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お腹が痛いと伯母さんに嘘をついて、数日学校を休んだ。
伯母さんは、何か言いたそうだったけど、学校へ行けとは言われなかった。
学校を休んでいる間ずっと、僕は部屋の中でタオルケットをかぶって丸くなっていた。
お母さんの病院へは、最初に駆け付けた日から行っていない。伯父さんに何度も誘われたけど、お腹が痛いと言って断った。
きっと僕は『おやふこう』な子どもだ。
数日間そうやって過ごしていたら、いつの間にか夏休みになっていた。
朝早く布団の中で目を覚まし、僕は「水やり係」のことを思い出す。
学校に行けばつぐみと会えるかな……なんとなくそんなことを考えたら、不思議と体が動いた。
みんなが眠っているうちに家を出る。
早朝の学校はまだ門が開いていなかった。僕はフェンスを乗り越え、校庭の端の花壇へ向かう。
一年生の教室前のテラスでは、色とりどりの朝顔が咲いていた。
やっぱり朝顔は朝咲く花なんだと思う。
僕はいつもつぐみが座っていた花壇の前に座って、ぼんやりと誰もいない校庭をながめた。
それはなんだか不思議な光景だった。いつもの学校なのに学校じゃないみたいで。
「早いね」
突然声をかけられて振り返る。そこにはつぐみが立っていた。
「そっちこそ……」
そこまで言って僕は口をつぐんだ。つぐみがさりげなく触れた髪で、自分の頬を隠す。
つぐみの頬は赤くなって、少し腫れているように見えた。
「どうしたの? それ」
「ああ、さっき寝起きに転んだ」
嘘だよ、そんなの。
「それよりあんた、なんで学校休んだの?」
「えっ」
「あんたが休んだら、篠田がつけあがるだけじゃん」
つぐみは僕を見ないでそう言って、持っていたじょうろに水を注いでいる。
「まあ、夏休みになっちゃったから、もうどうでもいいけどね」
水道の蛇口をキュッとひねり、つぐみは水の入ったじょうろを僕に差し出す。
「篠田……なんか言ってた?」
「言いたい放題言ってるよ。あんたがいないからって、自分の都合のいいことばっかり。ホントガキなんだから、あいつ」
そう答えると、つぐみは僕に背中を向けて言った。
「水あげといて。もう一つじょうろ持ってくるから」
「あ、あのさっ」
呼び止めた僕につぐみが振り返る。
「西村のお母さんは……ちゃんと家にいてくれてるの?」
なんでそんなことを聞いたのかわからない。でも本当は篠田のことより、頬を赤く腫らしたつぐみのほうが気になっていたから。
「……なんで?」
少しの間黙り込んだつぐみが僕に聞く。
「あ、だって、そんなとこ怪我して……お母さんに見せたの?」
「ああ、これ?」
つぐみはもう一度それを髪で隠すようにしながら、僕から視線をそむけてつぶやいた。
「これね、本当はお母さんにぶたれたの」
「え、どうして?」
「私がお母さんの言うことをきかなかったから」
「そんなことでぶつの? つぐみのお母さん」
そこまで言ってハッと口をつぐんだ。今つい、『つぐみ』って下の名前で言ってしまった。
つぐみが静かに振り向いた。そして僕のことを見て、ふっと息を吐くように笑う。
「別に大丈夫だよ? 言うことをきけば、すぐに抱きしめてくれるから」
僕は黙ってつぐみを見ていた。つぐみはさりげなく僕から視線をそらす。
「おおっ! 上原来たか! よかった、よかった!」
どこからか大きな声が聞こえて、担任の先生が僕たちのもとへ駆け寄ってきた。
「心配してたんだぞ、上原。お前ずっと学校来ないから」
「……すみません」
「まぁ、いい、いい。今日来てくれて、先生は嬉しいぞ。お母さんの具合はどうだ? ん?」
担任が僕に話しかけてきて、それと同時に、つぐみがすっとその場を離れる。
水道の蛇口をひねり、朝の日差しの中でじょうろに水をくんでいるつぐみ。
僕は担任の声にうなずきながら、そんなつぐみの姿をずっと目で追っていた。
その日から僕は毎朝、早起きをして学校へ行った。
学校に着くのは僕が先の時もあったし、つぐみが先の時もあった。
だけど僕たちが待ち合わせをして、一緒に登校したり、一緒に帰ったりすることはなかった。家はすぐ近くだったのに。
「私と一緒にいるとこ見られると、また何か言われるよ」
つぐみは僕にそう言った。別に何か言われても、僕はもう平気だったけれど。
だからひと気のない、朝の水やりのわずかな時間、僕はつぐみとたくさん話をするようにした。
つぐみも誰もいない朝ならば、僕にいろいろな話をしてくれた。
「私はね、生まれてからずっと小田原に住んでるの」
「そうなんだ」
「瑞希くんは東京に住んでたんでしょ?」
「東京って言っても住宅街だから。渋谷とか原宿とか、あんな感じじゃないよ?」
「それでもいいなぁ。私行ったことないんだ、東京。新幹線に乗ればすぐなのに」
花壇に水をまいたあと、僕たちは校庭を眺めながら並んで座ってそんなことを話した。
「私、大人になったらここを出て、東京に行きたい」
「東京に?」
「そう。東京でいっぱい働いてお金持ちになって、大きい家を建ててお母さんと二人で暮らしたい」
つぐみにとってこの街は、暮らしにくい街なんだろうか。
「瑞希くんは? 大人になったらどうしたい?」
大人になったら? そんなこと真面目に考えたことがない。
「サッカー選手?」
「サッカーなんて好きじゃないから」
「ウソ。瑞希くん、篠田たちとサッカーやる時、わざと手抜いてるよね?」
「そ、そんなことないよ」
「ウソだよ。私ここから見ててわかるもん。自分でシュート決められる場所にいるのに、絶対誰かにパス回すでしょ? なんで?」
「……別にいいじゃん」
隣に座るつぐみが僕の顔をのぞきこむ。僕はそんなつぐみから目をそらす。
空が青かった。夏の日差しが暑かった。
僕はお父さんと一緒で、嘘つきだ。
「……早く大人になりたいね」
つぐみがほんの少し笑って、ひとり言のようにそうつぶやいた。




