つきをして引き留めにかかった。


「ずいぶん早いお帰りという気がしますわね。グネギヴィットには殿方に等しい務めがあるのだと、わかっていますがつまらないこと……。せめて他の州公と、足並みを揃えてという気持ちはなくて?」

「申し訳ございません。他州の立派なお歴々のように、どっしりと構えておれればよいのですが、なにぶんわたくしは駆け出しの身でございますから。遊びばかりは一人前に、年功を積んだ方々に倣って、帰ってみれば座る椅子もない、というのは御免被りたくて」

 もっともらしく言い訳をしてみたが、州民から高い支持を受け、国王の御前でサリフォール女公爵の名乗りを終えた今、グネギヴィットはそう簡単にエトワ州公の座を追われるとは思っていない。世に認められた当主を不正に蹴落として、家そのものを失墜させるのは大馬鹿者の所業であり、州公代理として飾り立ててきた、お騒がせな叔父バークレイルのことも、その程度には信用しているからである。


「州の安寧のためと言われてしまっては、帰さぬわけにはゆきませんけれど唐突な話。何か思い立ったきっかけでもあるのですか?」

「きっかけと申しますか……、そうですね。邸の庭に、【夏男神の百合】(サリュートキュリスト)が咲いていたものですから」

 そこから先は白状できないが、グネギヴィットは、その花の前で会おうと約束を交わしてきた、庭師の顔を見たくなってしまったのだ。

 特に意識を傾けて、開花を待ちわびてきたわけではない。けれど夏一番に咲いた一輪の百合は、グネギヴィットを落ち着かなくさせた。一旦心に思ってしまうと、いてもたってもいられなくなり、王都でやるべきことは十分にやりきった感もあって、グネギヴィットの決断は早かった。


「ずいぶん詩的なきっかけですのね。アレグリットも、一緒に?」

「はい、その予定にしております。城で留守番をしております執事の爺やが、暑気あたりの予防には夜遊びをせず、マイナールへ戻ってくるのが一番だと、毎週のように手紙を寄越して心配をしているものですから」

 ドロティーリアの問いかけに、アレグリットはおっとりと恥ずかしげに答えた。

 知ってか知らずかアレグリットは、その場の空気をほぐすのが上手である。肯定の返事はドロティーリアをまた寂しがらせたが、そのほほえましい理由に、サロンを覆っていた暗雲が薄らいだ。


「お身体に障りがおありなら、ご無理をなさらない方がよろしいわ、アレグリット様。夜遊びなら、もっと大人になられてから教えて差し上げましてよ。マイナールの夏はとても涼しいのですってね? エルミルトでは王都よりも暑くて……、羨ましいわ」

 一際に華やかな笑みを浮かべて、アンティフィント公爵令嬢ケリートルーゼが口を挟んだ。エルミルトは彼女の故郷にあたる、【南】(サテラ)州の州都の名前だ。その表面上は優しげな言葉の意味は、だから自分は王都に居残るが、多少の暑さにも耐えられない病弱なお子様は、さっさとお郷にお帰り遊ばせ、といったところだろうか。

 遠回しに売られた喧嘩を、アレグリットは気付かぬふりで聞き流し、大人しやかに「そうですね」と相槌を打つに止めたが、これにはグネギヴィットの方が腹立した。といっても、そこは狸一門の当主である。 あからさまに声を荒げるようなことはせず、むしろ鷹揚に微笑んでみせる。


「よろしければ、エトワ州城へご招待を差し上げましょうか? ケリートルーゼ。わたくしには政務がありますので、あまり構って差し上げることはできませんが、代わりにお相手をしたがる従兄弟、再従兄弟(はとこ)は大勢おりましょう。一門の者はみな、黄金の【愛の女神】(フィオ)の降臨を喜ぶでしょうから、どうかご遠慮はなさいませぬよう」

 それは断られること前提の誘い文句を装った、慇懃無礼な皮肉であった。

 しかしドロティーリアへの見せ納めにと、気合いを入れた男装で訪れていたグネギヴィットは、ケリートルーゼの胸中に苦いだけでは済まない感情を湧き起こしたらしい。美貌自慢の公爵令嬢の、ふっくらとした頬が赤く燃えた。


「公爵様が、本物の殿方でしたら考えるのですけれど。マイナールで一夏を過ごせば、あたくしどんな気持ちになってしまうか知れません。男装の女公爵様に、魅せられてしまうなんて不毛ですわ!!」

 ケリートルーゼはそう言い捨てて、負け惜しむように顔を逸らした。自分を揶揄した女にときめいてしまうなど、自尊心の高いケリートルーゼには二重の屈辱だ。そういったわかりやすさがグネギヴィットには、彼女もまだまだ可愛らしい少女であるように映るのだが。

「ふられてしまいましたね、残念」

 グネギヴィットは男の仕草で肩をすくめ、これでこの一件は、綺麗に帰着したはずだったのだ、が――。



「まあ、ケリートルーゼ様がお断りをなさるなら、あたくしがサリフォール公爵様のお城へ遊びに行ってみたいです。仲良しのアレグリット様とも、まだまだたくさんおしゃべりしたいですし。駄目ですか……?」

 純粋に会話の表ばかりを受けて止めて、エイトルーデ侯爵家のマイネリアが、きらきらとした表情を浮かべとんちんかんなことを言い出した。彼女にとってグネギヴィットは、恋にも近い気持ちで慕う憧れのお姉様である。

 同様に、理想的な淑女であり貴公子でもある、グネギヴィットに疑似恋愛をしている姫は珍しくなく、マイネリアへの対抗意識か、我も我もと詰め寄り始めた。常であれば乗せられて、軽く遊んでやるグネギヴィットなのだが、この時ばかりは極めて事宜が悪かった。


「んまっ!! サリフォール公には困ったこと。公自身が帰るだけではあきたらず、あたくしの可愛いお友達を、みなマイナールへ連れ去ってしまうおつもりかしら!?」

 男子禁制のお茶会で、愛らしく着飾った姫たちに囲まれ、異国の後宮の主の如くなっているグネギヴィットに、ドロティーリアが堪忍袋の緒を切らしたのだ。

 矢面に立っているのはグネギヴィットだが、ドロティーリアを不快にしたのは彼女だけではない。王后の逆鱗に触れて、身をすくめる姫たちを庇い、グネギヴィットは弁明した。

「冗談ですよ、王后陛下。わたくしにこのそうそうたる姫君方を、独占できるような甲斐性などございません。みなさまにも、わたくしのようなまやかしよりも、この王宮には遙かに優れた御方がいらっしゃることは重々おわかりでしょう」

 ドロティーリアがここに集めた『可愛いお友達』は、みな彼女の目に適った令嬢たち、すなわちユーディスディランのお妃候補に等しい。全員ではないにしろ、そんな彼女たちをたぶらかしているグネギヴィットは、真実に男であれば万死に値する大罪人であろう。


「いいえ、冗談でも許しません。サリフォール公には罰を与えます」

 完全につむじを曲げたものらしく、ドロティーリアは閉じた扇を手のひらで鋭く高く打ち鳴らした。

「罰、でございますか? それはいかような……?」

 厳しい眼差しでグネギヴィットを見据えたドロティーリアは、その視線を姉の隣に掛けたアレグリットに流し、再びグネギヴィットの上に戻してから重々しく宣告した。

「妹を王都に残してゆくこと。あたくしの気が済むまで、アレグリットは人質にもらいます。マイナールへはグネギヴィット、あなた一人でお帰りなさい」

「陛下、それは……」

 笑い事では済まない処断に、さすがにグネギヴィットも顔色を変えたが、ドロティーリアはつれなくそっぽを向いた。

「聞きません。あたくしはもう決めました。こちらへいらっしゃい、アレグリット」

「はい」

 有無を唱えられる状況ではないと踏んで、アレグリットは憂い顔の姉の手を、逆に励ますようにぎゅっと握り締めてから、王后の命に従った。

 事の成り行きに息をひそめる姫君たちの中で、自らの椅子の傍らに跪いたアレグリットの髪を、ドロティーリアは無表情に撫でる。


 それは確かに、グネギヴィットには効果的な罰であった。グネギヴィットは肉親に向ける愛情の全てを、今はたった一人の妹に注いでいるといっていい。奪われた温もりが切なく、グネギヴィットは冷静になれなかった。ドロティーリアの怒りをどうにか解こうと、懸命に言い募る。

「陛下、ですが、アレグリットはまだ十五歳です。責めならばわたくし自身が負いましょう。妹は色々と勉学が途中ですし、先ほど本人が申しておりましたように身体の心配も――」

「勘違いをしないように。何も王宮に監禁し、あなたの代わりに苛めようというのではありません。アレグリットの生活の拠点は、サリフォール家の邸で結構。保護者の件は、メルがいるのだから平気でしょう。教師はこちらへ呼び寄せればよいのだし、邸の蔵書では足りないというならば、王宮の図書室への自由な立ち入りを許しましょう。アレグリットに健康を損ねさせるほど、連れまわしはしませんから安心なさい」


 グネギヴィットの訴えを遮って、ドロティーリアの口から述べられたのは、人質とは呼べないような厚遇である。罰に言寄せた、王后の真意に気付かぬほど愚かではなかったが、思いがけない早さで妹を手放さねばならなくなった寂寥に、グネギヴィットの感情が逆らった。

「でも……」

「だーめっ! そんな寂しそうな顔をしたってもう知りません。あなたが悪いのだから諦めなさい。それに、あなたたち姉妹ときたら、三度に二度まであちこちでの催しを欠席するのだもの。あたくしまだアレグリットと遊び足りていませんー!」

 情に訴えるグネギヴィットに触発されたのか、急に子供のような屁理屈でまくしたて、ドロティーリアは駄々をこねた。権力者のわがままほど質の悪いものはなく、グネギヴィットには取り付く島もない。


「ドロシー様」

「何ですか? アレグリット」

 グネギヴィットには返さぬという意思表示なのか、自分の肩を強く引き寄せた、ドロティーリアの手をしずしずと押し頂いて、アレグリットは二人の間をとりなした。

「姉がせめて安堵をしますよう、このまま王都に残って大丈夫かどうかを、わたくしの主治医に相談させて下さいませんか? 問題のない診断結果が得られましたなら、わたくし喜んで、王后陛下の人質になりますわ」

「アレット、何を――」

 儚さの中にも芯のある微笑を浮かべ、アレグリットは驚愕するグネギヴィットを静かに振り返った。

「もしも、王都の夏に耐え得ぬ身体であれば、わたくしは陛下がお求めの人質には足らぬということ。ドロシー様はお優しい御方ですもの。ご寛恕下さいますわ、お姉様」

「アレット……」

 いつからこの妹は、こんなにも冷徹な目で、物事を見つめるようになっていたのだろう――?

 アレグリットの提案は正確に、問題の焦点をついていた。見せかけだけの自分などよりも、アレグリットはひょっとしたら、ずっと大きな可能性を秘めているのかもしれないと、妹が垣間見せた器の深さに、グネギヴィットはぞくりとした。


「よろしいでしょう。あたくしの心は、アレグリットの方がよく理解しているようですね。三日をあげます、サリフォール公。診断書の提出は必要ありません」

「……かしこまりました」

 それ以上の口答えは許されず、グネギヴィットは神妙に(こうべ)を垂れた。王后の気分のままに、お茶会はそこでお開きとなった。

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