十五、 告白
「すごかったね……! あんなに大きなサメ、おれ初めて見たよ……!」
興奮冷めやらないまま、おれはシノに話しかけた。
海辺で騎士達と別れ、シノと二人、街に続く石段を登っている。早朝だからか、あたりにはまだ人通りは少ない。
先刻──
アズラオスに伝言を伝えるといい、騎士は貝笛を吹いた。まもなく、海面がぐわりと盛り上がり、空を曇らせるほど巨大な影が姿を現した。
それはサメの形をしていたが、生き物というより“海そのもの”が息づいたようだった。
騎士カリウスは、怪物じみた生き物を前にしても平然と懐から巻き貝を取り出すと、囁きを吹き込んだ。そしてためらいもなく、その口の中へと放り込む。鋭い歯の間に巻き貝が吸い込まれていくのを見て、おれは言葉も出なかった。
思わずシノの腕を掴んでしまったおれに、カリウスが教えてくれた。巻き貝に吹き込んだ声を、使者がアズラオスの元まで運んでくれるのだ、と。
「みてよコレ。まだ手が震えてる」
隣を歩くシノの目の前に差し出した手は、指先がぷるぷると細かく震えていた。
「本当だ」
小さく笑ったシノが、その手を握った。そのまま、石段を登り始める。
「え、ちょ……え?」
まるで母親に手を引かれる子供のように、シノに手を引かれて歩く。いくら通りを歩く人が少ないとはいっても、面白いほど人々の目線は全てシノに向けられている。そして、彼に手を引かれて歩くおれにも。
「し……シノ、ちょっと、手、……シノ?」
小声で訴えるが、まるで聞こえていないかのようにシノはどんどん進んでいく。
やがて石段を登り切り、教会のある広場にでた。
シノはまだ歩みを止めなかった。教会に向かって進んでいく。
ようやく足を止めたのは、教会の入口の手前だった。目の前には、日の光を浴びて白く輝く、美しい壁画があった。
カンナ・マスカの夜、シノがおれに見せたかったといっていた、あの壁画だ。人とは少しだけ違う、けれど美しい人物たちが、幸せそうな微笑みでこちらを見つめている。
一息に階段を上ったせいで乱れた呼吸を整えながら、改めて日の光をうけて輝く絵に目を細めた。
「ハルキ」
呼びかけられて振り返る。
シノが、真剣な眼差しでおれをみつめていた。
「好きだ」
「…………え?」
「ずっと前から、君が好きだった」
ぽかん、と。しばらく、自分が口を開けたまま固まっていたことに気付いた。
「は、……え? なに、……えっ……夢?」
ようやくおれの口からこぼれ落ちた言葉に、シノが少しだけ首を傾げた。
「だ、…だって……、シノはおれに好きだなんて、今まで絶対に言わなかったのに。これって……、いつもの夢、……だよね?」
思わず自分の頬をつねるおれの指を、シノが優しく外させた。
「言えなかったんだ……。本当は、ずっと……、初めて会った日からずっと、ハルキのことが好きだった」
シノの声は、聞いたことがないくらい震えていた。
「可愛くて……。この世にこんな可愛い人がいたのかって驚いたくらい、可愛くて。一目で夢中になった。君と話したい、もっと親しくなりたいって思った」
おれのことを言っているなんて、とても思えない。なのに……一言一言が積み重ねられるたび頬が熱くなってくる。
「それなのに……、それまでの俺が、君に酷いことをしてたって知って……本当に目の前が真っ暗になった」
熱病で倒れる前までおれを蔑み、いじめていたシノ。
でも、すべてを忘れた後の彼は、まるで別人みたいに優しかった。
「……記憶になくたって、俺がやったことは消えない。どうやって君に償えばいいのか、どうやったらハルキに好きになってもらえるのか……ずっと考えてた……」
シノの真剣な顔。思い返せば、彼はいつもこんな眼差しで、おれを見つめていた。
「可愛いだけじゃない。君は誰にでも優しかった。昔いじめていた俺なんかを、命掛けで助けに来てくれるくらい。君を知れば知るほど、どんどん好きになった。……自分じゃどうにもできないくらい」
どくっどくっと大きな音を立てて心臓が胸を叩く。
「ハルキが俺と一緒にこの島に来てくれたときは、本当に嬉しかった。二人で暮らせることが幸せで、楽しくて。……これ以上のことを願ったら罰があたるって思った。欲張ったらダメだって、ずっと自分に言い聞かせてきたんだ。でも、……ダメだった」
「………」
「やっぱり、俺はハルキが好きで、そばにいるだけじゃ我慢できなかった。ハルキにキスしたい。ハルキと抱き合いたい。ハルキを……全部知りたい」
赤裸々な告白に、一際強く鼓動が胸を叩く。ゾワッと体が体が震えた。でも不思議と、全然イヤな感じはしなかった。
「毎朝、毎晩、ハルキに愛してるって、たくさん伝えたかった。だから……」
すぅっとシノは大きく息を吸って、胸にしまい込んでいた想いを告げた。
「ハルキが、ちゃんと俺の告白を断れるようにしよう、って決めたんだ」
「………は?……」
おれの喉から、自分のものとは思えないくらい低い声がでた。
「……なに、それ。どういう意味?」
聞き間違いか? と、目を泳がせるおれに向かって、シノはもう一度、はっきりと言った。
「俺が好きだって伝える前に、ハルキがちゃんと俺の告白を断われるような状況にしておきたかった」
「どういうこと? シノは今、おれにフられるために、告白してるってこと?」
意味わかんない……。気付けば、呆然と呟いていた。
シノはじっとおれを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……ハルキが、レピシアだから」
胸の奥がひゅっと縮まった。
「まだ幼かった君が、どれだけ頑張っても……村の誰も、君をちゃんと見ようとしなかった。明らかな嫌がらせをしなくても、君が道を歩くだけで目を逸らす人もいた」
「……」
「この街に来てからも同じだ。君が首元を隠して、誰とも会わないようにこっそりと帰っていく後ろ姿を、俺は何度も見た」
シノの言葉に、過去の思い出が呼び覚まされ、息が苦しくなる。
「君は悪くないのに、ただ“違う”ってだけで、みんな距離を置いた。気軽に話せる相手も、俺くらいしかいなかった。……そんな中で俺が告白してたら……ハルキはどうしてたと思う?」
「どうって……」
「ハルキにとって俺は、好意云々とは別の部分で、必要な存在になっていたと思う。……もしも、そんな俺から告白されたら、ハルキは正直な気持ちで返事ができたと思うか? 断ったら、今の生活が脅かされるかもしれないのに」
確かに──シノに求められていると気付いてから、散々悩んだのは事実だ。おれは何も言い返せなかった。
「だからこそ……今まで好意をはっきりと言葉で伝えることはできなかった」
そう言ったシノの声は、ずっと胸の奥に隠していたものを吐き出そうとするように震えていた。
「……ハルキが生きづらいままじゃ、正直な返事はもらえない。だから俺は、君が俺なしでも困らないようにしたかった。世間の認識を変えて、君が不当に扱われることが二度とないように」
彼はそこで言葉を区切り、深く息を吐いた。
「まだ全然、足りないかもしれない。だけど……もう、君は一人じゃない。俺がいなくても、きっと大丈夫だと思う。だから……」
シノは膝を折り、まるで騎士のような姿勢で見上げてきた。その表情は切実で、どこまでも真剣だった。
「俺はもう、ハルキにとって必要不可欠じゃない。けれど……それでも。どうか、この手を取って欲しい。他に誰もいないから仕方なくじゃなく。君が少しでも俺を好きでいてくれるなら……。俺は厄介事を引き寄せる面倒な男かもしれない。でも、君を想う気持ちだけは、誰にも負けない!」
言い終えると、シノは誓いを立てるように、頭を垂れた。
おれは呆然と、彼の黒髪を見下ろした。
──まさか、シノがそんなにも長い間、ずっとおれのことを想っていただなんて。
人も人外も惹きつける、この魅力的な男が。誰にでも好かれる男が。こんなにも控えめに愛を乞う相手が……こんな自分だなんて。
跪いて、こんなにも不安そうに、ただおれの答えをじっと待っているだなんて。
(信じられない。シノはなんでよりにもよって、おれなんかを選んだんだ……?)
こんなにも真摯に想いを伝えられているのに、なおも不安と疑いが拭いきれない。
けれど……それを押しのけるくらい、強い感情が徐々に湧き上がり、体を満たしていく。
(ああ、……おれ、こんな気持ちになるの、初めてだ)
どうしようもなく嬉しい。
頬が熱くなり、視界がにじむ。笑ってごまかそうとしても、震える声が裏切った。
「……もう……ばかだな」
差し出された手に、そっと触れる。絡めた指が重なった瞬間、世界が一瞬、静かになった。
見上げてきたシノの笑顔は、満開の花のように鮮やかで。それを見た瞬間、おれはもう、二度とこの手を離せないと思った。
◇
シノはしばらく仕事を休むらしい。
店を切り盛りしている叔父が、自身の姉であるシノの母をアウレン島へ送りに行くことになったからだ。
そのおかげで、真っ昼間からこうして二人で寝台に横になっている。
シノはおれを抱きしめ、飽きることなく愛を囁き、あちこちに何度も口付けてくる。……でも、それ以上の濃い触れ合いはしてこなかった。
「性欲だけじゃないって、証明したいんだ」
恥ずかしそうにそう言った彼に、おれはなんとも言えない気分になった。
「初めてがアレだったから……やり直したい」
髪を撫でる手つきは驚くほど優しくて、思わず目を閉じる。
「ハルキ、あの時は本当にごめん……俺はどうかしてた」
「……女の子になったおれに、魅了されちゃった?」
茶化すように言うと、「違う」と思いの外、強い口調で否定された。
「男でも女でも……そんなのはどっちでもいい。俺は、ハルキが好きなんだ」
「………」
「あの時は……、あんなとんでもない状況で俺は『これはチャンスだ』って思ってしまった。今を逃せば君を抱く機会はもうないかも……って。だってハルキは、俺を恋愛対象として見てくれてなかったから」
後悔が蘇ったように、シノはぐしゃぐしゃと自分の前髪を掻き乱した。
「何年も我慢したんだ。告白はできないから、贈り物をしたり、ちょっとした悪戯をしたり……少しでも君に意識してもらいたくて必死だった。それなのに、全部台無しにした……」
その言葉に、胸の奥がちくりと痛んだ。
やっぱりシノは櫛を贈る意味も承知していて渡してきたのだ、とわかった。
「あの時、乗っ取られていたハルキの肌に触れて、声を聞くうちに……理性が崩れた。本当に好きなら、君の意思を無視なんて、絶対にしちゃいけなかったのに」
苦悩するように俯いたシノの頬を、手のひらで包み込んだ。
「……おれもあの後、シノに意地悪なこといっぱい言っちゃった」
言った途端、口の中に苦味が広がった。あの時の、シノの沈んだ表情を思い出す。
「シノはおれのこと優しいって言ってたけど。そんなことないよ。あんなこと言われて、嫌だったでしょ……?」
「あんなの、言われて当然だよ。むしろ足りないくらい」
シノは小さく笑って、おれの頭を胸に抱き抱えた。
「俺は、ハルキにはもっと本音を打ち明けてほしいと思ってる。遠慮なんてしないで、甘えて、わがままを言ってもらいたい。苛ついたり怒ったときには、俺を叩いたっていい」
「叩いたりしないよっ」
冗談だよ……と言って、シノがおれの髪に顔を埋めた。
「ああ……良い匂い……」
「に、匂いとか…っ! まるでおれが臭いみたいに言うなよ……っ」
思わず逃げようとするが、シノの長い腕に再び引き寄せられる。
「違うよ。ハルキからは、赤ちゃんみたいな、甘くて柔らかい匂いがするんだ。すごく良い香りで、……好きだ」
証明するかのように髪に口づけると、ぎゅっと強い力で広い胸に押しつけられる。自分の頬が熱くなるのを感じた。
「……おれ、も。シノの匂い、安心するから……好き」
シノの胸に顔を押し当てながら囁く。薄い布越しに、確かな鼓動が聞こえた。ほのかに香る、柑橘のような爽やかな匂い。大好きな、シノの香り。
聞こえてくるのは、風の音。庭木にとまった小鳥の囀り。白昼の静けさに包まれ、時が緩やかに流れていく。
心地よいぬくもりが、まどろみへと誘ってくる。
(ああ……これが、幸せって気分なんだ……)
自然と口元に微笑みが浮かんだ。
でも……。
どうしてだろう。
(すごく安心して気持ちがいいのに……胸が、変にジリジリする)
もどかしさで、息が詰まりそうだ。
「ね、シノ……」
「……ぅん……?」
小さく呼びかけると、少し眠そうな甘い吐息が返ってきた。
「……本当に、今日は……なにもしないの?」
問いかけに、シノは無言で天を仰いだ。コクリと喉仏が小さく上下する。しばらくして、絞り出すような声が答えた。
「……しないよ」
シノの白い喉元を見つめたまま、おれは小さく息を吐いた。
「そっか……」
「今日は、俺が理性的な男だってことを君に証明したい。だから──」
「ねえ、シノ。おれね、今……甘えてるんだけど」
言った途端、シノは勢いよく体を起こした。おれを体の下に巻き込むように両手をつくと、赤らんだ顔できっぱりと言った。
「──そういうことなら、話は別だ」
***
額や頬に優しく何かが触れる感触で、目が覚めた。
あたりは薄暗く、今が夕方なのか明け方なのか、すぐにはわからなかった。
「おはよ……」
声のした方に目をやる。薄闇に慣れた目が、同じ寝台に横たわるシノの姿を捉えた。横向きに寝そべり、片肘で上半身をゆるく支え、熱い視線をこちらに注いでいる。上掛けからのぞく裸の肩が、暗がりの中で淡く光って見えた。昨夜、触れ合った肌の熱さがまざまざと蘇る。急に恥ずかしくなって、掛布の中に潜り込んだ。
「水、飲む?」
笑みを含んだ声でそう聞かれて、目だけを覗かせる。軽く頷くと、シノはすっと立ち上がった。軽い足音を立てて部屋を出て行くと、すぐに玻璃の器を手に戻ってきた。
背中を支えられ、上体を起こす。冷たい水が喉を滑り落ちると、とても喉が渇いていたことに気づいた。ごくごくと飲み干すおれを、シノが満面の笑みで見つめている。
なんだか気恥ずかしくて、ずっと目が泳いでいるおれとは対照的に、シノは一挙手一投足、全て見逃すまいとしているかのようだ。
空になった器を下ろした途端、
「大好き。可愛い……ハルキ」
囁きながら、チュッと軽い音を立てて頬に唇でふれてくる。まるで宝物のように扱われるたび、たまらなく胸が疼く。
「あ…あのさ……」
恥ずかしさに、もじもじと指を絡めながら口を開く。
「うん?」
「シノは……いつから、おれと…こういうこと、したかったの……?」
おれは気になっていたことを口にした。シノは少しはにかんだ後、
「昔、よく一緒に浜いちごを摘みに行っただろ?」
と言った。
「うん、子どもの頃はよく一緒に行ったね」
「いつだったか、ハルキが真っ赤になった舌を出して見せてきたことがあったよな。あの時から、かな。その日の夜、夢にハルキがでてきて……」
と、教えてくれた。はっきりとは思い出せないが、かなり前であることは間違いない。
自分から聞いたくせに、そんなに前から?!と動揺しているおれに、シノが囁いた。
「ハルキ、舌……出して」
言われるがまま、口を開けて舌を突き出した。途端、少し顔を傾けたシノが唇を合わせてくる。
舌が絡まり合う感触に、思わず目を閉じた。湿った音がするたび肩が震える。
まるで長年の願望を満たすかのように、執拗な口付けだった。口の中がシノの舌で満たされて、息苦しい。だんだんと頭がボーっとしてきた。
(ああ…どうしよう……すごく気持ち…いい……)
隙間なく合わせられた唇から、二人の体の境界が曖昧になってしまうような気がした。
「……ふっ……ぅ」
「好き……ハルキ」
指を絡ませ、間近から見つめられる。
「好き……大好き……」
幸福感が膨れ上がって、内側から弾けてしまいそうだ。
「お、れも……好……」
そう応えかけた時。
ふと脳裏をよぎった言葉があった。蕩かされた脳を動かして、懸命に思い出す。
なんだっけ……確か……、
「い…ィ……、えっと……ィ…」
「……ハルキ…?」
「イレル、アン……I’rel an……シノ」
おれが初めて覚えた大陸の言葉。
──私はシノが好き。
シノはびっくりしたように目を見開いておれを見た。そして次の瞬間、気まずそうに少しだけ体を離した。
「……どうしたの……?」
もしかして間違えて、何か変なことを言ってしまったのだろうか。不安になったおれに、シノは慌てて「違う」と首を振った。
「その……、ハルキが可愛すぎて……」
下の方へと流れたシノの視線を追いかけて……彼の言葉の意味を知った。
あんなに何度も愛し合ったのに、まだそんなに……?
驚くおれの視線に気がついたのか、恥ずかしそうにシノが顔を伏せる。その耳は真っ赤に染まっていた。
今まで感じたことのないような満足感が、じわじわと胸に広がる。気づけば、心の声がこぼれていた。
「すごく……可愛いね……シノ……」
ぽつりと呟いたおれを、目元を赤く染めたシノが軽く睨んだ。




