13
月曜日の朝はいつもより気だるい。他の生徒たちも、どことなくうつむきがちに、足取りは重く登校している気がする。
心悠も、例外ではない。何度か込み上げてくるあくびをかみ殺しながら、いつもよりゆっくりした足取りで学校に向かっている。すると、後方から軽やかな足音が聞こえてくる。
まだ遅刻には早い時間帯なのに、小走りな足取りに違和感を感じながらも、心悠はそのまま歩き続けた。どうせ知り合いではないだろうと。
だが、その足音の主は、心悠の背中を叩いて、
「おっはよ、心悠」
と声をかけてきた。
驚いて、そちらを振り向けば、その主はたまきだった。
「……えっ、……は?」
どう考えても上機嫌そうな笑顔のたまきに、心悠は面食らう。
たまきは驚いている心悠など気にした様子もなく、隣に並んで歩きだす。
「は?……え。なになになに。こっわ」
「……え?なに?」
心悠の反応に、たまきがキョトンとして首をかしげる。
「いや、”キョトン”じゃないんだわ」
心悠はたまきの”キョトン”顔を真似しながら言う。さすがのたまきもそれにはあきれ顔で、「そんな顔してないと思うけど……」と呟いた。
いや、今のところその顔は別にどうでもよかった。
「なんで?なんで月曜の朝からゴキゲン?」
すると、たまきは驚いた顔をした後、自分の頬をムニムニと触りつつ、
「え……、ゴキゲン……かな?」
と緩む顔を引き締めようと変な顔をしている。
「無自覚かよ」
心悠は真顔で言った後、ふっと笑った。そして、たまきの肩に腕を回してぐっと引き寄せると、
「……何があったか聞かせてもらいましょーか?週末、紫露んち行ったんだよね?」
と言った。
たまきは急に慌てだし「えっ、そんな、話すことなんか……」と言ったが、訝しそうな心悠の視線に「……あとでね」と、微苦笑した。
今度は心悠がたまきの背中を叩き返し、「よっし」と言うと、二人は顔を見合わせ笑いあうと、少し小走りになって学校へと向かったのだった。
お昼休みに入ると、待ちきれなかった心悠は学校の中庭にたまきを連れ出した。
「聞かせてよ!もう、気になって集中できないから」
ベンチに座るや否や目を輝かせて詰め寄る心悠に、たまきは苦笑いしながら、
「そんな、すごい話じゃないよ」
と顔の前で手を振る。
「そういうのいいから」
心悠はもう一歩たまきの方へ詰めると、たまきはためらうように視線をそらし、俯いた。
たまきの雰囲気に、話の内容が、思っていたほど明るくないのかもしれないと察知した心悠が、真剣な顔つきになった。前のめりの身体を落ち着けて背もたれに体をあずけ、たまきが話し出すのを待つ。
「……ほんとに、たいしたことじゃないんだけど……」
そう前置きするたまきは、どう話し出そうか迷っているようだった。
身体を少し、心悠とは反対の方向へ向け、視線を上げて、
「……か、家族のことを、話せたの」
と言った。その声は少し、震えている。
心悠は体を起こした。心悠に背を向けるように顔をそらしたたまきの肩が、小さく震え始めるのを見て、心悠は迷うことなくそのたまきを後ろから抱きしめた。
たまきは少し驚いたが、その心悠の腕に触れる。
「……ママや、パパのこと……思い出してね。あの日の、ことも……」
「うん」
たまきの声は震えていて、心悠は抱きしめる手に力を込める。
「……心悠にも話したい。……いまは、無理かもだけど」
えへへ、と鼻をすすりあげながら笑うたまきの声を聞いて、心悠は腕をほどいて肩を掴むとたまきを振り向かせた。
驚いた顔のたまきの、涙がこぼれるその両頬を掴むと、
「いつでもいいよ、そんなの」
と、真剣な顔をした。その心悠の目にも、ほのかに涙がにじんでいる。
たまきが一歩、前に進めた。それだけでも、心悠は嬉しかった。もちろん、たまきから家族の話を聞きたいけど、それは、たまきが落ち着いてからで全然いい。”話したい”と言ってくれただけで嬉しかった。
たまきが頬をつぶされた顔のままじっと心悠の瞳を見つめ返していると、急に心悠は吹き出す。
「ひょ、こはう……」
たまきが何か言おうとすると、左右からつぶされた唇が縦にぴょこぴょこくちばしのように動いた。
「……やば、喋んないでよ。たまき」
それを見て、もうこらえきれなくなった心悠はそう言うと、一人で声を上げて笑い出した。
たまきはムッとした顔で心悠の腕を振りほどくと、
「もー!心悠!」
と言って、腕を振り上げて、痛くならない程度の力加減で心悠の肩や背中を叩いた。
「痛い、痛い!ごめんって、たまき!」
しばらくそうして取っ組み合いのようにじゃれあってから、二人は顔を見合わせて笑って抱き合った。
「あ!……そうだ」
ひとしきり笑いあった後に、心悠がたまきを離して声を上げる。
「私、公立受けることにした。たまきと同じとこ」
「えっ!そうなの?特待?」
「特待は私立だけ。でも公立のスポーツ推薦、まだ枠あるって言うからさ」
「そうなんだ。……でも、私立じゃなくてよかったの?その方が設備がいいって聞いたことあるけど」
「めっっっっちゃ、悩んだけど。通うのに少し遠いし、いろいろ厳しいらしいんだよね。まっ、私にかかれば、どの高校でも成績残せちゃうからさ~」
自信たっぷりに胸を張って、心悠は両手でVサインを作る。
たまきは「確かに」と言った後、ベンチに座り直して、空を見上げながら嬉しそうに微笑むと、
「そっか。じゃあ、また三年、心悠と一緒に通えるってことだよね」
と、確認するように呟いた。
心悠もそんなたまきを見つめて嬉しそうに微笑んだ。しかしすぐに表情を引き締める。
「ま、受かればね」
「う……。確かに」
たまきがうめいて同意すると、心悠はうんと伸びをして、
「ま、頑張りますか」
と言った。たまきと視線を合わせてニッと笑い、たまきは心悠に笑い返して「そうだね」と両手を握って見せて応えた。
「……そう言えばさ。紫露んちに行ったときって、噂のイケメンはいたの?」
「……えっ?……あ、梧さん?」
何気なくを装った心悠の探る言葉に、たまきは動きを止めてつい、梧の名前を口にする。
かかった!とばかりに心悠は内心ガッツポーズをし、緩む口元を手で隠しながら、
「いや、名前知らんけど」
と、平静を装う。
「い……いた、けど」
言いながらたまきは、視線を逸らす。
「ふぅ~~ん、へぇ~~~?」
心悠はニヤニヤしながらたまきの顔を覗き込み、たまきはそれを避けるように顔をそらし、心悠はそれをさらに追いかけて顔を覗き込む。
「えっ、と……。そう!そう言えばさ、時雨さん……霜槻のお父さん、激甘モードすごかったよ。目からハートマークがパパパ~って飛んでるみたいな」
たまきは話を逸らすように、身振り手振りを大げさにして話すと、それでも心悠の視線はニヤニヤとしたまま「ふぅん、そうかそうか」と、何か間違った方向に解釈をしたらしい相槌を打った。
「なっ、なんもないよ……!あ、いや……話は、聞いてもらったけど……。話を聞いてくれたのは霜槻もだし……」
それを聞いて、心悠は一転、ムスッとした顔をした。
「なにぃ?紫露が私より先に話聞いたってこと?」
霜槻家にお邪魔した時の話をしたというのに、そこまで気が回っていなかったのか、心悠は腕組みをして、途端に不機嫌な顔になった。
「いや、だって、霜槻んちに行ったんだし、それは、そうなるでしょ?」
紫露の失言をきっかけにして話したとは言えないな、と思いながら、たまきは心悠をなだめる。
心悠は口をとがらせつつも、たまきを一瞥してため息をつき、「ま、そりゃあそうだけど、さ」と呟いた。その言葉にたまきはひとまずほっとする。
「……霜槻、私より泣いてたけどね」
そう付け加えると、心悠の顔はすぐに嬉々としたものに変わった。
「マジか!それはイジってやらねば」
それを聞いてふふっと笑うと、たまきは胸中で、もっとすごいネタがあるんだけどな~と呟きつつ、それはまぁ、秘密だから言えないけど。と残念に思った。
放課後になり、たまきは心悠に手を引かれて、部活の場所へと急いでいた。
心悠はもう、紫露をイジり倒したくてうずうずしていたらしく、休み時間に二年の教室に乗り込もうとしたのを、さすがにたまきが止めたのだった。
着替える時間も惜しみ、心悠が制服のまま運動場に直接乗り込むと、部活の準備をしていた紫露を見つけて突進し始める。
「紫~~露~~~!聞いたぞぉ」
心悠が言って近づいてくるのを見て、紫露はすごい形相でたまきを睨みつけた。
おそらく紫露は”別のこと”を話したのだと思ったのだろう。たまきは顔の前で手を振り、首も横に振って無実をアピールした。
だが、紫露の顔は全くたまきを信用していない。顎を出して睨みつける顔に凄みを増そうとしている。
そうこうしているうちに、心悠は紫露の首に腕をかけて引き寄せると、「泣いたんだって?」と耳打ちした。
「……はっ?」
思っていたことと違うことを囁かれ、紫露は動きを止める。
何が起きているのかわからず、体をひねって再びたまきの方を見ると、今度は何度か縦に首を振り頷いていた。
「え。……どゆこと?」
「たまきより泣いてたらしいじゃないの?」
疑問を口にすれば、心悠が満面の笑みで答えてくれた。
「あっ、そっち?」
「は?そっちって何?」
つい、口を滑らせた紫露の言葉に、今度は心悠が動きを止め、訝しげな顔をする。
やばっ、という顔をした後、隙をついて心悠の腕の中からすり抜けると、紫露はトラックへ走り出した。
「いやっ、何でもない!何でもない!」
「あ!待て、このやろ!」
「ちょっ、心悠、制服のまんま!」
制服のスカートの下にハーフパンツは履いているものの、制服を汚すのを心配したたまきが声を上げた。
しかし、紫露を追いかけて走り出した心悠は、もう聞く耳を持っていない。スカートを翻してすぐトップスピードまでギアをあげ、紫露をグングン追い上げていく。
「はっや」
後輩の誰かが呟いた。
「やっぱさ、大会の時、心悠先輩の前に霜槻走らせるべきだったよね」
「馬の前のニンジンみたいな?」
「紫露先輩がニンジン扱い……」
「いや、わかるよ。早いんだけどね、紫露も」
言ってる間に心悠は早々に紫露を捕まえ、前回の部員同様、首根っこを掴んで戻ってくる。
「いやいや、マジで何でもないですって!」
「そっちって言ったよね、確かに聞いた」
揉めながら二人が戻ってきたところに、ちょうど副部長の女子部員が遅れて「お疲れー」と顔を出した。しかし、二人の姿を見た瞬間その顔が曇り、睨みつけるように、紫露と心悠、たまきの顔を順々に見た。
「……何してんスか」
少し低めの声で言うと、部員たちも静まり返り、できるだけ音を立てないように準備を再開し始める。
「聞いてよ!紫露ったらさぁ!」
「助けて、副部長!」
口々に言う二人に、静かに彼女は腕を組み始め、仁王立ちになる。
そしてため息をついたかと思うと、
「心悠先輩とたまき先輩、もう出禁!」
と、きっぱりと言った。
「「……はい」」
勢いに負けて心悠とたまきが返事をすると、心悠から解放された紫露が副部長に駆け寄り、
「いやぁ、助かった!」
と嬉しそうに言うと、キッと紫露を睨みつけた。
「あんたも、遊んでんじゃないよ!部長だろ!」
と怒鳴りつけられ、目が点になった。
「……お、俺は被害者だろぉ!?」
我に返って反論するものの、
「言い訳無用!さっさと準備!」
と、追い打ちをかけられるとそれ以上反論できずに、しょんぼりと背中を丸めながら、準備をしている部員たちの中に加わりに行った。
心悠とたまきは荷物を持って、運動場に一礼すると、副部長に向かって
「……すいませんでした」
「……ごめんね」
と、申し訳なさそうに言ってその場を後にしたのだった。
「怒られちゃったね」
帰路について苦笑しながらたまきが言うと、心悠も苦笑いを浮かべて「ちょっとふざけ過ぎた」とバツが悪そうに言った。
「まぁでも、あの副部長なら安心だわ。上手いこと皆をまとめてくれてるし。紫露と逆の方がよかったかもなぁ」
心悠はすぐ、気を取り直して元部長目線でそう言った。
今までも羽目を外す時もあったが、これでも心悠は厳しい部長だった。他人に厳しい分、自分にも厳しく、率先してハードな練習メニューをこなし、みんなをけん引していた。
たまきが副部長としてできたことは、その心悠やみんなが苦しい時に声掛けをして、何とか食らいついて行くことぐらいだった。
「でも霜槻、副部長ならなんもしなさそう」
「それもそだな」
たまきが付け足すと、心悠はまた苦笑して同意した。
「まぁ、実技試験もあるから個人的に練習とかは続けるとしても、ちょうどいい機会だから勉強に本腰いれますか」
ストレッチのように体をひねりながら歩いて、心悠は言った。
「そだね。練習は一緒にやってもいい?」
「もちろん!ま、成績落とさないように気を引き締めていかないとね~、た・ま・き・さん?」
「え?なんで私に言うの?」
たまきが口をとがらせて言うと、心悠はニヤニヤしながら、
「あおぎりさん?だっけ。イケメンにうつつ抜かしてる場合じゃないかんね」
と笑うと、たまきは顔を赤くしながら、眉間にしわを寄せた。
「ぬ、抜かしてません!!」
たまきはまた、軽く心悠の肩を叩きつつ声を大きくしながら言うと、「あはは、ごめんごめん」と心悠は全く悪いと思っていない口調で謝る。
「もう!」とふくれっ面をしたたまきの顔を覗き込みつつ、心悠は今度は優しく微笑んだ。
「良かった」
その言葉にたまきは片眉をあげ、訝しそうに心悠を見た。
心悠は、はぁ、と息を吐いて空を見上げてから、たまきの方へ視線を戻す。
「……たまきが、本当に笑えるようになってさ」
「……前から、ほんとに笑ってるよ……?」
たまきは心悠の言わんとしていることはわかったが、少し気恥ずかしくなってそう答えた。
「わかってるよ。でも、……うん。うまく言えんけど、良かった」
心悠も珍しく、言いながら照れているようだった。
「色々聞かせてよね。霜槻家で何があったのかも聞きたいし、急がなくてもいいけど……たまきの家族のこともさ」
はにかんだ顔の心悠が、照れ隠しなのか、ニッと歯を見せて笑う。
「……うん」
たまきも恥ずかしそうに笑うと、心悠の腕に抱きついた。「わっ」と一瞬驚くものの、くっついてきたたまきに頬を寄せた。
たまきはその帰り道、心悠に、霜槻家で杠葉が可愛くて優しくて美人だったこと、時雨が杠葉を見つめる視線が本当に激甘だったこと、杠葉の作ったおいしいご飯をたらふく食べて、アップルパイをもらったこと。
そして、ほんの少しだけ、たまきのパパママがどんな人だったか。
皆でもらったアップルパイを食べて、泣いたこと。そんなことを話しながら、いつもより少しゆっくり歩いて、帰った。




