燃える村
ローマンはアリーチェを後ろに乗せて、山道をできるだけ急いでいた。
アリーチェは鼻をひくつかせ、ローマンの服を引っ張る。
「ローマン、煙の匂いがする!」
「本当ですね。飛ばしますよ!」
ローマンが速度を速めてまもなく、黒い煙が充満してきた。焦げ臭いのもだんだんひどくなっている。
そしてついに赤い炎がちらちら見え出した。村への道が塞がっている。
ローマンは馬を止め、道を進むのを諦めて大きく迂回するルートをとった。木々の間を無理矢理進む。枝がピシピシと頬に当たり、切り傷を作った。
村では、村人たちが大騒ぎになっていた。荷物を運び出す者や消火しようとする者で大混乱になっている。
近所に住んでいたおばあさんは大丈夫だろうか。足の悪いおじさんはーー……。
「ローマン、私ちょっと見てくる!」
「なっ、ダメですアリーチェ様!ちょっと待っーー」
馬から飛び降りると、ローマンの慌てる声が追ってきた。
駆け出してすぐ、近所のおばあさんがよろよろと山へ向かっているのを見つける。
「おばあさん!危ないよ、早く逃げなきゃ」
「ルビが帰ってこないんだよ……」
「ルビ?」
そういえば彼女は猫を飼っていた。その名前がルビだった気がする。
「大丈夫よ。ルビだってわざわざ火の方に行かないから、きっとどこかに逃げてるわ」
そう言っておばあさんを引っ張るのだが、彼女のどこにそんな力があるのか逆にアリーチェをぐいぐい引っ張るようにして山の方へ歩いていく。
「ダメだよ、危ないってば!」
炎が近くに見えて、アリーチェはおばあさんを抱き止めた。
まわりで炎がはぜて頬が焼ける。
あれ、いつの間にこんなところまで火がーー……。
ぎくりとしたアリーチェのすぐ横で、炎に焼かれた木がぎしぎしと音をたてる。
はっとして固まったアリーチェの方へ、木がゆっくりと倒れてくる。
「ーーーー…………っ」
おばあさんを抱き締めて思わず目を閉じる。そして次の瞬間、身体が吹き飛ばされた。
「痛っ」
したたかに背中を打って、何が起きたのかと目を開ける。倒れた燃えている木が見えた。そしてその向こう側に、こちらに掌を向けて立っている黒髪の男も。
「アルト!」
「ちょっと見てくるだけじゃなかったのか」
「う……」
アルトは何かぶつぶつと唱え、掌を木に向けた。すると掌から水が吹き出して火が消える。黒こげの木をまたいでアリーチェの傍らに来たアルトが、アリーチェの腕のなかで倒れているおばあさんの怪我を確かめた。おばあさんは吹き飛ばされた衝撃で気を失ってしまったらしい。
「思ったより火が広がってるな」
「ここ最近乾燥してたから……」
アルトはため息をついて立ち上がると、左手を顔の前に持ち上げた。
術の詠唱が始まる。今度は長い。
空が暗くなり始めた。最初は煙かと思ったが、どうやら雲らしい。
アルトが握っていた左手を開き、真横へ振った。途端にザアッと音がして雨が降り始める。
「すご……」
思わず呟いたアリーチェの傍らに膝をつき、アルトがおばあさんを背中に背負った。
「俺の左腕に触れとけ」
立ち上がって言われた通りにすると、身体が濡れなくなった。これもアルトの魔術らしい。
村へ戻ると、村人たちは雨に安心したのか混乱がおさまっていた。
「アルト様、アリーチェ様」
なぜか村人たちの指揮をとっていたローマンが振り返る。
「ご無事ですか。そのご婦人は?」
「俺が吹っ飛ばしたら気を失った」
アルトの説明にローマンが目を丸くする。アリーチェは慌てて補足説明をした。
「この分ならすぐに鎮火しましょう。アルト様、大丈夫ですか?」
「ああ」
この時アリーチェは、ローマンが何を心配したのかわからなかった。とにかく何かしなければと、村人が家財道具を家に戻すのを手伝う。アルトから離れると、すぐに身体がびしょ濡れになった。村人はアリーチェに気づくとちょっと驚いたようだったが、特に何も言わなかった。
「な、何をしている!」
突然の怒声にアリーチェも村人も驚いて動きを止めた。振り返ると、そこには肩を怒らせた叔父がいてアリーチェのことを睨んでいた。
「叔父さん……」
「そ、村長、これは、あの……」
村人はいきなり慌て出し、何やら弁明を始める。叔父はつかつかと彼に歩み寄り、彼の襟首を掴んだ。
「この娘を村に入れるとは!こいつはこの災いのもとだぞ!」
「な……私は何も」
叔父は掴んでいた村人をはなし、今度はアリーチェの襟首を掴んだ。
「やはりおまえは疫病神だ!あの時始末しておけば良かった」
地面に叩きつけられて呻いたアリーチェの上に叔父が馬乗りになる。拳を振り上げられて、思わず目を閉じた。
殴られる、と思ったが、次の瞬間呻き声をあげたのは叔父だった。うっ、と声がして身体の上から重さが消える。
起き上がって見ると、少し離れたところにアルトがいて先ほどのように掌をこちらに向けていた。叔父は吹き飛ばされたらしく、地面に転がっている。
近づいてきたアルトがアリーチェを乱暴に立たせた。
「……おまえは目を離すと厄介事ばかり拾ってくる」
そう言ってアリーチェの返事を待たず、つかつかと叔父の方へ歩み寄る。
「おい、おっさん」
ぐいっと雑に引き起こされ、自分を起こした相手を見るなり叔父の怒りで赤かった顔が青くなった。
「お、おまえは魔物……」
「魔物でも悪魔でもいいけど。おまえ今までどこにいた?」
「ひ、避難していた。当たり前だろう」
声は震えていたが、叔父は何とか体裁を繕おうとしているようだった。
アルトはバカにしたように鼻を鳴らす。
「当たり前、ね。村人を放置して誰よりも早く逃げるのか。立派な村長だな。有り難くて涙が出る」
ざわ、とアルトのまわりに風が吹く。
「それで?安全かと思ったらのこのこ戻ってきて姪いびりか。おまえの頭の中はどうなっている?二つに割って覗いてやろうか」
アルトに額を掴まれて、ひぃっ!と叔父がひきつった悲鳴をあげた。
「ば、化け物!俺に触れるなぁっ!」
「叔父さん!この村を助けてくれたのはこの人なんだよ!」
堪らずアリーチェが傍に寄ると、彼はアルトの手を振り払いますます怒鳴り散らした。
「化け物化け物化け物化け物!!おまえも化け物の娘だ!早く消えろ!喰われちまえっ」
訳のわからないことを叫びながら、掴んだ泥を投げつけてくる。それはアリーチェにぶつかる前にアルトがはたき落とした。
「アルト……」
面倒臭えな、と呟いてアルトが再び叔父に手を伸ばす。
ひいいいっという悲鳴がすぐに小さくなり、やがて消えた。ばたりと地面に横たわり、呑気にいびきをかいている。
「アルト……」
「帰るぞ」
立ち上がったアルトの身体が一瞬傾いだ。あれ、と思った時にはもう立て直し、大股で歩き出している。
「あの、おばあさんは?」
慌てて彼に並んで聞くと、「ローマンが家に送った。猫と一緒に」と返事があった。その表情はだいぶ険しい。
当たり前だ。村を助けたのに、叔父があんな態度をとったのだから。
「あの……」
言いかけたアリーチェを遮るように、アルトがローマンを呼んだ。村人と何か話していたローマンが急いでこちらへやって来る。
「帰るぞ。手出せ」
「……どうぞお先に。私は少しやることがございますから」
「…………そうか」
アルトは短く答えて、長い腕をアリーチェにまわした。
「あ、待って。それなら私も残る……」
慌てて彼の腕をはずそうとするアリーチェの方を、黒い瞳と灰色の瞳が向いた。
「おまえはまた面倒事を起こす気か」
「あなたはアルト様のお世話をお願いします」
主従の台詞が重なって、アルトは嫌そうな目でローマンは呆れたような目でお互いを見た。真ん中のアリーチェは置いてきぼりだ。
先に視線を逃がしたのはアルトだった。満足げに笑んだローマンがアリーチェの方を向く。
「……アリーチェ様、夕食の支度をお願いできますか」
「あ、うん。わかりました」
頷くと、再びアルトの腕がアリーチェを引き寄せた。少し熱いその腕に、怒ってるのかと表情を窺うが彼は相変わらずの不機嫌な顔である。
頭の上でぶつぶつと詠唱が聞こえて、あたりを眩しい光が包んだ。