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 比呂くんと走って家へ帰ると、伯母さんが車のエンジンをかけて待っていて、そのまま病院へ連れて行ってくれた。

 僕のお母さんが救急車で運ばれた、この町で一番大きな病院へ。

 看護師さんに案内され病室へ入ると、お母さんは真っ白な顔をしてベッドに横たわっていた。

「……お母さん?」

 僕の声に、お母さんはピクリとも反応しない。

「い、いやだ……お母さん……死んじゃいやだ。お母さん!」

 ベッドに駆け寄って、お母さんの体に飛びついた。そしてその体を乱暴にゆする。

「お母さん! 起きて! お母さん!」

「瑞希くん! 落ち着いて!」

 パニックになっている僕を制止したのは、僕たちよりも早く、会社からここへ駆けつけてきた伯父さんだ。

「大丈夫。お母さんは死んだりしない。薬で眠っているだけだから」

「嘘だ! お父さんの時もそうだった。眠ってると思ったらそのまま死んじゃって……」

「大丈夫だ。落ち着きなさい」

 僕は伯父さんに抱きかかえられるようにして、お母さんの体から引き離された。

「怪我はたいしたことないんだ。ただ興奮状態だったから、お医者さんがよく眠れる薬を出してくれた。それでお母さんは眠っているだけなんだよ」

 伯父さんが僕の両肩に手を置いて、ベッドの脇の椅子に座らせる。

 するとそこで初めて、僕はひどい息苦しさを感じた。お母さんが救急車で運ばれたと聞いてから、ちゃんと呼吸をしていなかったみたいだ。

「あなた。先生からお話が……」

 伯母さんに呼ばれて、伯父さんは僕とお母さんを残し病室を出て行った。

「お母さん……」

 僕は目の前で眠っているお母さんのことを見つめる。


 服を着たまま真っ直ぐ海へ入って行き、波にのまれそうになったお母さんは、偶然近くにいた釣り人たちに助けられ大騒ぎになったそうだ。

 それは僕が滑り台の上で、つぐみと手をつないでいた時。

 あの時の僕は何を見ていたのだろう。お母さんがそんなふうになっていたことに、どうして気づかなかったのだろう。

 それより僕は、どうしてお母さんを一人にしてしまったのか。

 お母さんがおかしいことはわかっていたのに。あの状態であんなところに置き去りにしたら、どうなってしまうか予想はできたはずなのに。

 ――怖かったから。

 そう、僕は怖かった。だから逃げた。お母さんから。

「お母さん……ごめん」

 お母さんの眠る掛布団の端をぎゅっと握る。

「お母さん、ごめんなさい」

 ――瑞希がお母さんを守ってやらなきゃ駄目なんだぞ?

 お父さんにそう言われたのに。なのに、なのに……。

 布団の上に顔を伏せて泣き声を抑える。

 このままお母さんが死んじゃったらどうしよう。

 僕のせいだ。僕がお母さんをこんなふうにした。


 ――瑞希。

 ふいに名前を呼ばれた気がして顔を上げる。

 目を閉じたままのお母さん。だけど僕の耳に、それははっきりと聞こえた。

 ――あなたはお母さんを捨てたのね?

 思わず椅子から立ち上がった。

 お母さんは怒っている。僕がお母さんから逃げたこと。僕がお母さんを捨てたこと。

 振り返り、逃げるように病室を飛び出した。その時ちょうど戻ってきた伯父さんが、僕の体を受け止める。

「瑞希くん? どうした?」

 伯父さんの顔を見た僕は、何も言わずにその場から走り出した。

「瑞希くん! どこに行くんだ? 待ちなさい!」

 伯父さんの声が、静まり返った廊下に響く。

 だけどとにかくその場から離れたかった僕は、振り返りもせずに走って、病院を飛び出した。

 そしてめちゃくちゃに街中を走り回った結果、知らない街ですっかり道に迷ってしまい、パトロール中の警察官に呼び止められた。

 だから僕がパトカーで、伯父さんの家まで送ってもらったのは、その日の真夜中になってのことだった。


「一体何を考えてるの! あなたって子は!」

 家に着いた途端、僕は伯母さんに怒鳴られた。

「こんな時になんて余計なことを! いい加減にしてちょうだい!」

「房子。もうそのことはいいから」

 僕の前でヒステリーっぽく叫びまくる伯母さんを、伯父さんがなだめる。

「瑞希くん。お母さんは落ち着くまで入院することになった。体は良くなっても、またこんなことを起こしたら困るからね」

 僕は黙ってその声を聞く。

「だからもう急にいなくなったりしないで。頼むから伯父さんたちの言うことをきいて」

 言うことをきいて? 僕はお母さんの言うことも、伯父さんの言うこともきかない悪い子なんだろうか。


「お母さんが……邪魔なの?」

「え?」

 僕のつぶやいた声に、伯父さんがあわてたような表情をする。

「こんなことをするお母さんのことが、伯父さんたちは邪魔だから……だからお母さんを入院させるの?」

 そう言って顔を上げると、伯父さんの後ろから伯母さんが出てきて言った。

「何て事を言うの! 私たちがこんなに良くしてやってるのに!」

「房子。やめなさい」

「いいえ、言わせてもらうわよ。たしかにあなたのお父さんはお気の毒だったけど、私たちだって精一杯のことはしてあげてたじゃない? 邪魔だったらとっくに追い出してたわよ。それなのにこれ見よがしに自殺未遂なんか起こして、ご近所中を騒がして。まるで私たちがあなたたちを、いじめてたとでも言わんばかりに!」

「房子、もういいから!」

 伯父さんが止めると、伯母さんが崩れ落ちるように泣き出した。

 どうして伯母さんが泣くんだよ? 全然意味がわかんない。

 それに伯父さんだって、こんな時だけ偉そうに出てきて。お母さんのたった一人のお兄さんなんだったら、もっと前にお母さんの気持ち、ちゃんと聞いてくれてたらよかったのに。

 僕は泣き崩れる伯母さんのことを、ただ黙って見下ろしていた。

 だけど本当はわかっていた。

 悪いのは全部、この僕だ。

 お母さんがこんなことになったのも。伯父さんを困らせたのも。伯母さんを泣かせたのも。

 そして伯母さんはその日以降、僕と口をきいてくれなくなった。

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