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黒衣の女公爵  作者: 桐央琴巳
第四章 「寒椿」
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(4-2)

 城の北棟の方向から、下働きの男らしい人影がのんびりと近づいてくる。他に人がいるとは予想していなかったのか、グネギヴィットの姿を認めると、男は躊躇したように歩みを止めた。

 交わす言葉のないままに、グネギヴィットと男の視線が互いの素性を確かめるように絡んだ。服装から見て取れる身分の差は歴然としており、男は若々しい顔を緊張で固めて、肩に掛けた荒縄の束を担ぎなおすと、目礼をしてグネギヴィットに道を譲った。


「そこのお前」

 きょろきょろと辺りを見回して、自分以外に誰もいないことをよく確かめると、男は困惑したようにグネギヴィットに向き直った。

「はい」

「まずはもう少しこちらに来なさい。話はそれからだ」

「はい」

 素直に返答して、男は足早にグネギヴィットの傍へとやってきた。じっくりと観察するまでもなく、男が丸めた麻袋を脇に抱えて、厚い軍手を嵌めた手に剪定鋏(せんていばさみ)を握っているのがわかった。


「一つ確認するが、お前は庭師か?」

「はい、そうですが……」

 グネギヴィットにしてみれば、実に期待通りの答えである。戸惑う様子を見せる若い庭師に重ねて問うた。

「仕事熱心で結構なことだね。この雪の中で庭木の世話か?」

「いえ、庭師長に言われて、お嬢様たちのお部屋に飾る花を切りにきたんです。そこのオルディンタリジンが見頃だからって」

 密やかに咲き誇る椿を前にして、誰しも思いつくことは似たり寄ったりであるらしい。庭師長の心配りは嬉しかったが、それだけでは足りないとグネギヴィットは思った。


「お前が言いつかってきたのは令嬢たちの分だけか? こんなにたくさん咲いているのに、公爵の分はいらないのか?」

「そいつはちょっと伺っていないです。この花だし、いらないと思いますけど」

 庭師は純朴そうな鳶色の目で、不思議そうにグネギヴィットを見つめた。冬を司る神オルディンは、死者の守神でもある。故に、その名を冠したオルディンタリジンは、縁起を担いで病室に置くには相応しくないとされていたからだ。


 それは勿論、グネギヴィットとて承知している常識中の常識である。だがしかし、この美しい椿をシモンリールに見せてやれないのはあまりにも惜しかった。

「ならば、特別にわたくしから命じる。公爵の分も切ってゆきなさい」

「待って下さい! 勝手にそんなことをしたら庭師長に叱られます! 叱られるどころか大ひんしゅくを買って、俺は首をちょん切られますよ!」


 見知らぬ貴公子(・・・)からいきなりとんでもないことを命令されて、庭師は慌てた。エトワ州城の人々は、シモンリールの病に関して敏感になっている。この貴公子(・・・)は、些細なことのように考えているのかもしれないが、うっかりでは済まされない事態になってしまうだろう。

「つべこべ言わずに従いなさい! ひょっとしてお前は、このわたくしを知らないのか?」

「申し訳ありません」

 女性と見紛うような美貌の貴公子(・・・)が、よもや公爵の妹であるとは知る由もなく――、苛立ちを見せるグネギヴィットに対して、庭師は大人しく謝罪するしかできなかった。


「……お前はいつからこの城で働いている?」

「昨年の暮れから勤め始めたばかりです」

「なるほど、それでは仕方がないね……」

 この物慣れぬ様子の若い庭師は、グネギヴィットが城を離れている間に、雇用された新米ということになる。わけもわからず困らせたままでは可哀想なので、グネギヴィットは自分から名乗ってやることにした。


「わたくしはグネギヴィット。グネギヴィット・デュ・サリフォールだ。顔がわからぬからといって、名まで知らぬということはないだろう」

「グネギヴィット……お嬢、様――!?」

「何をそんなに驚いている?」

「いえあの、その……」

 エトワ州城で雇われている身の上で、グネギヴィットの名を知らぬでは通らない。それに加えて、線の細い貴公子だと思っていた相手が、正真正銘の女性であることに度肝を抜かれて、庭師はしどろもどろになった。


「わたくしが問うているのだから、言いたいことがあるならばはっきりと言いなさい」

 庭師の過剰な反応に、いささか気分を害しながら、グネギヴィットは高飛車に強要した。

「いえその、何と言うか……、あの……、公爵家のお嬢様は、変わった格好をなさっているもんだと……」

 サリフォール公爵家のグネギヴィット姫といえば、『マイナールの白百合』と讃美され、王太子妃候補にあげられているという評判の美姫である。雪景色の中に佇んでいる黒髪の麗人は、噂に違わず美しかったが、男装がしっくりと馴染んだ凛々しい姿に、公爵令嬢という肩書きがあまりにも似つかわしくなかった。


「おかしく見えないように気を配っているつもりだけれど、わたくしはそんなに見苦しいか?」

 自分の服装を見返しながらグネギヴィットは問うた。庭師は左右に首を振って、力いっぱいに否定した。

「とんでもない! ものすごくお似合いだとは思いますけど、女性が男の服を着るなんて、俺の故郷の村じゃとてもじゃないけど考えられないことでして……。ひょっとして王都で流行っていたりするんですか?」

「面白いことを考えるものだね。それは本気で言っているのか?」

 大真面目らしい庭師の質問にグネギヴィットは吹き出した。ひとしきり声を上げて、久しぶりに心の底から笑った後で、艶やかに笑みをのぼらせたままで説明をしてやった。


「これは流行りでも酔狂でもなく、わたくしの仕事着だと思ってくれればいい。期待に副えなくて残念だけれど、王都にいる時はわたくしも、他の貴婦人たちと同じように、日がな一日女性の姿で過ごしている」

「そうなんですか……。たまげました……」

 はあと大きな吐息をついて、庭師は率直な感想を漏らした。

「納得したのなら仕事を始めなさい。兄上の分を忘れないように」

 そう言い残して立ち去ろうとしたグネギヴィットを、庭師の声が引きとめた。


「お嬢様! 差し出がましいかもしれませんが、オルディンタリジンは――」

「弔いの花、だというのだろう?」

 庭師の言葉を遮って、グネギヴィットは少し寂しげに微笑みながら振り返った。

「だけどね、兄上はこの花が咲くのを、毎年とても楽しみにしておられるのだ。迷信を気になさるような方ではないし、お持ちすればきっと喜んで下さることだろう。お前が咎めを受けぬように、庭師長にはわたくしから伝えておくから、公爵の部屋にはとりわけ見事な枝を選んで届けさせて欲しい」

「そういうことでしたら……、はい、わかりました」

 グネギヴィットの言葉からも眼差しからも、病床の兄に寄せる細やかな情愛が覗いていた。一抹の不安は拭えなかったが、グネギヴィットの心情は重々理解できたし、なによりも主人に逆らうわけにはゆかないので、庭師は彼女の命に従うことにした。


「寒い中、相済まないがよろしく頼んだぞ」

「はい」

 答える庭師に頷いてから、グネギヴィットはふと、肝心なことに思い至った。

「ああそうだ、庭師長と話をするのに、名を聞いておいた方がよさそうだね」

「俺の、ですか?」

「そうだよ、庭師、名前は?」

「ルアン、です」

「ルアン――か」

 短く名乗った庭師の名を、グネギヴィットは舌に乗せて確かめるように転がした。

「はい。くれぐれもよろしくお願いします」

 ルアンはひたむきに頭を下げた。グネギヴィットの言葉一つで、彼は職を失うことになりかねない。グネギヴィットが考えているよりも、庭師のお願いは遥かに切実なものであった。

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