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「貴方の夢とは、何?」
光子で出来たレールの上を走る移動用リフトの上で、麗しの彼女はそう訊ねてきた。
ちょうど久しく嗅ぐレモンにも似たほのかな甘酸っぱい少女の香りを、今は停止して照明さえ落ちている真っ暗闇の中で、唯一の癒しとして堪能していたところだ。俺たちは2人とも立ちっぱなしで、もう何十分、何時間と経ったか分からない中、少女のふとした質問に、俺は固まってしまった。
唐突だが、俺は良い子だ。
この《ドーム》と称される閉鎖世界の中で、俺と同世代の中でもずば抜けて成績が優れている。もちろん《マザー》の与える教育プログラムに従ってスポーツも嗜んでいる。俺に割り当てられた競技は、ケンドーだった。なんてことはない、棒を使って相手の頭、脇腹、手等を先に叩いた方の勝ち、という単純な作業に過ぎない。
優れた良い子だから、《マザー》の指示には忠実に従っている。俺より先に生まれた人間には敬意を表し、後に生まれた人間には積極的に面倒を見ている。ドーム社会に貢献したいと常日頃から周りにアピールして、愛国心も示している。新しい変化も歓迎だ。
少なくとも、俺はずっとそう演じ続けてきた。
俺は優秀だから知っている。誰よりも優れて賢いから分かっている。
皆が褒め称える俺という存在は、実はドーム社会を根底から覆す異分子なのだと。
頭上の照明が灯ると、俺の回想はここで終わる。
こんなくだらない事を思い返すよりも先に、何故さっさと「ドーム社会の発展に貢献する事だ」とか何とか言ってしまわなかったのだろう。おかげで少女に、黒髪を後ろで束ねる東洋系の可愛らしい少女に、神妙そうな視線を注がれる羽目になった。
「さっき、貴方は言った。僕には夢がある、と。私はその夢を聞いている」
言ったっけ。
正直自分でも何を言ったのかサッパリ覚えていない。
この少女に言い寄られると、妙な感覚が抑えられない。動悸がして、全身が熱くなって、うまく言葉が回らない。
知識としては知っている。典型的な女性のフェロモンに対する反応だ。
しかし、だからこそ、そんな事などあり得ない筈なのだ。
「ドーム、社会に、貢献すること」
「嘘」
まるで尋問でも受けているような光景に見えなくもないが、個人の感想を述べさせて頂けるなら、幸せだと言っておく。
環境制御システムも故障したのだろう、堅い金属の床と球体のガラスで覆われて密室となっている移動用リフトの中に、蒸発した少女の汗の匂いが充満する。それが強烈に俺の鼻腔を突いて、身体的な反応を更に際立たせた。
「貴方の呼吸は乱れている。通常の反応ではないわ。何故貴方は嘘を吐いた?」
貴方に原因があるんですよ。
そう言いたかったが、俺は口を魚みたいにパクパクさせることしかできなかった。舌が乾いて、口が痺れる。上手く言語を発せられない。
……あ、ダメだ。
発情してはダメだ、生殖行為室でもないのに発情するなんて原始的に過ぎる。ましてや俺は17歳、生殖行為は25歳で行う決まりがある。それに違反すれば今まで培ってきたもの全てを失い、地位も最下層に堕とされる。
俺は良い子だ。良い子なんだから、抑えられる筈だ。
「異常な反応が認められる……身体機能に問題が?」
機械的な冷たい鉄仮面をかぶりながら、少女は異様に接近してきた。俺の顔の頰を流れる汗を指でツッと拭い、鼻でスンと嗅ぐ。そのあと、彼女は優しくそっと俺の額に手を置いた。
もうダメだ。
あと2、3秒だけでも天の救いが遅ければ、俺の身は破滅していたに違いない。
幸いにも、というより不幸にも、とにかく幸か不幸か移動用リフトをその場で繋ぎ止めていた光子ラインが消滅し、リフトは体勢を失い大きく傾いた。
ガラスのドームに叩きつけられる痛みが背中に走るものの、俺はその苦痛に大いに感謝した。が、次の瞬間にはリフトが落下し、俺の意識は強い衝撃と共に途切れることとなる。その落下の間、身体がふわりと浮いて、迫る死の寸前の真っ白な時間の中で、俺はもう一度だけ充満する幸せな香りを、嗅いでしまった。




