回収
アリーチェの長所であり短所でもあるところは、負けん気が強く売り言葉に買い言葉でものを言ってしまい、変に責任感が強いのでその言葉を完遂しようとするところである。
今回もそうだ。アルトに逃げ出さないと言ってしまったがゆえに、ここで逃げるわけにはいかなくなってしまった。
しかし、だからといって大人しく喰われる気はない。
さて、どんな手を使おうかな。
便利屋さんになって私がいないと不便だと思わせるとか?それは何だかあの男に媚を売っているようで気に食わない。
ガリガリに痩せて食欲減退させる?でもお腹がすくのは嫌だなあ……。
書庫から借りてきた本を広げ、食堂で悶々と考え込んでいると、あろうことかアルト本人が入ってきた。
アリーチェがびくっと反応したのを見て、アルトは軽く眉を持ち上げる。
「この前は威勢が良かったようだが今日は静かだな」
「そんなことないわ」
つんと肩をそびやかして言うと、思わず口調まで通常運転になった。慌てて取り繕おうと立ち上がる。
「アルト……様、お茶でもいれましょうか?」
「何だ、急に殊勝になって。気持ち悪い」
「いえ、別に」
媚を売る作戦を実行するにしないにしても、心象を悪くするのはあまり良くない気がする。
そう思って改めた態度だったが、アルトはにやりと笑った。
「俺に取り入っても無駄だ。喰う時は喰うからな」
図星をさされてカッと顔が熱くなる。
「あ……悪食!」
「そりゃどうも」
何を言っても響かない。
アルトは意地悪く唇の端をあげて笑うと、そのまま厨房に行ってしまった。
アリーチェはお腹のあたりから沸き上がってくる怒りを懸命に堪えようとしてあたので、アルトが厨房でおかしそうに笑っていることには気がつかなかった。
「町にお使い?」
聞き返したアリーチェに、アルトはいつもの意地悪い笑みを向けた。
「ああ。逃げる気はないんだろ。それに俺の役に立ったら喰われないかもしれねえし」
悪魔め!!
ぎりぎりと奥歯を噛み締めてアルトを睨むと、彼は余裕の表情で羊皮紙の切れ端をぺらりと渡してきた。
「たいした買い物じゃないからおまえでも余裕だろ。今度は面倒ごとに巻き込まれるなよ」
「…………はい」
頷いてメモを受け取ると、アルトがそのまま腕を伸ばしてアリーチェの頭を掴んだ。
「痛っ!髪……」
「帰る時は呼べ」
「どうやって……」
「これで」
アリーチェの指に指環をはめ、アルトが何かを唱える。また周辺が霞み始め、アリーチェは慌てた。その手にアルトが財布をねじこむ。
すぐにあたりが眩しくなって、アリーチェは文句を言い損ねた。
目を開けると、いつかアルトと来た町の入り口にいた。
左手の中指には指環、右手には財布と羊皮紙が握られている。
あの魔王め……!!
アリーチェは悪態をつきそうになりながらーー心のなかでは言いたい放題だったがーー羊皮紙を開いた。店の名前と住所、何を買うかが書いてある。
何軒かは前にも行った店で、難なく終わった。
最後に裏路地にあった薬屋を何とか探し出し、おそるおそる中へ入るとしわくちゃで今にもしぼんでしまいそうなおじいさんがカウンターに座っていた。
「こんにちは」
耳はいいらしく、アリーチェの呼びかけにすぐ反応する。
「こんにちは、お嬢さん。何か用かね」
「えっと……この薬を頂きたいんです」
リストを読むことを諦めて羊皮紙を差し出すと、おじいさんはぱちぱちと瞬きしてそれを見た。
「……申し訳ないけどお嬢さん、これはみんな劇薬だから簡単には売れないよ」
「えっ!そうなんですか?」
「何に使うんだい」
「…………知りません」
アリーチェは困ってしまっておじいさんを見上げた。買えなかったと報告すればアルトはどうするだろう。
「お使いかい、お嬢さん?誰に頼まれたんだい」
おじいさんが助け船を出してくれる。
「あ、はい。城主様に頼まれて」
「城主?ああ、山のかな?アルトだろう」
アリーチェはほっとして頷いた。
「ええ、アルトです。お知り合いなのね」
「あの魔術師には世話になっているからね。魔術の腕は確かだし」
「でも性格に難あり……え、魔術師?」
思わず顔をあげたアリーチェをおじいさんは不思議そうに見つめた。
「この国随一の魔術師だよ。お嬢さん、知らなかったのかい?」
「魔術師…………本当に?じゃあ彼は人間なんですか?」
「そりゃそうだ。何だと思ってたの?」
「……魔物、です」
正直に言うと、おじいさんは目を丸くしてそれから笑い出した。
「なんとまあ。彼はちゃんと人間だよ。魔力のせいで少し普通の人とは違うけどね」
「じゃあ彼が人間を食べるっていう噂は……?」
おじいさんはますます笑い出した。
「そんなのでたらめに決まってるよ。どこで聞いてきたんだい?」
アリーチェの胸に何か熱いものが沸き上がってきた。おじいさんに品物を出して貰い、アルトの財布から代金を払う。品物を受け取って店から出ると、アリーチェは指環を見つめた。
自力で帰りたかったが、人拐いにあったのはつい先日だ。噴出しそうな何かを堪え、「アルト様」と呼びかける。
「買い物、終わったんですけど」
つっけんどんに言うと、ぱっと目の前が眩しくなった。
次の瞬間、アリーチェは城のアルトの部屋にいた。目の前に立つ彼がアリーチェの腕から荷物を取り上げる。
「ご苦労さん」
「く、薬屋のおじいさんが、アルト様は魔術師だって言ってました」
「ああ、そうだけど?」
「魔物じゃないって。人なんか食べないって言ってました」
「だから?」
人を食ったようなーー実際は喰わないらしいがーー態度に腹が立つ。アリーチェは拳を握り締めた。
「私、騙されてたんですか」
「俺は一言も自分が魔物だなんて言ってない」
それは確かにそうだった。しかし彼はそれを否定もしなかったし、むしろ肯定するような言動があったではないか。
むしゃくしゃしてきて、薬屋にいる時に沸き上がってきた何かが爆発した。
「バカ!悪魔!」
「語彙が貧困だな。理解力も足りない。俺は人間だって聞いたんだろ?」
「うるさい!」
「うるさいのはおまえだ。人の部屋で喚くな」
「あんたなんか大嫌い!こんなところ今すぐ出ていくから!」
「また人買いに拐われるぞ」
「いいわよ。あんたのところにいるぐらいなら、売られた方がまし!」
先日言ったような台詞を繰り返し、アリーチェはくるりと踵を返した。
嵐のような勢いで部屋に戻り、自分の服に着替える。それからローマンが止めるのも聞かずに城を飛び出した。
アリーチェは頭に血を昇らせたまま、ずんずん山を歩いていった。
城の中でローマンが慌ててアルトの部屋へ行ったのも、そこで苦笑いのアルトから事情を聞いた彼が頭を抱えたのも知るよしもない。頭を抱え終わったローマンが珍しく主人に苦言を呈し、主人はそれを楽しそうに聞いていたのだが、そんなことも全く知らなかった。
ただただ、アリーチェは怒りに任せて山を下っていた。そして気がつくと、懐かしい村に出ていたのだ。
あたりはもう薄暗くなっていて、アリーチェは以前母と住んでいた小屋に行ってみることにした。そこで一晩休んで、今後のことはそれから考えよう。
そう思って歩き出したのだが、森から出てすぐ「アリーチェ?」と名前を呼ばれた。振り向くと、従妹のジェインが目を丸くして立っている。彼女はアリーチェに近づき、しげしげと見つめた。
「アリーチェ、帰ってきたの?あなた生け贄に選ばれて、山の城に行ったのよね?」
「ええ……」
「それがどうしてここに?待って、うちに来なさいよ。父さんと母さんにも話を聞いて貰わなきゃ」
そう言ってジェインはアリーチェの腕を掴み、ぐいぐい引っ張って歩き出した。
村長のーーもともとはアリーチェたちの家が近づいてくる。
行きたくない。
そう思ったが、ジェインは力が強かった。
「父さん、母さん!」
扉を開ける前から彼女は叫んでいた。
「アリーチェが帰って来たわ!」
アリーチェを待っていたのは、罵声と拳だった。
「おまえが逃げ出せば、村がどうなるかわからないだろうが!」
叔父はそう言って何度もアリーチェを殴った。
人拐いに平手打ちされた時の何倍も痛い。
そういえばアルトは、アリーチェの扱いは雑だったが叩いたり殴ったりはしなかった。
そんなことを思いつつ、アリーチェの意識は遠くなっていった。
「くそっ。何で戻ってきたんだ?山の魔物は人間をすぐ喰ってしまうんじゃなかったのか」
叔父の苛立つ声が聞こえる。
「このまま山に捨ててきたらどう?今なら誰も気づいてないわ」
叔母の声もした。
「また戻って来られては面倒だ。始末してしまおうか」
叔父の声は冷たかった。
コンコンコン。
扉を叩く音がして、叔父と叔母は息を呑んだ。「誰だ」と叔父が険しい声を出す。叔母が部屋の隅に転がっていたアリーチェにテーブルクロスを被せてきた。
「夜分に畏れ入ります。少々お聞きしたいことがございまして」
外から男のくぐもった声がした。
「今忙しい。またにしてくれ」
「申し訳ございませんが、急を要するのです。何卒……あ、ちょっと待っ、穏便にと……!」
突然男の口調が焦りだし、次の瞬間にバキバキバキッと破壊音が聞こえた。叔母とジェインが悲鳴をあげる。
「俺のものを返せ」
聞き覚えのある不機嫌な声に、アリーチェはのろのろとテーブルクロスの下から這い出した。
破壊された扉のあった場所にアルトとローマンが立っており、その前に腰を抜かした叔父が、叔父の後ろにジェインと抱き合った叔母がへたりこんでいた。
「お、おまえは……」
勇敢にも叔父が言葉を発する。アルトは目を細め、唇の端をあげて笑った。
「おまえに用はない。用があるのはそこの小娘だ。随分痛めつけてくれたようだな」
アルトの指が狙いをつけるように叔父を指す。黒い瞳が楽しそうに揺れた。
「おまえは弱いものをいたぶるのが好きなようだ。それなら俺がおまえに同じことをしても文句はあるまい?」
バチッとアルトの指先で火花が散る。叔父はガタガタ震え出した。
「あ……アルト……」
「なんだ、喋れるのか」
「やめて……」
「何で俺がおまえの言うことを聞かなきゃならない?」
そう言いながら、アルトは指を引っ込めた。かわりにずかずか室内に入ってきて、叔父たちは可哀想なぐらい慌てて後ずさる。
アリーチェの傍らに膝をついたアルトは、アリーチェの額に手を載せた。そこから身体がじわじわと温まり、傷の痛みが癒えていくのがわかる。
それからアリーチェを起こしたアルトは、アリーチェの背中を支えながら顔を覗きこんできた。黒い瞳がふっと細められる。
「無事だったようだな。俺の指環は」
「……は?」
「アルト様!」
静観していたローマンが呻いた。
アルトはアリーチェの左手を持ち上げ、中指にはまった指環を満足そうに眺めている。そういえば返すのを忘れていた。
「おまえが持ったまま消えたから回収しにくるはめになったじゃねえか」
「……指環の回収に来たの?」
「ああ」
ぽかんと口を開けたアリーチェを放置して、アルトは縮こまっている叔父たちに掌を向けた。ふわりと優しい花のような匂いがして、それをもろに嗅いだ叔父たちはその場にぐにゃりと倒れる。
ローマンが傍に来て、「帰りましょう」と手を伸ばしてくれた。その手をとって立ち上がる。
アルトが結局指環を回収していないことに気づいたのは、そのずっとあとだった。