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 時雨が一度目を閉じる。

 しばらくそうしてからゆっくりと息を吐ききると、目を開く。

「それから何度か冬を過ごし、数年経ったある日、……スイが死に、ハルは一人になってしまったのです」

 時雨の言葉に、たまきの胸が締め付けられた。

 ……知っている孤独の痛みだった。

 はじめは一瞬痛む程度かと思ったのに、脳裏にあの日の病院の天井と祖父母の顔が浮かんだ。意に反して震え始めた体をとっさに自分で抱きしめるように腕を抱え込んで服を握りしめる。

「たまき先輩!?」

 紫露が声を上げ、たまきの体を支える。

「だい……だいじょう、ぶ」

 弱々しくも呟きながら、胸に苦しさが広がる一方で、半分、忘れていない自分にホッとした。

 大人たちも慌てだし腰を浮かせ、時雨はすぐ「もうやめましょう」と言った。

 たまきは震えながらも首を横に振り、息を大きく息を吸って、吐いてをぎこちなく繰り返す。

「たまき先輩、無理しないで!」

 紫露はたまきの肩を撫でながら、切迫した声を出す。

「本当に……大丈夫。もう、落ち着く……から」

 そう言って、大きく呼吸を繰り返し徐々に震えが落ち着き始めると、握りしめていた手を離し、ゆっくり自分の腕を撫でた。

 やがて顔をあげ、紫露に向かって頷くと紫露の手を静かに押し戻す。まだ心配そうな表情の紫露に「もう大丈夫」と笑うと、時雨たちの方に向き直って「続きを、お願いします」と言った。

 忘れてはいけないのと同じように、知らずにいることもいけない気がした。正直にいうと、自分でも、なぜ必死なのかわからない。

 胸の奥で風が吹き荒んでやまない。

「……大丈夫なのか?」

 言ったのは梧だった。眉間に皺を寄せた怪訝そうな顔だったが、心配しているのだろう。「本当に続けるのか」とまるで睨みつけるようにたまきを見据え、強い口調で念を押す。

「大丈夫です。……聞かせてください」

 膝に置いた手が震えそうになるのを抑え込んでたまきは言った。気づいたのか、紫露はさっきとは反対にその手に自分の手を重ねて優しく力を込める。

「こうなったら言うこと聞かないんだよ。たまき先輩はさ」

 と、ため息をついて紫露は泣き出しそうに顔を歪めながら口を尖らせた。

「ごめん」と苦笑してたまきは謝る。

 時雨と梧は顔を見合わせてしばらく考え込むも、たまきは促すように

「……どうして、スイさんは死んだんですか?」

 と聞いた。

 時雨は困った顔で紫露を見るが、紫露は無駄だと言わんばかりに首を横に振る。

 仕方なく、時雨は口を開いた。

「……殺されたのだと思います」

「……王家に?」

 話をやめられたくないと思ったのか、たまきは先ほどとは打って変わって促すように積極的に相槌を打つ。

 ……時雨は躊躇いがちに首を横に振る。

「わかりません。野党に襲われたようでしたが、それが誰かの差金だったという証拠はなかったので、違うと思います。……それでもゼンは危険を感じて、ハルを旅に出し、我々にはもう宿には来るなと言いました」

 握られた手にまた力がこもったのを感じ、紫露を見ると固唾を飲んで時雨の顔を見つめていた。紫露も話の行き先にさらに緊張したようだ。

「ハルさんは一人で?」

「……ええ。スイが死んでいたのは宿のある森からは離れていましたが、ゼンは国にとどまるよりそちらの方が安全と判断したんでしょう。風のものは他の国でも同じような宿や旅人同士のネットワークがあるようでしたし、旅で必要なことはスイが教え込んでいましたから」

 それでも危険が全くないということはないでしょうが……、と時雨は続ける。

「それが、あの時の最善だったのでしょう。私たちもゼンの言う通りに直接行くことはおろか、連絡もとりませんでした。二人の無事を祈りながら、もう二度と会えないことを覚悟することしかできなかった」

 時雨は息継ぎのようなため息を一つ吐いた。

「……数年のうちに、カザネ様の弟君のもとに隣国の皇女が嫁いだり、式典などの行事も開催されたりしましたが、カザネ様はいつものように呼ばれることはありませんでした」

「今更式典など出なくても良かったが……」

 梧はそこで言葉を切ると、何か思い出しているような表情をしてから、ソファーの背にもたれてテーブルを見つめつつ

「……このまま、御殿の中で一生を終えるのかと思うと、ハルたちと過ごした時がどうしても頭から離れなかった」

 と言った。

 梧はカザネの最期の時が脳裏に浮かび、口には出さなかったが結局カザネの人生は何だったのだろうと胸が重くなるのを感じた。梧は微笑を浮かべてため息をつく。

 時雨はそれを見つめた後、続きを話し始める。

「しかし、それから半年も経たないうちに、状況が一変する出来事が起こりました」

 時雨は喜ぶべきことではなかったのですが……、と前置きをした。

「……弟君に嫁いだ皇女が急逝したのです。若く健康だった皇女が嫁いでまもなく死んだことで、隣国は王家を疑いました。急性の病だと説明しても、隣国はそれでは納得せず……、ついには軍を差し向けてきたのです」

 たまきたちの表情がこわばる。時雨も深刻な顔のままだ。

「……それは戦争に発展しました。私たちの国は当初劣勢にあったようです。御殿にいて情勢を知るのは困難でしたが、かき集めた情報で隣国軍が森の手前の街まで進軍していると知ると、カザネ様はゼンの様子を確認しに行くと言い出したんです」

 呆れたような声を出した時雨に、梧は体を起こしてため息をついたあと、肩をすくめてみせた。

「……私が従者になってから、カザネ様には一通り武術を叩き込んでありましたから、権勢に溺れた貴族たちよりはるかに腕は立ったでしょう。ですが実戦を経験したわけではありませんし、腕が立っても危険なのが戦です。……それでも、言い出したら聞きませんから。結局は混乱に乗じて御殿を抜け出し、顔を隠す兜をかぶって騎士として戦争に加わりました」

 たまきは実際の戦争の怖さを知っているわけではないが、うなじのあたりに言いようのない不安が走った。

「……私の考えが浅かったのも確かだった。自分たちが生き残るのに必死で、兵士や騎士は敵味方関係なく死んでゆく。息があっても自力で動けない者は置いていくしかない。……無力なのは思い知った」

 梧は視線を下げて沈んだ声を出した後、自分の両手を握り締めた。わずかに視線を上げる。その瞳が揺れた。

「……その、戦地に広がる地獄の中で、私はハルに再会した」

「えっ……」

 たまきは目を見はり、思わず声を上げた。

 梧は声を聞いて一瞬たまきの方へ視線を投げたが、すぐに逸らして俯く。

「……それがハルだとはすぐにはわからなかった。離れた頃は、君たちと同じくらいの年齢で、再会したのは……おそらくそこから十年以上経っていただろう。私も体格が変わっていたが、ハルの変化は……、何と言えばいいか。外見的な変化というよりは、その表情だった」

 梧は伏目がちにして、ため息をついて続ける

「……かつてのスイもそうだったが……、この世を静かに見つめ、見定めるような目をしていた」

 その説明では、たまきにも紫露にも伝わらないだろうと思ったが、他に形容する言葉が見つからなかった。大人びた、というのでは表現しきれない気がした。

 梧は静かに目を閉じた。その先にあの日のハルがいる。

 ハルは、もしも遭遇したのがカザネたちでなければ、その相手がどちらの兵であれ殺されていただろう。なのに、それがカザネだと気づいていないうちから、ハルの瞳は冷静で、死への恐怖もなければ、ここで終わりかと言うような諦念の色すらもなかった。

 それがその数年でカザネとハルを隔てる深い溝のようにカザネは感じた。

 相手がカザネだと分かると、ハルは昔のように皮肉を言ったり、笑顔を見せたりもしたが、死と隣り合わせの戦場で、無邪気でいられるわけがなかったのも、確かだった。

「……風を、知ったのかもしれませんね」

 時雨のその言葉に、梧は目を開けた。

「風を……知る?」

 たまきが首を傾げたのを見て、時雨は続けた。

「スイたちと出会う前に、知り合った旅人がそう言っていたことがあります。その人が、随分と達観した考えを持っていたので、どうしてそんなふうに落ち着いていられるのかと聞くと、“生も死も等価値で、生きていても死んでも私が風のように旅をすることは変わらない気がする”と、“旅をしていると、自然とそんな気持ちになる時がある”と答えたんです。そしてそれを彼女は、“風を知った”のだと言いました」

 たまきの頬を、一筋の風が撫でていったような気がした。

 死んでも風の中に生きていられるということだろうか。

 その言葉に一瞬、胸の奥に凪いだ海のように穏やかな感覚と、言いようのない寂しさを感じた。

「……そうか」

 腑に落ちた、というように、梧がつぶやいた。

 しばらく沈黙が落ちた後、時雨がゆっくりと口を開く。

「我が国はそこから粘りに粘り、隣国軍は結局撤退。私たちも命拾いし、ゼンの無事も確認でき、ハルはまた旅に戻りました」

 梧が一つ吐息を吐く。

「……どさくさに紛れて御殿に戻ろうとした時、功労のあった騎士に褒賞を与えると言って、王家は無事だった騎士を集めた」

「……二人が参加してたって、バレたとか?」

 ギョッとした顔をして、紫露が聞く。

 梧は首を横に振った。

「いや、知らなかった。私たちが顔を晒したとき、ひどく驚いていたからな。弟は私の顔も知らず、何も事情はわかっていなかった。彼は私たちを労い、褒美は何がいいかと聞いた」

 梧が呆れたような表情を浮かべながら、時雨の顔を見ると、首をすくめてから促すような仕草をした。

 梧はため息をついて

「……“陛下のおかげで呪いも解け、国のために戦えるほどに強くもなれました。これ以上わたくしが何を望むというのでしょう”」

 と、当時の言葉をそのままなぞった。

 そのあとを、時雨が引き継ぐ。

「……その発言で、カザネ様の存在が知れ渡ることになりました。その後、待遇が改善され、御殿は建て替え、顔を晒して内殿を歩くこともできるようになり、弟君と交流されるようにもなったのです。ただ、弟君はカザネ様を慕っていたようですが、王や王妃の態度が大きく変わるわけでもなく、周りの全てが好意的というわけではありませんでした」

「……私は王位に興味はなかったが、覇権争いに巻き込もうという輩もいた。新たに権力を手にしようとした奴らがな。私とは全く関係のないところで、当時権力を握っていた連中と軋轢を生じさせていた」

 梧は指先でこめかみの当たりを押さえて目を閉じた。

 あの頃、望んでもいないのに、じわじわとカザネの周りに、ドロドロとした人間の思惑が、足元から絡んでくるような嫌な気配がしていた。

 少し間をおいて、時雨は口を開く。

「……その頃、ハルがゼンのところに立ち寄っていました。前回再会したのは夏でしたが、そこから九ヶ月ほど経った、初夏を迎えた頃のことだったと思います」

 梧は続ける時雨から視線を逸らし、俯いた。

 心なしか顔色が悪い。

「ハルは……」

 時雨はためらう。一度目を閉じた後、たまきと紫露の二人の顔を見た後に口を開く。その瞳には珍しく迷いがあった。

「……ハルは、妊娠していました」

 時雨の言葉に、たまきは一瞬固まった後、

「……はっ?えっ、……だ、誰の……?」

 驚いて変な声を上げ、時雨と梧の顔を交互に見て聞く。梧は視線を落としたまま、目を合わせようとしない。そのまま腰を折り、顔を伏せていく。

「おそらく、私……カザネとの子供だ」

 くぐもった声で梧の言った答えに、たまきは目を丸くする。

「……私は、()()を死なせた」

 と続けた。握りしめた手が震えている。

 紫露が何か言おうと息を吸った。

 たまきがそちらに視線を向けると、何も言えないままそのまま言葉を飲み込んで、口をつぐんで俯いている。

 苦しそうなその表情にたまきは握られた手を反転させ、握り返すと、紫露は縋るような目を向けてきた。

 しかし、たまきも梧になんと声をかけていいか分からず、視線を逸らすように俯く。

 時雨はその二人を見つめた後、()()()()を始めた。

「……城下に降りた際、ゼンを見かけました。どこか様子がおかしく不審に思って森の宿までついて行くと、そこにお腹の大きいハルがいたのです。ハルは頑なにカザネ様の子ではないと言い張り、ゼンもこれ以上関わるなと言いました。……王位継承権のある王子に、身分のない隠し子がいるとなればどの立場から見ても邪魔な存在です。ハルは臨月に近く、宿を離れるのは難しかった。私も、関わらないことが最善だと思いました」

 俯いたまま動かない梧を見つめながら、それでも時雨は続ける。

 紫露とたまきは互いに震える手を握り合った。

「ゼンの意見に賛同し、カザネ様も渋々了承して私たちは御殿に戻ったんです。ですが……」

 梧は顔を伏せたまま浅い呼吸を繰り返している。

「……私たちは、弟君に仕える騎士が、カザネ様の動向を監視していたことに気づいていませんでした。……宿の場所までは入り組んだ獣道を行くため、はっきりとは知れなかったようですが、そのうちにハルの存在に気づかれてしまったのです」

 部屋の中が、重苦しく張り詰めた空気で満ちていく。

「弟君は戦以降、カザネ様を崇拝するかのように傾倒していました。身分のないハルのような存在がカザネ様に関わることを許せなかったのだと思います」

 時雨の顔が苦悶の表情になる。

「……彼らは森に火を放ち、ハルを襲いました。私はカザネ様の指示で、敵の目を掻い潜り、傷ついたハルをゼンの元へ連れて行きました。しかし、助けきれず……、カザネ様自身も弟君と刺し違えて亡くなりました」

 たまきは思わず目を閉じた。光が断たれて目の前が真っ暗になったような錯覚に陥る。

 急に息苦しさを感じて、自分の首のあたりを撫でながら、ゆっくりと意識的に呼吸をして自分を落ち着かせる。

 水を打ったように、あたりが静かでひんやりとした空気に包まれる。

 しばらく重苦しい沈黙が辺りを支配した後、時雨は「これが、私たちの前世です」と、呟いた。

 梧は震える手で顔を覆い、大きく息を吸った後、ようやく顔を上げた。

「……わかっただろう?……私が、ハルを殺したようなものなんだ」

 掠れた声でそう言う、青ざめた顔の梧を見つめた後、たまきはゆっくりと首を横に振る。

「悪いのは、……カザネさんの弟じゃないですか」

 と、俯きながら呟いた。……血を分けた弟を悪いと言っていいのか少しだけ気が引けたが、たまきはカザネが悪いとは思わなかった。

 まして、その時に死んでしまっているのなら、カザネだって被害者じゃないか。

 梧は一瞬、目を見開いたが、すぐに目を閉じて何も言わずに首を横に振った。

 またも沈黙が落ちる。

 そこに突然、スマホの着信音が鳴った。

 全員がビクッと身を震わせ、たまきは聞き覚えのある着信音に、慌てて自分のバッグからスマホを取り出すと「ごめんなさい、私です」と言った。

時雨が「出て大丈夫ですよ」と言うと、たまきは頭を下げて席を立つと部屋の隅に行って小声で話し始める。

 時雨が腕時計を確認すると、もう18時を過ぎていた。秋の夕暮れは早く、窓のブラインドを薄く開けるともう外はすっかり真っ暗だ。

「帰りの手配をしてきます」

 時雨はテーブルの上の飲み物を片付けつつ、小声でそう言うと、梧は頷いて「頼む」と答えた。

 すぐに時雨は部屋を出ていく。

 電話を終えたたまきがソファーまで戻ってきて

「すみません、もう帰らないと」

と、身支度を始めた。

「長い時間悪かった。今車を用意させてるから」

 まだ顔色は良くないままだったが、梧が答える。

「いえ!駅、近くですよね?最寄りの駅からはバスも出てるし……」

「いや……送ってもらったほうがいいよ。たまき先輩んち、おじいさんとおばあさん心配してるでしょ」

 紫露と梧の顔を交互に見ながら言ったたまきの言葉に、紫露はすかさず、呆れ顔で言った。

「もう外は暗い。一人で帰すわけにはいかないな。……ご両親の帰りはいつも遅いのか?」

 梧は紫露に賛同した後、紫露が祖父母の話を出したので何気なく質問した。しかし、たまきが妙な間を置いてから

「それは……」

 と言葉に詰まったので、梧は訝しげな顔をして紫露に視線を送る。

 紫露は一度、たまきに視線を送ったが、答えを待たずに梧に向き直り、

「……たまき先輩はおじいさんとおばあさんしかいないよ。四年前の災害でご両親もお父さん側のおじいさんとおばあさんも亡くなってる」

 と答えた。梧がたまきを見つめたまま固まると、たまきは気まずそうに顔を背ける。

 そこへ時雨が「車の用意できました」と言って戻ってくると、妙な空気感に首を傾げた。

「……何かありました?」

 時雨が問うと、我に帰った梧が額を押さえてため息をついた。

「言いにくいのはわかるが……。君に聞かせていい話じゃなかったな……」

 梧は前世の記憶に引っ張られ、現世ではまだ中学生のたまきに対して、大人の自分の立場を疎かにしていたことを改めて自覚した。

 慚愧に堪えず、眉間を押さえてもう一つだけため息をつく。

「え?どう言うことです?」

 状況が飲み込めない時雨は全員の顔を見渡す。

「……いや、全然気にしないで大丈夫ですから……」

 苦笑いを浮かべてたまきが答えると、梧は静かに胸ポケットに手を入れ、名刺入れを取り出して、自分の名刺を一枚出した。

「……彼女は四年前の災害でご家族を亡くしているそうだ」

「えっ?」

 簡単に事情を説明すると、時雨が声を上げる。

 梧は立ち上がり、名刺をたまきに差し出した。たまきはそれを見つめて目を丸くする。

「気にするに決まっている。……これは、君がこの先、何か困ったことがあった時、おじいさんやおばあさんにも話せないことがあった時、一人で抱えないでいるために持っていてくれ。他に頼る相手がいるなら何も問題ないんだ。忘れてくれていい。ただ、お守りとして渡しておく」

「いや、そんな……」

 両手を振って断ろうとするたまきを真剣な眼差しでまっすぐ見つめ、梧は優しくもう一歩、名刺をたまきの方へ押し出す。

 それに押されてたまきは、遠慮がちながら名刺を受け取った。

「……さっき、震えたのも何か思い出してしまったんだろう?普段忘れていても、何かの拍子に思い出してしまうこともある。……無理はしないでくれ」

 梧が切なそうな眼差しでそう言うと、たまきの胸がドキリと高鳴り、きゅうっと締め付けられた。顔が熱くなるのを感じて、視線を逸らす。

 逸らした先にいた時雨も同様に名刺を差し出した。

「……私のも渡しておきますね。もちろん、紫露経由で声をかけてくれても構いません」 

 そう言って優しく微笑む。

「さぁ、帰りましょう。そう言うことなら、おじいさまとおばあさまはご心配でしょう。……部活の後輩の親ということで、お詫びとご挨拶してきます」

 時雨はたまきに声をかけた後、梧に向き直って言うと、ドアを開けて紫露とたまきを促した。

「そうしてくれ。所縁のない私が顔を出すと、余計心配をかけそうだからな」

 その背中に梧が答えて送り出すと、たまきは立ち止まって丁寧に梧の方へ向き直り、頭を下げた。

 梧もそれに軽く頷いて答えると、たまきたちが廊下の向こうへ見えなくなるまで見送ってから、職場の自室に戻ったのだった。

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