表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

「えー、今日は夏休みの水やり係を決めたいと思う」

 その日は朝から梅雨らしい天気だった。先生の口から出た『夏休み』という言葉も、こんな肌寒い雨の日にはピンとこない。

「誰かやってくれる人はいないか?」

 教室中がざわざわと騒がしい。『水やり係』ってなんなんだ?

 すると隣の篠田が、誰にでもなくひとり言のようにつぶやいた。

「誰もやりたいやつなんかいねーし。夏休み毎日学校に来て、花に水やりなんてめんどくせー」

 僕が隣を向くと、にやりと笑う篠田と目が合った。

 なんなんだ、こいつ。また何かたくらんでる?

 篠田は僕から目をそらすと、すっと立ち上がって先生に言った。

「先生! 僕は西村さんがいいと思います。いつも花壇で花の世話してくれてるし」

 周りのみんながざわめき出す。パチパチと拍手するものもいる。

 僕はとっさにつぐみを見た。僕より前の席に座っている彼女が、どんな顔をしているのかここからはわからない。

「西村か。そうだな。いつも自主的に花壇の手入れをしてくれているしな」

 先生も納得したようにうなずいている。

「西村。お前、他に係をやっていないし。どうだ? 夏休みの水やりをお願いしてもいいか?」

 先生の声に篠田が拍手して「お願いしまーす」なんて声を上げる。それに合わせるように周りのみんなも手を叩き始めた。

 なんかこれ、わざとらしくないか? 面倒な仕事をみんなでつぐみに押し付けているような気がする。

 そんなことを思った僕の耳に、つぐみの声が聞こえた。

「いいよ。別に」

 隣の篠田がははっと笑う。

「ありがとう西村。それじゃあ、あともう一人」

 先生の声と同時に篠田が足を伸ばし、前の席の椅子を蹴飛ばした。すると椅子に座っていた男子が立ち上がり、さっきの篠田と同じように言う。

「僕は上原くんがいいと思います」

「え……」

「上原くん、まだ係決まってないし。西村さんと仲いいし」

 仲なんてよくない。

 パチパチと手を叩く音が隣から聞こえた。篠田が僕をちらりと見て、そして大きな声で言う。

「さんせーい。僕も上原くんがいいと思いまーす」

 さっきと同じように、また教室中のみんなが拍手する。僕は黙って、ぴくりとも動かないつぐみの背中を見つめていた。

「どうだ? 上原。晴れた日は学校に来て、花に水をあげる仕事なんだが。西村と一緒に協力して、やってくれないか? 早く学校になじむために、クラスの仕事を引き受けるのもいいことだと先生は思う」

「……はい」

 篠田の押し殺すような笑い声が隣から聞こえた。僕は机の下でぎゅっと両手を握る。

「難しく考えなくてもいいぞ。用事がある時は無理しなくてもいい。先生も学校にいる時は顔出すから」

 黙ってうなずいた僕の肩を、篠田がポンポンっと叩いた。

「よかったな、上原。西村と一緒に仕事できて」

 顔を上げて隣を見ると、篠田が「がんばれよ」と言って、バカにしたように笑った。


 校舎を出て、雨の中に傘を開く。水たまりを踏みしめ歩き出すと、下級生の男の子たちがふざけながら僕を追い越していった。

 篠田の誘いを断った日から、僕に話しかけてくる人はほとんどいなくなった。

 目立ちたくない。一人でいい。友達なんかいらない。もう二度とあんな思いはしなくないから。

 そう思っていたはずなのに。慣れない学校で一人ぼっちでいると、やっぱり寂しい。

 僕はどうしたいんだろう。友達が欲しいのか、欲しくないのか。みんなと一緒にいたいのか、いたくないのか。自分で自分がわからない。

 傘に当たる雨の音を聞きながら顔を上げる。前を歩いている女の子がつぐみだということに、僕はその時初めて気がついた。


 何度も足を速めては速度を落とす。追いつきそうで追いつかない距離。

 ――学校で会っても、私に話しかけないで。

 大丈夫、ここは学校じゃない。

 ぎゅっと傘の柄を握りしめ、もう一度足を速める。もう少しでつぐみに追いつきそうになった時、彼女が突然走り出した。

「お母さん!」

 僕は立ち止まり、つぐみの姿を目で追う。つぐみは『お母さん』と呼んだ人に駆け寄って、そして笑った。

 つぐみが……笑ってる。

 いつものような、ちょっと大人びた表情じゃなくて、本当に嬉しそうに。どこにでもいる普通の小学生の女の子のように。

 あんなふうに笑えるんだ。つぐみって。

 つぐみのお母さんは、高いヒールの靴を履いて、真っ赤な傘を差していた。

 その傘の中で、お母さんがつぐみに何か話しかける。つぐみは楽しそうにそれに答えている。

 いくつか言葉を交わした後、雨の中立ち尽くす僕を置いて、二人は傘を並べて歩き始めた。

 電気もつかない家に子どもを置いて、男の人とどこかへ行っちゃうお母さん。

 そんなお母さんとの生活を『おかしくない』と言ったつぐみ。

 だけど今の笑顔を見たら、僕にもその意味が、なんとなくわかった気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ