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たまきたちは高校に進み、勉強と部活の両立で慣れるまでの間、苦戦しながらもようやく夏休みを迎えた。
高校での部活は、練習が今までより格段に厳しいものになったが、先輩含めて中学時代に大会で顔を合わせたこともある見知った顔もいて、他の部員たちとはすぐに打ち解けられた。
たまきと心悠はクラスは別々だったものの、元同じ中学や、陸上部の生徒で一緒のクラスの人もいるし、楽しく過ごせている。
今日は自分たちの練習の合間を縫って、他の元部員たちと、高校の部活で一緒になった元は他中学の生徒も一緒に、後輩たちの大会の応援に来ていた。
観覧席から眺めていると、控えスペースから二人に気づいた後輩たちが手を振ってきて、たまきたちは手を振りかえす。
トラックには紫露がいて、ちょうどこれから100mの予選を走るところだった。
たまきたちにとっては久々に見る、真剣な顔の紫露だ。たまきと心悠は、息を飲んで静かにそれを見つめる。
スタートの号砲が鳴ると、一気に加速し、紫露は他を引き離して駆け抜け、みごと一位でゴールした。
「また、良くなったな」
「うん」
紫露の走りを見て心悠が呟くと、たまきも真剣な顔で同意した。
二人に気づいた紫露が、満面の笑みで高々とピースして見せた。心悠が立てた親指を下に向けて舌を出し、たまきは笑顔で手を振って応えると、紫露も一度顔を顰めて舌を出して見せた後、また笑顔に戻って手を振ってから、控え場所に戻っていく。
「ふざけてんなー」
「元気そうでよかったじゃん」
舌打ちしながら心悠が言うと、たまきは笑う。
その時、一緒に来た元部員たちと観客の一部が、にわかにざわめいた。
何が起きたかとトラックに視線を戻すも、特に何かが起きたわけでもなさそうだったので、元部員たちの方を振り向き、二人は彼女たちの視線の先を見た。
「たまきちゃん、心悠ちゃん」
と、その先から声をかけてきたのは杠葉で、二人を見つけてこちらへ歩いてきていた。
そして、その後ろからゆったりと歩いてくるのは優しく微笑む時雨で、たまきと心悠が二人に会釈して、「お久しぶりです」と言うと、嬉しそうに微笑んだ杠葉からも「久しぶりね」と返ってくる。
元部員たちから、控えめではあったが杠葉の笑顔に悲鳴が上がった。
「こんにちは」
と、時雨は挨拶をして一度頭を下げてたまきたちを見たものの、すぐに嬉しそうに杠葉を見つめて甘く微笑んでいる。
「元気にしていた?今日は部活休みなのね」
「はい。明日の午後からまた始まりますけど」
杠葉の、柔らかい声に癒されつつ、心悠は答えた。
ふと、たまきは時雨の背後に気配を感じて視線を移す。
……そこには梧がいた。
梧はたまきと目が合うと、ふっと笑う。
たまきはどきりと心臓が跳ね上がって、身をこわばらせた。ここで会うと思っていなかったので、心の準備ができていない。
元部員たちが、ひゃああっ!と声を上げた。
「君たちも来ていたんだな」
と梧がたまきと心悠を見ながら話しかけると、
「はい」
と心悠が答えて、ニヤニヤしながらたまきを肘で小突く。たまきは心悠を軽く睨んでから小突き返すと、心悠は三人にはわからないように手のひらで顔を隠しながら舌先をぺろっと出したあと、梧の方へ向き直って、
「卒業祝い、ありがとうございました」
と、すまし顔で頭を下げた。
たまきもハッとして、慌てて同じように頭を下げる。
「ありがとうございました。すごく可愛くて……お揃いなのも、嬉しかったです」
と、顔を上げると、たまきは心悠と顔を見合わせて頷いてから、梧の方を見た。
「……どういたしまして。気に入ってくれたなら良かった」
ふと、表情を緩めて、梧はほっとしたように言った。
「あら、梧くんたら、私の知らない間に二人にお祝いあげていたの?」
と、ほんの少し不満そうな口調で言うと、梧が驚いた顔をして「え?聞いてませんか」と時雨を見た。時雨は梧の方に見向きもしなかったが、
「紫露と一緒に買いに行ってくれたんですよ。ほら、結婚記念日の日」
と、答えたのを聞いて、たまきと心悠は、あの日が結婚記念日だったのか。と思った。もしかしたら夫婦デートの日だったのかもしれないと、ふと、脳裏にドレスアップした杠葉と時雨を思い浮かべる。
「……あの日?もう、紫露ったら。私に話さないなんて、揶揄われると思ったのね」
トラックの紫露に視線を移して、杠葉は微笑んだ。
たまきと心悠から三人の視線がそれたその時、二人の服が後ろに引っ張られて、驚いて二人は振り向いた。
「え、ちょ?」
「なに?」
そこには元部員たちがそろってたまきたちを見つめていて、
「たま!こは!どういうこと?なんであんたたちあのイケメンと仲良いのよっ」
と小声で声をかけてきた。
そのまま、さらに引き離すように腕を引かれ、全員がたまきたちを囲むように詰め寄る。
「あのイケメン、文化祭の日に霜槻のお父さんといたイケメンでしょ?」
「え、こはちゃんたちの後輩どうなってんの?保護者さんたちの顔面偏差値やばすぎない?」
「てか、騎士の顔見た?姫を見つめる目が甘すぎるんだけど」
「ん?騎士って?」
「わかる~~!初めてじゃない?夫婦そろうの」
「騎士の本領はイケメン王子と二人の時に発揮されるから」
「え?それでプライベートは妻を溺愛って、もう2次元の世界線じゃん」
口々に言う元部員たちに、心悠は首をすくめた。
「……前に偶然にあっただけだよ。二人で買い物してた時に」
「えぇ?それだけであんな仲良さそうに話すぅ?」
「紫露と仲がいいからかなぁ……?」
しらばっくれて疑問形で首をかしげるたまきに、
「く~!羨ましいっ!」
と、元部員たちが悶える。
それを心悠が少し呆れたような視線で見つめ、たまきも苦笑して見つめる。
「あら?みんなどうかしたの?」
と、気づいた杠葉が、みんなに声をかけてきた。
純粋にわかっていない顔で首をかしげる杠葉に対して、元部員のメンバーは慌てて全員首を横に振りながら、顔の前で手を振る。
「何でもないんで。気にしないでください」
代表で心悠が苦笑しながら言うと、
「……近づきすぎると溶けそうだから、あんたたちに任せるわ」
「うん。遠くで見てた方が心臓に負担が少ない」
「ほんと、それ」
と元部員たちは口々にたまきと心悠に小声でささやき、元いた席に戻っていく。
「溶けそうて……あんたら……」
心悠が小さな声で呟いた後、ため息をついて心悠たちも席に戻る。
すると、自然な流れで、心悠の横に杠葉が座り、その隣に時雨が、そして、たまきの隣に梧が座った。
たまきは少し緊張する。
顔を合わせるのは心悠とデートした日以来で、メッセージのやり取りも卒業式のあれっきりだったから、何か話を振ろうにも、どうしたらいいかがわからなかった。
「……高校はどうだ?」
そうこうしているうちに、梧が微笑みながらたまきに声をかける。
話しかけられて一瞬ドギマギしたが、たまきは何か答えようとして口を開いたあと、一度、口を閉じた。
一瞬の躊躇うような顔つきに、梧は訝しむと、
「……何か、あったのか?」
とトーンを落として、深刻そうに詰め寄る。
たまきは慌てて手を振って、
「いえいえ!大丈夫です。楽しくやってます」
と、笑顔で笑う。
梧は視線を競技場のトラックに移しつつ、ため息をついた。
「君の大丈夫はアテにならないが……、言いづらいことなら無理には聞かない」
梧のその顔は、納得していないようだったが、そのまま黙った。
パッと見た顔は怖いが、怒っているわけじゃなく、心配してくれていることはよくわかっている。
「えっと……。……勉強も大変だけど、ついて行けないほどじゃないし、部活もまだ慣れないけど、大会で会ったことがある子もいてすぐ仲良くなれたし、心悠もいるし、楽しいです」
おずおずとたまきが言うと、梧はちらっと、視線を送ってくる。その顔は、疑っているようにも見える。
誤魔化せないなと感じながらも苦笑すると、それでもその梧の表情を見て、少し俯きながら口を開く。
「……ただ……部活で、タイムが伸びなくて。紫露が良くなってるのを見て、ちょっと悔しいなって思っただけです」
梧はそう言った、たまきの方をじっと見つめた後、
「……そうだったのか」
と、とだけ言って、何か考えるような表情をして、またトラックに視線を戻した。無理に問いただしてしまったかと、梧は思ったのかもしれない。たまきはそれを見て、自分もトラックの方へ向き直る。
紫露が出る、100mの決勝が始まるところだった。
号砲が鳴ると全員が一気に飛び出す。先ほどの予選ほど、紫露は他を引き離すことはできていないが、じわじわと順位を伸ばしていく。
二、三人と競り合いながら、紫露は最後まで粘って走り抜けると、ぎりぎりでトップでゴールに入った。
瞬間、心悠と元部員、杠葉までが立ち上がって歓声を上げてガッツポーズをする。
紫露は走ったあと、観客席の方へ駆け寄り、両手でピースを掲げてから手を振ってきた。
観客席からもそれに応えるように、手を振りかえしたり声をかけているうちに、現部員たちが紫露に駆け寄って、紫露はあっという間にもみくちゃにされた。
たまきも微笑みながらそれを見て、手を叩いて喜んでいる。
しかし梧は立ち上がらない様子と、先ほどのためらうような表情を思い出して、少し思案した表情でその横顔を黙って見つめたあと、トラックにいる紫露たちに視線を戻した。
「やってくれたな、紫露のやつ!」
「しかもタイムも自己ベスト更新してるし!」
嬉しそうに心悠が言ったのを聞いて、たまきも興奮しながら答える。
次の競技が始まりそうな中で、心悠たちはなんとか気持ちを落ち着けて席に座るが、
「……くっそー、負けてらんないわ」
心悠はまだ抜け切らない余韻の中でそう言う。
その目がキラキラと輝いていて、たまきはその心悠を見つめて嬉しそうに微笑み「そうだね」と、トラックに視線を移しながら呟いた。
次の競技に移り、ようやく落ち着いてきた頃、梧はやはり気になって、口を開く。
「たまき」
名前を呼ばれて、たまきは驚いて梧の顔を見た。
そういえば下の名前で呼ばれることになったんだと思い出して、恥ずかしくなったが、梧のその顔がとても真剣だったので、たまきは戸惑った。
「……タイムが伸びないことに、何か、心当たりはあるのか?」
梧はまっすぐな瞳でたまきを見つめたまま、たまきの返答を待った。たまきは一度押し黙り、その視線から目を逸らしてから、
「……何か、あるってわけじゃ……」
言いかけたあと、伺うように梧の表情を見た。
梧は、射貫くようにまっすぐに、心を見透かすようにたまきを見つめている。ごまかすのは無理だろう。
「……時々なんですけど、膝が痛むことはあります。毎回じゃなくて本当に時々なので、それが関係してるかはわからないんですけど」
また、梧からは視線をそらして、たまきが言う。梧の顔が少し心配そうになると同時に、
「え?そうなの?たまき」
と、話が聞こえたらしい心悠が言った。
驚いてたまきが振り向くと、眉間に皺を寄せた心悠がたまきを見つめている。
「……あ、でも本当に時々だよ?」
「……でも気になってるんでしょ?」
心悠の顔がどんどん真剣みを帯びていく。
「……気になるって言うか……、今、そう言えばと思っただけで……」
たまきは心悠を宥めるように肩に触れながら答えるが、心悠の表情は緩みそうになかった。
たまきもタイムが伸びない理由はいろいろと考えていた。環境に慣れないせいだとか、今までの練習方法と変わったからだとか、そちらの方がよっぽど現実的な理由だったから無意識に除外していただけで、隠していたつもりもなかった。
痛みとはいえ、すぐに消えることも多く、足のつき方を間違えたのかなと思ったくらいで、その後の練習やフォームを確認し直したりして、様子を見ていた。
「……一応診てもらったらどうだ?何もなければそれでいいから」
またまっすぐたまきの方を見つめて言った。
「え?……ほんとに大した痛みじゃないんですよ。今も痛くないし」
驚いてたまきが首を横に振りながら答えるが、
「でも、膝って嫌じゃん。関係なくても診てもらってよ。その方が私も安心できるし」
心悠が心配そうな表情で念を押した。
たまきは二人の顔を交互に見ながら、
「……うん。わかった」
と二人の心配に押されるまま返事をする。
確かに不安はよぎるが、一つ可能性を潰しておけば安心もできるので、早い方がいいと言う二人に言われて、明日の午前中には行くと約束して、ひとまず応援に専念することにした。
たまきたちの応援の成果か、後輩たちはいい成績を収め、競技を終えた後輩たちと少しの間言葉を交わして、二人は今回優秀な成績を収めた紫露の頭を撫で回して労った。
その帰り際、梧には知り合いの評判のいい整形外科医を紹介され、心悠には結果が出たら連絡するようにと言われて、たまきは笑顔で応え、帰路に着いた。




