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「たまきさぁ…。なんかいい事あった?」
振替休日明けの登校日、放課後になって部活の準備をしながらクラスメイトで部活仲間の御堂心悠がたまきに向かって言った。
心悠はたまきが転校してきた時に初めて友達になってくれた親友で、部活では心悠が部長、たまきは副部長だった。
ちなみに文化祭の実行委員も一緒で、梧たちと会ったあとに呼び出しの連絡をしてきたのも彼女である。
「んえ?……なんで?」
たまきは驚いて一瞬、変な声が出てしまったが、なんとか立て直して聞いた。
「……なんか……、いつもよりニヤニヤしてる」
「えっ!?」
顔をじっと覗き込んでから心悠が言うので、たまきは両頬を手で押さえながら心悠を見た。
クラスも同じで今の時間までほとんど一緒にいたと言うのに、今頃になって言い出すのは正直ずるいと思った。
もし心悠の言う通りだったとしたらたまきは一日中緩んだ顔で過ごしたことになる。他の友人にも変に思われていたのだろうか。と思うと急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「心当たりあるんだな?なに?何があったの?」
俄然興味津々になった心悠は、準備していた道具を放り出してたまきに詰め寄った。
「なにもないって、心悠の勘違いだよ!」
たまきは後退りしながら答える。
「嘘をつけぇ〜!私を誤魔化せると思ったら大間違いだからなぁ〜!」
言いながら心悠はたまきを追う。たまきは後退りから本格的に逃げる体制に入り、運動場のトラックへ出て走り出した。
「こら!待て!逃がさないぞ!」
心悠も嬉々として全速力で走り出す。
「うわっ、全速力はダメだって!関東大会5位のスピードに勝てるわけ無いよっ!」
言いながらたまきは真剣な顔つきになり、一気に加速する。心悠の顔からも笑みが消える。
やってきた後輩部員たちは、2人の先輩部員が練習のスピードを逸脱した本気の追いかけっこをしているのを見て準備を始めるのも忘れて見入っていた。
ちなみに三年生部員はすでに引退しているため、この場に三年はたまきと心悠しかいない。この2人は体力維持のため短時間だが部活に参加しているのだ。
「……何してんの、あれ」
少し遅れてやってきた紫露が驚いたように棒立ちになっている部員たちに声をかける。
「わからん。きた時にはもう走ってた」
「初めは先に準備しててくれたんですけど、なんか2人で話してるうちに急に走り出しました」
部員たちの話を聞いたところで要領を得なかったので、紫露は「ふーん…」と興味なさそうな声を出し、途中で放っておかれている道具の準備に手をつけた。
「……やっぱ心悠先輩はもちろん速いけど、たまき先輩もフォームが綺麗で速いな〜」
「たまき先輩も入賞は逃してますけど関東大会出てますからね」
男子部員の1人が感嘆の声をあげ、女子部員が応える。
「あ、心悠先輩が追い上げてる!やばいやばい、たまき先輩捕まっちゃう」
1人の部員があげた声に、紫露も手を止めて2人の方を見た。競ってきた追いかけっこに思わず部員たちも力が入る。
「うそ!たまき先輩頑張ってー!」
「心悠先輩もうちょっとっすよー!」
「心悠先輩かっこいいー!」
「えっ?えっ!やばいやばい」
「たまき先輩まだ行けるよー!!」
経緯を知らない後輩たちがまるで大会かのように口々に応援の声をあげる。
たまきが一瞬、後輩たちに視線を向ける。その瞬間を心悠は見逃さなかった。さらに一段ギアを上げ、たまきに向かって手を伸ばす!
「あー!!」
後輩たちが声をあげる方が一瞬早く、たまきの肩を心悠が掴み、2人は徐々にスピードを落としていく。
2人はトラックの途中で座り込み、心悠は仰向けになって空を仰いだ。
わーきゃー騒いでいる後輩たちに2人は手を挙げるだけの仕草で反応する。
紫露は部員に準備するように言いつつ、ゆっくり2人に近づくと
「なーにしてんスか」
と呆れたように話しかける。
「……心悠が追いかけるから……」
「……たまきが白状しないからだよ」
息を切らして2人がそれぞれ答えると、紫露は眉を顰めて小首を傾げた。
「白状?」
紫露の問いかけを聞いて、心悠は体を起こしてその場にあぐらをかくと人差し指を紫露に向かってピッ!と立てた。
「聞いてよ、紫露!たまき、絶対いい事あったんだよ。今日1日ニヤニヤ、ソワソワしてんの」
言われて紫露はたまきの方を見つめて
「えっ?そーなんすか?」
とぱっと明るい顔になり、弾んだ声を出す。
「違う違う!そんなことないよ!」
たまきがすかさず否定するも、何かを察知したらしい心悠の目の色が変わる。
心悠は機敏な動きで立ち上がり、気づいて半歩後ずさった紫露の胸ぐらを掴んで捕まえると、
「なんか知ってんな!?」
と詰め寄った。
「いやっ、知らない知らない!」
慌てて否定する紫露を心悠は睨みつける。紫露は視線を逸らしてたまきを見るが、たまきは首を横に振った。
こうなった心悠を止めるのは至難の業だ。
「あ!前部長が新部長いじめてまーす!」
そこにタイミングよく後輩の1人が声をあげる。
「練習始めるよー!心悠先輩邪魔しなーい!」
「また、たまき先輩の奪い合いっこしてんの?」
それをきっかけに部員たちがそれぞれ声をあげ、三人の様子など気にせず準備運動を始めている部員もいる。
「たまき先輩は俺のもんだー!」
「「誰がお前のだ!」」
ふざけた男子部員の1人が声をあげると、すかさず心悠と紫露が自然と声を揃えてツッコミを入れた。
「行きますよ心悠先輩」
「おーけー、紫露」
「やべっ」
男子部員は2人の行動を見越して走り出す。心悠は紫露から手を離し、2人はその男子部員を追う。
たまきはその様子を微笑ましく見ながらゆっくり立ち上がり、部員たちの方に戻った。
「たまき、帰っちゃダメだからねー!」
男子部員を紫露と一緒に追い詰めながら心悠は声をあげた。一度全速力で走った上に今も走りながらたまきに声をかける余裕がある、心悠の体力には毎回驚かされる。
「はぁーい」
片手を高く上げてたまきは返事をする。
「じゃあ練習始めるよー!」
副部長の女子部員が声をあげ、全員がそれぞれ今日の練習メニューの確認を始める。
そこにちょうど紫露と心悠がふざけた男子部員の首根っこを掴んで戻ってきた。
心悠は男子部員をその辺に投げるように放ると、ストレッチをしながら休憩していたたまきの隣にどっかりと座った。
「……で?言う気になった?」
現役部員たちが本格的に練習を始めたところで、諦めない心悠が言う。
「いいこと……って言ってもなぁ」
自分の頬を指先でムニムニとマッサージしながらたまきは考え込むように言った。
もちろん、思い当たることがないわけではないが、どう説明していいかもわからない。
不服そうな顔で心悠がたまきの顔を覗き込んでいるが、たまきは首をかしげて見せる。
「……ふっふっふっ」
話を聞いていた紫露がわざとらしい笑い声をあげ、心悠が訝しげに睨みつける。
「今度、たまき先輩俺んち来るんスよ。いや~、そんなに楽しみにしてくれてたとは」
上機嫌なトーンで紫露が言うと、心悠が驚きの表情を見せ、たまきは慌てて「えっ、ちょ!」と声を上げる。
実はこの休みのうちに紫露から連絡があり、紫露のお母様がたまきに会いたがっているのでぜひ遊びにきて欲しいと、たまきはお誘いを受けたのだ。
たまきとしては、そのことで浮かれていたつもりはなかったのだが、紫露はそういうことにして、この場を丸く収めようというつもりなのだろう。
ただし、紫露はわかっていないことがある。
ちょうど休憩スペースにいた部員たちが、その話を聞きつけてざわついた。
「……霜槻の家に行く……!?」
「まさか……」
「それって……」
真剣な表情で全員が紫露たちの様子を見つめ、口々に何か呟いている。動揺が部員たちの中にさざ波のように広がっていく。
揶揄いの気配だと思い込んだ紫露が他の部員たちを呆れた表情で眺める。
しかし……、
「霜槻先輩のお母さまにお会いできるということ……っ!?」
一人の部員が口元に手を当て、信じられないというような表情で言った。
「は?」
予想外の発言に紫露の目が点になる。
「なにぃ!あの麗しの姫様にお会いできる、だと!?……羨ましすぎるっ!」
「そりゃあニヤニヤしちゃう!」
「えぇ~、いいなぁ!私も行きたい!」
部員たちの熱量が急激に上がった。口々に何か言いながら、頭を抱えるもの、胸を抑えて悶えるもの、たまきに羨望のまなざしを向けるものと騒々しい。
「待て待て!おれ聞いたことねぇよ、なんだその姫様って!」
思いもよらない部員たちの発言に、紫露の声が大きくなる。
紫露の母親のことを姫様と呼んだ部員は口を両手で抑えながらやばっ!という表情を作った。
「みんなに人気だもんね、霜槻のお母様」
たまきが落ち着いた口調と笑顔で同意する。
紫露の母は各大会に必ず応援に来ている保護者の一人で、その美貌と仕草の品の良さ、気さくで優しくちょっと天然というキャラクターで陸上部員とその保護者から絶大な人気を誇っている。
しかしあまりのそのキャラクターの完璧さに、表立ってそれを伝える者はなく、適切な距離を保ちながら陰で“姫様”や“お妃様”などと呼ばれ、みんなから推されているのだ。
ちなみに、推していることが本人に知れることを恐れ、今まで紫露にもそれが伝わることはほとんどなかった。
とはいえ、紫露も興味のないことには鈍いので、奇跡的に全く気づいていなかったのだが。
「そう言えば、文化祭に紫露先輩のお父さん来てましたよね!?」
「うそ!知らない!」
「マジでイケメンでした」
「えっ、王子様だった!?」
「いや、あれは騎士っすね」
「姫に騎士!?最高じゃん!」
「解釈一致過ぎて泣きそうでした。くぅ~、霜槻家に生まれたかった!」
いつの間にか練習をしていた部員たちも集まってきて異常な盛り上がりを見せる。
「……おまえら……、おれの両親で遊ぶな……」
ここまではっきりと両親のことを面と向かって言われたことがなかったため、紫露はいたたまれなくなって練習の準備を始めた。顔が赤くなりつつあることにたまきと心悠はニヤニヤし始め、紫露はぶっきらぼうに上着を脱いで走りに行った。
「王子様と言えば、その紫露のお父さんと一緒に超絶イケメンが居たってクラスの女子が騒いでたな。それこそ、王子様と騎士だったって」
その一言を聞いた瞬間、たまきの動きが一瞬止まる。他の部員たちは気づいていなかったが、心悠がそれを見逃すはずもなかった。
「ん?おい、お前ら!なんだ、練習はじめてないじゃないか!」
そこへちょうど、顧問の教師が運動場に入ってきて、たむろしている部員たちを見るなり大きな声を出した。
「げ、ヤベ」
部員の一人が小さく声をあげたかと思うと、蜘蛛の子を散らしたように部員たちが練習に戻っていく。教師は手を叩いて大声で檄を飛ばす。
心悠がもう練習をあきらめて帰る支度を始めたので、たまきも帰ろうと支度を始めた。顧問に挨拶して、運動場に一礼してからその場を後にする。
二人は他愛のない会話をしながら着替えを済ませ、校門を抜けて帰路についたところで、心悠はたまきに向かって
「紫露のお父さんと一緒にいたイケメンと会ったの?」
と、唐突に話題を変える。
あまりに唐突でたまきは立ち止まり、声を出せずに口をはくはくと動かしたまま心悠を見つめた。
心悠は得意げにふふん、と鼻を鳴らすようなしぐさをしてから、
「たまきのことは何でもわかるんだから」
と胸を張る。
驚いた顔のまま、たまきは両手で顔を覆い、深くため息をついた。
「……心悠がすごく怖い」
「失礼すぎる。優しいだろ」
「それとこれとは話が別だよ」
言うと心悠はゆっくりと歩き出し、たまきも手を外してもう一つため息をつくと後ろをついて行った。
「たまきがイケメン好きだとは解釈違いだなぁ。アイドルとか興味ないでしょ」
「……そーいうんじゃないよ」
たまきは少し俯いてそう答えた。
てっきり、顔を赤くして否定するのかと思っていた心悠は、思いの外静かなトーンで言ったたまきの様子に面食らった。顎を撫でて思案している表情を作ると、
「……私は見てないんだよな~。確かに女子がマジでやばいイケメンが居たって騒いでたけど」
そう言って少しだけ話を逸らした。
たまきは顔をあげ、心悠を窺うような上目遣いをしてくる。
「……本当に私今日変だった?ニヤニヤしてたかなぁ」
たまきは優しく自分の頬をつねりつつ呟いた。心悠はちらっとそちらに視線を送ってから、
「どちらかといえば、浮いたり沈んだりを繰り返してた感じ。まぁわかるのは私くらいだけどさ」
と、ニヤッと得意げに笑い、たまきは苦笑いを心悠に返す。
たまきはこの休みの間、前世の話をどう受け止めていいのか、ずっと考えていた。それでも答えは出ないし、心悠に話せるほど頭の中もまとまってはいない。
中途半端に説明しても、心悠も困るだけだろう。
たまきがまた少し俯いて黙ったのを見て、心悠は何があったか聞きたくはあったが今はやめることにした。
紫露を問い詰めれば何かわかる気もしないでもないが、それじゃあたまきの気持ちを無視することになるようで気がひける。
「……たまきが困ってなければいいよ」
心悠が言うと、たまきは顔をあげ、たまらず心悠に抱きついた。
「うわっ!」
「心悠ぅ。ありがと〜」
「何もー、急にぃ」
心悠の胸に顔を埋めて言うたまきを、まんざらでもない顔で抱き留める。一六〇センチ以上ある心悠の腕の中に、たまきはすっぽりとおさまっている。
「……でも、私ら受験生だからね」
心悠の冷静な言葉にたまきは腕の中でぴくりと反応する。
「わかってます……」
たまきがつぶやくと、心悠はその頭を優しく撫でた。
たまきは、申し訳ないほどにみんなに心配されて、助けられているな、と思った。
梧たちから名刺を渡されたことも、その気持ちが嬉しいような、申し訳ないような複雑な思いがあった。
たまきには、みんなに何も返せるものがない。
ふと、そんなことを考えてしまった。
「あ」
たまきの考えなどしらないまま、心悠は突然声を上げて、たまきを引き剥がす。
「どうしたの?」
たまきが尋ねると、心悠が真剣な顔でたまきを見つめた。
「紫露の家に行くってことは、お父さんもいるのよね?」
「え?うん。多分そうだと思うけど」
先日、会った時雨のことを思い浮かべながらたまきは答える。
「じゃあ、気を付けて」
「……え?な、なにを?」
物腰は柔らかかったが、前世のせいなのか後輩たちが言うように、騎士のような、芯の強さみたいなものがある人だった。
厳しくするときもあるだろうが、優しそうだったのに何を気を付けるというのだろう。
「小学校が一緒の一部の人しか知らない話なんだけど、紫露のお父さん、あのお母さまと一緒にいるときは、傍に誰がいてもお母さましか眼中に入らない激甘モードになるから」
「えっ……。そ、そうなの?」
この間会った時雨からは到底想像ができなかったが、心悠の真剣な様子に気圧されて、たまきは「……わかった」と緊張しながら答えたのだった。




