遭遇
まだ日も高い昼過ぎ。ほぼ真上からの陽光に照らされる町を一矢と律が歩いている。
互いに手をつなぐ、と言うよりは律が一矢の左腕を抱きしめて密着している形である。
だが恋人の腕を抱きながらも、律の目は一矢の顔ではなく周囲に向けられている。
まるで隠れ潜んだ恋敵を寄せ付けまいとするように。
一矢はそんな律の姿に苦笑混じりに額をかく。
「なあ、歩きにくくないか?」
「全然」
家を出てから何度めかの問いかけ。そしてそれに対するお決まりのとりつく島もない声。
見えないものを警戒し続ける恋人のやりたいようにさせて、一矢は足を止めずに道を進む。
律を藤井家に送って行こうと出てからこっち、ずっとこの調子で二人は歩いていた。
原因は二人を危険に巻き込んで、なおも一矢の近くに隠れているササメのことだ。
目に見えないほど細かくなっているササメに奪われまいとするかのように、律は一矢の腕を抱き締め続けていた。
一矢としては正直、左腕を包む愛しい女の柔らかな感触や石鹸混じりの香りは照れ臭さもあるが嬉しかった。それにこうして放すまいと求められるのも悪い気はしない。
ただ、日も高いうちから街中で、という状況では気恥ずかしさが強すぎて素直に楽しめなかった。
「おろ? カズじゃんか。彼女とべったりくっついて自慢かコノヤローが?」
案の定。ヘラヘラと囃し立てながら近づいてくる声が一つ。
それに一矢が目をやると、そこには自転車にまたがった少年が一人いた。
ニヤニヤ笑いのまま自転車のペースを落としてブレーキをかけたのは、同じクラスに通う吉野宏明。一矢にとっては小学生の頃からの友人であった。
「別に自慢なんかしちゃいない」
言葉短く腐れ縁の悪友に返す一矢。
「照れるな照れるなってこの野郎。こんな見せつけるみたいに手つないでよ」
それに宏明は冷やかすような笑みを深めて一矢から律へ視線を移す。
だがその瞬間。宏明のにやけ面が強張り固まる。そしてすぐに一矢に顔を寄せる。
「な、なあ……どうしたんだよ? ケンカでもしたのかお前ら? 藤井のヤツメチャクチャ不機嫌じゃね?」
「別に。不機嫌でもないし、一矢とケンカなんてしてない」
しかし一矢と律が密着した状態で内緒話など意味はない。筒抜けの質問に律が周囲を睨んだまま答える。
それに宏明は目を左右に往復させると、一矢に近づけた体を離す。
「……カズ、お前浮気でもしたのかよ?」
「んなわけないだろ」
宏明の問いに続いてさらに強く抱き込まれた左腕。一矢はそれを感じながらため息と共に友人の質問を否定する。
だが宏明は釈然としないと言わんばかりに眉根を寄せて見せる。
「じゃあどう説明すんだよコレ」
宏明からの重ねての問いかけ。
それに一矢は額をかきながら、視線を軽く泳がせる。
真正直に詳しい事情を話して巻き込むのも気が引けて、返すべき言葉を探し選ぶ。
「……昨日拾いモノをしたんだが、そのことでちょっと、な」
そうしてどうにかあたりさわりなく組み立てた言葉で場を濁す。
「拾いものだぁ~あ?」
一矢の説明になってない説明に首をひねる宏明。
だが不意に何かに思い当ったように顔を上げる。
「まさかカズお前! 空から降ってきた美少女を拾うちょっとメンドイけどうらやまけしからんボーイ・ミーツ・ガールをッ!? その上に恋人との板挟みなんてそれなんてギャルゲッ!? ちくしょう弾けて混ざれ!!」
「んなコトありえるかッ!? 妄想も大概にしろ!」
一矢は想像力たくましい宏明の妄想を真っ向から切り捨てる。
しかし妄想のフリーダムさゆえに侮れない部分もある。実際宏明の妄言は堕ちてきたのがより糸の巨人であったことを除けば概ね当たっていた。
「はっはは! だよなぁ。隕石騒ぎあったからってそんなマンガみてえなことあるわけねえしな」
一矢は内心ではニアピンものの妄想に冷や汗を流しながらも、明るく笑い飛ばす友人の反応に軽く鼻を鳴らす。
「また古いマンガでも読んでたのか?」
「あ、ばれた? いやたまたま目について読んじまったら止まんなくてさ。たとえ使い古しといわれても、お約束って良いモンだと思う!」
軽く言いながらサムズアップして見せる宏明。
どうにかごまかせたらしいその様子に、一矢はかすかに安堵の息を吐く。
「そうそう落ちてきたって言やあ、知ってるか? 行方不明騒ぎ」
そこで宏明が思い出したように話を振る。
知っているも何も、その行方不明事件はすでに朝から隕石騒ぎと並行してニュースとして流れている。
昨日の夜から隕石の落ちたあたりで何十人もの行方不明者が出ているという話だ。
捜索の甲斐なく誰ひとり見つかっておらず、しかもその失踪者の中には警官が数人混じっているという。
一矢はもともとそれを危険に思って、遅くならないうちに律を家に送っているのだ。
宏明の振ってきた物騒な話題に一矢も緩みかけた顔を引き締めてうなづく。
「ああ。だから送ってるんだ。律に何かあったらたまらないからな」
「一矢……」
そう言って左手に収まった律の手をしっかりと握る。すると律は一矢の腕を抱く腕に力を込めて抱き返す。
「……ったく、独り身相手に容赦なく見せつけてくれるじゃないかよ」
それを見て宏明は苦笑を浮かべると、自転車のハンドルを握りなおす。
「ほんじゃお邪魔虫は退散しようかね。探し物もあるからよ」
そう言って宏明はペダルを踏み込み発進。
車輪の前進にしたがって離れ始める友人の背中。一矢はそれを目で追いながら声を投げかける。
「手伝うか?」
だがその提案に、宏明は振り返らずに上げた左手をあおがせる。
「いいっていいって。それよりかわいい彼女をちゃんと送れよ」
そんな笑い声混じりに離れてく宏明。
加速する自転車に乗るその背中を見送りながら、一矢は額をかきながら嘆息する。
そして左手に密着した恋人に目をやるものの、気恥ずかしさからすぐに正面へ目を向ける。
「……じゃ、おれ達も行くか」
「うん」
律がうなづくのに続いて、二人は止めていた足を目的地に向けて動かし始める。進む二人は変わらずの密着体勢ではあったが、それまで思い人を放すまいとしていた律の腕は、柔らかく包むように変わっていた。
どうにか律が気を収めたことでいつも通りに落ち着いて並び歩く二人。
隕石や行方不明事件などのせいか車も人もほとんど通らず、ひどく静かな町。
妙に大きな風鳴りに乗って流れる大気。それに律が流れる髪を抑えて、遠く広がる海を見やる。
「なんか、静かすぎていつもと全然違うね」
「そうだな。やっぱ、あれだけのことが起こればな……」
波立つ水面を眺めながら頷く一矢。
昨日はあの人間さえ支えてしまえるほど水を蹴り割りながら、ササメと共に怪物と戦ったのだ。
静かすぎることが一矢にかえってあの戦いを強く思い出させてしまう。
甦る焼かれるような痛みと、心を塗りつぶすような恐怖。
それに一矢の体は凍ったように強張り、震える。
「一矢……」
だがそれを、左腕からの温もりが融かしほぐす。
「……大丈夫。ありがとう」
心配そうに見上げる恋人へ、一矢は心配をかけまいと頷いて見せる。
だが律はそれが強がりだと見抜いているように、労わりの目を向け続ける。
「本当に? 大丈夫なの?」
「ああ。平気だ。今更ながら昨日の戦いにビビっちまっただけだからな」
一矢がそう軽く笑みを浮かべて返すと、律もまだぎこちなくではあるが首を縦に振る。
「本当に平気だから。だからあんまり暗くならないでくれよ。な?」
「う、うん……」
そうして二人は揃って、再び止まってしまっていた足を踏み出す。
だがそこで、不意に一矢の肌が鋭い殺意を捉える。
突き刺すようなそれに一矢の視線が走る。
そしてそれはある一点を捉えて止まる。
「……誰だ?」
そこに居たのは一人の男だ。薄汚れて崩れた背広を羽織ったサラリーマン風の男は一矢と律の姿を見て笑う。
「な、なんなの!?」
口の端が裂けんばかりの笑み。獲物に牙剥く猛獣にも似たそれに律が怯む。
律を不気味な男から隠すようにしながら一歩下がる一矢。
だがその退路を塞ぐように背中に足音がぶつかる。
それに一矢と律が振り返ると、背後にも同じように口の端を釣り上げた女がいた。
さらに続いてあたりの物陰から二人を取り囲むようにいくつもの人影が現れる。
逃げ道をふさぐそれらは一様に、例外なく飢餓の満たされることを期待するような笑みを浮かべている。
「……こいつら……」
全方位からぶつけられる異様な殺気。
餓狼の群れに囲まれたかのような錯覚に怯みながらも、一矢は恋人を背後に隠して身構える。
ジリジリと近づく獰猛な笑み。一矢はその中にちらつく赤い光を見つける。
「まさか!?」
一矢が戦慄のままに叫ぶと同時。二人を取り囲む人間たちの目と口から炎が噴き出る。
「ヴァアアアアアアッ!!」
哄笑する悪魔を思わせる形に広がる炎。
それを顔に張り付けた人々はまるでけだものの様に腕を振り上げて二人へ躍りかかる。
しかしその瞬間。一矢と律を守るようにネットが瞬時に編み上がる。
「ガッ!?」
「ヴゥウ!」
「ササメか!?」
襲撃者を食い止めた網を見て、助けてくれたものの名を呼ぶ一矢。
「ウゥウウウウッ!!」
「グゥ! ヴウウウウウウッ!!」
だがササメの網に阻まれてもなお、炎を灯した人々は唸り声を上げて網を食い破ろうと燃える口で食らいつく。
「や、やばいぞ」
しかし網が破られる前に一矢と律の体を糸が絡め取り、釣り上げるように空へいざなう。
「きゃああッ!?」
「なぁッ! おいササメ!?」
網に食いついた襲撃者を真下に飛び越えながら悲鳴交じりに叫ぶ二人。
糸に引かれるままに空を横切り、道路へ落ちていく二人。
だが放物線を描く二人の体を、またも瞬時に編み上がったネットが柔らかく受け止める。
「う、おぉ!?」
「ひゃ!?」
二人の重みに深くたわみ、勢いを充分に勢いを殺すネット。
するとササメの網は反発が起こる前に破けるようにほどけて空に解ける。
そこから投げだされた一矢と律は舗装された地面を転がる。
「あう!?」
「うぐ!」
律を腕の中に庇いながら二度、三度と一矢は横転。回転の制止に続いて急いで身を起こせば、すでに網を食い破った燃える人々が二人をロック。四肢で地面を弾きながら迫っていた。
「ササメぇえ!」
自分達を獲物として照準を合わせて迫るモノたち。その人の皮を被った何者かに一矢はとっさに右手を突き出し叫んだ。
それに従って、まるで一矢の突き出した腕を拡大したかのような糸の塊が出現。襲撃者の群れを真っ向から押し返す。
まるでダンプカーの突進を受けたかのように空をきりもみ舞う燃えた人々。
だがはね上がったそれらをそれぞれの体から伸びた炎が繋ぐ。
まるで星座を結ぶ線のように空を走ったそれは、浮かんだいくつもの人体を基点として何らかの輪郭を描いて広がっていく。
徐々に巨大化するそれに対抗するように、巨大な腕もその肩から首へと一矢達を包むように自身を編み上げ、形作る。
「か、一矢……」
「心配するな、大丈夫だ」
周囲を取り囲む膨大な糸。それに不安の声を上げる律を落ち着かせようと一矢は声をかける。
だがその一方で、一矢は内心自分の怯えを表に出さないようにするので精一杯だった。細く、長い息を繰り返して、胸の内を沈めようと湧く戦いの痛みと恐怖をかき出す。
むき出しの殺意と身の芯まで食い込む痛み。それらにまた正面からさらされながら戦えるのか。
そんな考えが一矢の胸中にいくらでも浮かび上がる。
「一矢! 一矢の体が!?」
尽きぬ不安の中で不意に上がる律の声。
それに一矢が目を落とせば、ササメの糸に巻かれて壁と一体化しつつある自身の体が目に入る。
「昨日もこうだった。心配いらない。それよりおれに掴まれ」
壁から上半身だけがはみ出した状態で、一矢は首に掴まるようにしめす。
「う、うん……」
律はそれに戸惑いながらも頷き、おずおずと一矢の首に腕を回して抱きつく。
首と肩にかかる恋人の温もりと重み。
律のそれが思い出させる一人ではないという実感と責任が一矢の心に軸を通す。
また一方で全身を包む温かな糸。その存在が恐怖に強張る一矢の体をほぐし、支える。
内と外、双方の柱に支えられながら一矢は深く息を吸い込み、吐く。
空気に混じる愛しい人の香りが、また守るべき存在を一矢の心に刻みつける。
そのうちにいつの間にか、一矢の心身を捕え縛っていた怯えが、恐怖が心の奥底に沈んで姿を消す。
開いた一矢の目が見たのは球形の空間の壁面を前方へ走る光。
続いてその視界がササメのものと同調。高く、巨大なものの視点で町を見下ろす形になる。
だが正面には巨体のものとなった感覚でも、対等のサイズであると認識できる人型の炎が仁王立ちに対峙していた。




