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山の上の城  作者: 細雪
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 「ーー……様、アリーチェ様?」

「は、はい!」

 慌てて顔をあげると、ローマンが心配そうな顔でこちらを見ていた。

「あ、うん、なあに?」

「何と申しますか、大丈夫ですか?何か悩みごとでも?」

 悩みごと、と言えばアルトへの気持ちだ。だがそれを口にする勇気はなく、曖昧にお茶を濁して豆の筋を取る作業に戻る。

「恋ですか?」

 ごまかしたのに核心を言い当てられ、思わずエンドウ豆の入ったざるをひっくり返しそうになった。

「こ、恋!?やめてよローマン私があんな悪魔を好きになるなんてそんなこと有り得るわけ……」

「悪魔?私はてっきり、アリーチェ様がフーバーに恋をしてしまったと思ったのですが」

 けろりと言われて赤面する。

「彼は幽霊よ」

「ええ。ですから道ならぬ恋に悩んでいらっしゃるのかと。違いました?」

「違うよ」

 ローマンの笑みが何だか意地悪に見える。彼はすべてわかっていてからかっているのではないだろうか。

 ちらりと窺うと、彼はリズミカルに玉葱を刻みながら微笑んでいる。怪しい。

「今日のメニューは?」

 話を逸らそうと問いかけると、ローマンはにっこり笑った顔をあげた。手は止めないのがすごい。

「ハンバーグですよ。アルト様の大好物です」

「アルトがハンバーグゥ!?」

 思わず大きな声が出た。

「あんな澄ました顔して、好物がハンバーグ?」

「はい。実はプリンもお好きですよ」

「プリン…………」

 アルトとプリン。意外な組み合わせすぎてコメントのしようがない。

 ローマンの「にこにこ」が「にやにや」に変わった。

「アリーチェ様が作って差し上げればきっと喜びます」

「……毒舌に火がついて終わると思うけど」

「そんなことありませんよ。実は私、お菓子に関しては不得手でして。だからアリーチェ様がデザート係になって下されば有り難いのですが」

 ローマンはなぜかやたらと強引に勧めてくる。彼に押しきられ、結局数分後には泡立て器を持って厨房に立っていた。



 本当に好物なのかしら。


 その日の晩、夕食をとるアルトを観察してアリーチェは眉をひそめた。ハンバーグが出てきた時も食べる時も、特に彼の表情に変化はみられない。黙々と食べ続けるアルトを尻目に、おしゃべりをするのはアリーチェとローマンといういつもの構図だ。

 食後にローマンがプリンを出した時も彼の表情は変わらなかった。しかし、一口食べて彼は眉をぴくりと動かした。ローマンが目敏く気づく。

「いかがされました?」

「……いや。うまい」

「え!」

 予想外の台詞に動揺して、思わず声をあげてしまう。アルトが何だと言いたげな剣呑な目でじろりとアリーチェを睨んだ。助けを求めてローマンを見ると、彼はにっこり笑って片目をつぶった。

 何だか恥ずかしくなって彼から視線をそらし、自分でもプリンを一口食べた。


 あ、おいしい。


 思えばプリンを食べるのは随分久しぶりだ。両親と暮らしていたころは母が作ってくれていたが、叔父の家に引き取られてからはそんな機会はなかった。


 デザート係、意外といけるかもしれない。レパートリーを増やさなきゃいけないけど……。


「あの、アリーチェ様?」

「ローマン!明日もデザート作っていい?」

 ローマンはきょとんとした。

「構いませんが?」

「ありがと!アルト、書庫に料理の本ってある?」

 アルトも珍しく一瞬きょとんとした。

「古いのが二三冊あるかもしれねえけど……」

「よし。ありがとう!」

「よしって……おまえどうした。頭大丈夫か」

「大丈夫!」

 食器を厨房に運び、さっさと洗ってしまうとアリーチェは書庫へ行くべく風のように食堂を通り抜けた。

「アリーチェ様、お茶のお代わりはーー……」

「今日はやめとく!ありがとう!」

 バタン、と食堂の扉を閉める。

 その向こうでアルトが「このプリン、ハイになる薬でも入ってるんじゃねえだろうな」と呟いていることなど知る由もなかった。



 燭台に火をいれ、埃っぽい書庫で本を探す。ほとんどが魔術書か歴史書で、その膨大な本の山から二三冊のある「かも」しれない本を探すのは大変だーーということに、まもなく気づいた。

 普段使わない本だから上にあるのかもしれない。そう思って梯子を登ったアリーチェの目の前に現れたのは、干からびた鼠の死骸だった。

「ひやああああああっ!!」

 叫んで身を引くと、足がずるっと滑った。そのまま梯子から落ち、背中を強打する。

「痛……」

 呻いていると、書庫の扉が開いた。見ると、心の底から呆れ返った顔をしたアルトと目を丸くしたローマンが立っていた。



 「俺はおまえを縄でベッドに縛り付けたい」

 本気でやりかねない顔で言うアルトを見て、アリーチェはすくみあがった。

 ベッドに座るアリーチェの頭を、横に座ったローマンが検分している。アルトはその前で仁王立ちだ。

「うーん、小さな瘤ができてますね。あと痛いところは?背中ですか?」

「はい……」

 アルトが近付いてきて、片膝をベッドにのせた。アリーチェを抱え込むようにして後頭部と背中に手を伸ばす。頭の上で彼がぶつぶつ呟くのが聞こえた。すると、身体が一瞬温かくなり、じんじんずきずきしていた痛みがなくなる。もはやお馴染みの感覚だ。

「お手数かけまして……」

 アルトは殊勝になったアリーチェをはなした。

「おまえ、こんな毎日のようにケガをしていてよく生きて来られたな」

 それは言いすぎである。

 ローマンが安心したように立ち上がった。

「鼠のミイラは私が片付けておきます。料理本は、アルト様に出して頂いた方が早いし安全ですよ」

 黙ってアルトを見上げると、彼は顔をしかめて「明日な」と言った。ほっとしてお礼を言う。

「ありがとう」

「最初から頼め。書庫で肝試しをしたかったのなら別だが」

「まさか。確かに思ったより真っ暗で怖かったけど……あんまり面倒かけたくなくて。いや、結果として面倒かけたのはわかってるわよ」

 アルトの眉がつり上がったので慌てて言い訳をする。

「今更だな。おまえが来てから面倒事ばかりだ。逃げ出した挙げ句拐われたり、山火事に遭ったり、惚れ薬飲んだり」

 頭の上から降ってくる台詞に身を縮める。


 アリーチェは生け贄としてここに来た。しかし結局は、アルトはアリーチェを押し付けられただけである。彼に人間を食べる趣味がない以上、アリーチェはただの居候で厄介者。彼には何のメリットもない。


 だからできるだけ迷惑をかけたくなかった。この城から出ていけと言われたくなかった。ここで暮らすのが好きになっていたから。


 それでも所詮、アリーチェの見つけた仕事は必要ないのだ。だってアリーチェが来るまでは何十年もアルトとローマンの二人で事足りていたのだから。


 それならーー……。


「アルト……私、町に働きに行く」

 アルトの目が眇られる。

「俺はおまえを縄でベッドに縛り付けたいと言ったはずだが?藪から棒に何でそうなる。どうせまた面倒事を拾って来るんだろ」

「気を付ける。だからお願い。自分の食い扶持は自分で稼ぐから」

「……話が見えねえ」

「ここに置いて欲しいの。でも私、何もできないから。せめて食費は自分で稼いで……」

 ゴン、と上から拳が降ってきた。

「前にも言ったが、金には困ってない」

「う……」

 頭の上に載った拳が開かれた。

「俺は気に入らねえ奴が自分のテリトリーに入ってきたら即追い出す」

「……そうでしょうね」

「面倒なことも嫌いだ」

「……そうだと思うわ」

 アルトは何が言いたいのだろうと思いつつ頷くと、彼は深いため息をついた。

「…………おまえの鈍さには本当に呆れる」

 そう言って再び片膝をベッドにのせ、アリーチェの頭の上に載せていた手でアリーチェの頬を挟んだ。

「どうして俺がおまえを追い出さないと思う?」

「え?」

「どうして魔術師でもないおまえから魔力を貰ったと思う?」

 それもあんな方法で、と笑ったアルトの指が唇に触れた。


 アリーチェのなかに答えはひとつしか浮かばなかった。傲慢で自信過剰な答えだ。それを否定されたら居たたまれないし傷つく。そして傷つくということは、アルトにそれを否定されたくないということだ。


 アルトがため息をついて、アリーチェの頬を両手ではさんだ。

「質問を変える。どうしておまえはここにいたいんだ?」

「……ここが好きだから。みんなと暮らすのが居心地いいからよ」

「最初はあんなに嫌がってたのに?」

「最初はね。でもアルト、優しい人だってわかったから」

 アルトは微かに顔を歪めた。痒そうに。

「俺が思ったより優しかったから抵抗しないのか?あの時も、今も」

 思わず目を見開いて息を呑む。アルトの顔が近づいて、真っ黒な瞳に呑まれそうだ。

「先に言っておく。抵抗しても怒らないが、父さんみたいだから抵抗しないと言ったら八つ裂きにしてやる」

「あ、うん……ん?」

 よくわからない脅し文句に曖昧な返事をすると、その時にはもうアルトに口付けられていた。

 思わず目を閉じて身を任せそうになるーー……が、それはまずい。アルトの胸を押し戻すと、彼はすんなりはなれた。アリーチェが「抵抗」したと思ったらしく、少し残念そうにしている。いつも暴君のくせにその顔はずるい。そのままはなれていこうとする彼のシャツを思わず掴む。

「待って。抵抗したんじゃなくて……ローマンの前で……って、あれ?」

 彼はいつの間に部屋を出たのだろう。

「あいつなら随分前からいないぞ」

「うそ!」

「本当。おまえの目と耳はどうなってるんだか」

「だって途中からアルトしか……」

 目に入らなかった。アルトが傍に寄ってきたあたりから。

 ローマンに見られると恥ずかしいと思ったから止めた。その心配がないのならやめて貰わなくていい。だからといって自分から続けて欲しいと言うのも恥ずかしい。

 その心を読んだかのように再び近付いた唇に心臓が悲鳴をあげる。願望が叶ったら叶ったで、ドキドキしてしまっておかしくなりそうだ。あと少しのところに迫った唇を、アリーチェはそっと手で押し止めた。

「アルト、お願いがあるの」

 彼は答えず、僅かに首を傾げてみせた。

「名前呼んで」

「何で」

「呼んでくれたことないじゃない」

「ある」

「ないよ」

「ある」

 実際、アリーチェが惚れ薬で混乱している時に呼ばれているのだが、アリーチェは覚えていない。しばらくあるないのやり取りを繰り返し、アルトが焦れたように邪魔していたアリーチェの手を掴んだ。そのまま体重をかけられて倒れこんだアリーチェの手をベッドに押し付け、彼はやりたかったことを実行した。


 両手は彼の手によって封じられ、思考回路はキスによって奪われる。

 こんな形で我を通すなんてずるい。

 名前を呼んでと言うのはその場しのぎのわがままだったが、こうなってみるとこだわりたくなってくる。


 抵抗、してやろうかな。


 ちらりとそう思った時、アルトが僅かに唇をはなした。

「アリーチェ」

 低い掠れた声で呼ばれ、はっとして真っ黒な瞳を覗きこむ。

「もう一回」

「…………アリーチェ」

 低い声に胸の奥がきゅんと締め付けられた。アルトの手の力が抜けて自由になった腕を彼の首にまわす。

「アルト…………」

「……わざと煽ってんのか」

「え?煽……っ」

 アリーチェの言葉はアルトの口付けに呑み込まれた。

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