14-2
スイは、ゼンよりも高い身長で、手足が長くて痩せぎす。顔は顎が尖って、目は開いてるんだか開いてないんだかわからない、目じりが吊り上がった、狐顔。
髪は日に晒された褪せた茶髪で、襟足だけ長く伸ばして三つ編みにしていた。
掠れた少し低めの声で、胸も平坦な体型だったから、一目見てスイを女だと思うやつはいなかっただろう。
実際ゼンも、スイの性別を意識して接することはあまりなかったように思う。
スイは大人になるにつれ、嘘をつくことはしなかったが、適当な物言いと緩い態度で、どこからどう見ても胡散臭く仕上がっていった。
ゼンはその国では蛮族と呼ばれた一族の末裔で、両親が早くに死んだあと、森に捨てられた。
そこで出会ったのが、森の奥にあった家で暮らしていた頑固なじーさんで、じーさんは”風のもの”の宿を管理する”止まり木”をしていた。
スイはそこにやってきた”風のもの”もどきだった。
子供一人きりで、誰にも教わらずに旅をしていたスイは、”止まり木”の存在すらわかっておらず、時に食べたものの毒で死にかけたこともあるようなギリギリの状態だった。
見かねたじーさんは、ゼンに”止まり木”としての知識を教えるついでに、スイにも宿に留まらせ、旅に必要なことを叩きこんだ。
じーさんの教え方は厳しく、怒るととんでもなく怖かったが、一緒に暮らしている間は、三人は本当の家族のように過ごした。
やがて、スイは旅に出るようになった。
初めの頃は数か月に一度、帰ってきていたが、それが年単位になり、だんだんとその間隔は長くなっていく。
二度と帰ってこないことも覚悟しておくように、じーさんはゼンに何度も釘を刺したものだった。
そのじーさんが死んだとき、虫が知らせたようにスイは帰ってきた。
大丈夫だと強がるゼンの傍にしばらくスイは留まったが、二人の生活に慣れ始めた頃に、ふらっと出て行ったっきり、今度は十数年戻らなかった。
ゼンは、その時、自分はスイを好きなんだと自覚した。
好きと言うにはもっと、なんと言うか、複雑な感情だったようにも思うが。
けれど、スイは勘のいいやつだったから、それに気づいていなくなったんだと、ゼンは思った。
あれが最後だったかとゼンが思った頃、スイは、赤ん坊だったハルを連れて戻ってきた。
ゼンは反対したが、なぜか、スイは育てると言ってきかず、ゼンはそれを渋々手伝うはめになった。
まだろくにハルが歩けない頃は、ハルをゼンに預けて旅に出ては、数か月の間に戻るを繰り返して、ハルを二人で育てた。
もう会えないと、スイへの想いに蓋をしようとした矢先のことで、まるで、子育てをする夫婦のようなその日々に、ゼンは苦悩した。
このまま、想いを膨らませても、スイはまたふらりといなくなるかもしれない。
だが、スイとハルと過ごす日々は、ゼンにとっては何よりも愛しい時間だった。
ハルの体力がしっかりしてきた頃、スイはハルを連れて旅に出ると言い出し、危険だと止めるゼンと、ハルは“風”としか生きられないというスイで、大喧嘩になった。
大喧嘩とはいえ、ほとんどゼンが一方的に怒ったようなもので、スイはいつものようにヘラヘラとのらりくらりとしていただけだった。
結局、ハルは旅に出たがり、“風のもの”になった。
スイの言った“風”としか生きられないという意味がゼンにはわからなかったが、あの時は、心底“風”が憎かった。
思えばゼンの人生は、スイに振り回されてばかりだった。
緝は、最期になった日の会話を思い出していた。
「はぁあ、なんだっておれは女なんだろうねぇ」
一人称も”おれ”で、声も掠れて低く、見た目からも男に見えるスイから出た言葉に、ゼンは目を丸くした。
「……何言ってんだ?……その見た目で、月のものもろくにねぇくせして、男も女もあるのかよ」
乾燥させた薬草の整理や、調合の手を止めず、ゼンは呆れたように言った。
「あ、差別だね。お前がそんなこと言うやつだなんて思わなかったよ。じーさんが聞いたら泣くよ」
「あのじじいが、んなことで泣くかよ」
わざとらしい口ぶりで言うスイに間髪入れずに突っ込むと、スイはやや間を置いて、
「……お前とおれで交換しないか?」
と、声のトーンを落として言った。
「はぁ?何をだよ」
振り向きもせず、ため息交じりに答えると、
「性別さ」
と、妙に落ち着いた口調で返してきた。
「さっきから何を馬鹿なことばっかり言ってんだ、んなことできるわけ……」
言いながら振り返ると、神妙な顔をしたスイと目が合った。
「な……なんだ?どうした。おまえ、なんか妙な目に遭ったのか!?」
いつもとは違う雰囲気にゼンは慌ててスイに駆け寄る。
旅をしていると、女だということは弱みになることの方が多い。もとからあまり女らしくはないが、スイはあえてどちらかわからないように振る舞っていたし、ハルもそれを真似ていた。
それは二人になじんでいたことだったし、旅をする女にとって、自分の身を守る一つの手段なんだとゼンは理解していた。
それがなくとも、二人に女らしく振る舞ってほしいなどと思ったことはなく、男だろうが女だろうが、ゼンが二人を大事に思う気持ちは変わらなかった。
だから、スイが性別を気にしているなんて、思いもしなかった。
その理由に見当もつけられず、何か酷い目にあわされたのではないかとゼンは不安になった。世の中には、女であればなんでもいいという輩もいる。
「あっはは、違う違う。誰が好き好んでおれみたいなのに手ぇ出そうとするかね。お前じゃあるまいし」
「ばっ……かやろう!俺がなんでお前なんか!今更、裸見たってどうとも思わねぇよ!」
からかうような視線で言ってきたスイに、ゼンは顔がカッと熱くなった。時折冗談で、ゼンの想いを見透かしたようなことを言ってくる嫌なやつだった。
赤くなっているだろう顔を見られまいと、大声を出して顔をそらすと、また薬草の場所まで戻って作業を再開するふりをした。
スイの言葉に気が動転し、調合の手順がわからなくなってしまったことを、悟られないようにと願いながら。
「まっ、そうだろうねぃ」
ため息交じりにそうスイが言ったところで、ハルが森から戻ってきて、その話はそれっきりになった。
そして、……なんでそんなことを言い出したのか、話の真意を聞くことのないまま、スイは、死んだ。
「あれぇ、カフェの店員さんじゃないかい?」
やる気のない間延びした声で、緝は現実に引き戻された。
顔を上げると、上下ジャージ姿の顔色の悪い、ヒョロリと細長いおっさんが緝を見ていたので、ギョッとして動きを止めた。
「あ、ごめんごめん。こんなオジサンに、急に声かけられてびっくりしたよねぇ」
目尻の下がった濃いクマのある目を、さらに困ったように下げて微笑みながら、おっさんは猫背の背をさらに丸くして、申し訳なさそうに頭を掻いた。
緝は慌ててイヤホンを外してポケットに突っ込むと、
「……こ、孤崎さん?」
驚きながら、つい、彼の名前を呼んだ。
おっさん—————孤崎翠は驚いて目を丸くする。クマのあるタレ目がどことなくアライグマかハクビシンを彷彿とさせた。
「……名前、覚えていたんだねぇ。いやぁ、春先は大変お世話になりました」
驚いた顔をした後、狐崎は、姿勢を正してそう言うと緝に向かって頭を下げた。
緝は、一回会っただけで名前を憶えていたのは気持ち悪かっただろうか、と内心思ったが、もう後の祭りだ。
今年の春頃だったか、彼は緝のバイト先のカフェの前で、急に倒れこんだ。
緝はそれに気づいてすぐに救急車を呼び、病院まで付き添ったのだ。一人暮らしの孤崎は数日ろくに食べていなかったらしく、軽い栄養失調という診断を受けた。
病院近くのドラッグストアで、胃に優しく、栄養の取れるレトルト食品を買って孤崎に渡したところ、その後お礼にとカフェを訪ねてきて、株主優待らしき割引券やクーポンを、大量に緝に渡して帰っていった。
どうやら、株の優待や配当金で生活しているらしく、お金には困っていないものの、ほとんど引きこもって暮らしているようだった。
ちなみに、彼とはそれ以来会ってはいなかったので、緝は、自分が彼に声をかけられるなど、考えてもみなかった。
もう二度と、会うことすらないとまで思っていたくらいだ。
「……今日は、どうしたんですか」
諦めて開き直ると、緝は孤崎に話しかけた。
孤崎は、整えていないボサボサの頭をボリボリと掻きながら、
「あー、いや、買い出しをね」
と気まずそうに言って、近くにあったドラッグストアを指差した。
「……カップラーメンとかじゃなくて、ちゃんとしたもの買ってくださいね」
と、緝が呆れたように言うと、孤崎は、ははは。と乾いた笑いで誤魔化しつつ、「今はいいレトルト食品も、あるもんねぇ」と答えた。
ふと、会話が途切れて気まずい空気が流れると、緝は視線を逸らして少し俯いた。
「……なんか、悩み事?」
ふと、孤崎が言った。顔を上げると、心配そうな顔で緝の顔を覗き込んでいる。
緝は、もしかしたら彼が、沈んだ顔をして歩いていた緝を心配して、声をかけてくれたのではないかと勘違いしそうになった。
……そんなわけはない。緝は首を軽く横に振って、静かに深く息を吸って、吐いた。
—————彼は、何も覚えていないのだから。
「……あは。オジサンには言いたくないよねぇ」
緝が自分の考えを否定するために取った態度を、拒絶と捉えたらしい狐崎が気まずそうな顔で言った。
「あ、いや……。そういうんじゃなくて……」
慌てて否定する緝に、狐崎は「いやいや、当然さァ」と首を振って見せた後、
「……店員さん、真面目そうだからさ。あんまり考えすぎないで、適当にやったらいいよ。気楽にねェ。……いや、まあ俺は適当過ぎて、栄養失調になっちゃったんだけどさぁ、あはは」
自虐しながら狐崎は言うと、「ま、ほどほどにね」と付け加えると肩をすくめて「それじゃ」と、緝に背を向けてドラッグストアへと向かっていく。
その背中を見つめながら、緝はこのまま会えなくなることが、怖くなった。
「狐崎さん!」
と、思わず名前を呼ぶと、狐崎はびくっと身を震わせて、恐る恐る振り向く。
緝は、狐崎の方へ一歩踏み出したものの、ためらって一瞬視線をそらした。しかしすぐに顔を上げ、
「……今度、カフェに来てください。俺、だいたい土日ならどっちか居るんで」
と、勇気を振り絞って言った。
狐崎は目を見開いて驚いた顔をした後、「え……、あ~……うん。そう、だね」と戸惑ったように何やらもごもご言った後、
「でも、こんなオジサン、あんなオシャレなカフェ行くと、灰になっちゃいそうだからなぁ……」
と、どうやら癖になっているらしい自虐を交えて、やんわりと断ってきた。
緝は、もちろん断られることは想定していた。でも、これが縁なら、逃したくはないとも思った。
「……それでも、待ってます」
緝はそれだけ言うと狐崎に頭を下げて、踵を返した。
「えっ……」
と、狐崎が声を上げたのがかすかに耳に届いたが、緝はそのまま、早足で逃げるようにその場を後にした。
緝は、駅に着いたところで、上がった息と脈を整えようと壁際に寄った。
壁にもたれながら、言わなきゃ良かったかな、と思いつつ、ため息をつく。だが、もうやってしまったことは仕方がない。
驚いた狐崎の顔を思い出して、完全に引かれただろうなと思うと、少し冷静になってきた。
緝は改札を抜けて、ホームへと向かった。
—————彼がスイだと気付いたのは、彼が倒れる少し前だった。
カフェの窓から彼を見かけ、思わずカフェからなりふり構わず走り出た。彼に声をかけようとした瞬間、彼は気を失って倒れこんだ。
緝は血の気が引いた。再会した途端、二度と会えなくなるのかと思った。
驚いたわりに、緝は冷静に救急車を呼び、店長に声をかけて救急車に同乗して付き添った。
しかし、目が覚めた彼と対面しても、彼は緝の……ゼンのことなどかけらも覚えていなかったのだった。
周りから冷静と思われていた緝が、急にカフェを飛び出して、他の店員はびっくりしたそうだが、”倒れそうな人を見かけて助けに行った”とみんなが勘違いしてくれたおかげで、しばらくの間他の店員からの尊敬の眼差しは受けたが、緝の日常はさほど変わらなかった。
孤崎はお礼にきたっきり、連絡先も交換しなかったので、今回のことがなければもう会うこともなかったかもしれない。
……時雨には、スイを見つけたとは言い出せなかった。
おそらく時雨たちは心配してくれるだろうし、言っていた通り、なんでも協力してくれるだろう。
だけど誰しもが時雨のようにうまく事が運ぶわけではない。
今回で縁が切れるなら、長かった片思いを終わらせなければ。
……前世でも、スイが旅に出るたびに思っていたことだ。だが、スイが死んで、後悔もした。
緝は、今日のことは、孤崎に引かれて嫌われたかもしれないが、言わないよりは良かっただろうと思うことにした。
ホームに電車が入ってくる音声が流れた。
緝はため息をつく。
「…………本当に……、男で生まれてくるやつがあるかよ……」
緝の言葉は、喧騒と、ホームに滑り込んできた電車の音にかき消されていった。




