病に冒された村
「説明してくれるよね、アリーチェ。君とアルトが朝同じ部屋から出てきた理由」
興味津々といった表情のフーバーに詰め寄られ、洗濯をしていたアリーチェは顔をしかめて怖い顔をつくった。
「特に何も」
「そうなの?でも朝まで一緒にいたんでしょ」
「いたけど、同じ部屋にいただけ」
正確には、同じ部屋の同じベッドにいて、アルトの腕のなかで寝た。でもそんな恥ずかしいことを暴露する気はない。
そんな余裕も、アルトが目の前に現れるまでだった。たまたまなのか狙ったのか、中庭に現れたアルトに驚いて思わずびしょ濡れのタオルをぶちまける。
アルトは呆れたような顔をして近くに来ると、そのタオルを拾い上げた。
「……何だよ、フーバー。その気持ち悪いにやにや顔」
「いいや?我らが城主様の幸せを噛み締めてるだけだよ」
「脳に虫がわいてるのか。頭開いて調べてやる」
「わー!待って待って!」
「フーバー、頭割られる心配ないじゃない」
「あ、そうだったね」
三人でわいわいやっていると、ローマンが厨房の裏口から出てきた。何やら表情が重い。
「どうしたの?」
「アリーチェ様にお客様なんですが……」
「私に?誰?」
「エマ様という方です」
一瞬誰だかわからなかった。エマ、と口のなかで呟いてからはっとする。
「叔母さん……?」
叔母は客間のソファにちんまりと座っていた。禁忌とされる森に入り、魔物の巣窟とされる城にいるのだから無理もない。
アリーチェを見ると、微かにほっとしたように見えた。しかしアリーチェにも数年間いびられ続けたわだかまりはある。必然的に顔の筋肉は強ばった。
アリーチェの後ろに険しい顔のーーと言っても地顔なのだがーーアルトが立ち、叔母はおそるおそるというように口を開いた。
「アリーチェ、良かった。会って貰えないかと思ったの」
「叔母さんがこんなところまで来たら何事かって思うよ。叔父さんには内緒なんでしょ」
「ええ……実は、ちょっと困ったことになっていて。夫はこの城を焼き討ちにするつもりなの」
思いがけない物騒な発言に息を呑む。後ろでアルトが唸ったが、とりあえず無視だ。
「何で」
「……まず、どうして夫があなたにあんな態度をとっていたか話すわ。夫はあなたのことを、あなたのお母さんと山の魔物の間にできた子どもだと思っていたの」
「へ?山の魔物って……アルト?」
「俺を見るな。濡れ衣だ」
じろりと睨まれ、再び叔母に視線を戻す。
「……昔、義姉は禁忌とされていた山に入って数日間帰って来なかったことがあった。ひょっこり帰って来た時も彼女は何も言わなかった。その数ヵ月後にあなたがお腹にいるってわかったの。普通は義兄の子だと思うわよね。でも夫は違った。あなたを魔物の子だと思った。あなたが予定より早く産まれたことも、まわりの子どもより……ジェインより成長が早かったことも関係していると思うけど」
「バカバカしい。妄想もいいところだ」
吐き捨てたアルトに、叔母はびくりと肩を震わせた。
「……それに夫は……義姉のことが好きだったと思うの。かわいさあまって、って言うでしょう?夫は義姉のことがずっと好きで、でも義姉は義兄と結婚した。そして夫は私と。そのあとで見たことあるの。夫が義姉にせまっているところを。もちろん義姉は断った。そのあとよ。義姉が行方不明になって、あなたが産まれたのは」
何も言えずにアリーチェはただ黙って座っていた。思いもかけない話だったし、叔父が自分を嫌う理由はわかったがわかったところでどうしようもない。
アルトが後ろで鼻を鳴らした。
「それであんたも娘と一緒になって姪いびりか。有り難くて涙が出る」
「…………それについては言い訳しないわ。私もこの子は目障りだったもの。義姉によく似てるから」
その台詞は、あまり突き刺さらなかった。母に似ているというのは、アリーチェにとって褒め言葉だったから。
「それで?どうして叔父さんがこの城を焼き討ちにするの?」
「…………村で疫病が流行ってるの。身体の弱い老人からどんどん倒れてる。それを山の魔物の呪いだって夫は言うのよ」
「責任転嫁の天才だな」
アルトが皮肉を吐き捨てた。
「でもそんなことしたら、夫はあなたに殺されるでしょう?私はそれを止めに来たの。あんなでも大事な夫だから」
「村人にとってはどちらがいいか考えた方がいい」
アルトの唸るような声に叔母は俯いた。
「叔父さんを殺さないでってお願いしに来たの?」
アリーチェが聞くと、彼女は頷いた。
「アルト……」
後ろを振り向くと、アルトは眉をひそめていた。
「そんな勝手な話があるか。あんたたちはこいつを苛めるだけ苛めて、あのジジイは殺そうとまでした。それで自分のことは殺さないで欲しい?そんな理屈が俺に通ると思ってるのか。随分とお気楽な脳みそだな」
珍しくよくしゃべるアルトの口調は冷ややかだった。ピリピリと殺気立っているのがわかる。今すぐにでも叔父を八つ裂きにしてやりたいと思っているようだ。
その目が、ふとこちらを向いた。アリーチェと目を合わせ、ますます渋面になってため息をつく。それからぐいっと襟首を掴まれ、顔を近付けられた。
「おまえのお人好しはどうにかならないのか」
低い声で囁かれる。
「え?」
「あのジジイを殺すなって言うんだろ。あと一人で村に行くんじゃねえぞ」
耳元で囁くのをやめて欲しい。しかも心を読まれている。
アルトはアリーチェから身体を起こすと、叔母に冷ややかな目を向けた。
「殺すか殺さないかは俺が決める。あんたは帰れ」
叔母を帰したあと、村に行きたいというアリーチェの希望を叶えてくれるらしく、アルトはアリーチェとローマンを並べて疫病から身を守る術をかけてくれた。
アルトの空間転移で村に移動する。村はひっそりと静まり返っており、それが少し不気味だった。叔父の家には近付かないようにしながら、以前の火事の際に猫を探していたおばあさんの家に行ってみる。
「おばあさん、変わりない?」
声をかけると、おばあさんは部屋の隅のベッドで寝ていた。その傍らで猫がねのろのろと頭をあげ、アリーチェを見る。
「ああ……身体の調子があんまりよくないみたいでねぇ」
ローマンがてきぱきと世話を焼き始める。アルトがそちらに視線を向けた。
「水を使う前に浄化の術をかけろ。井戸水は怪しい」
「畏まりました」
ローマンの返事に顎をしゃくり、アルトはおばあさんに近付いた。彼女の額に指を当て、術の詠唱をする。
「あ、あれ……怠いのがましになったよ」
「体力を回復させただけだ」
アルトはそっけなく答え、「血をくれないか」と恐ろしいことを言い出した。
「血?あたしのかい?」
「ああ」
「ちょっと、突然何を言い出すの」
アリーチェは慌てて彼の腕を掴んだが、アルトはちょっと眉をひそめただけで動じない。
「お願いします。感染者の血があれば薬を作れますから」
ローマンが横から取り成しに入り、そういうことかと納得する。それならそうと早く言えばいいのに。
おばあさんも納得したのか了承してくれ、アルトはおばあさんの手をとった。アルトが彼女の親指にすっと人指し指を走らせると、一筋の切り傷ができてじわりと血が滲む。ローマンが差し出した小さな瓶にその血を入れ、もう一度アルトが指を走らせると傷は塞がった。
「へえっ!へええええ」
おばあさんは感動している。
アルトがローマンに小瓶を押し付けた。
「じゃあローマン、頼む。こういうものの扱いはおまえの方が得手だろう」
「畏まりました。アルト様は若干力業で押しきる傾向がございますからね」
「ほざけ」
顔をしかめたアルトが立ち上がる。
それに従ったアリーチェの腕をおばあさんが掴んだ。
「ねえ、あんたアリーチェだよね?村長さんのところの。どうしてあたしを助けてくれるんだい?あたしたち、あんたにひどいことばっかりしたのに」
アリーチェはおばあさんの手をぽんぽんと叩いた。
「私、おばあさんに何かされたことはないですよ」
「ウソだよ。あたしたちは、あんたが辛い目に遭っているのを知って見て見ぬふりをしていたんだよ。生け贄になるって聞いた時も止めようとしなかった。あんたはあたしたちを憎んでいても不思議じゃないのに」
食い下がられて少しだけ考える。
「……叔父さんたちのことは好きじゃないですよ。嫌なことたくさんされたし。でもおばあさんたちのことは嫌いじゃないです。私が同じ立場でも止めなかったと思うから」
「あんた…………」
「いいだろ、もう。こいつがバカみたいにお人好しなだけだ」
アルトが反対側の腕を引っ張って言った。
「……あんたは、山の魔物さんかい?」
「残念ながら魔物じゃねえけどな」
「そう……。アリーチェを大事にしてくれてるんだねぇ」
おばあさんに目を細められ、アルトは珍しく一瞬ぽかんとした。
「あんたが助けてくれたんだね。あたしたちが傷つけてしまったこの子を」
「気持ち悪いこと言うな。俺は押し付けられただけだ」
アルトが不快感を露にしたが、ローマンがすぐにフォローをいれる。
「照れているだけですから、大丈夫ですよ。アリーチェ様のこと、ちゃんと大事にされてます」
「ローマン、それ以上無駄口を叩いたら首をはねるぞ。……おまえもにやにやするな。蛙に変えられたいか?」
凄まじく物騒な脅し文句を放ち、アルトはアリーチェの腕を引っ張った。
「行くぞ」
「あ、うん」
アルトはアリーチェを引っ張って外に出ると、それから村の家をまわって病人の体力を回復させてやり始めた。アリーチェは彼と一緒にまわり、スープを作ったり簡単に掃除をしたりした。
夕方にはもうアルトは魔力がほとんどなくなり、顔色が悪くなっていた。また来ると約束して、馬を一頭借りて帰路につく。ローマンは薬を作るため、先に帰ったようだ。
アリーチェの後ろで手綱を握っていたアルトが呟いた。
「あのオヤジ、いなかったな」
叔父のことを言っているらしい。確かに姿は見なかった。
「きっと家に籠ってるんでしょ」
「かもな」
アルトはそう答えてから何も話さなかった。
城への橋が見えた時、アルトが馬をとめた。何かと思って顔をあげると、橋のたもとでゆらりと人影が動く。
「叔父さん……」
思わず声が震えた。
「先に戻れ」
アルトがそう囁いて、ひらりと馬から降りる。
「でもアルト……」
「おまえはいない方がいい。戻れ」
アルトはきっぱりと言って叔父の前に立った。
「何の用だ」
「お、おまえに、村は渡さん」
叔父の目は血走っていた。
「村なんていらない。失せろ」
「お、お、おまえなんかああぁっ」
喚いた叔父がナイフを片手に駆け出した。アリーチェは息を呑んだが、アルトはひとつため息をついて腰の剣に手を伸ばす。
「アリーチェ、見るな!」
アルトが鋭い声を出した。
反射的に目を閉じたが、叔父の喚き散らしていた声が途切れたことですぐにまた目を開ける。
叔父の影とアルトの影が重なっていた。
アルトは背を向けていて、表情はわからない。その肩ごしに見える叔父の顔に、にやりとぞっとするような笑みが浮かんだ。
「ア、アリーチェ、お、おまえから、こいつを、う、奪ってやる」
何が起きているのかわからない。そのまま、二人の身体がふらりと傾いていく。
アリーチェは馬から飛び降りた。アルトに駆け寄ろうとするが、足がもつれる。
「アルト!!」
アリーチェの金切り声に、彼は反応しなかった。
二人の身体は、そのまま崖下の川へと落ちていった。