破れ敗れて
「あぐ、あ、あぁあああッ!?」
右腕を襲う痛みにもだえ叫ぶ一矢。
それに同調したササメは膝をついて腕を振り回し、焼け焦げた地面に叩きつける。
繰り返し、繰り返し、地鳴りを響かせて火を消そうとするササメ。
だがその努力を嘲笑うかのように、火勢は止まるどころかますます勢いづいてササメと一矢を侵略する。
このままではササメも、その中に乗り込む一矢と律も生きた炎に貪り食われるしかない。
「ササメ! すまんッ!」
危機を察した一矢は繋がったパートナーに詫びて、薄刃のように変化させた左腕で右腕を肩から切断。侵食された部位を切り捨てさせる。
「あ、ぐぅッ!?」
瞬間、一矢の肩から弾ける激痛。
繋がっているが故の共有感覚。
痛覚をはじめとして、腕が肩から消え失せたかのような喪失感。そして確かに存在して動きもする一矢自身の腕。
矛盾する感覚と脳髄を焼くような痛みが一矢を苛む。
顔面を脂汗に濡らし苦痛を噛み殺しながら、一矢はササメの目を通して切り捨てた腕が炎に包まれるのを見る。
「……ッ! 分解しろササメ! 逃げるぞッ!」
ササメの眼前に伸び迫る炎。それを見据えながら撤退を叫ぶ一矢。
直後、ササメとの視覚のリンクが断たれ、一矢の目は瞬時に空に溶ける糸を見る。
寄り集まった糸の支えを失い、空へ投げ出される一矢と律。
「お、落ちるッ!?」
そしてはるか下に見える地面を見て律が叫び、一矢を抱きしめる。
だが落下する二人に糸束が巻きつき引っ張り、迫る炎から引き離す。
「く!?」
「きゃ!?」
グンと引かれ、釣り上げられるかのように空を真っ直ぐに走らされる二人。
そんな空飛ぶ一矢と律の視線の先で、なぜか炎は追撃の手を引き戻す。
揺らぎ歪む球体となった火炎はそのまま地面へ落下。着地と同時に根を張るように炎を伸ばし、土や瓦礫を手当たり次第に取り込み始める。
町を貪る生きた炎。
それをめがけて空気を引き裂き迫る鋼鉄の鳥。
近隣の自衛隊基地から発進したらしいその戦闘機は、地面にうごめく炎塊へミサイルを発射。侵略を行う怪物への抗戦を開始する。
だがミサイルをのみ込んだ火炎もどきは、鎌首をもたげた蛇のごとく燃える触腕を伸ばし、上に飛び交う翼を追いまわす。
宙を飛びながらその様を眺めていた一矢と律。そんな二人を不意に柔らかなものが包み込む。
「わ、ぷ!?」
受け止めてくれた綿のようなものに深く沈み込む二人。柔らかなそのクッションは空を飛んだ二人の勢いを吸収。そっと地面へと届けて空に解ける。
見えないほどに細かくなって消える綿。
その中心から姿を見せた一矢と律は、周囲を見回して現在地を確認する。
「ココ、ウチのすぐ近くね」
「イメージ通りだ。やるな、ササメ……」
そう言って立ち上がろうとする一矢。
「ぐッ!?」
「一矢!? 血がッ!」
だが右肩から走った激痛に、一矢がその場に膝をつく。そして腕を伝い滴る血を見て、律が慌てて手を伸ばす。
真っ赤に染まった服の襟を開け、一矢の右肩を引き出す。
露になった血染めの肩は、まるで鋭利な刃物で斬られたかのように裂けている。
「じっとしてて!」
律は言いながらハンカチを取り出すと、それを一矢の傷口に押し当てる。
それに続いて、律の目の前に空中から細長く白い布が現れる。
「これって……」
さあ使えとばかりに出てきた包帯。不意に現れたそれを手に、律は辺りを見回す。
「ササメから、使ってくれ、だと」
一矢の頭に浮かんだイメージ。それを意訳して戸惑う律に伝える。
その差出人の名前に、律はわずかに眉を寄せる。
だが律はすぐさま逡巡を振り切って、ササメのよこした包帯を止血のために押し当てたハンカチの上から一矢の肩に巻き始める。
「でも、どうして? こんな傷が……乗ってた場所には攻撃なんて来なかったのに」
即席包帯による傷の止血と固定を続けながら疑問の声を出す律。
それに一矢は、治療を続ける律の手元を見ながら口を開く。
「おれとササメは感覚を共有してるからな。催眠術で出来ないはずの傷や火傷が出来るとか……そんな感じの傷だろ」
「そんな!? それじゃあほとんど一矢のままで直接ぶつかってるようなものじゃない!?」
一矢の告げた理由に、律の包帯を巻く手が止まる。そんな衝撃を受けている恋人に、一矢は首を横に振る。
「いや……ホントに全部の傷が伝わってきたならこんなもんじゃすまなかった」
そしてため息をついてうつむく。
「おれの戦い方がまずかったばかりに、ササメには余計なダメージを負わせて、お前にはずいぶん怖い思いをさせちまった……」
戦ったことのある相手に対して逃げるしかなかった粗末な戦いぶりを思い出して肩を落とす一矢。
終始敵には上や裏を行かれ、反撃を試みても逆にひっくり返され続けた。
あの生ける炎は、体の自在さだけでなく知能面においてもササメの補助を受けた一矢の上を行く。
最初に隕石をベースにした虫を撃破できたのは、まぐれにすぎないのだろう。
「そんな、そんなことない! だって一矢が戦ってくれなかったら、わたし昨日だって無事じゃなかったし、今日もきっと生きてられなかった!」
律は必死に首を横に振り、気落ちした一矢の言葉を否定する。
「……律」
その愛しい女の言葉に、一矢は顔を上げる。
瞬間、遠くに響く爆音。
空気が波打つそれに、一矢は殴られたかのように顔を向ける。
立ち上る火炎。そして黒い煙。
それを見て一矢は、まだ近くで戦闘が行われていること、守るべきものを抱えていることを思い出す。
「とにかく、ここを離れるぞ。まずは律の家に行こう」
そうして一矢は今やるべき事に頭を切り替え、律へ声をかける。
「う、うん!」
すると爆音に半ば呆けていた律は、頷いて止まっていた手当てを再開。あと一息を手早く仕上げる。
肩に巻かれた包帯は、プロフェッショナルの手によるもの、と言うにはひどく拙いものであった。が、応急のものとしては止血も固定もできた充分なものだ。
一矢は手当てされたそれを緋に染まった服にしまって首を縦に振る。
「ありがとう。じゃあ急ぐか」
「うん!」
促しながら立ち上がった一矢に律が続く。
傷に響くために、小走りが精一杯の一矢。それを律が脇から支えるようにして、二人は藤井家への道を急ぐ。
目的地までは100メートルと離れていないはず。
だがその行程を進む間、度々遠雷のような爆音が二人の背を叩き、馬の尻に鞭を入れるように急がせる。
それでも体は爪先から鉛が詰まったように重く、思うように進まない。
追いたてられる焦りの中で、一矢は短いはずの道がまるで自ら延びているかのような錯覚さえ覚えた。
ふと傍らの律へ目をやれば、彼女も同じく焦燥感に顔を歪めている。
そんな短くも永い道を、二人はどうにか目的地まで踏破。
「藤井」と表札のかかった郵便受けを通りすぎて、玄関のドアに律が手をかける。
「お母さん! いる!?」
「美由紀さん!」
ドアを押し開けながら、二人は家の奥へ呼びかける。
「律にカズくん? よかった無事だったのね」
するとどこか間延びした声と共に、長い髪を首後ろにまとめた女性が廊下の奥から出てきて二人を迎える。
「さっきから何度も揺れるし爆発みたいな音はするしで心配してたのよ?」
律の母、美由紀はそう言うが、その割には声に緊迫感は無い。
年頃の娘がいるとは思えないほどの若くおっとりとした風貌も、軽く眉尻が下がった程度。
その様にはまるで、望ましくない天気予報を聞いた程度の困惑しか感じられなかった。
「あら? どうしたのカズくん、その血!?」
だが一矢の肩を染める赤を見た途端。美由紀の顔色が変わる。
「ケガしてるの!? 手当てを……それよりも病院、救急車かしら!?」
まるで我が子の事のように慌てうろたえる美由紀。
「いいです、それはいいんですよ美由紀さん! 手当ては律にしてもらいましたから!」
スマートフォンを取りだした律の母を、一矢は慌てて止める。
「あ……そ、そうなの?」
「はい、この通り。だから大丈夫です」
そう言って包帯を巻いた肩を見せると、美由紀は安堵の息をついて手に持った携帯電話をポケットに戻す。
「それより、近くで化け物が暴れてるんです。早く避難しましょう」
続いて一矢も右肩をしまいながら、危険を告げて逃げるように促す。
「あら、そうだったの? そうね、じゃあ避難しましょうか」
「お母さん……冗談で言ってるんじゃないんだからもうちょっと危機感を……」
落ち着きすぎなくらい落ち着いてしまった母に、頭を抱える律。
だが美由紀はやんわりと微笑みを返す。
「焦るのはだめよ律。焦って混乱したら大切なものを落っことすわよ?」
美由紀はそこで一度言葉を切ると、思い出したように一矢へ顔を向ける。
「ところでカズくん、弟くんは大丈夫なの?」
「はい。涼にはこれから連絡して、合流するつもりです」
その問いに一矢が頷いて予定している行動を告げる。
すると美由紀は微笑みのまま頷く。
「そう。じゃあ車を出すわね。二人とも乗って待っててちょうだい」
そして車のカギや簡単な荷物を用意しようとする美由紀。
「待ってください。車は使わない方がいいです」
だがその行動を一矢が間髪いれず制止。
「あら? どうして?」
「車で逃げる人で道がふさがることがあります。途中で乗り捨てることにもなりかねませんから、歩きで行きましょう」
「そうよ。防災の話で前言ってたじゃない」
不思議そうに首を傾げる美由紀に、一矢が理由を説明。それに追随して律があきれ半分に指摘する。
「あらあら、私ったらうっかり。ごめんなさいね、じゃあ急ぎましょうか」
娘のため息まじりの言葉にもムッとした様子すら見せず、美由紀は家の奥に戻る。
そして必要最低限の手荷物を入れたらしいバッグと、救急箱を提げて玄関に戻ってくる。
「おまたせ。それじゃあ行きましょうか」
美由紀はそう言ってスリッパから靴へはきかえる。律はそんな母の手にある救急箱を指さす。
「ねえお母さん? なんで救急箱まで?」
すると美由紀は娘の問いに、柔らかな笑みを返す。
「だってカズくんの包帯を替えたり消毒し直したりできた方がいいでしょ? 未来の義息子は大事にしたいもの」
「む……!? お、お母さん!?」
あからさまに二人の仲に突っ込んだ言葉に、律は顔を真っ赤にして抗議の声を上げる。
対する美由紀は、娘の反応にまるで意味がわからないと言わんばかりに首を傾げる。そしてそんな歳不相応ながら妙に似合った仕草のまま、一矢に目を向ける。
どこかおかしいところがあったかしら?
そうありありと語る一組の瞳。
それに一矢は気恥ずかしさを感じながらも、首を縦に振る。
「あ、ありがとうございます、美由紀さん」
「ちょ……一矢!?」
すると美由紀はうろたえる娘をよそに、笑みを深めて頷き返す。
「落ち着いたらカズくんのケガ、包帯を替えないといけないわね」
のんびりとした調子で言いながら、二人に先立って外に出る美由紀。
「もう、お母さんったら……」
それを追いかける形で、律が尖らせた口の中で文句をこねつつ続く。
一矢は律と共に前進しながら、母娘の様子を微笑ましく思う。
「あらあら。あれじゃあ大騒ぎになるはずよね」
離れた場所で立ち上る火柱。天を焦がさんばかりに伸びた極太のそれを眺めて、美由紀が感嘆の声を上げる。
「のんきな事言ってないで早く!」
「それもそうね。ごめんなさい」
早く避難をと促す律と、おっとりとした調子を崩さない美由紀。
そんな二人を伴って、一矢は火柱の化け物から離れながら自宅を目指す。
振り返り見れば、高々と伸びる紅蓮は撃ちこまれる弾丸、ミサイルのことごとくを燃やし食う。
その度に炎は大きく、まるでよく乾いた薪をくべられたかのように勢いを増して天を焦がす。
自衛隊の攻撃を、己の力として吸収し続ける生きた炎。今はまだ、ひと所に留まって補給を行っているが、この勢いならばさらに力を増して活動を再開するのは時間の問題だろう。
「……俺たちに、倒せるのか?」
一矢の口から無意識に零れる呟き。
だが、あの生ける炎にわずかにでも抵抗できる可能性があるのはササメだけ。
そしてササメと一矢が敗れれば、貪欲な炎もどきは間違いなく一矢の愛するものもろともに、町を食らい尽くす。
その後に地球まで貪り尽くされるか、首の皮一枚で辛うじて生き残れるかになるだろう。だがそうなった時には一矢はもう負けてこの世にいないだろうし、第一世界や人類の存亡など、一矢にとっては大きすぎて手に余る話だ。
しかし支えられないほど大きすぎるものはともかく、大切なものを守るためには、あの恐ろしく強大な敵を確実に倒さなくてはならない。
出来るか出来ないか、ではない。やるしかない。
「どうしたの? 一矢?」
「いや、悪い。急ごう」
恐怖に沈みかけた心をつなぎとめる愛しい人。それに答えて、一矢は止めていた足を再び動かす。