30:ハイル・イム人形展
ささっとソーマは欲しい物を選んだ。かかった時間は全部合わせて三十分もかかっていない。食料はまだあるので、今日は買わないことにした。けど、途中にあったドーナツ屋さんが気になってるみたい。たぶん帰りに「買え! さあユカリ買え!」とダダをこねるに違いない。絶対に言う、はず。
私たちはクレープ屋の店長さんに教えてもらった人形展にやってきた。
あちこちに「ハイル・イムの世界~九十九の子供たち~」とポスターが貼ってあった。人形は一切写っていない。暗い夜空に雲に隠れた月が描いてあって、けど半分は青々とした草原に並ぶ街並みが描かれたポスターは面白い。
三階の大ホールは、異様な賑わいを見せていた。
出入り口には黒いカーテンが張ってあって、その両脇にバネのようにグルグルと曲がっている見たこともない植物が置いてあり、胡蝶蘭とデンファレが足元を隠している。
大弾幕には流れるような文字で「ハイル・イムの世界~九十九の子供たち~」と
ある。
受付にいたのは金髪の西洋人の女性だった。
「チケットはお持ちですか?」
「……んっ」
ソーマがチケットを女性に渡す。握り締めすぎてチケットの端がぐしゃぐしゃになってしまっていた。
すみません、ちょっとこの子興奮してるんです。私はそう心の中で受付の人に頭を下げた。
「中の照明は必要最低限になっています。足元にお気をつけてください。お子様はまだ小さいようなので、必ず手を繋いで歩いてください。展示は左回りになっています。右回りは他のお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください。
では、ハイル・イムの世界をお楽しみください」
私はソーマに手を引かれて、真っ黒なそこへ飛び込んだ。
「すごい……これ、人形なんだ」
天井からはほんとに必要最低限の照明しかなかった。その天井には薄くすける色とりどりの布がつるされていた。ところどころに何かの動物の形で型抜きがしてある。
通路の幅は、たぶん四メートルくらい。予想以上にゆったりと歩ける。
きっとソーマが騒いでも他のお客さんに迷惑がかかることはないかな、ちょっと安心した。
入ってすぐに、彼女はいた。
「きれい」
人形はとてもきれいだった。
つるりとした白い肌に、光沢のある巻き髪の美少女。やわらかな笑みを顔に浮かべて私たちを歓迎してくれた。なによりも、その大きさがすごい。
「これは…………」
「本物の人間みたいだね……」
洋服は青が基調のエプロンドレス。レースがふんだんに使われてるのに、それが人形の美しさを邪魔していない。胸元には赤いリボンが飾られていて、端にきらきらとした刺繍が細かくされている。エプロンドレスの丈は、膝を隠すくらい。足は白いソックスで、サイドを小さな花飾りが四つ並んでいる。靴は赤いエナメル。ヒールは低い。
人形は、私より少し低い大きさだった。
そう、私たち人間と大きさが同じなのだ。
「すごいよ、これ、すっごい! 人形だけど! 人形じゃないみたい!」
どれも人形たちは同じ表情をしてなかった。
台所で料理をつくるお母さん。
椅子に腰掛けてなにか考え込む老人。
ボールで遊ぶ子供。
洋服もみんな細かく繊細で、西洋人から東洋人まで、その人種も様々だった。
「見て、みんな名前がちゃんとあるよ」
入ってすぐの人形の名前は「NO.0 微笑むわたしのメアリー」とある。
「この子達みんな名前と番号があるんだ。肌は陶器なのかな、それともプラスチックかな。きめが細かくってきれい。あっちの農夫は髭とかもう本物だよ。今にもしゃべりだしそう。
ソーマはどう思う? こんなの見たことないよねー」
私はソーマの手を引いた。
「ソーマ? ちょっと、どうしたの」
ソーマは返事を返さない。
人形一体ずつをじっくりと見つめる。顔は険しい。子供に似合わない深い皺が眉間にくっきりとある。
「ソーマ?」
「ユカリ、この人形展の主催はハイル・イムで間違いないな?」
「うん、そうだよ。ほら、受付でもらったパンフレットにもあるし。最後のページに本人の写真載ってるよ」
「貸せっ」
「ああ、ちょっと!」
ソーマはパンフレットをひったくってその写真を睨むような怖い顔で目をやる。
「ソーマ、どうしたのよ急に」
おそるおそる声をかける。けど、ソーマは返事をしてくれない。
「ソーマ? ねえ、いい加減に――」
「ヤツだ」
ポツリと。ソーマは静かに言った。
「ヤツだ、ははは、まさかこんなところに、こんなところにいるなんて。信じられんぞ、嘘だろ。いや、けど、まさか。おいおい冗談も大概にしろよ」
地を這うような冷たい声色でソーマはつぶやく。そして、ピュンッと駆け足で先へ行ってしまった。
私が声をかける間もなく、ソーマの小さな体は通路の先へ消えてしまった。
「もーなんなのよぉ」
クソガキめぇ! 私置き去りにして先に行くなんて!
「ゆっくり見る時間ないじゃないのよー!」
急ぎ足で私はソーマの後を追う。
せっかくの人形たちをゆっくり見る時間ないじゃないか、一発ゲンコツ落としてやらないと気がすまないっ。
「ソーマ!」
「ん?」
ヤツは出口にいた。
直立するブラウンの髪がきれいなシスターの人形の前に立っていた。
「こっのっ」
「ぐおおおっ、い、痛いぞ! でりけーとなわしの頭に、拳を落とすなどと、お前は野人か!」
「お子様なんだから私の隣から離れないでよ!」
「お子様だと!? わしのほうが年上だ、敬え!」
「できるかーっ」ガッシリとソーマの手を掴む。離す気はない。
「いい子のソーマくんはこのまま縁お姉さんと行きましょうねぇ」
「ううう、子供扱いしおって」
なんだかんだと言いながら、ソーマは私にされるがままになっている。
「一体何があったのよ。急に変なこと言い出すし、突飛な行動しだすし」
「ふむ…………ユカリ、今日はこのまままっすぐ帰るぞ」
「はぁ? どうしたのよ、クレープはいいの?」
あんなに楽しみにしていたのに。
食べ物第一主義のソーマの口からそんな言葉が出るのは予想してなかった。
「いいから、とにかく帰る」
ソーマはグイと私の服を引っ張った。
「話がある。大切な、話だ。いいから買えるぞ」
ソーマは、「ハイル・イムの世界~九十九の子供たち~」の文字を目を吊り上げて睨みつけていた。
前回投稿してから、この話を投稿するまでに長く間が空いてしまいました。
ソーマと縁のキャラがぶれてしまう、自業自得なんですが、そんな自分が憎くてたまりません。
手直しを計画していましたが、やめました。
先に進めます。がんばって書きます。
まずは書いて話を作るのが一番大切な気がしてしまったのです。
なにより、中途半端に進めて中途半端に手直しをする時間があるならさっさと書けと考えてしまったのです。
自分で自分にそう思ってしまうのは、自分が残念な証拠なんでしょうが。
ソーマと縁の話はまだまだ続きます。
飽きずに見ていただけるなら幸いなのですが。