十六、環流 & エピローグ
季節が一巡し、また同じ風が吹く頃。
のんびりと休日の朝を過ごしていた二人の家に、来客があった。
「……なぜお前が、それをつけている?」
シノと顔を合わせるなり、元・修道騎士カリウスは眉を顰めて言った。
「それはハルキ様の、大切な守飾りではないか」
シノの胸元には、以前彼から渡された首飾りがかけられていた。父、アズラオスの鱗を使い、母とおれの名前が彫られた、この世に二つとない品だ。
「だって……、これが本当に必要なのはシノだから。おれは元々、異種を寄せ付けないから必要ないし」
ハルキが横から口を出すと、カリウスの表情がガラリと変わった。
「すばらしい。ハルキ様は本当にお優しいですね」
「『様』はやめてってば……」
別人のように甘い声を出すカリウスの背後で、シノが小さく鼻で笑った。
「……二重人格野郎」
「何か言ったか」
「別に。……それよりお前こそ、いつまでこの島にいるつもりだ?」
シノの言葉通り。おれを見つけるという目的を達成したはずのカリウスは、修道騎士を辞してまで、未だエランテにとどまり続けていた。
「大陸ではドルメキアの再建はもう始まってるんでしょ? あなたは行かなくて良いの?」
彼ら一族の悲願であったはずのアズラオスの帰還、そして国の再建。おれの送った手紙がどれほど影響したかはわからないが、父アズラオスが再び地上に姿を現した……という話は、港の船乗りたちの噂話で聞いていた。
にもかかわらず、この一年、カリウスはおれとともに山に入っては薬草採りをするなどして過ごしていたのだ。
彼は事もなげに、きっぱりと言い切った。
「はい。私はハルキ様をおそばでお守りすると、誓いを立てた身にございますから」
「へっ? 誓い……って……?」
心当たりのないおれ様子をみて、カリウスはじろりとシノを睨んだ。
「貴様……。やはりあの時、きちんと訳していなかったんだな?」
凄まれたシノは秀麗な顔を歪め、意地悪そうにニヤッと笑った。彼がこんな顔を向けるのは、カリウス以外に見たことがない。おれはちょっと複雑な気分だった。
「ふたりとも、仲がいいよね……」
呟いたおれを、二人は息ぴったりに振り返った。
「良くない(です)」
ほらそういうとこだよ、と思わず吹き出してしまう。心底嫌そうな顔が、さらに笑いを誘った。
考えてみれば、カリウスは『万人を落とす男』シノに魅了された様子がない。不思議に思って聞いてみると、
「私はすでにハルキ様の虜ですので。このような者に魅力など、毛ほども感じませんが?」
と冗談で返されてしまった。ああ、そうなの……と流すと、少しだけ彼の肩が落ちたような気がした。
「それにしても、カリウスはすごいね。たった一年で違う国の言葉を、そこまで使いこなしちゃうなんて。おれなんて、まだ全然喋れないのに……」
「私の場合は、必要に迫られただけですから。……大切なことは自分の口できちんとお伝えしないと、陰険な男が訳さないということがわかったので」
チクチクと嫌みを言うほどの語彙の豊かさに、思わず感心してしまった。
「それで? なんの何の用なんだ」
シノがカップを口元に寄せながら問うた。カップの中身は、最近彼が気に入っている黒香豆のお茶だ。芳しい香りが鼻をくすぐる。
「新婚家庭に朝っぱらから押しかけるなんて、非常識なことをするくらいだ。よっっっぽど大事な用事なんだろうな?」
シノの言葉に、おれは自然と頬が赤らむのを感じた。
(新婚……)
ひと月前、おれとシノは初めて友人を家に招き、ささやかな宴を開いた。そしてその場で、『二人でこの先ずっと一緒に生きていく』と誓ったことを、友人達に打ち明けた。
その日以降、シノの左耳には、黒と亜麻色の石がはめ込まれた耳飾りが光っている。そして耳飾りの片割れはペンダントとして加工され、おれの胸元にある。
シノが耳に穴を開けた翌日は街中が大混乱するんじゃないか、という俺の予想に反して──あちこちで泣き崩れる人がいたこと以外は、意外なほど落ち着いていた。
「ま、みんなシノちゃんに想い人がいたことくらい、わかっていたでしょうからね」
後日、納品に訪れたおれに、マーサがそう言って教えてくれた。
それまでの二人暮らしと何かが劇的に変わったわけではない。
それでも……シノの耳飾りを見るたび、彼をより近くに感じるようになったこともまた事実だった。
「大事な用か、だと?」
シノの問いに、カリウスはフッ……と不敵な笑みを浮かべた。軽く腕を組んで、尊大な眼差しを向ける。
「この世にこれ以上に大事な用など存在しない、と断言できるほど、大事なことだ」
と言った。そして、姿勢を正しておれに向き直った。
「ハルキ様」
「はい?」
「ハルキ様にお会いするため、明日、我が主がこの島にお見えになるそうです」
「はい……えっ⁈」
「ついでに婿むこの顔も見ておきたいから……、とのことです」
「え、ちょ……待っ」
さすがのシノも、口をあけたまま凍りついている。
「ア…アズラオスが……来るの? ここに?!」
「はい!」
カリウスはにっこりと、輝くような微笑みを浮かべて頷いた。
「そそそそんな、……急すぎない⁈」
「我が主は大変誠実でいらっしゃいますので。おそらく以前、ハルキ様より『会いに来て』と頼まれていたことを、お忘れにならなかったのだと……」
「そりゃ頼んだのはおれだけどっ」
思わず頭を抱える。
「ど、どうしよう。全然心構えなんてできてないよ。会ったらなんて呼べばいいの? 父さん? お父様? ……パパ?」
「落ち着け、ハルキ」
シノはどうにか平静を装おうとしているらしいが、カップを持つ手が激しく震え、中身が飛び散っている。
「そんなにご心配なさらなくても大丈夫ですよ。我が主はハルキ様のことをとても大切に思い、慈しまれています。恐れることなど、なにも起きません。私が保証します。心置きなく、お父上とお話しされることをおすすめします」
深く優しい声で囁かれて、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「そっか……おれ、父さんと話すのは、これが初めてだもんね……」
いろいろ聞いてみようかな……と。怖さがわくわくに変わった。そんなおれの隣で、
「貴様がどうなるかは知らんが」
シノに向かい、カリウスがあざ笑うように言った。
「な……っ!」
「貴様のせいで、我が主は可愛い愛息子と暮らす機会を失ったのだ。ま、せいぜい……覚悟しておくといい」
その言葉に、蒼かったシノの顔から、さらに血の気が引く音が聞こえた気がした。
◇ エピローグ ◇
最果ての海、テルミナ海。
広大な海の真ん中に、寄り添うように浮かぶ十二の島々がある。その中の一つエランテ島は、船乗り達の憧れを一身に受け『楽園の島』と呼ばれている。
島の小高い丘の上には、高い塀に囲まれた白亜の建物がある。
そこには、誰もが愛さずには居られないほど魅力的な『奇跡のような青年』と。
人と人ならざる者の間に生まれた、心優しい『奇跡の人』が。
いまも寄り添い、笑い合いながら暮らしている。
【end】
ここまでお読みくださった方。
誠にありがとうございました!




