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それは空からやってきた

 「それ」は焦っていた。

 長く旅を共にした祖を同じくする仲間たちはすでに亡い。

 おぞましいものとの遭遇。予期せぬ敵の出現に、「それ」は仲間たちと共に狩り立てられる上に羊の如く逃げた。

 逃避の中で一人、また一人と数を減らす仲間たち。

 このエリアにまで共に逃げ込んだ最後の仲間も、輪を持つ星の近くで別れることになってしまった。

 敵に捕らわれた自分を犠牲にして逃がすために。

 そうして犠牲になった仲間のためにみすみす死ぬわけにもいかず、遠く小さく輝く瞬きだけを頼りに、「それ」は果ての無い闇の中を孤独に進んでいた。

 そんなただ一人の逃避行の中「それ」は前方に柔らかく青い光を見つける。

 不思議と温もりを与えてくれる輝き。その確かな光に吸い寄せられるように、「それ」は闇を進む勢いを早める。

 だがそんな安堵の思いを嘲笑うかのように、真後ろからおぞましい赤の輝きが迫っていた。



 豆腐にワカメ、短冊状の大根の泳ぐ鍋。

 火にかかってほのかに湯気を立てるそれに、こし網に入った味噌が沈む。

 その上から菜箸を突っ込み、ほぐすように溶く。すると鍋の中にゆるゆると淡い褐色が広がる。

 台所に立った弦巻一矢は目の前の味噌汁をなめる程度にすくい、小皿にとって味を見る。

 納得の出来に、そのむっつりとした顔がわずかに緩む。

 やや引き締まりすぎで愛想は足りない、が実直そうな顔立ちの少年である。

 その中背の身を包む衣服は、上着のない軽装の学生服の上にエプロン。やや伸びすぎの髪は首後ろでくくって小さな房にまとめてある。

 一矢は鍋をあぶる火を止めると、三つの椀にできたての味噌汁をよそう。

 続けて茶碗三つに炊飯器から白飯を盛り付ける。

 計六つの椀を乗せた盆を持ってダイニングへ。

 すると父の直隆がすでに朝刊を読んで席についていた。

「ほい、父さん」

「ン、おお」

 朝刊をたたんだ直隆。その前に、先に盛り付けた鶏の塩焼きとほうれん草のおひたしに添えて飯と味噌汁を並べる。

「おはよー……」

 するとそこへ寝ぼけ眼を擦りながら、弟の涼がランドセルを片手に現れる。

「ああ、おはよう涼」

「おはよう、ほら朝飯出来てるぞ」

「む~……」

 眠たげに頷いて席に着く末子。その様子に一矢と直隆は揃って失笑。

 その笑みのまま一矢もエプロンを外して自分の席に座る。

「ほら。しゃんと起きて食べろ」

「うぃ~……いただきます」

「いただきます」

 重たげなまぶたに苦心する涼に続いて、直隆も箸を取る。そんな父と弟に頷いて、一矢も手を合わせる。

 これが父子三人、弦巻一家のいつも変わらぬ朝の景色だった。

 七年前に母を亡くした一家にとって、家事のほとんどは長子である一矢の仕事だ。

 母が事故で亡くなった当時。一矢は今の涼と同じ小学四年生であった。

 だが気落ちする直隆と、母のいない朝に泣く幼い涼の支えになろうと、一矢は必死で家族の中に開いた大穴を埋めるべく働いた。

 誰かが誰かの代替に本当の意味でなることはできない。

 幼い一矢が家事仕事にのめり込んだのは、あるいは幼い心なりに自分の中の喪失感を誤魔化そうとしたものだったのだろう。

 だがそれは間違いなく今の一矢と、弦巻父子三人の日常を支える力になっていた。

「ごちそうさま。じゃあ、戸締まりは頼むぞ」

 綺麗に平らげた膳を前に、直隆が手を会わせて一礼。そして背広と年季の入った鞄を手に席を立つ。

「ああ、いってらっしゃい。弁当忘れないでくれよ?」

「いってらっしゃぁ~いぃ……」

 父の背に声をかけて送り出す一矢。それにあくび交じりの涼が続く。

「うん。お前たちも気をつけてな」

 直隆は微笑んで息子たちへ片手を振り、ダイニングを後にする。

「ごちそうさまぁ」

 父が出てからすぐに涼も朝食を終えて締めの一言。

 空茶碗に顔を突っ込みそうな弟に、一矢はまた鼻を鳴らして笑う。

「ああ。歯みがきついでにもう一回顔洗ってこいよ」

「うぃ~す」

 まだまだまとわりつく眠気を引きずりながら洗面所に向かう涼。それに一矢は半ば呆れた笑みのまま、空になった食器を重ねて台所に持っていく。

 水を溜めたプラ桶に食器を沈める。そうして帰宅後の洗い物への備えをしておいて、自分用の弁当包みを手に持つ。

 すると玄関の呼び鈴が一矢を呼ぶ。

「お、来たか」

 もうそんな時間かと思いながら、一矢は荷物と詰襟の上着を持って玄関へ向かう。

「ほいほいっと」

 軽く声をだしながらドアノブを捻って押す。

「やっほ。準備できてる?」

 軽やかな挨拶。それと共に現れたのは明るい少女が一人。

 肩甲骨あたりまで流れる髪。ぱっちりと開いた目と、その上に収まった柔らかな弧を描く眉。

 平均よりやや高めの体は、一矢の通う高校のセーラー服に包まれている。

 十人中十人が振り返るようなとんでもない美少女ではない。が、明るく愛嬌のあるこの少女の名は藤井律。一矢とは彼氏彼女の間柄にある。

「ああ。おれはいつでも行けるけど、涼のヤツがな」

 そう言って家の中に目を戻す一矢。

「あは、今朝もいつもの感じ?」

 律も軽く笑いながら一矢の体越しに弦巻家を覗く。 すると家の奥からランドセルを背負った涼が出てくる。

「あ、りっちゃんおはよー」

「おはよ、涼くん」

 二人は互いに片手を上げて挨拶。その間に一矢も手に持っていた上着に袖を通す。

「じゃ、いくか」

 そして玄関に鍵をかけて、涼と律に声をかける。

 その言葉に促されるままに、弦巻兄弟と律が学校への道を進みだす。

 家の前から太陽の方角へ。

 東に伸びる緩やかな下り坂を三人は進む。

 右手の車道をガードレール越しに車が追い越して行く中、律が一矢の顔を左斜め下から見上げる。

「ねえ一矢。今度の休みにはアルバイトないのよね?」

「ああ、今日と日曜と、今週は休みになったな」

 確認する恋人に頷く一矢。

 すると律は顔を笑みにほころばせる。

「よかった。お父さんがこの頃また連れてこいってうるさいの」

 律はそう言って手をヒラヒラと空に泳がせる。

「りっちゃん、兄ちゃんなんかやらかしたの?」

 そこに割り込む涼。不安そうに覗き込んでくるそれを一矢が手で押さえる。

「やらかしたってのはどういう意味だ?」

「イテテ、兄ちゃん重い!?」

 押さえつける兄の手に抗議の声を上げる涼。

 そんな兄弟のじゃれあいに、律は笑って手を横に振る。

「違う違う。この前(ウチ)に挨拶に来てから、お父さんもお母さんも一矢のこと気に入っちゃったの」

「えぇ、ホントに? 兄ちゃんがぁ?」

 だが律の証言にも、涼は疑わしげに兄とその恋人を見る。

 一矢はそんな弟の頭を軽く放るように解放。

 すると涼はよたつきながらも転ばずに踏ん張る。

「すぐこんなコトしていつもムスッとしてる兄ちゃんが、なんでりっちゃんのお父さんたちに気に入られるのさ」

 首後ろを押さえて振り向きながら、恨めしげな目を向ける涼。

 それに律は苦笑交じりに頭を振る。

「子どもの頃から片親の家を支えてきてたってコトと、口数は少ないけど正直なトコが気に入ったんだって」

「ふぅん……」

 その話を聞いても疑わしげな眼を向け続ける涼。だが不意にその口の端を吊り上げる。

「なんでって言えばさ、りっちゃんはどうして兄ちゃんと付き合うことになったのさ? 兄ちゃんはおれが聞いても絶対教えてくれないんだよ」

「う……」

「それは、その……」

 涼のいたずらっぽい顔。それに一矢は弟をにらみ返し、律は唇をぎこちなくもごつかせて眼を泳がせる。そんな二人の顔は揃って赤く内側から染め上げられていた。

 どっちが付き合うきっかけをつくったかという話になると、この二人の場合ははっきりとしない。

 最初は偶然高校で同じクラスにまとまったことで出会い。律が家事とバイトで疲れた様子を見せる一矢を放っておけずに世話を焼いていたという間柄だった。

 そして正式に恋人として付き合うことになったきっかけとなったのが、

「ええっと、ね。たまたま一矢が放課後の教室で居眠りしてたのを、わたしが見つけて。毎日忙しいとか事情も少しは聞いてたし、あんまりぐっすり寝てるから起こすに起こせなくて、それでなんでか……つい見入っちゃってて」

 照れくさそうにしながらも、正直に話し始める律。

「おいおい……」

 それに一矢は視線を顔ごとあさっての方向に向ける。そして赤く、熱く染まった口元を手で覆い隠す。

 照れる一矢をよそに、律は恥ずかしげにうつむきながらも言葉を続ける。

「それで半分寝たような状態で目を覚ました一矢が、わたしの顔じっと見て……好きだ、なんて告白されちゃって……」

「いやちょっと待て! その時好きだのなんだの言ったのはお前からだろ!?」

 恥ずかしがりながらも、嬉しさも添えて思い出語りする律。それに一矢が慌てて異議を割り込ませる。

「そ、そんなことないよ! あの時は間違いなく一矢からだったよ!?」

「いいや違うね! あの時はお前がぼそっと言ってたから釣られて言っちまったんだ!」

「ちょ、恥ずかしいからってわたしにかぶせないでよ!? 一矢寝ぼけてたからきっと聞き違いだよ!」

「そんなわけあるかぁ! 絶対お前の方からだった!」

「一矢からだよ!」

「いーや! 律からだ!」

 水をかけ合うかのごとく言葉を投げかけ合う一矢と律。その勢いのまま、鼻先を付き合わせるほどに顔を近づけて視線をぶつけ合う。

「あーもーイチャついてるならおれ先に行ってるからね!」

 遠くから投げかけられる声。

 それに一矢と律が振り返る。するとすでに小さくなるまで道を先行した涼の姿があった。

「じゃあね、お二人さん! そのまま密着して歩いてけば!?」

「えぇ!?」

「な、に!?」

 涼の言葉に一矢と律は改めて密着寸前の顔を見合わせる。そしてその顔が揃って見る見るうちに羞恥に染まる。

「りょおぉぉぉッ!?」

「りょ、涼くんっ!?」

 ひと際赤くなった顔で声を上げるカップル一組。

 その声に涼はわざとらしく飛び上がってそのまま跳ねるように小学校へと走る。

「まったくあいつは……」

 逃げていく弟のランドセルに一矢はため息交じりに毒づく。

 そんな一矢の手を律がつつく。

 一矢がそれに隣の恋人へ視線を落とすと、照れたように笑いながら右手を出す律と目が合う。

「とりあえず、同時だったってことで、ね?」

 言いながら首を傾げて見せる律。

 そんな恋人の仕草に一矢は後ろ頭をかきむしる。

「……ったく、しょうがねぇな。ほらいくぞ!」

 ぶっきらぼうに返して、律の手をひったくるように取る一矢。

「あ、ちょっと待って! ひっぱらないでよ!」

 そのまま大股に歩きだす一矢に引っ張られて、律が小走りに続く。しかし抗議の声をあげながらも、その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。



 県立津向高校。

 海を見下ろす高い丘にあるこの公立校が一矢と律の通う学校だった。

 一日の授業を終えた一矢と律は、朝来た時とは真逆に校門を出る。

「じゃあねえ、律」

「うん。またね」

 自転車で追い抜いていく女子生徒へ左手を振る律。その逆の手は一矢の腕に絡めて繋がっている。

「ちっくしょぉい! あんまり見せつけんなよ一矢!」

「うるせえ! さっさと帰れ!」

 その一方で、繋いだ手を冷やかしてくる男友達に一矢は怒鳴り声を返す。

「ぶははははははは! 照れんな照れんな!」

 げらげらと笑いながら離れていく男子たち。

「……あぁ、くそ! てめえらに彼女できたら覚えてやがれッ!!」

 その背中に一矢は捨て台詞を吐きかける。続けて荒く鼻息を吐きだすと、律とつないだ手をしっかりと握りなおす。

 そして律に目を向けると、彼女も微笑みを浮かべて重ねた手を握りかえす。

「ねえ一矢?」

「なんだ?」

 律からの呼びかけに一矢は照れに染まった顔のまま問い返す。

「今日はわたしにも家の手伝いさせてよ」

「ああ。頼む」

 恥ずかしさからか言葉短く返す一矢。

 だが恥ずかしがりながらも、たとえどれだけ冷やかされようとも、つないだ手を放そうとはしない。

 そんな一矢の腕を抱くように律はさらに身を寄せる。それに一矢は目をそらしたものの、されるがままに恋人の温もりに触れながら歩き続ける。

 父がいて、弟がいて、そして愛しく思う女がいる。

 大切なものがあるいつもの日々。

 それを過ごす一矢たちの頭上で小さな光がきらめく。

「なんだ?」

「え?」

 重く響く鼓動。

 それにも似た大気の振動に一矢は顔を上げ、それにつられるように律も空を見る。

「まさか!?」

「隕石かッ!?」

 見上げる二人の視線の先には堕ちてくる赤く燃えた塊があった。

 遠目のためはっきりとはしないが、おそらく地上に直撃する時でも校舎程度のサイズを維持しているほどの巨大隕石だ。

「ここに落ちてくる!?」

「逃げるぞッ!!」

 まっすぐにこちらへと迫る巨大な熱の塊。その軌道に一矢は律の手を引いてこの場を離れようと駆け出す。

 だが赤い熱の膜に覆われた隕石は、不意に上空でいびつに広がる。

 楕円形に広がり急制動をかけたそれは、振り払うかのように赤い光をまき散らす。

 そして脱皮するように剥がれた赤から抜け出した白い塊が、津向高から続く坂の終着点をふさぐ。

「きゃッ!?」

「く!?」

 高波のごとく押し寄せる衝撃と粉塵。それに悲鳴を上げる律を一矢は腕の中にかばう。

 殴りつけるような激しい衝撃波。

 粉砕された破片や砂礫が恋人の盾となった背中にいくつも叩きつけられる。

 だが突風程度で済んだそれに、一矢は疑問を抱く。

 あれほど巨大な隕石が直撃したのであれば、車ですらやすやすと吹き飛ばす衝撃波が発生してもおかしくない。

 だが一矢は飛ばされるどころか、この場に踏ん張れてすらいる。

 この奇妙な結果に一矢は恋人を抱えたまま顔を上げる。

「な!?」

「なにこれ!?」

 そして目の前に広がる光景に律とそろって息をのむ。

 下り坂の終わりには、見上げるほどに巨大な白い玉が亀裂の走った道路の上に落ちていた。

 いや、その白い玉はアスファルトに触れてはいない。

 いくつもの糸を周辺に伸ばし、電柱や高い建物に絡めたそれを支えにまるで蛹か繭のようにその場に浮かんでいた。

 その連想のためか、白い玉が光を弾いて蚕の繭のような光沢を放ったように見える。

「なんだ……これ?」

 うめくようにつぶやく一矢。その目の前で、繭玉の一部が裂け、青い光が二つ灯る。

 その光に、一矢は不思議と何者かと目があったように感じた。

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