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 たまきは梧とのメッセージのやり取りが途切れて、部屋でベッドに横になり、ぼんやり天井を見つめていた。

 

 今日の昼間、学校で心悠と話していたところにさっちょんとよっちんもやってきて、梧が病気かもとそわそわしているたまきに「そんなに心配なら連絡してみればいーじゃん」と軽い調子で言ってきた。

「たまはいつも考えすぎ」

「梧っち、元気ぃ〜?って送っちゃえばいーんだよ」と。

 あまりに軽すぎるさっちょんの提案には「流石に”梧っち”も”元気ぃ~?”もないだろ」と心悠が突っ込んでいたけれど。

 その場で送ってみてという雰囲気になったが、その時はたまきは勇気が出なくて、仕事中かも知れないからと言い訳をしてメッセージを送るのを断った。

 だけどあまりにもあっけらかんと言われると、だんだんと確かに考えすぎなのかも知れないと思い始めた。

 なんだか送ってみようかなという気になってきて、元気かどうか、確認するだけ!と心の中で唱えながら、夜になってようやくメッセージを送ったのだ。


 たまきはもう一度、梧との短いやりとりを見返した。

 

 “元気ですか?”

 “元気です。たまきも元気か?”

 “よかった!私も元気です”

 “それならよかった”

 “また、カフェに来てくださいね”

 “また行くよ”


 こんな会話でも、たまきは返信があったことに嬉しくて胸がドキドキして、落ち着かない。

 ただ、文字だけだと感情がわかりにくくて、この内容で良かったのかなとか、迷惑じゃなかったかなとか、やっぱりぐるぐる考えてしまう。

 もう少し話したい気もしたけど、やっぱり迷惑な気もするし、適当な話題も見つからなかった。

「……会いたいなぁ」

 ふと、口をついて出た言葉に、誰かが聞いているわけでもないのにたまきは自分の口を押さえた。

 数秒息を止めて、ため息をつく。

 緝と翠の関係がうまくいき、たまきは嬉しい一方で、羨ましくも思った。

 あんなふうに、梧と相思相愛になることなんて、きっとない。

 あの時、梧はたまきを守ろうとして抱き寄せたけれど、梧は何とも思っていなくて、たまきばかりドキドキして、誤解だったけど守ろうとしてくれたことに、たまきは胸が締め付けられて梧のことが好きだと思った。

 このまま、どんどん梧のことが好きになってしまったら、どうなってしまうんだろう。

 今の梧とたまきの関係だけでも十分なはずなのに、梧の行動の原動がたまきのことを好きだからであってほしいと願ってしまったら?今でも苦しいのに、もっと苦しくなる?

 梧にとっては、たまきはハルの代わりに幸せになってもらいたいと思っているだけなのに……、たまきに好きだと言われたら、梧は困るだろう。

 苦しいのも嫌だけど、梧を困らせるのはもっと嫌だ。

 「……親戚の子供だもんね……」

 と、口に出して言うと、たまきは布団の中にもぐりこんだ。

 もう高校生だけど、たまきは小柄だし、見た目も子どもっぽくも見える。

 性格だってあまり大人っぽいとは言えない。

 梧にとったら、親戚の子供をなだめたり、あやしたりしてるようなものなのだろう。

 ……子供が相手なら、確かに頬に触れても抱き寄せても、何も感じないよねと思いながら、たまきはぎゅっと目を閉じた。

 誰かに相談したい。

 杠葉のことが思い浮かんだけれど、たまきに優しくしてくれて、微笑んでくれる杠葉がたまきのこんな気持ちを知ったら、欲張りだと幻滅しないだろうか?

 そんな不安がよぎって、言い出す勇気がなかった。

 

 —————パパには内緒だよ?

 

 ふと、耳元にママの声が蘇って、たまきは目を開けた。

 いつも、たまきやパパが尻込みするようなことを、全く根拠がないのに、”絶対大丈夫だよ!”と笑っていたママは、”ママね、この家にお嫁に来るって、パパと付き合う前から決めちゃってたの”と屈託のない笑顔を浮かべていた。

 それを聞いて、たまきはひどく驚いたことを覚えている。

 ママは、どうしてパパと結婚できるって信じることができたんだろう。

 パパと付き合う前に。

 パパがママを好きになるかどうか、わからないうちに。

 きっとたまきはパパ似の慎重派だ。

 たまきに、ママみたいに太陽みたいな笑顔と、揺るがない自信があったら、話は違っただろうか。

「……どうして、決められたの……?」

 問いかけても、もう答えを知ることのできない疑問を呟いて、たまきは再び、目を閉じた。

 

 

 ――――――――――――――――――――――

 


 その週の週末、たまきはロングヘアの似合う美人な女性と一緒に、高級ホテルの一階にあるカフェのテラス席で紅茶をごちそうになっていた。

「なら、私に話してみない?私はただの通りすがりよ。話すだけでも楽になることもあるし、全くの他人の方が話しやすい場合もあるでしょ?」

 その女性は、たまきに向かって笑顔で言うと、ウインクをして見せる。

 

 誰かに相談したいとは思っていたが、こんなところで初対面の人に恋愛相談をすることになるなんて、想定外だった。

 たまきはどうしようか迷って、微苦笑を浮かべる。

 

 こんな状況になったのは、たまきが通りすがりに彼女を助けたからだった。

 

 たまきはバイト前に、本屋に寄りたくて早めに家を出て、最寄りとは違う駅で降り、本屋に向かっている途中に歩道で蹲っていたこの女性を見つけた。


 「……大丈夫ですか?」

 ゆっくりと近づいてそう声をかけると、驚かせてしまったようで女性はびくっと身を震わせた。

 恐る恐る上げた女性の顔は青ざめていて、体が小さく震えている。

 とても具合が悪そうだったので、たまきは驚いて「救急車呼びますか?」とさらに声をかけた。

 彼女は首を横に振って、

「……大丈夫。しばらくこうしていたら……治ると思うから……」

 と、また俯いて、弱々しい声で言った。

 かといって立ち去るわけにもいかなくて、たまきはその場に膝をつき、蹲っている女性と視線の高さを合わせると、

「……なにか、手伝えることはありますか?」

 と、聞いた。

 あまり勝手なことをしないほうがいいとは思ったけれど、様子を見ながら、そっと彼女の肩に手を置く。

「……ごめんなさいね……」

 青い顔を少しだけ上げて口元だけで微笑むと、女性はそう呟いた。

 しばらくして、女性はたまきの方へ、まだ震えている片手を差し出してきた。

「……少しの間、手を……、握っていてもらえる?」

 たまきは頷いて、その手を優しく握った。女性の手はひどく冷えていて震えている。しばらくたまきはそのまま女性の手を握って、ゆっくり背中をさすった。

 どのくらいそうしていただろう。

 女性はようやく落ち着きを取り戻し、顔色も戻ったので、たまきはそのまま「良かったですね」と言って立ち去ろうとした。

 しかし、彼女はお礼をしたいと言って、たまきの手を離さなかった。

 彼女はそのまま、近くのホテルに併設されているカフェにたまきを招いた。

 これからアルバイトもあるし、お礼をされるようなことはしていないと言ったが、女性は一切引かず、結局、紅茶一杯だけいただくことにしたのだった。

 

 元気を取り戻した彼女は、たまきを退屈させないためなのか、よく喋った。

 どういう流れからだったか……、「今の高校生はどんな話をするの?恋バナ?」とか聞かれているうちに、好きな人がいるのかという話になり、たまきが一瞬複雑な表情をしたのを彼女は見逃さなかった。

「……何か、悩みがあるのね?」

 そう真剣な眼差しで言ったあと、良いことを思いついた、という顔で胸の前で両手を合わせて手を叩き、

「なら、私に話してみない?私はただの通りすがりよ。話すだけでも楽になることもあるし、全くの他人の方が話しやすい場合もあるでしょ?」

 と、ウインクをして見せたというわけだった。


 たまきは正直どうしようかと迷ったが、躊躇いながらもその女性に打ち明けてみることにした。

 

 その人は12歳年上で、たまきとは比べ物にならないくらい素敵な人で、辛いときに支えてくれたり、心配して助けてくれたりすること。

 だけどその人にとってたまきは恋愛対象外で、自分ばかりがどんどん好きになってしまって、欲が出てきそうで怖いこと。

 もしも、この気持ちが抑えられなくなって、相手から嫌われてしまったり、離れてしまったらどうなってしまうのかわからなくて不安なこと……。

 

 たまきの説明を静かに、真面目な顔で女性は聞いてくれた。

 話し終えたたまきと目が合って、女性は優しく微笑む。女性が話し出すまでの間を不安に思って、たまきは、

「……欲張りですよね?その人は、私のためにいろいろしてくれてるのに、こんな風に思ってるなんて……子供だと思われても、仕方ないっていうか……」

 と、言い訳をするように早口で言った。

 女性はゆとりのある仕草で首を横に振った後、

「そんなことないわよ」

 と、優しい声で言った。

「私にも身に覚えがあるもの」

 と、肩をすくめて見せて、微苦笑を浮かべる。

 完璧に見える女性のその仕草に、たまきは年上の人に対して失礼だけれど、可愛いと思ってしまった。

 ふと、女性は道行く人たちの方へ視線を投げ、手をつないで歩くカップルや、ただ二人で並んで歩くだけの人たちを眺めながら、

「今、順調にうまくいっているように見える人たちも同じ悩みを抱えていたかもしれないし、今もそれを抱えながら隣に立っているかもしれない」

 と言うと、たまきもそちらに視線を移した。

 道行く人は、笑顔で会話を交わしたり、身を寄せ合ったり、何も話さないでただ二人で歩いている人もいる。

「それは、ここから見ただけじゃわからないわよね」

 小さく息を吐きながら、女性は言うと、紅茶に視線を戻して一口飲むと、ほっとしたように微笑む。

「飲んでみて。美味しいから」

 そう言って紅茶を勧められ、たまきは軽く頷いてから、紅茶を一口含んで……驚いた。

「……これっ……」

「美味しいでしょ?」

 そう言って微笑んだ女性にたまきは頷いて応えたが、驚いたのは美味しいからだけではなかった。

 以前、飲んだことがあったからだ。

 確か初めて霜槻家にお邪魔した時に、梧が持ってきたお土産の紅茶と同じ味だ。とても美味しかったが、高級そうな茶葉で、もう飲むことはないと思っていた。

「前に知り合いに教えてもらったんだけどね。とっても美味しくて、それ以来、紅茶はここのものしか買わないの。このホテルに出店したのは最近なんだけど、このカフェがあるからこのホテルに決めたと言っても過言ではないわ」

 満足そうに微笑んで、女性はもう一口紅茶を飲んで、香りを楽しんでいる。

 たまきももう一口飲んで、その香りと味をゆっくりと味わった。

 たまきの顔がほっと緩んだのを見つめて、女性は、

「香りのいいものや、美味しいものっていいわよね。心をほぐしてくれるから」

 と、言った。

 それを聞いて、たまきは確かにそうだなと感じた。たまきの胸に燻っていた不安や怖さが、少しだけ遠のいて和らいでいる。

「……好きな相手が好きになってくれるか、不安だったこと……ありますか?」

「もちろんよ!さっき見たでしょ?あんなふうに街中で発作を起こして座り込むような人間を好きになってくれるって思う?……私なら面倒だと思う」

 彼女はそう言ってため息をついた。

「面倒だなんて、思いませんよ?」

 たまきは別に慰めるつもりで言ったわけじゃない。たまきは病気を経験しているし、苦しい時の辛さもわかる。ただ、面倒だとは思わないけど、さっきのように辛い思いをしている彼女を見たら、見ている方も辛いんじゃないかとは思った。

「……そう?ありがとう」

 そう言って微笑む彼女の表情を見ながら、たまきは、彼女はシンプルな服装でもモデルのようにスタイルが良くて、仕草も優雅で品があって、素敵だなぁと思った。見て惹き付けられるような魅力がある。

 たまきはどこにでもいる、平凡な高校生で、体型も中学生からあまり変わってない。

 最近はあまりなくなったけれど、時々中学生と間違われるときもあった。

「あなたってとても素敵な人ね」

 思いもよらない言葉をかけられて、たまきは言われている言葉の意味が一瞬、理解できなかった。

 だけど、素敵だと思っている人から素敵だと声をかけられ、微笑を向けられていたら、たまきは途端に顔が熱くなるのを感じた。

「え!?……そんっ、そんなことないですよ!……私なんか小さいし、スタイルだって良くないし……」

 慌てて俯き、たまきは顔の前で手を振って否定した。

「あら。今のは外見のことを言ったわけじゃないけど、見た目も素敵よ。それ以上に、困っている他人に何のためらいもなく声をかけれるって素敵だと思うの」

 真っ赤な顔のまま、たまきは困った顔で女性を見つめる。

 そんなたまきを見つめ返して、女性は少しいたずらっ子のような表情をした。

「褒められ慣れてないの?……なら、慣れるようにいっぱい褒めちゃおうかしら」

 たまきは目を見開いて首を横に振り、

「やめてください……」

 そう弱々しい声で呟いて、両手で顔を覆った。

 ふふ、っと彼女は笑い、

「ごめんなさい。意地悪だったわね。……でも、嘘じゃないわ。見た目も愛らしいし、肌も綺麗。ほっぺたなんか、触りたくなっちゃうわ」

 と、両頬を包むように頬杖をついて、たまきを見つめている。

 たまきはふと顔を上げて、手は口元に残したまま、「……触りたくなる、ほっぺ……ですか?」と、遠慮がちに聞いた。

 それを聞いた彼女は一瞬驚いたように目を見開いた後、何かを悟ったような表情になった。

「……触られたことあるのね?」

 ほんのり先ほどのいたずらっぽさを含んだ表情の彼女に言われ、たまきは視線を迷わせながらも頷いて、そのまま俯いた。

「確かにあなたの頬は魅惑的だわ。……でも、そうねぇ……」

 微笑んでそう答えた後、彼女は少し考え込むような仕草をした。

 そして、たまきの顔を一瞥した後、今度は手の甲に片方の頬を預ける形で小首をかしげた。

「……本当にその人、あなたに気がないの?」

 訝しげな顔で問いかけてくる彼女に驚きながら、たまきも首を少し傾けた。

「え……?……その人は、私のこと……親戚の子供みたいに思っているって……」

「言われたの?」

 そう問われて、たまきは首を横に振り、

「直接言われたわけじゃないんですけど……」

 と付け足す。

「……聞いちゃったって感じね……」

 どちらかと言えば独り言のように女性は呟いた後、また考えるような表情で少し黙った後、

「……まぁ、一概には言えないけど」

 と、前置きした。

「私の知り合いでね、感情を表現することがあまり得意じゃない方がいるのよ。表情もあまり変わらないし、口数もあまり多い方じゃない方で……」

 なんだか、梧と似ているな、と思ってたまきは自然と顔を上げ、そのまま話の続きを待った。

「だけどその方は、愛しい人の頬に触れる癖があって。まぁ、旦那さんとか子供さんとか、その方の家族に対してだけするらしいんだけど。本人は無自覚らしくて、旦那さんがこっそり教えてくれたことがあるの。”僕って妻に愛されてるんだなぁって実感するんだよ”なんてデレデレな顔で惚気てたわね」

 女性は顔を顰めて肩をすくめてから、たまきに向かって微笑んだ。

 話を聞いて、あ、女の人なのか。と思いつつ、たまきは「そう……ですか」と答えながら、梧もそうだとは限らないよなぁと思って曖昧に返事をする。

 それに気づいた女性が、

「ま、ただの一例ね。そういう癖のある人もいるって話よ」

 と苦笑する。


 そのタイミングで、女性のスマホの呼出音が鳴った。

「あ、いけない。忘れてたわ」

 女性がスマホを見てそう言うと、たまきもそこでハッとしてスマホで時間を確認すると、バイトに間に合うギリギリの時間だった。

 たまきは慌てて立ち上がり、

「あ、ごめんなさい、私…!」

 と言って、カバンの中からパスケースを取り出す。

 彼女は申し訳なさそうな表情になって、

「無理に足止めしてごめんなさいね。間に合う?」

 と声をかけてきた。

「たぶん、今ならまだ……!」

 たまきの言葉を聞いて頷くと、彼女は「じゃあ行って。今日は本当にありがとう」と促した。

 一瞬たまきは躊躇ったものの、彼女に向き直って丁寧に頭を下げて「ごちそうさまでした」と言って、小走りで店を出て行く。

 女性はそれを見送り、また席に座ると、一息ついた。そして、先ほど出られなかった着信に折り返す。

「ハァイ、私の小さな騎士(マイ・リトルナイト)。出れなくてごめんね」

『……どこにいるの?霞ちゃん』

 優雅に電話に出ると、相手が心配そうな声で言った。

「今、下のカフェにいるわ」

『一人で?大丈夫!?』

 相手はホテルの中にいるらしく、早足で移動している息遣いが電話の向こうから聞こえてくる。

「……コンビニに行こうと思って外に出たんだけどね」

『えっ!?』

 女性—————霞の話を聞いて、相手の声に緊張が走った。

「大丈夫よ。発作は出てしまったけど、とても素敵なレディーが助けてくれたから、このカフェでお礼をしていたの。もう行ってしまったけど」

『もー、どうして無茶するんだよ……』

 呆れた声と共に、相手が小走りになった気配がした。

 電話の向こうの喧騒が、霞のいるあたりの音と重なり始める。カフェの入り口の方へ目をやれば、見知った少年が辺りを見渡していた。

「あら、紫露一人?」

 それを見つけて霞がそう言うと、相手—————紫露は「あー……うん」と曖昧に答え、テラス席に座っていた彼女を見つけ、手を振ってきた。そこに店員が近寄っていくのが見え、紫露が電話を切った。

 出迎えた店員に何やら説明をしているので、そちらに向かって霞もひらひらと手を振り返すと、どうやら入店の許可をもらえたようだった。

「霞ちゃん!」

 紫露が霞の方へ駆け寄ると、

「時雨は?」

 不思議そうな顔で訊く。紫露は息を整えながら、霞に促されるまま隣の席に座り、

「ちょっと用事があるって。昼すぎには合流できると思う。それまではどこか行きたくても徒歩なんだけど、いい?」

 と聞いた。

 霞は笑顔で頷くと、

「いいわ。ここで少し休んだら、コンビニにだけ行きたいの。その後は部屋に戻って待ちましょうか」

 と答えた。

「……発作を起こしたんでしょ?どうして一人で出かけたの?」

「大丈夫だと思ったのよ。外は明るいし、コンビニはすぐそこだったから」

女性店員がメニューを持ってきたので、

「……好きなもの頼んでいいわよ。私は同じものをもう一杯いただけますか?」

 と、霞は空のカップに触れながら店員に注文した。

 店員はにこやかに微笑んで「かしこまりました」と言った後、紫露にメニューを渡して去っていく。

「助けてくれたレディーって誰?知ってる人?」

「知らない子よ。謙虚でとっても可愛い子だったわ。……私としたことが、名前と連絡先を聞くのを忘れちゃった」

 霞は残念そうに顔を顰めながらも、嬉しさを隠しきれていない表情に、

「……なんか、すごくいい人だったみたいだね」

 と、紫露が微笑んで言った。

 霞も嬉しそうな表情で頷いて応える。

 その時、店員が霞の紅茶を運んできて、紫露はオレンジジュースを頼んで店員にメニューを返した。

「あ。そう言えば、()()のブランドのパスケースを持ってたわ。2、3年前のデザインだったけど」

 その霞の言葉に、紫露は一瞬たまきと心悠に贈ったパスケースのことを思い浮かべたが、まさかね。と苦笑いをして、霞にはわからないように、小さく首をすくめたのだった。

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