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一人の王がいた

作者: 神月きのこ

手首の骨に打ち付けられた杭からは、赤黒い血がボタボタと垂れる。

指先から感覚は麻痺していき、痛みも感じなくなっている。

ただ、ひたすらに呼吸が苦しい。

視界は霞み、血の色のフィルターがかかっている。

見えるのは怒りに満ちた民衆の顔。

聞こえるのは罵倒の声。


知らない。

こんなものは知らない。

こんなものを向けられるいわれはない。


だって、私は…。






一人の王がいる。

気高く美しい王だった。

月の光を吸い銀に光る髪、翡翠の瞳は濁りを知らず深かった。

罪人や貧民にも情けを与え、税は平等に取り立てた。

不作の年などには城の穀物庫を国民に開放もした。

王は国民に慕われ、臣下もまた彼に忠誠を誓った。


その王の治世の9年目。

彼の納める地方一帯を歴史的な大洪水が襲った。

当然、作物は皆枯れ、流され、しかも家屋の多くが被害を受けることになる。

「では、そのように取り計らわせていただきます」

「……」

「……王?」

臣下の報告を受け、そして対策を講じる。

だが、退室しようとする臣下に対して返事がない。

訝しむ声に、我に返ったように王は鷹揚に応えた。

臣下が退室するのを見計らって、王は深く溜息をついた。

ここ暫くまともに睡眠も取っていない。

疲労は限界まで来ていた。

「陛下…お体の具合が悪いのでは?」

傍に控えていた側近が、不安そうに王を支える。

「大事無い…今は、民の方が辛かろう」

「ですが…」

「……分かった、少々睡眠をとるとしようか…」

諫める側近の表情に苦笑して、王は休むと伝える。

無駄に心配をかけるわけにはいかない。

少しでも休めば、この心配性な側近も納得するだろう。







一人の王がいる。

彼は美しい王だった。

冷厳な面差しは確かに王者に相応しく思える。

誰も彼に異を唱えることなどできない、そんな威厳を感じさせた。

彼は、残虐非道な王であった。

金持ちを優遇し、貧民は切り捨てた。

過ちを犯したものは誰彼区別なく、死刑に処した。

厳しい税の取立てにいつも国民は貧困に喘いでいた。


「どうか、申し開きをお聞きください! 王!」

「話はもう十分だ。だが、お前は間違えた、そうだろう?」

「どうか、どうかご慈悲を!」

悲痛な叫び声が豪奢な謁見の間に響き渡る。

税の取立てについて諫言した町長が捉えられたのだ。

この国で王に逆らうことは、死を意味するというのに。

彼の勇気と正義感を王は冷たく踏み砕いた。

「牢に入れておけ」

短く言うと、王は席を立ち帰ろうとする。

「陛下、どちらへ…?」

「部屋に戻る。私はもう休むぞ」

「……はい。了解いたしました」

王は振り返らなかった。

だから、彼は知らなかった。

側近や、その他の臣下たちの目に映る不穏な光に。







これは悪夢だ。

彼は思った。

彼は今、暗闇の中にいる。

ただ光を求めて走り続け、掴みかけては離される。

暗闇なのに、人の顔だけはよく見える。

苦しみ、もがき、喘ぐ顔。

見たくないのに、なのに見えてしまう。

目をそらしても瞼に焼き付いて離れない。

見たくない。

見たくないんだ。

だから、笑って欲しいから。

なのに。

どうしても、その苦しむ顔は変わらない。

ならば。



消えてしまえ







そして、視界が開けた。

霞はかかっているが、それでももう闇の中ではない。

なのに。

見えるのは、怒りに満ちた民衆の顔。

悲しみに満ちた顔。

これはまだ悪夢の続きなのだろうか。

覚めない夢は、やはりまだ覚めないままでいるのか。

「あなたは変わってしまわれた…」

後ろから声が聞こえる。

だけれど、体を動かすことはできなくて、後ろを見ることは叶わない。

だけれど、よく知っている声。

ずっと傍にいた。

「どうして…突然、民衆を省みなくなられたのですか」

悲しげで切なく響くのは確かに側近の声。

なのに、言葉には全く覚えがない。

これはあの悪夢の続きか。

「優しく強かったあなたはもういないのですね…」

知らない。

しらない。

私はずっと、夢を見ていた。

民を苦しめている姿を見ていた。

私はただ。

悲しんだり苦しんだりしている顔を見たくなかっただけなのに。



剣が振り下ろされる。

ああ、また暗闇だ。


だけれど、今度は何も見えない。

誰も、苦しんでいない。




やっと、静かに眠れるのか。


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― 新着の感想 ―
[一言] 空白を使うことでストーリーの変わり目がよくわかっていいと思いました。最後の一文は読み手に続きが読みたいという感情がでてくるのでいいとおもいます。
[一言] 陽向です。読ませていただきました。 なかなか読解力の必要な話でして; 王様は同一人物なんですよね? 時が経ったのならば時が経ったのだと、表記してあればまだすんなり読めたかな、とも思います。 …
[一言] 初めまして。 タイトルが気になり、読ませて頂きました。短いながらにも三つの視点内容があり、面白いなと感じました。  王様の冷徹な部分になった頃の話しは(境目)もう少し、読んでみたかったなと感…
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