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風の行く先  作者: 遥ゆとり
2章 高校編

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「森庵が、……家出?」

「はい。今は翠さんの家にいるみたいで……」

 たまきが話した翠と緝との話に、梧は驚いた表情を見せた。

 緝の家族については詳しくは知らないが、それほど仲が悪いとは聞いていなかったと思う。もともと家族と折り合いが悪く、これを機に家を出たと言うのならわかるが……と梧は首を傾げた。

 

 梧は、緝がそういう極端な行動をするような奴だとは思っていなかった。

 ゼンの頃は、大概スイやハルに振り回され、常に怒ったような態度ではあった。感情的と言えばそうも見えたが、口で文句を言うようなことはあっても、命の危険以外のことで、相手の感情や都合を無視することはまずなかったと思う。

 緝はさらにゼンの時よりも感情の起伏が少なかったので、そんな風に感情のまま、後先考えずに行動するとは驚きだった。

 それに、緝の両親が何を心配しているかは、梧にでもわかる。

 時代はいくらか進んでいても、同性同士のカップルをよく思わない人はいるし、異性カップルと同じことを望んだ時、それを得るためには多大な労力と費用を要するだろう。

 緝自身もそれがわからないわけじゃないはずだ。今の緝は20代前半だが、かつてはハルの親だったゼンの記憶を持ち、彼はどちらかと言えば、心配して反対する側だった。

 親としての気持ちがわかっていながらそんな行動をしたということは、それほどまで思いつめるほどだったということなのか。

 そして、翠が時雨に相談したということは、翠の方が冷静に状況を判断しているらしい。

 今世はそう言う関係性なんだな、と何となく不思議な感覚になりながら、梧はコーヒーを飲んだ。

 

「……二人、大丈夫でしょうか?引き離されたりしないですよね?」

 たまきが眉を曇らせ、しゅんとした顔で言った。

「それはないだろう。そこまで厳格な家庭だとは聞いていないし、当人たちは成人している。親の許可を得なくても、どうにでもできるさ」

 梧は安心させるためにそう言ったつもりだったが、たまきははっと何かに気づいたように目を見開いた後、その表情がさらに曇る。

 梧が何かまずいことを言ったかと内心慌てていると、たまきは視線を少し下げて、

「……許可は、必要ないにしても……。そんなことしたら、家族に戻れなくなっちゃいますかね……?」

 と、弱々しい声を出した。

 ああ、なるほど。それを心配していたのか。と思った。

「……どうだろうな。二人が真剣だとわかれば許す気になるかもしれないし、どうしても許せないとなればそう簡単ではないかもしれない。説得するかしないかも、森庵と……孤崎さんだったか。彼が二人で話し合って決めることだ」

 あまり優しい慰め方じゃなかったかもしれないが、梧は口先だけでごまかすのは苦手だった。

 たまきは「そうですよね」と気まずそうに微苦笑を浮かべる。

 その表情を見つめて、梧は頭を巡らせる。

 あれがデフォルトなのかもしれないが、困り顔をした翠のことを思い出し、困って相談したということは、緝が頑なになって、二人で話し合うことができなくなっている可能性もあるな。と梧はふと考えた。

 きっと、たまきは家族を大事にしてきたし、大事にされてきた。失う痛みも知っているから、たまきはできることなら、仲良くいてほしいと願っているのだろう。

 あとで時雨に状況を確認しておこうと考えながら、

「……時雨に話を聞いておく。俺にもできることがあれば協力するから、あまり心配するな」

 そう付け加えて微笑むと、たまきは一瞬間を置いて、先ほどよりも少し明るく微笑み返した。


「すみません。食事の邪魔でしたね」

 たまきがそう言って頭を下げ、去ろうとしたところで梧は急に慌てた。

「……たまき!……どこか、行きたいところはないか?」

 とっさにそう言って、たまきを引き留める。

 「えっ?……行きたいところ……ですか?」

 たまきは目を丸くして、驚いた顔で梧を見た。

 その表情を見て梧は、あまりにも唐突で不審に思われたのではと危惧した。

 梧は気まずそうに口を開く。

「……風邪の時に、りんご煮を作ってくれただろう?……今更だが、お礼がしたいんだ」

 それはこの前、カフェに来た時に伝えようと思っていたことだった。

 緝と翠のことがあり、なんだかんだ伝えずに帰ってしまったけれど。

「……え!?そんな、良いですよ!……初めて作ったし上手にもできてないのに、お礼なんて大げさですよ」

 たまきは戸惑い、両手を振ってすぐに遠慮した。

 たまきの作ったものはりんごを切って砂糖で煮るだけの簡単なもので、それも祖母の手ほどきを受けて初めて作った拙いものだったのだから。

「大げさじゃない。……美味しかったよ。味覚がない時の俺の感想じゃ、説得力はないかもしれないが……。その、作ってくれた君の気持ちも嬉しかったんだ」

 だが、珍しく梧は食い下がり、そう言った。

 梧にとっては、たまきが風邪を気遣って梧のためになにかをしようと思ってくれたことも、それがたまきの母との思い出があるりんご煮だったことも、特別、暖かな気持ちになった。

 もちろんたまきの行動原理は、困っている誰かを助けたいと願う、それだけだと言うことはわかっていて、勘違いをしているつもりはないが。

 

 たまきは梧の真剣な顔つきに驚いていた。梧が冗談を言う人じゃないとはわかっているけれど、その事だけでお礼だなんて、思いもしなかった。あの日、深夜の電話でお礼を伝えてくれただけで、もう十分だったのに。

 気持ちはすごく嬉しいけれど、たまきは胸の奥の勘違いが膨れ上がりそうで、なんとなく複雑な気持ちで黙って考え込んだ。

「……何でもいい、出かけるのが嫌なら欲しいものでも。どっちにしろ、今は……仕事が立て込んでいて、出かけるなら夏以降になる。だから……ゆっくり考えてくれていい。もちろん君がどれも嫌なら、無理強いするつもりはない」

 その表情を見ていると、たまきが嫌がっているのではないかと思えて、梧はだんだんと語気が弱くなり、遠慮がちに続けた。

 正直、梧は誰かに何かをされた時、どう返していいかがわかっていない。

 時雨たちにもお礼は断られていて、それでもと、時折食事をおごったり、杠葉には美味しいと有名なお菓子を買うことにしていた。

 たまきへのお礼が正しいのかも不安になってくる。事前に時雨に相談しておけばよかった。

 

「嫌なわけじゃ……」

 伏せ目がちになった梧が寂しそうに見えて、たまきは呟く。

 梧と出かけることが嫌なわけはない。

「……か、考えておきます……」

 たまきは自分の胸の奥の気持ちと戦いながらも、梧の肩を落とした様子を見つめて、そう答えた。

「……ありがとう」

 お礼を言わなきゃ行けないのはたまきのような気もしたけれど、梧がホッと微笑んだのを見て、たまきの胸がキュンと鳴き、心臓が跳ね上がる。

 たまきは「し、失礼します」と頭を下げて、そそくさとカウンターの方へと戻った。

 梧の近くにいたら聞こえてしまいそうなほど心臓の音がうるさくて、顔が熱い。


「おかえりなさーい」

 夏海が呑気な声でそう言ってレジに迎えたので、たまきはハッとして、

「ごめんね、一人で大変だった?」

 と、店内を見渡した。梧の他には二人ほどしかいない。

「ぜんっぜん。今日暇なんで、もうちょっと話してきても大丈夫ですよ?」

 夏海はニヤニヤとした顔で言った。

 たまきは慌てて「も、もう大丈夫だよ!」と答えた。

「……よかったですねぇ、仲直りできて」

「えっ?な、仲直り?喧嘩なんて……してないよ?」

「ん?そうなんですか?ならいいですけど」

 夏海はそう言って微笑むと、店内に視線を戻した。

 

 しばらくたって、梧が食事を終えてレジにやってくる。

 夏海が素知らぬ顔を決め込んだのでたまきが応対し、支払いを終えた梧はたまきと目を合わせた。

 たまきがドギマギして視線を泳がせていると、

「……じゃあ、考えておいてくれ。……連絡、待ってるから」

 と、優しい声で言った。

「は、はい」

 顔が熱くなるのを感じながら返事をしたたまきを見つめて微笑むと、梧は店を出ていった。

「ありがとうございましたー」

 と、夏海は梧を見送ったあと、たまきの方をふと振り返った。

「冴島さん顔、真っ赤ですよ」

「へぁっ!?」

 たまきは言われて変な声をあげてしまい、口を押さえた。夏海はふはっ、と笑ったっきり、たまきの様子を察してか、それ以上何も聞いてこなかった。

 たまきの頭の中はもう、完全に混乱していた。

 

 ……どうしよう?

 梧さんは、お礼をしたいだけ!お礼だもんね?

 えっ?えっ、だとしても、どうしよう〜〜!!

 

 たまきは、そう胸中で叫んでいた。


 ――――――――――――――――――――――――

 

「遅くなってすみません、姉さん」

 ホテルの部屋に着くと、時雨はすぐにそう言った。

 霞はゆったりとソファに座ったままその時雨を見上げて頬杖をつく。

「……ようやく来たわね、うちの可愛い騎士(ナイト)さん」

 冷ややかに目を眇め、口調だけは優しく柔らかだ。

 電話での声はそれほどでは無いと思っていたが、この反応は相当怒っている。事態を把握しようと、ソファの隅に腰掛けていた紫露に視線を向けると、紫露の視線は時雨に何かを訴えかけている。

 その紫露の青ざめた表情を見て、時雨は事態が深刻な状況に陥っているように感じて、嫌な予感がよぎった。

 霞に視線を戻すと、口元だけに笑みを浮かべて、

「まぁ、座りなさい。時雨」

 と、ひらりと手でソファを刺し示した。

 紫露と霞の顔を交互に見ながら、促されるままに霞の向かい側に座ると、ひとまず霞は微笑みを浮かべた。

「私、決めたのよ。時雨」

「……決めた?」

「私が決めたっていうより、決めたのは()()ちゃんね」

 その名前を聞いて、時雨の背筋に冷たいものが走った。

「杠葉さんが何を……っ!」

 時雨が声をあげたのを、霞は手のひらを時雨に向けて制すると、

「落ち着いて、まずは聞きなさい」

 その霞の視線が、ひどく冷たく、鋭く見つめてきて、時雨は押し黙る。

「……私が帰る時に、杠葉ちゃんを連れて行くから」

「なっ!?……どういうことですか?」

 大きな声をあげかけたが、時雨は必死に声のトーンを抑えながら聞く。

「もともと、杠葉ちゃんには何度もうちに遊びにこないかって誘ってはいたんだけど、紫露が小さいからとか、時雨の仕事が忙しいとか、色々あって断られてたの。だけどついこの間、旅行がしたいから今度帰る時に連れて行ってと言われたのよ。」

 微笑みを口元に湛え、霞は自慢げな顔を見せた。

 反対に、時雨の顔色はどんどん悪くなっていく。

「……他には、なんて……?」

 弱々しい時雨の声に、霞の表情が急速に冷えて行く。

 その顔を見て、時雨はしまった。と思った。

「他に?……杠葉ちゃんがどんなことを言う心当たりがあるのか、聞かせてもらえるかしら」

 墓穴を掘った。杠葉は霞に事情は話していないのだ。

 杠葉の性格を考えればわかることだった。時雨と霞の間に軋轢を生むようなことをするわけがない。

 時雨は霞から視線を逸らして俯く。

 紫露の方へ一瞬視線を送ったが、紫露も視線を逸らして目を合わせようともしない。

 時雨は答えられなかった。

 その様子を見つめていた霞が、大きくため息をつく。

「……時雨、私はあなたの親代わりをしてきたわ」

 呆れを含んだ霞の声に、時雨は声を出すことはおろか、顔すら上げられなかった。

「杠葉ちゃんと結婚する時、私はあなたに言ったわよね?杠葉ちゃんを悲しませないこと、一人で突っ走って杠葉ちゃんの気持ちを蔑ろにしないこと、何をおいても杠葉ちゃんを優先すること、って」

「…………はい」

「……急に前世を思い出したとか言い出して、セカンダリー・スクールに上がる頃、日本へ戻りたいって言うあなたのために、私はあなたを信じて両親を説得し、あなたと共に日本に戻ったわ。運命の人を探したいって言ったあなたを好きにさせて、運良く杠葉ちゃんを見つけて、付き合うことも、結婚も、渋っていた杠葉ちゃんへの説得を私は後押ししたわよね?」

「………………その通りです」

 すっかり俯き、言われたことに返事をするだけになった時雨の様子を見つめながら、霞はさらにまた、ため息をついた。

「……さっき言った条件をつけた上で、だけどね」

 時雨は答えないまま、キツく目を閉じた。

 霞は額に手を当てる。

「……ねぇ、時雨。私はあなたをいじめたいわけじゃないのよ」

 その声が哀しみを帯びて聞こえて、時雨は目を開いて、恐る恐る顔を上げた。

 霞の顔は哀しそうに曇っていたが、時雨と目が合うと眉根を寄せた不機嫌なものに変わる。

 そのまましばらく、気まずい沈黙が落ちた後、時雨が重く口を開いた。

「……いつ、ですか」

「7月のミーティングが終わったら帰るわ。その時に杠葉ちゃんも一緒に行くつもりで、準備してもらうように伝えてあるわよ」

 時雨の顔がつらそうに歪む。

「………………戻るのは?」

「そうね。私は春以降に何度か行き来しながら、ブランド25周年の準備をするけど、……杠葉ちゃんの帰国は杠葉ちゃんに任せるつもりよ」

「……そう、ですか」

 そう言ったっきりまた俯く時雨を、霞は訝し気な視線で見つめる。

 いつもなら決して譲らないはずの時雨が、大人しく杠葉を連れて行かせてくれるつもりらしい。

 

 時雨の前世の話は突拍子がなさ過ぎて、なんだかよくわからなかった。まだ十代になったばかりの弟が、急に大人びた表情で前世を思い出したというからひどく驚いたのを覚えている。

 聞いたのはもう20年以上前で内容はほとんど覚えていないが、杠葉の前世とは生き別れになってしまったと言っていた。それも、風のように目の前からいなくなってしまったと。

 想像もしたくないけれど、愛する人に突然、何の前触れもなく去られたらどんな風になってしまうだろう。

 何が悪かったのかと考え続け、理由を探して、一生、自分を責め続けるかもしれない。

 子供だった時雨が、急激に大人になって苦悩する姿を見て、霞は何かせずにはいられなかった。

 

 そのせいか、時雨はいつも必死だった。運命か偶然か、杠葉のことを見つけてからは特にそうだった。

 穏やかなふりをして杠葉を喜ばせることを常に考え、できる限り一緒に居ようとした。杠葉と一緒にいるときの時雨は、杠葉しか目に入らない。姉である霞も、息子である紫露でさえも見えなくなる。

 時にそれが空回りして、過剰すぎて、杠葉の意向で学校行事には一緒に参加していなかったようだが、少しずつ、参加しているらしいことは紫露から聞いていた。


 弟夫婦は少し特殊な始まり方をしたけれど、歳を重ねてちゃんと夫婦らしくなったのだと、思っていた。

 霞だって、二人を引き裂くようなことはしたくないが、お互いに気を遣い過ぎる二人だから、少し離れて冷静になればいい、と考えている。

 ……良い方向に変化できるという確証はないけれど。

 

 霞は何度目かのため息をついた。

 時雨と紫露が悲壮な顔のまま視線を上げる。

「さて、今日は一日付き合ってもらうわよ。時雨、紫露」

 霞が、いつもの余裕たっぷりの微笑を二人に向けると、二人は無理やりぎこちない微笑みを浮かべ、静かに頷いた。

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