第六巻 初陣
フォーレインは遂に戦場に立つ。
ヴェルストロスの王都、カサターンは静かだった。いつもなら出ている活気に耳を塞ぎたくなるほどだが、今ではヴェルストロスに吹く風の音にさえ、敗北を喫していた。
偉大なる皇帝、アーリの死から5日が経過した。
そして、今日はアーリの国葬の日だった。
本来ならば勝利し、凱旋するはずだった通路は今や多くの人々に埋め尽くされアーリを乗せた馬車に護衛が数名いるほどだった。
そして、その前をフォーレインとグレイルは馬を使って前へと前進していた。
5日前に知った事実であるにもかかわらず、このような状況を意識すると、いわずもがなく悲しみが押し寄せてきていた。
その姿に人々は労いと励ましの言葉をかけてくれていた。無いよりは心の負担が軽くなり、フォーレインたちはその人々に無理やり笑みを作って手を振っていた。
そして、長きにわたる手順が終わりついにアーリの火葬が開始された。
アーリの死の原因となった痛々しい胸の傷は衣服によって丁重に隠されており、誰しもがその傷を脳裏で描きながらも目の前にある現実を受け止めていた。
燃えていく棺をフォーレインは黙って見ているしかなかった。
最初は激しく燃えていた日が徐々に弱くなっていくにつれて、父の魂がだんだんとこの世界から離れていく事をなんとなく予期して唇を噛んだ。
そして、その火も消えかかっていた。冷たい冷気が身を包む中で遂に、その灯火も終わりを告げた。
父の、いや父だったものである骨粉を入れた容器を持ちフォーレインたちは海辺にいた。
波が押しては引いてを繰り返す単調なリズムと耳に残る中でフォーレインは容器の蓋を開けて父を放った。
光に照らされて煌めく白いベールが、海の方へと風に吹かれて消えていった。
「兄上…本当に行くんですか?」
物思いに更けていたフォーレインに対してグレイルが身を寄せてきた。
「俺は行く。父上の仇を取るための予行練習だよ。これくらいはしないと、マーグ•ヴェヴァンには届かない」
フォーレインは、グレイルに微笑み安心させようと努力していた。
自身にとって大きな一歩だった。
戦場に間接的にではあるが降り立つ高揚感と、迫り来る死への現実感とがフォーレインを現実に戻していた。
復讐をするなんて、まだ俺には早い。
そう頭ではわかっているつもりだったが、フォーレインは一刻も早くどんな戦場でも経験してマーグとの経験の差を埋めようと考えていた。
「明日はとうとう兄上の出陣ですね…はやる気持ちは抑えてください」
グレイルはそうフォーレインに言っていた。
グレイルにとっても父の仇を打ちたいという気持ちはある。だが、グレイルにとってそれはまだ早すぎる事だった。
そんな自分とは違う感情で生きている、兄に対してなんとなく憧れを抱いていた。
そんな兄だからこそ感情に溺れて死ぬなんてことは、あってはならない。
もう2度と大切な人を失いたくはないから…
グレイルの言葉にフォーレインは、うなづいていた。
「俺を信じてくれ、グレイル。対峙するのはまだ数年先の話だ。それに、明日は叔父上もいる。リヴァーや、レグニスとも肩を並べるほどの実力者だ」
フォーレインはそう答えていた。
やがて朝日がのぼり2人の騎影を光が映し出していた。
グレイルはその姿を見て、漠然とした不安が芽生えてくるのを禁じ得なかった。
アーリの死から、1週間。ヴェルストロスの王都、カサターンは久々の歓喜の声に満ちていた。
亡きアーリの子である、フォーレインの初陣だった。
フォーレインは、全身を白い塗装が施された鎧に身を包んでいた。
そして、腰には剣が刺してあった。この剣はリヴァーが与えてくれたものだった。
馬が街道を通り、徐々に王都から離れていく中で感じる重力の重みが緊張感を増幅させた。
そんな姿を見ていたのか、マグニフィコが馬を近づけさせた。
「フォーレイン、緊張しているのか?」
フォーレインは思わず溜めていた息を一気に吐き出した。辺りの空気が一瞬、白くはためく、
「叔父上も、初陣はそんな気持ちだったんでしょうか?」
フォーレインはそう尋ねた。
「俺も緊張はした。だが、慣れというものは恐ろしいな。何回か繰り返すのちに恐怖は無くなり何かを追い求める執着心が徐々に芽生えてきたよ」
マグニフィコはそう答えていた。
「その何かって一体なんなんですか?」
フォーレインは思わず馬から身を乗り出す勢いで尋ねた。
「お前も、わかる。この気持ちが、この気持ちが…」
マグニフィコはそう言ったきり一言も話さなかった。
フォーレインはマグニフィコから、初めて得体の知れない恐怖というものを感じた。
そうしてフォーレインたちは、王都から離れて既に一日が経っていた。フォーレインは、マグニフィコらの言葉に従い夜にしばらくの休息を与えた。
自身やマグニフィコのいる空間以外では、人の営みとも言える騎士同士が噂話や恋話といった不覚な明るい話をして笑い会う声が辺りで耳に入ってきていた。
俺にも、心から笑える日は一体いつ来るんだろう?
フォーレインは、ふと自身の心境に合わせて苦言を思い浮かべていた。
しかし、フォーレインは今後の進路について話し合う必要があった。
マグニフィコは簡易的な机の上に、ノーゼス大陸の地図を広げていた。これはライヒテーゼの、高い技術力の結晶であった。
この世界において、各国家間の交流は禁止されている。しかし、それだけでは国は動くことができない。
そのため、国家は国家とは独立した皇民主導機関として、運び屋という組織を作り上げた。
この組織は政府が関与していないという、表向きの事実として他国との交流が許され、各国における特産品の数々を物々交換という形で提供する事で取引するという仕組みをとっていた。
そのため、ヴェルストロスといえども辺りの装備や物資、食料もランナーなくしてはならない物となっている。
国家は思考的には協力できないが、生きるためには協力することができるという皮肉な形がここに集結していた。
その地図を広げてマグニフィコは、ヴェルストロス東部を指差した。
「明日はこの国境警備部隊と合流を図り、偵察の任務に出る。半日の捜索の上に何も報告がなければ王都へと帰還という形でいいか?」
マグニフィコは辺りに視線を配った。
すると北軍隊長であるフレッダーが意見を求めた。
「さすがに、手ぶらで帰るというのは国民やほかの騎士たちに対しても深刻な指揮問題に関わることになります。そこはどうなさいますか?」
フレッダーはそう答えた。
いくら皇帝が主権とはいえ、国民が束となり反旗を覆そうとするならば、いくらでも国は存続することが難しくなる。しかし結局は暴動で起こった結末に過ぎず、他国の侵略を許し国家の滅亡を早めるだけである。
反旗によって国家を停滞させることはできるが、自分たち自身で国家を転覆させることはできない。
それは、アーリがフォーレインたちにいっていた言葉だった。
そのためにアーリは、国民たちの意見を聞き入れて日々良い生活を作るべく精進していたのだった。
そんな思い出に浸る中で、フレッダーはフォーレインに対して意見を求めた。
フォーレインはハッとして言葉を発した。
「…俺も叔父上の意見を尊重します。ですが、フレッダーの言った通り、手ぶらで帰ることは避けなければならないと思います」
フォーレインは素直にそう述べた。
フレッダーは、なるほどといった顔をしたかと思えば、すぐにマグニフィコの方へと視線を転じた。
「安心しろ、フォーレイン、フレッダー。そのときは死体の首を持っていけばいい。フォーレイン、お前がやったということにしてな」
マグニフィコはそう簡単に述べた。
その言葉を聞いて、フォーレインは思わず凍りついた。
なんて、非人道的で理に叶った発言なんだ!
「叔父上、それは…」
すると、マグニフィコは鋭い眼差しをフォーレインにぶつけた。
「所詮、国民は何も知らない。そして、フォーレインという新たな英雄の誕生で心は躍る」
マグニフィコは、そういったかと思うとふと表情を緩めた。
「…あくまで、遭遇しなかった話だ。遭遇すれば万々歳というだろう?」
マグニフィコは、そう答えていた。
そうして、幹部による話も終わりフォーレインは自身のテントへと戻っていった。
大きすぎるほどの簡易的なベッドに横たわりながらフォーレインは自身の腰に刺した剣を取り出していた。
月光の光が刀身を反射し、怪しげな光を帯びていた。
リヴァーやグレイルは元気でいるだろうか?
そんな思いを胸にしまいながら、フォーレインは抗えぬ睡魔に身を委ねていった。
歴史は理不尽




