28
「なに?」
たまきは帰り際、着替え終わってロッカールームから出てきたところで、緝と出くわして、呆れた顔でそう言われた。
たまきは視線を逸らして、
「……なんのことですか?」
と言ったものの、緝に大きなため息をつかれた。
「あの後、ずっとチラチラ見てたよな?」
「…………すみません」
緝の声が不機嫌そうに聞こえたのでたまきはしゅんとしたが、緝はその頭にぽんと手を乗せた後、
「聞きたいことがあるなら聞けばいいだろ。……俺もこれで上がりだから、ちょっと待ってて」
と言った。
てっきり、緝は話したくないものだと思っていたので、その態度に面食らいながらも、たまきは「……はい」と答え、店長に挨拶すると、裏口の外で緝を待った。
すぐに来るかと思っていたが、少し遅れて、緝は裏口のドアを開けてたまきの姿を確認すると、ほっと息を吐いた。
「中で待ってるかと思ってた」
そう言うと、ホットの紙コップをたまきに手渡す。
蓋を開けて確認すると、ホットココアだった。
「……ありがとうございます」
とたまきがお礼を言うと「待たせて悪かったな」と済まなそうに眉尻を下げた。
たまきが首を横に振ったのをすまなそうに見つめてから、
「あいつに文句言われたわ」
と緝はため息をついた。
「……あいつ?……夏海ちゃんですか?」
たまきが聞くと、緝は頷いた。
「一度も奢ってもらったことないって」
そういうとため息をついて歩き出した。
「……奢らないんですか?」
隣を歩きながらふふっと笑ってたまきが聞くと、
「仕方ないから、あいつの分も奢ってきた……」
とめんどくさそうに頭を掻いた。
たまきは、以前、夏海が緝のことを優しいと思っていない口ぶりだったのを思い出して、なんだかんだ優しい人なのになぁと微笑む。夏海もわかってくれたかなと、次に会った時に聞いてみようと思った。
「……で?何が聞きたかったんだよ」
しばらく歩いたところで、ベンチを見つけると、緝はそこに腰かけて言う。
「……何ってほどでもないんですけど……」
言いながら、たまきもその横に座った。
「……気になるから言え」
「…………記憶って、突然思い出したんですか?」
翠とのことを聞くのかと思っていた緝は、意外な質問に驚いた顔をした後、悩んだような顔つきになった。
特に時雨や梧と再会した時にもどんなふうに思い出したかなんて話したこともなかったし、どう説明しようかしばらく考え込んでいると「無理しなくていいですよ」と気づかわし気にたまきが微笑んだ。
「……言いたくないわけじゃないんだ」
そう呟いてから、緝はゆっくりと話し出した。
「……俺が中学に上がるころ、ある日突然、前世の記憶が一気に頭の中に流れ込んできて、自分がゼンだったことを思い出した」
チラッとたまきの顔を見ると、興味深そうな視線で緝を見つめている。
なんだか懐かしい感じがした。ハルも良くこうして、何でも聞きたがっていた気がする。
「初めは何が何だかわからなくて、頭の中が混乱した。なにせ、一人の一生分の記憶がどっと流れ込んできたんだから。……森庵緝とゼンの記憶と感情の整理ができなくて、どれが緝なのか、ゼンなのか、自分は何なのかわからなくなった」
ふと、緝は空を見上げた。
ゆっくりと流れる雲を眺めながら、思春期と重なって混乱した自分を思い返していた。
「……大変、でしたね」
ふと黙った緝にたまきが言うと、緝は首を横に振った。
「高校に入った後で霜槻さんと海風さんに再会して、話しているうちに整理できた。霜槻さんも海風さんも始めはだいぶ混乱したらしいから、助けてもらったんだ」
たまきがほっとした顔をしたのを見て、緝もほっとした。
とはいえ、緝は二人に対しては可愛くない態度をとっていたと思う。
前世がどうあれ、今世での関係をどう構築していくべきかを迷っていたから。少し前のこととはいえ、子供っぽい態度だったかなと思った。
ただ、今世は年下だし、二人には存分に甘えさせてもらおう。と、半分開き直ってもいた。
「……翠さんとは、いつ再会したんですか?」
やっぱりそれも聞きたかったのか、と思って、たまきを見た。隠しているつもりだろうが、興味津々な目つきだ。
「……二年前くらい前かな。あの人、家に引きこもってて食事も適当だったみたいで、軽い栄養失調でカフェの前で倒れたんだ。救急車を呼んで病院に連れて行ったんだけど」
たまきはそれを聞いて、やっぱり翠の話は緝のことだったのだと確信して、口を開こうとした。
しかし、緝はため息をついて、
「……その後で偶然会った時に、カフェに来てほしいって言ったけど、やっぱり、気味悪がられたんだろうな」
と、また空を見上げている。
思いもよらなかった反応と、緝の横顔に、たまきは一瞬口をつぐんだ。
いつも淡々としているように見えた緝が切なそうな顔をするなんて、思ってもみなかった。
それでも、たまきはためらいがちに口を開いた。
「……翠さん、言ってました。カフェの店員さんがまた来てくれって、待ってるからって言ってもらったから来たって。気味が悪いなんて一言も言ってませんでしたよ。むしろ、自分がオジサンだからカフェに入っていいのか気にして入れなかったって……」
それを聞いた緝が、目を見開いて驚いた顔でたまきを見た。
「…………二年も、経ってから?」
「私も、それを聞いてびっくりしちゃいましたけど」
呆然としたまま呟いた緝に対して、たまきも苦笑いを浮かべながら言った。
緝はたまきから静かに視線を逸らした後、深くため息をついた。
「……なんだよ……オジサンだからって……。二年も経って……」
そう言うと少し俯いて、手のひらで顔を覆った。
しばらくそうしている緝に、たまきは何も言えずに俯く。ふと、ぬるくなったココアを飲んで、緝に何かできることはないかなと思ったけれど、なにも思いつかなかった。
「……ゼンさんの時から、……スイさんのこと、好きでしたか?」
このタイミングで聞いていいかはわからなかったけど、たまきはやっぱり気になって、口に出してしまった。
緝がゆっくり顔を上げるのを、緊張しながら見つめる。
「……そう……だな」
緝が、ためらいながらそう答えた。
言った後に、これじゃあ翠を好きだと認めたのと同じだと気付いて、緝は慌てて首を小さく横に振って、
「いや、だからと言って孤崎さんと、なんて思ってない。孤崎さんがスイの生まれ変わりであっても、代わりだとは思ってないし、俺も孤崎さんも……男だし、……歳だって離れてて」
と、珍しく言い訳がましく呟くと、急に何を情けないことを言っているんだと我に返って、緝は言葉を途中で切って俯いた。
たまきの胸が、きゅっと痛むように締め付けられる。
なんだか緝の気持ちがわかるような気がした。
「……好きになるのに、年齢や性別なんて関係ないんじゃないですか?……性別は違うけど、私だって、梧さんと歳離れてるし……」
たまきが思わずぽつりと言った言葉に、緝が一瞬動きを止めた。
「…………やっぱり……海風さんが好きなのか?」
言われてたまきも一瞬動きが止まった。
たまきは緝の方へ視線を向け、自分がふと言ってしまった言葉を自覚して、顔を真っ赤にする。
「ち、ちがッ……」
「…………違う、のか?」
「ちが……わないです……」
否定しようかと思ったが、結局それはできなくて、たまきは真っ赤な顔のまま俯いた。
そして、ため息をつくと、
「……わかってます。梧さんはハルさんのことがあるから、私を気遣ってくれるだけなんだって。それを勘違いしてるわけじゃないですからね」
と、たまきも言い訳のように弱々しく呟いた。
緝はたまきの表情を見ながら、言わなくていいことを言わせたような気がして罪悪感を覚えた。
「……それは……、海風さんがどういう気持ちかはわからないけど……」
そう言って気まずそうに頭を指先で掻いた後、それでもしょんぼりとしているたまきを見つめてから、また空をぼんやり見上げた。
「これは……俺の感覚だけど」
そう前置きをしたうえで、緝は自分の頭の中を整理するつもりで話し始める。
たまきは顔を上げて、その緝の横顔を見つめた。
「……中学の頃に前世の記憶を思い出して、霜槻さんや海風さんと会って頭の中を整理できて、ゼンだったころの記憶も感情も思い出も、確かに俺の中にあるんだけど……。前世と関わりのあった人たちと再会していくうちに、それが……なんていうか、薄れていく感じがするんだ」
「……薄れる……って、忘れていくってことですか?」
たまきの質問に、緝は首をひねって「んー」と唸った後、
「……忘れてない。忘れられないことも、たくさんある」
そう言って、緝は一瞬顔を顰めた。
だがすぐに何か考えるように視線を巡らせて、続ける。
「だけど、なんていうか、置き換わっていく……みたいな感覚かな……。例えば、霜槻さんのことを見てもサギリ殿のことをあまり思い返さないとか。完全な上書きではないんだけど、冴島と話していてもいちいちハルのことが頭をよぎるわけじゃなくなっているというか。うまく言えないけど、前世は過去でしかないって思うんだ。……ただ、今、冴島に対して感じている感情と、ハルに対する想いにまったく関連がないかって言われると、ないと言い切る自信はないんだけど」
そう言ってから、悩むような表情で頭を掻いた。
自分でも言いながら、すっきりと整理できているわけではなかった。
ハルに幸せになってもらいたかったというのも事実だったし、たまきにも幸せでいてもらいたいと思うのは確かなのだが、ハルの幸せと、たまきの幸せは別のものだと思っている。
たまきが幸せになったところで、ハルの不幸がなかったことになるわけじゃない。それも、十分わかっている。たまきにハルがしたかったことを押し付けるつもりもない。
「……冴島と、ハルは別人だ」
その言葉に、たまきがはっと目を見開く。
梧に言われた言葉を思い出した。
……あの時、なんだか突き放された感じがした。
たまきと梧を繋いでいるものが前世で、たまきがハルと別人なら、たまきと梧は何のかかわりもないんだと言われた気がしたからだ。
緝から言われても、たまきの胸に寂しさが広がっていく。
「俺とゼンも別人なんだ」
「……え?」
俯きかけたたまきが、驚いて顔を上げ、緝の顔を見つめた。
緝も一度たまきの方を見たが、また空に視線を投げた。
「……ゼンの記憶もあるし、知識もある。ゼンの考え方も覚えているけど、現代の俺は違う考え方もしていると思う」
緝とゼンが同じ考え方なら、きっとたまきとこんな話はしていない。
ゼンなら、ハルに自分の気持ちを言ったりはしないだろう。ゼンにとってハルは子供で、弱音や本音をストレートに伝える相手じゃないと思っていた。
たまきは首をひねった。
その違いはわかるようで、わからない。
ただ、”別人だ”と言う意味が、たまきが思っていたような意味とは違うのかもしれないと思った。
「……俺が今、孤崎さんに対して感じている気持ちと、ゼンがスイに感じてた感情の濃度は、全然違う気はするんだ。なんて言うか、スイへの想いの、続きじゃない。まぁ、海風さんも同じ感覚なのかはわからないけど」
緝も言いながら、よくわかっていないような、話しながら整理している感じがした。
カザネが前世のハルを想うのと、今世の梧がたまきを想う気持ちは違うんだと言ってくれているのだ。
それでもたまきの不安は消えないけれど、その気持ちが嬉しかったし、緝の言っていることが単純にたまきを安心させるためだけに言っていないことがわかって、それを聞けたことも嬉しかった。
「……森庵さんは、翠さんのことを……好き……なんですよね?その……なんていうか、友達とか知り合いとしてじゃなくて……その……」
ためらいがちに、でも直球で突っ込んでくるたまきを、目を丸くして見つめた後、緝はまた顔を覆った。
「……お前は……。どうして、そう、ストレートなんだ……」
ため息交じりで呟きながら、「ご、ごめんなさい」と謝るたまきの声を聞いて、顔を上げた。
「……怒ってるわけじゃない。……だけど、そうだな……。多分そう。……あんな、どうしようもない感じのオジサンなのにな」
そう言って苦笑いを見せた。たまきもふっと口元を緩めて微笑むと、静かに首を横に振る。
そして、緝は何度目かのため息をついて、
「別に、孤崎さんと会うまでは異性を好きになると思っていたし、だからと言って性別に偏見があるわけじゃないんだけど、俺がそう思ってても、孤崎さんにとっては重たいことかも知れないとは思ってる」
と続けた。
「まぁ……さ。冴島も、俺も、この気持ちがどう育つのかはわかんないけど、考えすぎないほうが良さそうだな」
そう言って、緝は腰を上げた。
同じく立ち上がったたまきが「……そうですね」と答えるのを聞きながら、緝はたまきの方を見ると、
「……霜槻さんたちにはスイを見つけたこと、言わないでくれ」
と、真面目な顔をして言った。
「……どうして……ですか?」
たまきが驚いた顔をしたのを、駅の方向に向かって歩き出しながら、
「……言ったら、俺たちが関われるように、根回ししてくれそうだから。……でも、俺は孤崎さんの気持ちを置き去りにして外堀を埋めるような真似はしたくないんだ。俺も、どうしたいかって正直わかってないしな」
と言った。
たまきはその背中を追いながら、「……わかりました」と答える。
緝が視線を逸らしたから、表情まではわからなかったけど、言ってほしくない理由はそれだけではない気がした。
緝がちらっと振り返ったのをみて、たまきは駆け寄って横に並んだ。
ちらっと見た緝の表情は普段の表情だったけれど、なんとなく、そこからはほとんど何も言葉を交わさないまま駅まで歩く。
歩調を合わせて歩きながら、たまきは二人はきっと両思いだから、どう言う形でも緝と翠が一緒にいれたら良いなぁと、思った。
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「えっ?梧さん、風邪なんですか?」
次の週末、時雨が珍しくカフェに来たので、一瞬、緝が話すなと行ったことを思い出し、ちょうどレジにいたたまきは、ちょっとドキっとして固まった。
だけど、無視をするのもおかしいし、時雨がマスクをしていたので声をかけると、時雨は予防のためで、梧が風邪をひいたのだと言ったのだった。
「頭痛や寝不足はあっても、風邪はほとんど引いたことがなかったんですけどね。珍しく熱も出たようで。体調が悪くても働こうとするから、昨日も無理やり休ませたんです」
「……そう、なんですか……」
心配そうに顔を顰めるたまきをみて、時雨は微笑んで
「病院も行きましたし、薬を飲んで寝てれば問題ないと思いますよ。今までの疲れが出たんでしょう」
と心配させないようにと思って、言った。
すると、思いもよらずたまきの表情が途端に青ざめて、
「やっぱり、私のお見舞いに無理してきてたんじゃ……」
と、言ったので、時雨は慌てた。
両手を振って、「違いますよ」と否定するが、たまきの顔は曇ったままだ。
時雨は自分の失言を後悔した。梧に知れたら、おそらくとてつもなく怒られるだろう。
「たまきさんのせいじゃありませんし、梧のは自分の不摂生による、ただの風邪です。それに、様子はちゃんと見に行ってますから、大丈夫ですよ」
努めて優しい笑顔で時雨は言った。
「そう、ですか?」
心配そうな顔のままのたまきに、「注文良いですか?」と時雨は話を逸らす。
たまきは仕事中だったと我に返って「はい」と、それでも営業スマイルを作ったのだった。




