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 約一年ぶりの登校は、すごく緊張した。

 髪の毛はまだ生えそろっていないのでウィッグをかぶっていて、杖を使って歩いているのも変に見られないか心配だったし、一年生からクラス替えもあり、リモートではあまり交流もなくて、クラスの雰囲気が分からない。

 心悠とはまたクラスが別で、元同じ中学の、部活仲間であったよっちんが同クラスだったのが唯一の救いだったものの、不安はぬぐえなかった。

 

 梧と紫露から、”今日から頑張れ”とメッセージが来た。

 心悠にも知らせてはあったが、忙しいのか、”良かったね”というスタンプが返ってきていただけだった。

 たまきから”今日からまたよろしくね”というメッセージを送り、”うん、よろしく”と返事もあったのだが、たまきには何となくそこに気まずさが流れているような気がしてしまう。

 しばらくの間、登校は祖父に送ってもらうことになっていたから、登校も一緒にはできない。

 心細い気持ちのまま、たまきは登校した。

 

 

 恐る恐る教室に入ったが、事情を聞かされていたらしいクラスメイト達はたまきを歓迎してくれた。

 学級委員長が何か手伝えることがあったら教えてくれと声をかけてくれて、クラスメイトもよっちんも「なんでも手伝うよ」と言ってくれて、ひとまずはほっとした。


「……顔色良さそうでほっとしたよ」

 よっちんは優しく微笑んでくれた。

「でもちょっと瘦せたかな~?いっぱい食べさせないとな」と冗談めかして言った。

 その後に、少し間を置いて、よっちんは「()()には会った?」と訊いてきた。

 たまきが首を横に振って、最近そっけないメッセージを思い返して

「心悠、忙しいのかな」

 と、聞くと、少し眉尻を下げて笑った後、

「まぁ……、相変わらず練習は人一倍してるけどね。気まずいから逃げてるだけじゃね?()()だってわかってると思う。()()がちゃんと話せば大丈夫だよ」

 と、笑ってくれた。

 たまきもぎこちなく微笑み返すと、

「……あんたらが気まずくなったら、私らも調子出ないんだから、ちゃんと話してこいよ?」

 と、よっちんは付け足して、たまきの背中を叩いた。

「痛いよ、よっちん……」

 たまきが言って苦笑いすると、優しく背中を撫でながら、舌をぺろっと出して「ごめんごめん」と謝った。


 たまきが、心悠に”話したい事があるから、休み時間に少し時間を取ってほしい”とメッセージを送ると、心悠から、”放課後、部活の前に”と返信があった。

 その後で”部室以外で会いたい”とたまきが送ると”OK、じゃあ教室に行くね”と返信があって、たまきは放課後、たまきのクラスで待つことにした。


 たまきが自分の席で待っていると、部活のジャージを着た心悠がやってきた。

「……久しぶり」

「うん、久しぶり」

 心悠がどこか緊張感のある声色でそう言って、たまきも緊張しながら答えた。

 これから話すことを考えると、緊張はより高まる。

 心悠が空いていたたまきの隣の席に座ると、二人は前を向いて少しの間、黙っていた。

「……あのね」

「うん」

 たまきがようやく口を開くと、心悠が静かに相槌を打った。

「……部活、退部届……出してきた」

 休み時間の間に、たまきは顧問の元を訪ねて、正式に退部することを伝えてきた。

 そもそも、学校に来る前からその話は出ていたものの、顧問はたまきの心の整理がつくギリギリまで待ってくれたのだ。

 スポーツ推薦での入学だったが、そのことは気にしなくていいと、顧問からも学校からも言われている。

 ただし、勉強は頑張ってくれよ、とは言われたが。

「……うん」

 心悠は少し間をおいて返事をした。

「やっぱり、走るのは無理だって……、お医者さんからも言われちゃったから」

「うん」

「それでね……」

「……うん」

 たまきの言うことに、心悠はただ、相槌を打ち続けた。

 たまきは一度、息を深く吸って、気持ちを整える。

「まだ……しばらく、応援にも行けないと思う。……みんなが走ってるの、見れないと……思う」

 それでも、その声は震えてしまう。

 みんなが走っている姿を見たら、きっと、たまきは走りたくなるだろう。

 もう一度、風を切って走りたくなる。

 そして、走れない自分に、……絶望する気がした。

「…………そっか」

「ごめんね」

 たまきはぎこちなく笑って心悠の方を向き、謝った。

「ううん。……私こそ、ごめん」

 謝られて、心悠はパッと顔を上げ、たまきの方へ体を向け、首を横に振ったあと、切なそうに顔を歪めたまま、心悠は視線を下げる。

「……たまきが一番つらいのに、病気がわかった頃には走れなくなるのかって問い詰めたり、その後は、走るのを諦めないでほしいって、無責任に部活を辞めさせなかった」

 心悠も、たまきの病気をどう受け止めたらいいかがわからなかったんだと思う。

 自分が揺れていて、たまきに押し付けた部分もあった。

 それが後ろめたいのと、どんな顔をして会えばいいかわからなくて、お見舞いにも行けなかった。

 もともとやせ型だったたまきが、今でも前よりも痩せているのに、これ以上病気の治療でやせ細って顔色が悪い姿を見て、笑って元気づけられる自信が、心悠にはなかった。

「ううん。その気持ちも、嬉しかったよ」

 たまきは少し俯きながら、微笑んだ。

 本当に、嬉しかった。たまきの走れる可能性を最後まで信じ続けてくれた。

 結局、ダメだったけど、心悠はいつも、たまきの折れそうな心をその前向きさで救ってくれる。

「……手紙もね、嬉しかったよ。すごく心強かった」

 そう言うと、たまきはカバンの中からしわくちゃになった心悠からの手紙を取り出して見せた。

 心悠はそれを驚いた顔で見つめた後、

「……くしゃくしゃじゃん……」

 と、泣き出しそうな顔で微笑んで、言った。

「……うん。不安な時に握りしめてたら、こうなっちゃった」

 たまきも、似たような顔で笑う。

 心悠が涙を隠して俯いて、たまきはその肩に触れ、背中を撫でた。

 ジャージの袖で涙を拭う心悠を見ながら、

「…………あのさ、心悠」

 と、たまきは静かに声をかける。

「なに?」

 顔を上げた心悠に、たまきは少し迷いながら、それでも、聞きたいことがあった。

「……陸上がなくても、友達で、居てくれる?」

「あったりまえだろ!もう!」

 途端に心悠は怒ったような顔になって、たまきの肩を掴むと、そのままたまきを引き寄せて抱きしめた。

 たまきはすごく驚いたが、

「……ごめん」

 と言って、心悠の背中に手を回して抱きしめあった。

 二人は抱き合って、しばらくこぼれるままに泣いた後、

「……たまき」

 ぽつりと、心悠がたまきの名を呼んだ。

「うん?」

 二人は体を離して見つめあう。

 たまきの両肩を掴んで、心悠は真剣なまなざして、たまきを見つめた。

 たまきも、姿勢を正してその瞳を見つめ返す。

「私、陸上本気でやるよ」

「……いつでも、心悠は本気だったじゃん」

 心悠の気迫に気圧されそうになりながら、たまきは答える。

「一生、やるって決めたってこと。今、たまきが観れなくても、また観れるようになるまで、私は絶対続けるから」

「……うん」

「だから、いつか必ず、観に来て。いつになっても、何年かかっても、私はそれまで続けるから」

「……うん」

「おばあちゃんになったって続けるから、絶対」

「……そんなにかからないように、頑張る」

 いつだって、心悠はまっすぐに、力強く前に進む。

 たまきはそれが眩しくてたまらなくて、いつも追いかけていた。もう、同じ道を、追いかけることはできない。

 たまきは、泣きそうになるのを、歯を食いしばってこらえた。

「頑張んなくていいよ。もう十分頑張ってんじゃん、たまきは」

 心悠が口を尖らせて言う。

「……ありがと」

 心悠がそう言ってくれることは誰に言われるより、嬉しかった。

「こちらこそだよ。こんな私と友達でいてくれてありがとう」

 心悠は、もう一度たまきを抱き寄せた。

「それはこっちのセリフだよ、心悠。……でも無理しないでね」

 その背中をさすりながら、たまきは言う。

「ちゃんと、コーチと顧問と相談して、長く続けられるように、なおかつ一番とれるようにやるから」

「……心悠らしいね。どっちも両立させるんだ?」

「もちろん」

「さすが、心悠」

 そう言って、二人はふっと息を抜くように笑った。

「……見れなくても、応援はしてるよ」

「うん」

 そう言葉を交わしてから、少しの間、黙って二人は抱きしめあった後、その体を離して、また見つめ合うと微笑みあった。

「愛し合ってるとこ悪いんだけどさぁ」

「もうすぐ部活の時間なんだよねぇ」

 そこに、入り口から団子のように顔だけを出して教室を覗き込んでいるよっちんとさっちょんが声をかけてきた。

「あんたら、居たの?」

 たまきと心悠は一瞬驚いたが、心悠が呆れたような顔で二人に言う。

「もうちょっとでチューするところ、邪魔しちゃった?」

 さっちょんがニヤつき顔で言って、「しねぇわ!」と心悠が立ち上がって声を上げた。

 たまきは、変わらない部活のメンバーのやり取りに笑う。

「さ、行くよ、こは」

「たまは帰んないとね。おじいちゃん迎え来てるんじゃない?」

 そう言われて、たまきは頷き、荷物を持って立ち上がると、心悠はそのたまきの荷物を自然に持って自分の肩にかけた。

「玄関まで送るよ」

 と、心悠が言うと、さっちょんが口笛を吹いた。

「こは、スパダリやん」

「いちいちうるさいんだよ」

 茶化すさっちょんに、照れくさそうに心悠は突っ込む。そのまま三人とも玄関まで送ってくれるらしく、たまきの歩調に合わせて歩いてくれた。

「まぁ、心悠がそれだけ言えるようになればもう大丈夫だね。この世の終わりみたいな顔してたもんな」

「してないって!」

 心悠は顔を赤くしながら、よっちんの肩を叩いた。「いてぇ~」とわざと大げさに痛がって見せるよっちんに、さっちょんが叩かれた部分を撫でて介抱しながら、

「まぁ、そういうことにしておいてやろうじゃないの。こはちゃん」

 と、ニヤついた。

「さっちょん、マジウザい」

 心悠はため息交じりに言う。

「そう言えば、たまのウィッグめっちゃ可愛いよね。似合ってる」

 しかし、さっちょんはもう心悠に対して興味を失くし、たまきに話しかけている。

「ありがとう。変じゃないか心配だったんだけど」

「……出たよ、さっちょんの無視」

 もう慣れているたまきはそのままさっちょんに対して応えたが、心悠は独り言のように呟き、ため息をついてよっちんによしよしされている。

「全然変じゃないよ。そーゆーのって思ったより自然なんだね。もっとヅラ感あるのかと思ってた」

「ヅラて……」

「地毛は生えてんの?」

「いまは2~3センチくらいかな?まだまばらで……、ツンツンしてる感じ」

「そっか~。ウィッグもさ、いろんな種類買えばめっちゃ楽しめちゃうじゃん」

「高いのもあるし、いろいろは買わないよ?」

「あ、そうなの?ピンク色とかにしちゃえばいいのに」

「学校に付けてこれないだろ」

「いいじゃん~、たまに似合いそうじゃん」

「適当なこと言ってんじゃないよ」

 そんな会話をしているうちに、たまきたちは玄関についた。

 心悠がたまきにカバンを返すと、

「ありがと」

「ん。気を付けて帰んなよ」

 名残惜しそうに見つめあうたまきと心悠の間にさっちょんが手刀で割り込む。

「何だよぅ」

 片眉をあげて、不満そうに口を尖らす心悠に、

「んもー、ラブラブしすぎ!」

 と心悠の顔を真似して口を尖らせて、さっちょんは言った。言った後に、嬉しそうに笑ったところを見ると、銚子の戻った心悠を構いたかっただけなのかもしれない。

「……まぁ、さすがに部活に遅れるとやばいし、行こ」

 よっちんが冷静に言うと、三人はたまきに手を振って、「また明日ね」というと部活へと走っていった。

 その「また明日」が、たまきはとても嬉しかった。

 

 たまきが玄関を出ると、祖父が入り口まで迎えに来ていた。

「ごめん、待たせちゃった?」

「いいや。大丈夫だ」

 一応、友達と話してから帰るからゆっくりでいいよと連絡はしてあったのだが、もしかしたらだいぶ待たせたかもしれない。祖父はたまきの手からカバンを受け取ると、車の方へゆっくりと歩き出した。

「……疲れただろう」

「うん……。ちょっとね」

 言って車に乗り込むと、たまきはシートの背もたれに体を預けた。

 学校を一日終えただけでこんなに疲れるとは思ってなかったけれど、でも、病院や家で療養しているときよりはずっと心地のいい疲れだった。

 たまきは少しだけ窓を開けて、目を閉じた。車が走り出すと、風が頬に触れる。

 ……ひとまず一日目を無事に終えられて、たまきはほっと息をついた。

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