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 紫露は普段からふざけた言い方もするし、冗談も言う。だけど人を気遣って誤魔化すことはあっても、嘘は言わないとたまきは思っていた。

「……似てるとかじゃなくて……たまき先輩は、ハルさんなんです」

 紫露が続けて言った言葉にも戸惑うしかなかった。

なんの話をしていたのかも忘れるほど意味がわからない。

たまきが“ハル”と呼ばれた理由を聞きたかったはずだ。

たまきはそんな名前じゃないし、身に覚えもない。あるとしたら、たまきとハルが似ていたから、見間違えてしまったと言うことじゃないかと思ったけれど、

 —————()()()()さん?

「それって……どういう—————」

動揺したたまきがようやく言葉を発したちょうどその瞬間、

「お待たせしました」

 大学生くらいの男性店員の声がたまきの言葉を遮り、両手に注文の品を持って現れた。

紫露とたまきが目を丸くして店員を見上げる。店員も一瞬、その二人を驚いたような顔で交互に見つめ、その場の空気が固まった。しかし店員がすぐさま営業用の笑顔に戻り「ハンバーグプレートのお客様」と尋ねてきた。

「あ、え、俺です……」

紫露が軽く手をあげて返事をすると慣れた手つきで紫露の前にプレートと飲み物を置き、残りのホットサンドセットをたまきの前に置く。

「ご注文の品はお揃いですか?」

表情を崩さぬまま、二人の顔を交互に見て店員が言う。

たまきと紫露が頷いて「はい」と返事をすると「ごゆっくりどうぞ」と一礼して去っていった。

二人は顔を見合わせる。

 互いにそれなりに意を決して切り出した話の勢いが削がれ、話を続けようかどうか迷ったが、紫露が頭を掻いて「とりあえず食べましょう」とカトラリーを手に取った。

たまきはまだ少し呆然としていたが、黙々と食べ始めた紫露の様子を見て自分もホットサンドを手に取り、ゆっくりと食べ始める。

 

 食べ終えて静かに飲み物を飲みつつ、どうやって話を戻そうか考えていた二人は結局、カフェを出ることにした。

 気まずい空気のまま、たまきは支払いを済ませてから、入り口付近で待っていた紫露と合流して外へ出ようとしたその瞬間、「えっ!?」と言う声と共に紫露が突然立ち止まった。たまきは止まりきれずにその背中にぶつかって顔を打つ。

「……霜槻?どうかした?」

 鼻をさすりながら紫露の後ろから顔を出したその時、紫露の正面にいたカフェに入ってきたお客さんを見て、たまきは驚いた。

 高身長でスーツ姿、長い脚。顔が小さく、艶やかな黒髪と同じ黒々とした切れ長の目。

「アオ君……!?」

 そう。アオ君—————海部梧、その人だった。

「紫露?」

 名前を呼ばれて紫露に気づいた梧は、なんでこんな時間にここに?と言うように一瞬顔を顰めたが、紫露の後ろから顔を出して固まっているたまきに気がついて表情をこわばらせ、凍りついたように固まった。

「……あ、えっと……、今日は文化祭の振替休日なんだけど……」

 固まっている二人の間で時雨は気まずい様子をなんとかしようと考えてはみたものの何もいい話題が思いつかない。梧も紫露の言葉にほとんど上の空で「あぁ……」と返事はしたものの、動けずにいた。

「あの、避けてもらっていいですか」

そんな三人の間を、先ほどの男性店員が怪訝そうに割って入って、三人は我に帰った。

 入り口を塞いで他のお客の邪魔になっていたのである。

「すいません」

「ごめんなさい」

「すまない」

 口々に謝ると三人は一度避けて滞ったお客を出入りさせた後、ひとまず外へ出て脇に避けた。

 男性店員は出入りできなかったお客に頭を下げつつ営業用スマイルで挨拶を交わしてさばいた後、入り口から顔を出してきて梧の顔を見上げる。

 気づいた梧が驚いた顔でそちらを見ると、

「テイクアウトで?」

そう声をかけてくる。

「え?……あぁ。頼む」

 戸惑いが抜け切らないままの梧が答えると彼は頷き、梧の差し出したICカードを受け取ると、特に営業スマイルもなく淡々とした表情で男性店員は店の中に戻って行った。

「知り合い?」

 紫露が不思議そうにそのやりとりを見て言う。

「ん?……あぁ」

 梧はちらっとたまきに視線を落とした後、珍しく歯切れの悪い返事を返した。紫露は訝しがりつつも、まだぎこちないたまきと梧の方が気になり、たまきに視線を戻す。

 口を挟まない方がいいかと思ったが埒があかなそうな雰囲気を察知し、紫露はたまきに向き直り、梧を手のひらで指し示した。

「海部梧さんです。通称アオ君」

と紹介したあと、今度は梧の方へ向き直ってたまきの方へ手を向けると「冴島たまきさん。俺の部活の先輩」と紹介した。たまきは慌てて頭を下げ、「冴島たまきです」と名乗り、釣られて梧も「海部梧です」と名乗り頭を下げる。

 普段そんな態度ではない梧の珍しい腰の低さに紫露は笑いそうになるのを一歩下がって顔を逸らし、堪えた。ここで笑い声をあげて二人の邪魔をしないよう、静かに気配を消す。

 梧は頭を上げた後、落ち着かない仕草で髪をかきあげ、

「……昨日は、すまなかった」

 とたまきに向かってもう一度頭を下げる。

「えっ、あ、いえ……こちらこそすみません」

 反射的にたまきも頭を下げて謝ると、梧が顔を顰める。

「いや、君が謝る必要はないだろう?」

「あ……、ごめんなさい」

 梧の顔が怒ったように見えたのか、たまきが身を縮めて謝ると、梧がハッとした顔をした後、額に手を当ててため息をついた。

「いや……怒ったわけじゃない。黙っていると怖く見えるだけだ」

梧が言った言葉にたまきは手を振って「そんなことないです」と返したが、梧にとっては社交辞令にしか聞こえなかったようで、

「知らない男に声をかけられて怖かっただろう。……もう君には関わらないから心配しないでくれ」

 と半ばたまきの続けた。

「はぁ!?」

たまきが「えっ?」と小さく声を上げる前に紫露が大きな声を上げた。

「静かにしてもらってもいいですか?」

「うわっ」

 急に声をかけられて紫露は声を上げて少し跳ねた。振り向くと、テイクアウト用のケースに入ったコーヒーの紙カップ一つと、イエローとピンクのグラデーション色の炭酸飲料が入ったプラスチックカップ二つを手に持った男性店員が立っていた。

「すんません……」

落ち着き払っている店員に紫露が軽く頭を下げて謝ると、店員は「いえ」と軽く返事をしてカードを梧に差し出す。

「俺はコーヒーだけのつもりだったが……?」

 不思議そうな顔でカードを受け取り、ポケットにしまい込むと、梧は店員の持っている飲み物を受け取りつつ言った。

「話が長くなりそうでしたので、お二人の分も追加しておきました。そちらのベンチを使われてはいかがですか?……もちろん、声は抑えめで」

 店近くに置かれている公共のベンチを指し示して店員が言う。

 紫露に向かって口元に人差し指を立てて見せると、紫露は首をすくめた。

「……代金は?」

 半ば睨みつけるようにしながら梧がいうと、

「そのカードから引いときました」

 と梧のポケットの方を指差しながら、淡々とした口調で悪びれもなくいう。

「おまえ……」

「新作ドリンクなんで、楽しんでください」

苦々しげにつぶやいた梧を無視して、男性店員は営業スマイルを見せると一礼してまた店へ戻っていった。

 紫露は親そうな二人の様子を不思議そうに見つめながらも、その後梧が飲み物を渡してきて「俺は会社に戻る」と立ち去ろうとしたので、慌てて「ちょっ、」と声を上げようとした。

 しかしそれを遮って「待ってください!」とたまきが言った。

 声が大きめになってしまったので慌てて口を押さえて店の方を覗くと、男性店員がじっとこちらを見つめていた。たまきが頭を下げると、店の中の男性店員はハッとして軽く頭を下げると仕事に戻っていく。

 たまきたちは店員に言われたベンチに移動して、たまきを真ん中にして座ると声量を抑えつつ「教えてほしいです」と梧を見つめた。梧が驚いた顔で見つめ返してくる。梧の黒い瞳は、やっぱり綺麗だと思った。

「……私がハルさんってどう言うことですか?」

 梧はそれを聞いて紫露に視線を向ける。その顔が、話したのか?と問うている。

「……それを聞くために、たまき先輩は俺に連絡してきたんだよ、今日」

 それを聞いて梧は困惑した表情になった後、俯きながら手で額を押さえ、ため息をついた後、固まった。

「……どうして……」

 たまきがその梧を見つめながら、弱々しくつぶやく。

「……どうして私を見るとき、そんなに……辛そうにするんですか?」

 続けられた言葉に梧はハッとして顔を上げる。泣き出しはしないが、たまきが寂しそうな表情で気遣わしげに微笑んでいる。

 何も知らないたまきにとって、今の梧の態度は十分傷つけているのかもしれなかった。紫露が横でため息をついた。

「……アオ君がたまき先輩に声をかけちゃったんだから、その責任は負わないと」

 紫露はそれでも背中を押すつもりで言った。梧は視線を落としてしばらく考え込んだ後、一つ息を吐いてそのまま口を開いた。

「……君の顔を見た途端、声をかけずにはいられなかった。……君と……ハルと()()しても関わらずにいようと思っていたのに」

 梧の視線が空を見上げるように上向き、虚空を見つめた。その先で何かを思い出しているのがたまきにもわかった。

 ふと、風がたまきたちの間を吹き抜けた。その瞬間、梧を見つめるたまきの目に黒く長い髪がさらりと風になびいた姿が映った気がした。光にきらめき青く光ったように思ったが、たまきが瞬きをすると梧の短い黒髪がさらりと風に揺れるだけだった。

 梧の視線が、たまきの方へと向けられる。たまきの胸がどきりと跳ねて、胸元の服を掻きよせた。

 少しだけ視線を下げ思いつめたような表情になった梧はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと視線を上げて真剣な眼差しでたまきをまっすぐ見つめた。しかしその瞳が揺れる。

「……前世で、ハルを死なせたのは……私だ。だから、君が……ハルが、私を恨んで当然なんだ」

 梧の辛そうな表情にたまきの胸が押しつぶされそうなほど締め付けられた。息が苦しくなるほど痛くなる。恨んでいるなんて一言も言っていないし思ってもいないのに、梧はそう確信しているように言った。だんだんと俯いていく梧が、まるで泣いているように見えてたまきは無意識に手を伸ばした。

 隣で身を縮めた大人の男性の頭を抱えるようにして抱きしめると、梧の身体がわずかに震えていたことに気づく。なんの根拠もないのに「あなたの、せいじゃない」と、それをなだめるように優しくなでた。

 親にも、家族にもそんなことをしたこともなかったのに、そうしたいと思えた。


——————誰かの死を自分のせいだと思う気持ちが、たまきには痛いほどわかる気がしていた。

 たまきが抱きしめたのは、たぶん、自分だった。


 はじめ、梧は抱きしめられていることに気づかなかった。いや、抱きしめられたということはわかっていたかもしれないがそれよりも前世でのことに気を取られていて、誰が自分にそうしてくれているのかまで頭が回っていなかったのだ。

 そのぬくもりを無意識に受け入れ、胸の苦しさが徐々に和らぎ始めるうちに、目を閉じて遠い昔に感じたことのある懐かしい感覚を思い出していた。ゆっくり優しくなでているその小さな手が、かつてのハルのものと重なっていく。

 梧の耳に「あなたの、せいじゃない」と言う声が届いて、目を閉じたまま梧は力を抜いてその手に身をゆだねようとした。ハルの傍に居る時のような安心感があった。


 しかし次の瞬間、眼前が赤く染まり、心臓がどくんと縮んで、血の気が引いた。血の海に横たわるハルの姿がフラッシュバックし、はっと梧は目を開けて腕の中で顔を上げる。


 梧を抱きしめていたたまきと至近距離で目が合うと、二人は驚いて固まった。


 間近にあるまだ幼い顔がみるみる真っ赤になっていって、「あ、え……」と戸惑う様子に、梧は我に返るとたまきの肩を掴んで引き剥がすように遠ざけた。

「すまない……」

 急速に現実に引き戻されると自分は何をしているんだと思った。中学生の子供に抱きしめられながら慰められていたなんて、どうかしている。

 彼女は記憶があろうとなかろうと、ハルであってハルではない。もうハルはいないのだ。

 自分が情けなくなった。ハルを失った自分はこんなにも脆いものだったのか。

 梧とて、もう前世の自分ではないのに。前世に戻ることはできないし、人生をやり直すこともかなわない。ならどうして、前世の記憶など持っているのだろうと嘆いてみても、記憶は消えてはくれない。

 時間が経てば経つほど、あの頃の自分がハルに抱いていた想いが愛情であったのかどうか、確信が持てなくなっていった。現状から逃れるために利用していただけではないのか。ハルはただそれを同情や哀憐の情で受け入れただけなのではないか。そうであるなら、自分はそれに付け入った愚かで罪深い男だ。

 ハルと自分の間にあった情が愛だったと信じる気持ちと、いやそうではなかったのではないかと言う自問自答を現世になり何度繰り返したか知れない。

 せめて、ハルの本音を聞くことができたなら……。たとえそれが梧を責めるような言葉であっても、それでも行くべき道の、道標にはなっただろう。

 

「……ハルさんが……」

たまきはまだ赤い頬を掌で押さえながら、おずおずと口を開いた。

「……恨んでいるとは、限らないですよね」

黙った梧を気遣うようにそう続ける。

 ハルとは違い感情が表に出やすい彼女を見つめながら、彼女の純粋さに胸が痛んだ。

 梧が抱えている前世(かこ)の後悔を、彼女なりに解こうとしてくれているのかもしれない。目の前で苦しんでいることがわかるから、放っておけないのだろう。

 そういうところは、ハルに似ている気がした。だが、前世の記憶を持たない彼女は、人生がどれだけ残酷でままならないものだということをまだ知らない。梧はどう伝えていいかわからなかった。

 

 黙って項垂れる梧のせいで、あたりの空気は重苦しく沈んでいた。


「—————その話を続けるなら、場所を移しましょう」


 沈黙を破ってそう言ったのはそこにいる三人の誰でもなかった。

聞き覚えのある声に梧が顔を上げ視線を向けると、そこに立っていたのは時雨だった。

「……父さん?」

「お前、何でここに……」

時雨は紫露と梧の声を聞いて、一度カフェの方へ視線を向けてから梧の顔を見ると、

森庵(もりな)から連絡をもらいました。あなたは出かけたっきり戻ってこないし、電話にも出なかったので助かりましたよ」

 そう早口で答えたのを聞いて、梧はスマホを取り出して画面を確認した。マナーモードにしていたせいで気が付かなかったが、時雨からの着信が何件も入っていた。

 時雨はたまきの方に向き直り、膝を折って目線を合わせると「昨日は失礼しました。紫露の父の、霜槻時雨と申します」と微笑んで丁寧に自己紹介した。

「冴島たまきです……」

 たまきも自己紹介を返す。

「……冴島さん、いつも紫露がお世話になっています」

 もう一度頭を下げて答えた後、紫露に視線を移すが、紫露は気まずそうに視線を逸らした。少し苦笑いをした後、時雨はたまきをまた見つめ、

「……前世のことを、知りたいですか?」

 先ほどの柔和な微笑みからは打って変わり、少し鋭い真剣な眼差しで聞いた。たまきの覚悟を試しているようだった。たまきは少し逡巡した後、梧に視線を向ける。

胸の辺りの服を掻き寄せるような仕草をしたたまきに、

「どこまで聞いたかはわかりませんが、あなたが想像するよりはるかに辛くて苦しい話になると思いますよ」

 と、時雨は念を押した。

 たまきは目を一瞬見開き、それから少し視線を落として目を伏せた後、服を掻き寄せていた手に少し力を込めてから顔を上げて時雨をまっすぐに見た。

「……ハルさんが死んだのが、梧さんのせいだからですか?」

 そう言われて時雨は驚いた表情をした。そのまま視線を向けられて梧は反射的に顔を背け、胸中で言い訳をするように嘘は言っていないと思った途端に胸が重く苦しくなった。

「それは……」

「私は……知りたいです」

 時雨の言葉を遮って続けたたまきの必死な顔に面食らった。

「何も知らないままじゃ……いけない気がするんです」

 単純な興味以外に、彼女には何か別の事情があるように思えた。

 時雨がその言葉を受け止めた後、浅く息を吐いた。時雨も腹を決めたようで

「……わかりました。ひとまず私たちの会社に移動しましょう」

 そう言うと、少し離れたところに控えさせていた一人の社員に目配せした。「私が乗ってきた車に二人は乗ってください」と合図で近づいてきた社員への指示も兼ねて時雨は言った。

 彼は頷くと、二人に「こちらです」と案内し始める。

「梧はどうしますか?二人と一緒に乗って行っても構いませんよ。あなたの車は私が戻しておきますから」

 手を差し出し、その手を取った梧の腕を引いて立ち上がらせながら言う。梧は首を横に振った。

「自分の車に乗る。……だが、運転は任せてもいいか?」

「もちろん」

 時雨はすぐに答え、梧の差し出したキーを受け取ると、軽く梧の背中を叩いてから頷いてみせた。梧もそれに応えて頷き、歩き出した。

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