死闘
「おぉ! らぁ!」
一矢は右の鞭で右手から迫る炎憑きを叩く。その隙に逆からかかる者をマントの変形した拳が返り討ちにする。
一矢は鞭の扱いどころか戦いそのものに習熟していいる訳ではない。むしろ昨日までじゃれあい程度のケンカしか経験していなかった素人だ。
だがその素人の振る鞭は、正確に襲撃者の身を捉えて打ち据えている。
これも鞭がササメの一部として生きているからに他ならない。
ただ振り上げた腕に従った鞭は、生きた意思でその軌道を補正。正確に門を越えようとしていた敵の首に巻きつき、別の敵へ投げつける。
鞭に放られた炎憑きはそのまま別の炎憑きを巻き込み、押しつぶす。そこへササメの手が虚空から出現。まとめて平手で押し流す。
そうしてササメとともに壁となり、一矢は敵を押し返し続ける。
だが不意に視界にちらついた顔を見て、体が一瞬強ばる。
それに伴い、周囲の空間を支配するササメも動きを止めてしまう。その僅かな隙を突いて、炎を灯した者が一人、一矢の前へ踏み込む。
「うっ!?」
眼前に迫る狂暴な炎もどき。それに一矢はとっさに反応。竿状に伸ばした鞭を両手に、喉へ掴みかかる手との間に差し入れる。
「……宏明……!?」
糸をより固めた槍。それを掴む炎に憑かれた宏明。
目や口から揺れる炎が吹き出て、まるで牙剥く獣にも似た表情を作る。その炎の奥でガチガチと音を上げて歯を噛み合わせて、槍ごと押し潰そうと圧し掛かってくる。
「ぐ……宏明ぃ!」
心臓も肺も失いながら、なおも内に潜んだ炎もどきのために尖兵として操られ続ける友。
おそらく宏明としての精神はすでに失われ、ここにいるのはただの器でしかないのだろう。
その器も内側からの爆発で致命傷を負わされ、生存は素人目にも絶望的だ。
失われた宏明の命。
そして躯となってなおも利用され続ける友の肉体。
「うぅおぉおおおおおおおおおおッ!!」
それを行った生きた炎への怒りを胸に吠え、一矢は友の遺骸の取りついた槍をひねる。
宏明の体は回転の勢いに乗って側転。同時に一矢も振り払った勢いを切り返し、反転。
左足を軸に、マントを翻した一矢はその慣性に乗せて、竿状に固めた鞭の先端を打ち出す。
ササメの槍の先端は、炎の車輪となった宏明の中心軸を撃ち抜く。
その本性である炎もどきをまき散らしながら、空を舞って離れていく宏明の遺骸。
「ササメ!」
それに追随させようと、マントから伸びた無数の拳が残る炎憑きへ向かって放たれる。
だがそのほとんどは炎憑きたちが先に身を引いたために外れ、空を切る。
「なに!?」
疑念の声を上げる一矢をよそに、炎憑きにされてしまった人々は、その身を満たすエネルギー生命体の意思に従って、自ずから宏明の遺骸を追いかけるように撤収する。
「……どういうつもりだ?」
一矢はササメの鞭を構え直しながら、炎憑きたちのあまりにもあっさりとした撤退に警戒の目を向ける。
すると炎憑きたちの逃げた方向で火柱が渦巻き立ち上がる。
高く伸びたそれはねじれ揺らぎ、さっき戦ったものと同じ人型の炎となる。
「くっそ、こんなところで! 行くぞササメ!」
身を包むマントを握り締めながら叫ぶ一矢。
その声に従ってマントと鞭は解け広がって一矢の体を繭の様に包む。
自分を包むように作られていくもう一人の巨大な自分。
肉体を支える強靭な骨格。その上には力の充実した筋肉が。そしてさらにその上を固く、かつしなやかな外殻が覆う。
重みで割れる地面の感触を足裏に感じながら、指先まで満たされた力を逃がさぬように握りしめる。
「うぅおおおおおおおッ!!」
直後、視界がササメのものと重なるや否や、一矢は雄叫びを上げてササメを踏み込ませる。
瞬時に詰まる人形の炎との距離。
一矢は突進の勢いのままササメに拳を撃ち出させる。
その拳は炎もどきに触れる寸でのところで分解。瞬く間に光沢ある布となって広がり、エネルギー生命体を正面から包み、捕縛。
続いて一矢はすかさずササメを跳躍。炎もどきを閉じ込めた袋片手に上空へと向かわせる。
町の南側。太平洋方面へ向けて飛ぶササメの巨体。「初日みたいに海の上なら人や家を気にすることはない!」
住宅に足を取られることを防ぐため、一矢は戦場にしやすい広い場所として海を目指す。
その一矢の意思に従い、ササメは左人差し指と中指を正面の海目掛けて飛ばす。
白い波の立つ水面から上がる飛沫。水を割った二本の指先はその奥、海底に錨の如く突き刺さる。
糸を巻き取り、青々と広がる海を目掛けて加速するササメの巨体。
だがその眼前、不意に視界一杯に紅蓮が広がる。
「クッ!?」
一矢とササメは揃って歯噛み。とっさにアンカーとした指を引き戻しながら、右手の袋を前に放り出す。
広がった布が大気とぶつかり、向かい風に逆らわせた傘の様に進む勢いを殺す。
その空気を受けて生まれた抵抗を乗り越えるようにササメは空を舞う。そうして爪先から浅瀬へ飛び込みながら、生きた炎の姿を探して空を見る。
「なッ……!?」
そして青い空に見つけたものに、一矢は絶句する。
大きく左右に広がった火炎。その中心には、まるで握られたかのように無造作に固められた金属が。
接触した人型を吸収したらしいそれは、燃え盛る翼の核となっている金属塊を分解。なにがしかの形に再構築を始める。
金属板を軸に炎を纏わせた翼。
その中心からは細長く首のようなものが伸び、付け根の辺りからは左右それぞれに腕のようなものがぶら下がる。
腕に挟まれるように、背骨のみしか無いような細い胴があり、その下には二本の足のようなものがぶら下がっている。
戦闘機と鳥を合わせて、さらに歪に擬人化したようなそれ。そんな生きた炎の寄り代は、前のめりに歪んだ体を仰け反らせていななく。
「うっ」
ガラスを引っ掻いたような大音響に、一矢は思わず身を引いてしまう。
ササメにも現れたその怯えを見逃さず、炎の寄り代は上体をコの字に畳んで急降下。ササメの首へと瞬く間に迫る。
「う、お!?」
一矢はとっさにササメの身を沈めさせる。目の前まで迫っていた炎を纏う爪が額の装甲をかすめ、数条の髪を切り裂き燃やす。そのまましゃがんだササメの頭上を通り過ぎる。
痛みの走る額をそのままに、一矢はササメの背部にアイセンサーを展開。通り過ぎた生きた炎の動きを追視する。
上空で切り返し、再び降下をかけんとする鋼鉄の鳥人。
一矢はその動きを背中で見て、ササメを右側転させる。
水飛沫を巻き上げ転がるササメの巨体。生きた炎の寄り代がまたもその脇をかすめて空へ抜ける。
「ハァアッ!」
火の粉をまき散らすその背中を見上げて、一矢とササメが揃って息を吐き、鳥に似た脚を解放して跳躍。
水柱を上げて飛翔するものの、ササメのそれは跳躍に過ぎない。先を行く炎の鳥を追うには飛翔能力に雲泥の差が存在する。
いかにササメの跳躍力が優れていようと空戦能力を持つ炎の器に追い付ける道理はない。火の鳥は空中で加速、ササメを引き離す。
ササメと一矢を空中に置き去りにした鋼鉄の鳥は、捻り込むようにして旋回。獲物が自分から飛び込んできたと言わんばかりに、猛然と空を駆け迫る。
「ハアッ!」
対する一矢は気を吐きながら、迎撃の右拳を撃ち出させる。
文字通り手首から砲弾のように飛び出した拳が炎纏う鳥人の鼻先へ吸い込まれるように向かう。
だがそれを読んでいたかのように鋼鉄の鳥は翼をよじって拳を回避。そしてササメの飛ばした拳の軌道を軸にネジ巻くように回転、ササメへ肉薄する。
「クッ!」
繰り出された爪を左腕を盾にかろうじて受け流す一矢。
そのまますれ違いに抜けようとする敵の背を目掛けて、左拳を発射。
だが長く伸ばした拳はまたも易々とかわされて届かず、空を切る。
重力に従い落ちる二発目の拳。
火の鳥はそれを悠々と一瞥し、身に纏う炎をより強く噴き出し突っ込んでくる。
ササメ本体も重力に引かれ始め、空中で方向転換すらかなわない。
生きた火はそのササメの姿をただ獲物として狩られるのを待つだけと見てか、腕と足の爪を構えて真っ直ぐに突っ込んでくる。
獲物を狩ろうと迫る、火と鋼鉄の猛禽。
だがそのくちばしと爪が届こうという刹那、ササメの体が外れた右手首の伸びた先へ向かい空を走る。
虚を疲れた火の鳥の突撃は完全に空振り。そのまま制動も間に合わず、海辺の民家をめがけて突っ込む。
そうして民家へ激突押し潰す。かと思いきや、直撃の寸前に滑空の勢いが大きく緩む。
落着しようとする火の鳥の身の底面。大きくたわんだ虫取り網にも似た細い網がきらめく。
直後、伸びたゴムが戻るように網が反転。鳥と人を掛け合わせた炎の器が空へと打ち上げられる。
きりもみ飛ぶ火の鳥。だが飛翔能力を得ているそれは四肢と翼を振って制動。空中で体勢を立て直そうとする。
しかし、鳥人型の器がようやく止まろうかという瞬間、その背面が再び網に触れて沈む。
「オォラアアアッ!!」
それを逃さず、一矢がササメと雄叫びを重ねて空を蹴る。
だが虚空を蹴ったはずの足は確かな推進力を生みだしてササメの巨体が空中を疾走する。
否、ササメと一矢は空を走っているのではない。
極々細い糸。一見すれば見えぬほどの細さの、しかし40メートルを超えるササメの巨体を支えるほどに強靭な糸の上を、ササメはまるで地に足を付けているかのように駆け抜けているのだ。
「くらええ!」
己の糸で作った道を渡った勢いに乗せて、拳を繰り出す一矢。
対して生きた炎は鋼鉄の器の中から無数の機関砲を取り出し、弾丸をばらまく。
「くっそ!?」
それを一矢は、とっさにササメを部分的にほどいて作った風穴に潜らせる。
その為に生じた僅かな遅れに乗じて、生きた炎は網を食い破りながら飛び立つ。
だが火の鳥がササメの頭上へ抜けたところで、再びその体が網にぶつかる。
「かかったな」
その鋼鉄の鳥人をあらゆる方位、角度からの映像で見て一矢はササメの内で口の端をつり上げる。
すでに生きた炎とその器の周囲はササメの糸で取り囲んでいる。
いくら優れた飛翔能力を得ていようと、狭く限定された空間ではその能力をフルに発揮することはできない。
加えて生き物や土、建造物を捕食、潜伏する戦法も空中では取ることはできない。
これで敵の強みはほぼ確実に封印。一矢の狙い通りの形になる。
「おぉおおお!!」
一矢と重ねてササメが叫び、それに伴いオゾンの吐息を吐き出し糸の上を走る。
突撃の勢いを乗せて繰り出す螺旋の拳。だが火の鳥も黙ってはおらず、迎撃の足を突き出す。
交差する拳と蹴り。
ササメの拳は鋼鉄の嘴を打ち上げる。が、同時に炎を帯びた爪が糸をより固めた胴を右胸から左脇腹まで切り裂く。
「ぐ!」
ササメと重なって生まれた傷の痛み。それに一矢は顔を歪めながら歯を食い縛る。
「うぅうおぁ!!」
そして苦痛にチカつく視界の中、唸るように吠えて左の拳で鋼鉄の鳥の胴を打つ。だが苦し紛れに放たれたバルカンがササメの表皮を切り裂く。
「う、ぐ……! これ以上……」
全身のそこかしこを刺す痛みに一矢のかみしめた口からうめき声が漏れる。
確かに一矢は敵の強みを奪い、逃げ場を封じることに成功した。
だがその一方で、包囲網を作るためにササメの装甲外殻のほとんどを犠牲にしていた。
身を守るものをかなぐり捨てた今のササメと一矢にとって、ほんの僅かなミスが致命傷となりうる。
しかし命の危険を背負ってでも、一矢は律や身近な人々をこれ以上生きた炎の犠牲にさせるつもりはなかった。
「お前なんかにぃいいいいッ!!」
放たれる銃弾。そして繰り出される炎をまとう爪。
だが一矢はそれに構わず前進。首を狙う凶刃の内側へ踏み込み、ササメの額を生きた炎を宿した鉄の鳥へ叩きつける。
寄り代を構築する金属塊を擦り鳴らす火の鳥。そのボディへ叩き込んだヘッドバットの勢いのまま、ササメの髪を鉄のボディに絡ませる。
「ゥウオララララララアァアッ!!」
頭から完全に密着。その状態でササメの腰を回転。左右の拳を交互に叩き込む。
腰ごと拳を引くに合わせて腕を捩じり、回転に合わせて腕にためた力を解放。
二発、三発と拳を打ちこむ度に、鳥人を構成する鋼鉄がひしゃげ砕ける。
四発目には左の翼が根元から折れ、右腕の肘から先が脱落する。
「このまま押し込んで!」
目に見えるダメージの蓄積。それに一矢は決定的な一押しを加えようと、右拳を弓引くように大きく溜める。
だがその刹那、左脇腹に重く、鋭いものが突き刺さる。
「ご、ふッ!?」
その痛みに視線を回せば、ササメの左脇腹に鋼鉄の膝蹴りが文字通り突き刺さっていた。
「こ、んなものがぁあ……!」
膝に作られた鋼鉄の杭。身の内に埋まったそれを堪えて、一矢はササメの右腕に込めた必殺の一撃を解き放とうとする。
だがササメの体を穿つ杭から生きた炎が噴出。内側からササメの巨体を侵食し始める。
「が!? ぐぅぁああああああッ!?」
身の内を掻きまわす激痛。それに目を白黒させながら一矢はササメと共にもだえ苦しむ。
その隙に生きた炎が器から炎を吹き出し、体を縛るササメの髪を焼き切る。
「しまっ……ぐぅあ!?」
立て続けの体当たり。それに一矢とササメは踏ん張りきれずによたつく。そしてその隙に火の鳥の蹴りが風穴の空いたササメの脇腹を叩く。
「ぐ、ふ!?」
ササメの内でうめく一矢。そこへさらに左脚の蹴りが胸を打つ。
素体を作る金属を軋ませながら、長い首をひねり覗きこむ火の鳥。
勝利を確信した上で嬲るようなその仕草。
それを一矢はササメ越しに見て、口の端を釣り上げる。
「はっ……ははっ……」
そのかすかな笑いと共に口から零れる血の滴。
そして次の瞬間、青く色づいた視界の中であたりを包む糸が凝縮。生きた炎が器とする鉄の塊が視界を埋め尽くす。
密着状態の中で身じろぎする生きた炎とその器。
その一方でササメは肉体とその外にある糸の組成を組み替え、敵だけをがんじがらめにして抱える。
海の上に自由落下する間、鉄の体を軋ませる生きた炎。それをさらに糸が次から次へと包み込み、分厚い繭の中に封じていく。
その繭玉を両手に掲げて、ササメは水柱を上げて着水。
跳ね上がった水が雨のように注ぐ中、軋みながら蠢きながら、火を宿した鉄の塊は繭の内側でどんどんと縮んでいく。やがてそれはササメの手の中に収まるまでに圧縮。もがくように震えるそれを、ササメは両手の間にかけた幾本もの糸の橋で支える。
そして甲高い破砕音が響いた瞬間、凝縮された繭玉が一抱え程にまで膨張する。
「ぬ、ぐ、うう!」
だが膨れ上がったそれを一矢はササメと共に腕の中に封じ込めて、逃がすことなく閉じ込めきる。
「はぁ……はぁ……敵はとったぞ、宏明……」
その最後のあがきらしい爆発を封じきって、一矢は押し込めていた息を吐き出しながら炎もどきに食われた友を悼む。
「だが、これで……」
そして一層深い息を吐きながら、ササメと共に青い空を見上げる。
だがその空には太陽の他にもう一つ、赤く輝く光が小さく、しかし確かに灯っていた。