18
出て来る病気について軽く調べてはいますが、もしかしたらそんなことないぞ?的なことがあるかもしれませんが、優しく訂正していただけるとありがたいです。
知識足りてない自覚はあります。
翌日、待てど暮らせど、心悠の元にたまきからの連絡は来なかった。「どうなった?」と送ったメッセージは既読すらつかない。
そうこうしているうちに部活に行く時間が近づき、心悠は急に不安になっていく。
昨日、たまきはとても元気だったし、いつも通りだったから大丈夫だと思っても、不安は拭えなかった。
混んでいてまだ終わってないのかもしれない。
寝坊して慌てて行ったから、スマホ自体を忘れていったのかも。そう考えても、なんだか悪い想像が頭をもたげる。
これまで、たまきがこんなふうに連絡を忘れたことはなかったからだ。
そわそわと落ち着かない心悠のスマホが鳴った。
慌てて画面を見ると、それはたまきではなく、なぜか紫露だった。
「……紫露?」
なんだか嫌な予感がよぎりつつ、心悠が電話に出ると、
「……心悠先輩」
紫露の深刻そうな声がでんわの向こうから聞こえた。わずかに震えている気もする。
心悠はそのまま紫露の話を聞いたあと、電話を切ると、買ってもらったお揃いのパスケースとスマホだけを握りしめて、部屋を飛び出した。
家の中を走る騒々しい音に母親が驚き「え、何?心悠!?」と声をかけるが、心悠は「ちょっと出かけてくる」と慌てた様子で靴を引っ掛け、玄関を出ていく。
「どこ行くの!部活は!?」
母親の声に答えることなく、心悠は走り出した。
紫露の話は、全く理解できていない。頭は混乱したままだった。ただ、ひたすらにたまきの顔を見て、話したかった。会いたかった。
—————嘘だよね、大丈夫だよね。
心悠は走りながら何度も心の中で呟いた。
――――――――――――――――――――
心悠が紫露から知らされた病院は、梧が紹介していた病院とは違う、大きな病院だった。
電車とバスを乗り継ぎ、その後は走って病院を目指した。
その病院の入り口の前に、梧と紫露が立っているのが見えた。
紫露は心悠を見るなり驚いた顔で、
「心悠先輩!?一人できたんすか?え?親は?あと部活は!?」
と紫露がまくし立てた。電話では何も言わなかったので、まさか病院まで来るとは思わなかったのだろう。
梧も驚いた顔で心悠を見ている。
心悠はそれには答えず、紫露の胸ぐらを掴むように迫ると、
「たまきは!?どこ!?」
と、大きな声で詰め寄った。
「落ち着いてください!……今、検査してて……」
「昨日も元気だったじゃん!なんで……、何でたまきが……!」
「ちょ、心悠先輩……」
「落ち着け!」
心悠の肩を掴んで紫露から引き剥がしつつ、梧が大きな声を出すと、ようやく我に帰ったようにハッとして、梧の顔を見つめて動きを止めた。
「すみません……」
心悠は下唇を噛んだ。
「……いや。気持ちはわからなくはない」
梧も言って、あごを撫でながらため息をつくと、少し俯いた。
梧自身も、動揺しているようだった。
「……あら、心悠ちゃんも来たの?部活は?」
入り口から顔を出したのは、杠葉だった。
杠葉の声が切迫していないことが、心悠にとっては唯一の救いだった。
「たまきは?」
「……会えるわ。検査と、今、手続と説明も終わったから。それで呼びに来たの」
どこか悲しげな微笑を浮かべて、杠葉は今にも走り出しそうな心悠を止めた。
「病院内は走っちゃだめよ。……心悠ちゃんはまず、お母さんと部活の先生に連絡ね。焦らなくてもたまきちゃんは大丈夫だから」
スマホとパスケース以外何も持っていない心悠の恰好に、おそらくそのまま家を飛び出してきたのだろうと察した杠葉が、落ち着いた声で心悠をなだめた。
心悠は悲痛そうな顔をしたが、自分を落ち着かせるように一度俯いてから、「はい」と答える。
杠葉は、たまきが霜槻家を訪れて以来、たまきの祖母からお礼の電話をもらって、その後交流していたそうだ。
今回、検査の合間に入院の準備もしなければならないことになり、免許を持っていない祖母が準備のために祖父とともにその場を離れるわけにいかず、杠葉に連絡してきたらしい。
家にいた紫露はもちろん、杠葉から時雨にも連絡がいき、梧も知るところとなった。
心悠は母親に事情を話すと、怒られはしたが部活の先生には母親から言っておくからと言われた。後で迎えに行くから勝手に動くなともくぎを刺された。
杠葉に伴われてたまきの病室を訪ねると、ベッドの上に座っている、驚いた顔のたまきが出迎えた。
先に来ていた、紫露と梧が場所を空けて、心悠をベッドサイドに招く。
「……心悠?部活は?サボったわけじゃないよね?」
昨日と変わらないたまきの様子に、心悠はほっとする一方で、不安が頭をよぎる。
「……たまき」
名前を呼ぶものの、その次の言葉が出てこない。
黙ったまま、たまきを見つめていると、たまきが気を遣ったような笑顔になった。
ああ、出会った頃もこんな笑顔をしていたと、心悠の胸が痛んだ。
「……骨肉腫、だって」
へへっとたまきが、力なく笑った。その病名が、心悠の心に重く圧し掛かった。息がうまくできない。
紫露からも電話で聞いたが、たまきの口から聞くと、さらに重く、痛く感じられた。……自分がどんな顔をしているか、心悠はわからなかった。
「でも、早期発見だから転移もないし、手術後のリハビリ次第では、今と同じように歩ける可能性はあるだろうって。……まだ、細かい検査してみないと……わかんないけど……」
笑顔を張り付けたまま、始めは早口で言い訳のように言ったたまきの語気は、徐々に弱まっていった。
心悠に嫌な考えがよぎった。骨肉腫という病気を詳しく知っているわけではないけれど、数少ない知識の中でも、心悠はそれを知っていた。……だから、訊かずにはいられなかった。
「……走れるの?」
心悠の震える声で、病室の空気が冷たくなっていくのがわかった。そこに居る全員が息を飲んだ。
おそらく、みんなが避けようとしていた話題だろう。
たまきの顔が一瞬固まったが、心悠をなだめるようにまた、愛想笑いを浮かべる。心悠は心の中で「その笑顔、やめてよ」と呟いた。
「……命が助かるだけ、良い方なんだよ。歩けるようになるのも、すごいことなんだから」
「もう、走れないってこと?」
「心悠先輩」
紫露が止める。心悠自身も、こんなことを言ってはいけないとわかっている。頭では、止めなきゃと思う。
わかっている。わかっていても、止められなかった。
一気に感情が溢れてくる。
「……なんで?なんでたまきが……!」
「私だってわかんないよ!」
心悠の言葉を、たまきが強く叫ぶように遮って、心悠はようやく我に返った。
一番苦しいのは、たまきなのに。何もできない自分がもどかしかった。
たまきも心悠の表情を見て、ハッと我に返った。
「ごめ……」
「……ごめん。頭冷やしてくる」
「心悠!」
心悠は踵を返して、たまきの声に振り返ることなく、そのまま病室を逃げるように出て行った。
「心悠先輩!」
紫露がその後を追って出ていく。
青い顔をしたたまきを見て、杠葉が梧の背中を押して、ベッドサイドの椅子に座るように促しながら、
「……おばあさまたちの様子を見て来るわ。たまきちゃんの傍に居て」
と囁くと、自分も静かに出て行った。
梧は茫然としているたまきを見つめながら、静かに椅子に座った。
どう声をかけていいか、わからないまま、沈黙が落ちる。
「………………なくなっちゃう」
たまきがふと、呟いた。
「え?」
梧が聞き返すと、たまきの瞳に、我慢していた涙がどんどん溜まってゆく。
梧がハンカチを差し出すと、たまきは顔をあげ、その涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「……走れなくなったら……、パパとママと……、会えなくなっちゃう」
そう言って、たまきはベッドに顔をうずめて、声をあげて泣きだした。
「会えない……?」
「……生きてる……意味ない……!」
たまきは泣きながら叫ぶ。その言葉は、梧の胸に深く突き刺さった。
過去を思い出した時の泣き方とは違う。悲痛で、遠慮がない。梧の目の前だということもきっと忘れているだろう。
心悠が言った「なんでたまきが……」という気持ちが、梧にも痛いほどわかった。今も自分の無力さも感じて、膝の上でこぶしを握り締める。
たまきの両親も陸上部だったと以前言っていた。
たまきにとって風を切って走ることは、両親と走った思い出を確認する行為だったのかもしれない。
そして、家族を失くしたたまきにとって、両親が得意だったことを引き継いでいるということが、生きる意味そのものだったのかもしれなかった。
ただ生きろというには残酷な気がして、梧は言葉を探す。しかし、何も思いつかないまま、その背中に触れた。
手のひらに、たまきの震えが伝わってきた。
病室に、たまきの慟哭が響き渡っていく。
ハルを守れなかったばかりか、たまきをも守れないのか。なぜ運命はこんなにも、たまきに試練を課すのだろうと、梧の胸は締め付けられる。
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「心悠先輩!」
病室から早足で廊下に出た心悠を追いかけた紫露は、心悠の腕を掴んで引き留めた。
振りほどかれるかと思ったが、心悠はそのまま立ち止まった。
戸惑いながらも紫露はその心悠の手を引き、談話室に連れて行って座らせる。
一瞬泣いているかと思ったものの、心悠は生気を失った顔で黙っているだけだった。
紫露も、どう声をかけていいか迷って黙っていると、心悠はふと思いついたように、
「……私、部活辞めるわ」
と、言った。
「は?何言ってるんですか?」
呆れたように紫露が返すと、心悠は紫露を睨むように顔を上げた。
「たまきが走れないのに、私だけ走るなんてできない」
「馬鹿なこと言わないでください。心悠先輩だって走るの好きでしょ。辞められるわけないじゃないですか」
「辞める」
まともに取り合わない紫露に、心悠は真剣な顔できっぱりと言った。その言い方があまりにも揺るがない言い方で、紫露は面食らった後、怒ったような顔になった。
「……本気で言ってるんですか」
「冗談で言うわけないだろ」
紫露はため息をついたあと、
「それを、……たまき先輩が聞いてどう思うと思ってるんすか!」
と、声を荒げた。
看護師がやってきて、「静かにしてください」と注意を受けて、「すんません」と謝ったものの、紫露の怒りは収まらない。
「自分のせいで心悠先輩が辞めたって知って、たまき先輩が喜ぶとでも?」
心悠に近づき、声は抑えたものの、紫露は心悠を睨むような顔で早口で言った。
紫露を睨みつけていた心悠の視線が、一瞬迷ったように逸らされた。
「……じゃあ、どうしたらいいんだよ」
心悠は頭を抱えた。
「陸上は続けてください。……好きなことに才能があって、続けられるって奇跡でしょ。あんたは辞めちゃダメですよ」
ため息をついて気持ちを落ち着けながら、紫露は努めて穏やかな口調でいう。
「……お前……。本気で、高校行ったら陸上辞めるつもりか?」
紫露の言い方に気づいて、心悠は再び紫露を睨みつけた。
紫露は思いのほか、静かな表情で心悠を見つめ返すと「はい」と真面目な表情で言った。
「会社の社長になるとかいうバカみたいな夢のためにか」
できる限り声を抑えながらも、心悠は低い声で紫露に詰め寄った。
「バカみたいじゃないっす」
心悠の言葉に紫露は即座に否定する。
「ふざけんなよ!」
心悠は紫露につかみかかった。震えながら胸倉をつかむ手を優しく握り、紫露はその心悠をまっすぐ見つめ返しながら、
「俺は本気です」
と静かな口調で言った。
心悠と紫露はそのままにらみ合ったが、最後には心悠が根負けして手を離す。
ため息をつきながら、心悠は背を向けて椅子に座り直した。
その心悠の苦しそうな背中を見つめて、紫露もため息をつくと心悠の隣に座る。
「……まぁ、社長っていうのは半分冗談すかね。望まれないなら社長になるかどうかなんてどうでもいいんすけど」
心悠とは視線を合わせないまま、紫露は言った。
「望まれない?」
「……そのための命だから」
その時、心悠が紫露の顔を見ると、その表情は切ないような悲しいようなそんな表情で微笑んでいて、心悠は一瞬息を飲んだ。
いつもふざけてばかりいて、何も考えていないと思っていた紫露の中に、深くて真剣な考えがあるのかもしれないことに、なぜか取り残されたような、自分だけが幼い子供のように感じられた。
顔を逸らして、心悠はうつむく。
「……何言ってるか、全然わかんない。……お前にとって陸上ってそんな軽いもんなの?」
そう聞くことだけが精いっぱいだった。
「……軽くは、ないスけど」
そう言うと、紫露は頬を掻いた。
「……初めは、たまき先輩が陸上やってるって言うから入って……、入ってからは、心悠先輩の陸上への向き合い方がかっこいいと思って続けてました。心悠先輩が中途半端にしないから、俺も中途半端にできなくなったんす。……今は陸上頑張るけど、高校からは勉強に専念します」
状況的に笑えないのか、いつもよりも真面目な顔で紫露は淡々と答えた。
心悠と紫露は、二人ともため息をつく。
なにを話していても、たまきのことが頭から離れるわけがなかった。
「……どうしたらいいの」
心悠は顔を覆って俯くしかできなかった。
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たまきは泣き疲れて、ようやく顔を上げる。
顔を上げても茫然としたまま、まだ涙が押し出されて何度も頬を伝っていく。
梧は結局、背中をゆっくり撫でていただけで何もできなかった。
取り出したままのハンカチを、部屋にあった洗面台で濡らすと、固く絞ってたまきの方に差し出した。
「……ありがとう……ございます」
力なくそれを受け取ると、たまきはそれを目に当てて、冷やした。
時折、思い出したように小さくしゃくりあげて泣くたまきを見つめながら、梧は静かに口を開く。
「……会えなくは、ならないさ。……君が歳を重ねてふと鏡を見たときに、君が自分がご両親に似ていることに気づく日が来るだろう」
たまきは何も返事ができないまま、ハンカチを目に当てたまま泣いている。
「はっきりと覚えていなくとも、君の目に映っていたご家族の仕草や声は消えないし、ふとした時に思い出せる」
たまきはまた身を震わせて泣き出す。
泣かせたいわけではない。だが、梧は、たまきに何も言わないままなのも辛かった。
「……はし……っ、走ってるとき、ぱ、パパとママと、走ってる気がした……の」
梧はその言葉を聞いて、目を閉じた。
梧の上っ面な言葉では、たまきの気持ちを和らげてやることすらできないのだと、痛感した。
ふと、たまきはハンカチで目を抑えたまま、少しだけ梧の方へ体を傾けた。
梧はそれを見て、すぐにたまきに手を伸ばすと、そのまま引き寄せて強く抱きしめる。
僅かに傾けた体が、抱きとめてほしいように見えたのだ。
たまきは梧の背中に腕を回し、シャツを繰り寄せて握りしめると、再び声を上げて泣いたのだった。




