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 泣いて、泣いて、たまきがようやく泣き止んで顔を上げると、梧の腕の中だということに気づいた。

「え、あっ、……ごめんなさ……」

 近いところにあった梧の顔に驚いて謝ろうとした時、横から鼻を啜る音が聞こえた。そちらをみれば、二人に抱きついて紫露が泣いている。

「え?……霜槻?」

 たまきが驚いて思わず声をかけると、紫露はハッとして二人から離れ、顔を逸らす。それでも止まらないらしい涙を、「うー」と唸りながら服の袖で拭った。

 梧はため息をついて、ひとまずたまきを立ち上がらせ、ポケットからハンカチを取り出すと、紫露に差し出す。

「あ゙り゙がど……」

 鼻が詰まった声で紫露が答えて受け取ると、ハンカチを広げて顔を覆って拭った後、お約束ながら鼻をかんだ。

 梧は紫露のその行為に唖然としたが、気を取り直して別のポケットを探ると、ポケットティッシュをたまきの方へ差し出す。

 だが、たまきはすでに自分のバッグの中からポケットティッシュを取り出していた。

「……ありがとうございます」

 と、たまきが気持ちにお礼を言うと、梧は「……いや」と言って、行き場をなくしたポケットティッシュで紫露の頭を軽く叩いた。

 くしゃくしゃになったハンカチを握りしめながら、またも「ありがと」とさっきよりは聞き取りやすい声で言うとティッシュを受け取り、ハンカチを返そうとしてくる。

「いらん」

 梧がそっけなく拒否したので、紫露は渋々自分のポケットにハンカチを突っ込んでティッシュでまた涙を拭うと、鼻をかんだ。

 

 ようやく二人の涙が落ち着いて、たまきは二人に頭を下げる。

「ごめんなさい。……泣いたりして」

 と言うと、梧と紫露は顔を見合わせ、またたまきに視線を戻すと、

「何も、気にするな」

「泣くのくらい、仕方ないすよ。ってか…………、すみません、たまき先輩」

 二人はそれぞれ言い、紫露はまた言いながら涙をこぼした。

 たまきは慌ててティッシュを取り出し、

「なんで霜槻が泣くの〜」

 とその涙を拭いた。

「うー、だって……ごめんんー」

「それでなんで謝るの〜?」

「わかんないぃー」

 言いながら、たまきも涙腺が緩みそうになるのを堪えた。

 梧はその二人を見つめながらため息をつくと、柄じゃないと思いつつ、近づいて両手を広げると二人を抱き寄せた。

「わ」

「んえ?」

 そのまま、驚いて声を上げた二人の頭を、問答無用でワシワシと撫でる。

「そろそろ泣きやめ。戻るぞ。杠葉さんが心配する」

 二人揃って梧を見上げた後、顔を見合わせて笑う。

「はい」

 二人が声をそろえると、梧は「……よし」と言って二人の背中を優しく叩いた。



 ――――――――――――――――――――――――――


「あらぁ……」

 帰ってきた三人を迎えて、杠葉は紫露とたまきの泣き腫らした顔を見て、驚いて声を上げた。

「……か、顔洗ってくる」

 言うが早いか紫露はすぐに洗面台の方へ走っていった。

「あらあら」

 杠葉はそれを目で追った後、たまきに向き直って両手で頭から撫でおろし、頬を包むと、

「たまきちゃんも、顔を洗ってらっしゃい」

 と微笑んだ。

「あ、はい、じゃあ……」

 たまきは軽く会釈して、紫露の行った方へ入っていく。

 その後から、少し気まずそうな顔でリビングに入ってきた梧に、杠葉は優しく微笑んだ後、

「二人を泣かせたのね?」

 と、わざと責めるような口調をした。

「いや……それは……」

 返答に困っている梧に「冗談よ」とまた笑顔になると、ホッと息をついて

「……少しは吐き出せたかしらね」

 と、洗面台の方向へ視線を向けた。

 梧もそちらへちらっと視線を投げてから「おそらくは」と言った。

「だいぶ、……泣いていましたから。少しはすっきりしてくれていると良いんですが」

「……そうね」

 梧の言葉に杠葉は頷き、時雨も頷く。

 顔を洗ってきた二人がリビングに戻ってくると、杠葉は笑顔で出迎える。

 たまきは俯きがちに「あの、もうそろそろ帰らないと……」と残念そうに眉尻を下げて言った。

「あら!もうそんな時間?」

 杠葉が驚いた顔で時計を見る。

 もうすぐ15時になりそうだった。霜槻家的にはまだまだいてもらって構わないが、午前から出かけていて、たまきの祖父母は気を揉むかもしれない。

「じゃあ、お土産包むわね」

 杠葉は言ってキッチンに向かう。

「杠葉さん、俺の分は彼女に持たせてください」

 その杠葉の背中に梧が声をかける。

「わかったわ」

 笑顔で杠葉が答え、時雨は戸棚から使い捨ての容器を取り出して準備を始める。

「えっ、そんな、いいですよ」

「遠慮しなくて良い。俺は何回もいただいているから」

 遠慮するたまきに、梧は首を横に振る。

「え、でも……」

「いいのよ、たまきちゃん。梧くんにはまた焼くわ。三切れ持って帰って皆さんで食べて。三人家族だったわよね?」

 それでも遠慮しようとするたまきに、杠葉は手を動かしながら言って、素早く容器に詰めていく。

「あ……はい。……ありがとうございます」

 たまきは、梧と、杠葉の横で微笑む時雨の顔を交互に見て、二人が頷くのを見てお礼を言った。

「さ、じゃあこれ持っていって。特製アップルパイよ。パイ生地から作ったの」

 そう言って容器に綺麗に詰められたアップルパイを自慢げにたまきに差し出した。

「あ……」

 たまきは、アップルパイを見つめて固まる。

 止まったはずの涙が、じわじわと目の縁に溜まってゆくのが、杠葉の目に止まった。

「えっ?たまきちゃん、嫌いだった?」

 慌てて、たまきは指先で涙を拭い、首を横に振った。

 拭ってもまた涙は溢れ、目尻を下げてたまきが笑うと頬を伝う。それを今度は袖で拭いながら、

「……違うんです。…………ママが」

 と、途切れ途切れに話し出す。

 杠葉は慌ててエプロンの裾で優しく流れた涙を押さえると話を促すように頷いた。

「……りんごが大好きで、……よく、作ってくれたのを思い出して……」

「……そうだったの」

 時雨がハンドタオルを持ってきたので、杠葉は今度はそのハンドタオルでたまきの顔を優しく拭う。

 胸の奥にしまい込んでいた思い出が、ようやくたまきの中に溢れ出して戻ってきたのかもしれない。と杠葉は思った。

「……お母様のアップルパイには及ばないかもしれないけど、食べてみてね」

 そういうと、たまきは首を横に振って

「絶対こっちの方が美味しいです。ママのレシピは適当だったし、冷凍パイシートだったから」

 と笑った。

「そういうのが一番美味しいのよ」

 杠葉は言うと、紙袋にアップルパイを入れてたまきに手渡す。

「じゃあ梧くん、お家まで送ってあげてね」

「わかりました」

 たまきの背に手を添えて、梧を見上げると杠葉が言い、すぐに梧は返事をするとポケットから鍵を取り出す。

「え、バスと電車で帰れます」

「あら、その顔で帰るつもり?周りの人がびっくりしちゃうわ」

 どこまでも遠慮がちなたまきにそう言って頬を指先でつん、と触れると、杠葉は笑った。

 たまきは慌てて自分の両手で頬を包んで、「あ……」と、先ほど洗面台の鏡で見た自分の顔を思い出して何も言えなくなった。

「梧くん、おばあさまたちにうまいこと言い訳してちょうだいねっ!」

 杠葉が胸の前で両手を握りながら言うと、梧は急に深刻そうな顔になった。おそらくその点をうっかり失念していたのだろう、少し青ざめて「……善処します……」と呟くと、重い足取りで玄関に向かう。

「あ、えっと、大丈夫です。家の近くまでで下ろして貰えば」

「そういうわけにはいかない」

 慌てて言うたまきに、梧は言って、何かぶつぶつと言いながら出ていった。

「まぁ、任せましょう」

「……すみません、何から何まで」

 そう言うたまきに杠葉は面食らった顔をしてから、ふう、とわざとらしくため息をついて見せた。

「たまきちゃんは、気を使いすぎ」

 その後ろから紫露が顔を出す。

「……そうっすよ。アオ君も含めて俺らに気を遣わなくて良いんですからね。なんも恥ずかしいこともないし!」

「紫露はママ呼びもバレたからね。……パパって呼んでも良いんだよ」

 そこににこやかに笑う時雨が参加する。

 激甘モードではないが、この前とも違う、……日曜日のパパの顔をしていると、たまきは思った。この前はきっと仕事モードだったのだ。このギャップを知ったら、部活のメンバーは盛り上がるだろうなと思いながら、たまきは笑う。

 数時間前には目を逸らしたかった家族の姿が、前ほど苦しくなく見ていられた。

「……蒸し返すなよ!父さんはもう普段からパパ呼びしてないでしょ!捏造すんな」

「寂しいなぁ」

 霜槻家の三人は、そんな会話をしながら玄関まで見送りに出てくれた。

「ありがとうございました。お邪魔しました」

 たまきは玄関で深く頭を下げた。

「こちらこそ、きてくれてありがとう。」

「またいつでも来てください」

 顔を上げると杠葉と時雨が微笑む。

「心悠先輩に内緒なの、忘れないで」

 真剣な顔で顔を寄せてきて、紫露が念を押すと「最後までそれ?」とたまきは吹き出した。

「わかったよ。内緒ね」

 と言ったところで、車を回してきた梧が玄関を開けて顔を出した。

「……じゃあ、お邪魔しました」

 もう一度軽く頭を下げ、手を振る三人に手を振り返してたまきは家を出た。

 助手席のドアを開けて待つ梧の手を取って、きた時よりもスムーズに車に乗り込む。

「……じゃあ、お願いします」

 運転席に乗り込んだ梧に言うと「あぁ」と言う返事が返ってくる。少しそっけなく聞こえるその返事も、梧を知ってみると、優しく聞こえた。

 ふと、泣いている間、梧に抱きしめられていたことを急に思い出した。途端に、車の中に二人きりという状況が恥ずかしくなってきて、気を逸らすために腕を撫でていると「寒いか?」と梧が聞いてくる。

「いえ!大丈夫です」

 たまきが慌てて手を振って否定すると、梧は眉を顰める。

「……君の大丈夫は信用できないからな」

 そう言ってため息をついて、一瞬視線を投げてきた。

「あ、いえ、ほんとに寒くはないです」

 そう言い直すと「ならいいが」と、まだ疑いつつも梧はそれ以上何も言わなかった。

 そこからは、梧が道を確認する以外、あまり会話はなく、帰り道を進んだ。

 来た時と同じように、もう少し長くいたいと思いながらの帰路は、あっという間だった。


 家の前で車から降りていると、家の中から祖母が出てきた。開け放した玄関の中に、祖父の姿も見える。

「……あ、た、ただいま」

 なんとか誤魔化して、梧には帰ってもらおうとしていたたまきは、早々に鉢合わせしてしまったことに動揺した。

「……おかえり」

 歩み寄ってくる祖母に、泣いた後の顔を見られたくなくて、たまきは少し顔を逸らす。訝しげな顔をする祖母の前に、梧が少し距離をとって一礼した。

 普段も持ち歩いているのか、ジャケットの内ポケットから名刺を取り出し、祖母に差し出しながら

「海部と申します」

 と、また軽く頭を下げると、祖母は驚いて名刺と梧を見比べた。気にした祖父が玄関先まで出てくる。

「たまきさんの後輩の、霜槻紫露くんの父親と同じ会社におりまして、普段から家族ぐるみで付き合いがあるものですから、今日はご一緒させていただいたんですが」

「……は、はぁ」

 なんだかわかったようなわからないような顔で祖母が相槌を打って名刺を受け取ると、その内容を見て

「お若いのに、社長さんですか」

 と驚いた声を上げた。じわじわと近づいていた祖父が、祖母の隣に並んで名刺を見つめる。

「形だけですが」

 梧は謙遜して苦笑する。

 ポケットに名刺入れを戻すタイミングで、梧は姿勢を正し、ジャケットを整えると、困り顔のたまきの方へ視線を送る。

「お、送っていただいて、ありがとうございました。もう……」

 たまきが、なんとか梧に帰ってもらおうと言うが、梧は小さく顔を横に振る。たまきの背中を押して、祖父母の方へと促すと、たまきは顔を隠すように俯いた。

「……立ち入ったことを、聞いてしまいまして」

 梧は気まずそうにそう言ってから、祖父母の顔をそれぞれ見て、しっかりと目を合わせた後、

「お孫さんを泣かせてしまいました。申し訳ありません」

 と深く頭を下げる。言い訳も考えてみたが、梧の中で、結局素直に言うのが一番いいと言う結論になった。

 二人は驚いた顔をした後、祖母がたまきに近づき、俯いた顔を上げさせる。

「……ち、違うんだよ……、梧さんたちは悪くなくて」

 言い訳をするたまきを半ば無視して、祖母は震える指でまぶたのあたりに触れ、鼻先にも触れた。

「……あの日の、話?」

 祖母が聞くとたまきは驚いた顔をした後、頷いた。

「……パパと、ママのことも」

「…………そう」

 祖母はたまきに対して微笑むと、梧に向き直る。

「顔を上げてくださいな」

 そう言うと、ずっと頭を下げたママの姿勢だった梧はゆっくりと体を起こす。

「……孫がお世話になったみたいで、ありがとうございます」

 梧に笑顔を向け、祖母は頭を下げる。

「いえ、そんな」

 あわてる梧に、祖母はゆったりとした動きで顔を上げ、

「……いいえ。この子があの日のことを話せたのは、あなた方に心を許したからでしょう。もう、ご事情はお分かりでしょうけど、年寄り二人では何かと行き届かないこともございますから」

 悲しそうに、でも、少しホッとしたように祖母は言って、もう一度今度は深く頭を下げる。

「いえ、顔を上げてください。決してそんなことはありません。私たちが不躾だっただけで……」

 祖母は顔を上げると

「……たまきを見ればわかりますよ。ただ泣かされたなら、こんなスッキリした顔はしていないでしょうから」

 と、たまきの顔を見て微笑む。

 たまきは少し戸惑ったが、祖母に微笑み返した。

「……こんなところではなんですから……、上がってもらいなさい」

 黙ってなりゆきを見守っていた祖父が、ふと口を開く。

「あぁ、そうですね。気がつかなくてごめんなさい。何もないですけどお上がりください」

 祖父に言われて祖母が中へと促すように手のひらを動かすと、

「いえ。今日はこれで失礼します。たまきさんも疲れているでしょうから」

 と、梧は軽く微笑みを浮かべ、帰りの意思を示して一歩後ずさった。

「困りますよ。霜槻さんにもこの前送っていただいたのに、ろくにお礼もしていないんですから」

「お礼なんかとんでもない。年頃のお嬢さんを一人で帰すわけにはいきませんから、送らせていただくのは当然のことです」

 慌てる祖母に梧は営業用なのか、にこりと笑うと姿勢を正してしっかり頭を下げると、体を起こしてもう一度、祖母と祖父に微笑みかけ、「それでは失礼します」と言った。

 踵を返す寸前に、一瞬たまきに視線を送って頷くと、そのまま車の方へと向かう。

「……あ、ありがとうございました!」

 半拍遅れてたまきがお礼を言うと、車に乗り込む前に振り返り、ヒラっと手を上げて微笑んだ後、車に乗り込んだ。発車する前に車の中から一度会釈をして、梧は走り去った。

 たまきはしばらくその車が走っていくのを眺めていたが、

「入ろうか」

 と、祖母が言って、たまきは我に帰ると「うん」と頷いて祖父母と共に家に入る。

 家の中に入って、たまきは少し遠慮がちに、もらった紙袋を祖母に差し出した。

「……アップルパイ、もらったの。みんなで食べない?」

 伺うように祖父母の顔を交互に見て、たまきは言う。

 祖父母は驚いた顔を見合わせ、祖母はその紙袋を受け取って覗き込みながら、

「……知ってて、アップルパイを?」

 と訊いた。

 たまきの母がリンゴが好きで、アップルパイをよく焼いていたことはもちろん祖父母も知っている。

 りんごの簡単な煮方を教えたのは祖母で、母はそれを気に入り、高校生になった頃には、りんごの季節になると買ってきては好んで煮ていた。それがいつしか、パイシートを買ってきてアップルパイにするようになったのだ。

 あの日から、りんごを買うことすら、なかった。

「ううん。知らなかったみたいだけど、偶然。……パイ生地から作ったんだって」

 たまきが楽しそうに話すのを、祖母は微笑んで見つめた。

「……そう。じゃあちとせのより、美味しいだろうね」

 ちとせは、たまきの母の名前だ。

 祖母の口からその名前が出たのは、あれ以来、なかったように思う。

「お茶を入れるか……」

 紙袋から容器を大事に取り出す祖母の目に、涙が滲んだのを見て、祖父はそう呟いて急須をとりにキッチンへ行った。

 たまきも気づいて祖母に抱きつく。

「ごめんね、泣かせちゃった?」

 そう言うたまきの目にも、また涙が浮かぶ。

 祖母は首を横に振る。

「これは、いい涙だから」

 祖母はそんなふうに言うと、手で涙を拭って、

「おやつにしましょうか。手を洗って、たまき」

 と、少し晴れた表情で言った。

 たまきは笑って、頷く。


 たまきたちは三人で、もらったアップルパイを食べた。

「美味しいね」

「やっぱり、ちとせのより本格的だわ」

「料理もぜんっぶ美味しかったんだよ」

「何が出たんだ?」

「えっとねー……」

 そんな会話を笑顔でしながら、たまきたちの目には、また涙が浮かんでいた。

 涙は出ても、悲しくはなかった。心は晴れやかで、軽く感じた。

 ……止まっていた時間が、ようやく、少しずつ動き出した、そんな気がしたのだった。

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