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7.王女の気がかり

「お兄様」

「なあに、エリー」


 何をしにきたのかは分からないけれど、エレオノーラの部屋で優雅に茶を飲んでいた兄はにこやかに返す。この人はこんな風に、突然ふらっとやってくることがよくあった。


「ギルが元気がないような気がするんだけど」


 あれから何度か訊ねようとしたけれど、その度にギルベルトにはうまくはぐらかされた。最近では少し避けられているような気までする。


「そうかな? さっきの会議でも補佐官泣かしてたし抜群にキレッキレだったよ」


 宰相の下には五人の政務官がいて、それぞれ財務だとか法務だとか職務を分担している。

 補佐官というのは、文字通りその政務官を補佐するもので、各自五から十人程度抱えている。文官登用試験を受けたものが最初に目指すのがこの補佐官だ。


 つまりは新人に毛が生えたようなものだということだけれど、会議で泣きだすほどとは。


「そんなに怖いこと言ったの、ギル」


「いや、いつも通りギルベルトが質問してたら、向こうが『準備不足で申し訳ございません』って泣き出した。別に変なことは聞いてなかったけどね」


「ああ、そういう……」

 それならエレオノーラにも覚えがある。


 決して(なじ)るわけでも怒るわけでもないのだけれど、あの彫像のように整った顔と低い声で淡々と質問されるとどうしていいか分からなくなるのである。ただそれはギルベルトが悪いということではなくて、こちらの側の不安が勝手に露呈しているだけだ。


 もうちょっとにこりとでもしてくれればいいのに、と思わないことはないけれど。


「エリーは何か、ギルベルトのことで気になることでもあるのかな?」


 フェリクスは膝に頬杖を突くとそう言ってきた。


「実家のことを話す時に、ギルが難しそうな顔をするの」

「ふうん」


 紫色の瞳が、まるでとっておきのいたずらを思いついた少年のように輝く。


「ギルベルトはいつでも難しい顔だと思うけどね。むしろあの冷徹陰キャ根暗引きこもり宰相が心の底から幸せそうに微笑んでいたとしたら、僕は明日槍でも降るんじゃないかなって思うけど」


 さすがにそこまではエレオノーラは言っていない。


「調べたら簡単に分かることだよ」

 この口ぶりからすると、兄は事情を知っているのだろう。というか、フェリクスは大体の事柄に通じているようなところがある。


「……ギルが自分から言わないことをわたしが調べるのは、なんか、違うと思うの」


 エレオノーラがもっと問い詰めたら、彼はきっと詳細に答えてくれるだろう。それはエレオノーラが王太子だからだ。ギルベルトはこの身分の高低差に逆らうようなことはしない。


 けれど、それはエレオノーラが望んでいるものとは違う。


「僕はエリーのそういうところ、好きだよ」


 信用できないということはないけれど、フェリクスは宮中の女官全員にこんなことを言っていそうなところがある。ギルベルトとは対照的だ。


「ねえ、お兄様。ギルはわたしのことどう思ってるのかしら」

「そうか、エリーはそんなことも気になるんだね」


 いつだって楽しそうな顔をしている人だが、兄は今それを差し引いても喜びが隠しきれないという表情を浮かべている。


「さあ。それはギルベルトに聞いてみないとね」

「お兄様はわたしの質問に真面目に答えてくれる気はあるの?」


「僕にとってのエリーは、いつでも守ってあげたい可愛い妹だよ」

 そう言ってフェリクスは微笑んでみせる。


 結局誰もエレオノーラの質問にはちゃんと答えをくれはしない。ただ兄の言うことにも一理あるので、エレオノーラは頬を膨らませて向かいに座る男を睨んだ。


「一応これでも真面目に答えてるつもりなんだけどなぁ」






 エレオノーラの気がかりは、もう一つある。


「あらあら姫様。ご機嫌斜めでいらっしゃいます?」

「そうね。とてもご機嫌とは言い難いわ」


 これでも王女なので、淑女として生きるのに必要な所作や刺繍などのレッスンは一通り受けて育ったのだけれど、王配選びをはじめて新たに追加されたものがあった。


 閨教育である。

 伴侶を迎えた王に望まれることと言えば、次は世継ぎである。別にエレオノーラだって、手と手を繋いで庭園を歩くだけで終わるとは思っていないが、こうも露骨だとうんざりする。


「別に何でもないわよ」

 溜息を吐けば、美貌の教育係の女は目ざとくそれを見逃さなかった。


「まあ、姫様。王配候補の方の中に想う方でもおありですか?」


 彼女はすっと机の隅にやられた書類に目をやった。


 そこには五人まで絞られた王配候補について書かれていた。聞けば、兄も父も弟も、それぞれ推薦している候補がいるらしい。明日までにきちんと読んでおくように言われている。ほとんど見てもいないけれど。


「そんな人、そこにはいないわよ」


 そこに彼がいたなら、どれだけよかっただろう。何せギルベルトは今日も難しい顔をして、真剣にエレオノーラに伴侶を選んでいるのだから。


「こんなこと教わったって、何の役にも立たないわ」


 そんなつもりはなかったのに、ぽつりと本音を漏らしてしまった。


 だって、憧れのヴェルデはこちらからは会う方法も分からない。もう一人はエレオノーラに目もくれない。


「それは大変。では、どこにならいらっしゃいますの?」


 にこりと笑った時に浮かぶえくぼにどうしようもない愛嬌がある。社交界の真珠と呼ばれるのにはきちんと理由があるのだ。


「どこに、って言われても……」

「ぜひともこのサンドラにお聞かせくださいませ」


 しかしながら、思う人は一人、ではない。

 そのことを言いあぐねていると、サンドラはまた微笑んだ。


「姫様。想う殿方なんて、別に何人いてもよいのですよ。まあ実際お付き合いなさる人数は……少々絞ったほうがいいかとは思いますけど」


 彼女が言うと冗談に聞こえない。エレオノーラが聞いた噂では同時に七人と交際していたことがあるらしい。


「そうね……」

 けれどまあ、本当に心に秘めておくのなら、何人いてもいいのかも、しれない。


「わたしのことを出会った頃のまま、子供だと思っているような人と、」


 サンドラは緩やかに巻き上げられた髪を揺らして頷く。


「あんまりよく知らないんだけど、怪盗? みたいな人」


 笑われるのが嫌だったからギルベルトと兄以外には誰にも話したことはない。サンドラはぱっと目を輝かせて身を乗り出してきた。


「怪盗とはこれまたロマンチックですわね。詳しく教えてくださいませ」


「えっと、十歳ぐらいの頃に会って」


 忘れもしない託宣の儀式のあと。満月に照らされたバルコニーに、長身が立っていた。仮面を着け、白い衣装がひらりと揺れる。謎めいたその様も本で読んだそのままだった。


『あなたのお名前は?』

 訊ねると彼はふわりと微笑んだ。


『ご存知ですか? 星には見つけた者が名前を付けられるんですよ』


 まるで流れ星のように颯爽と現れた彼はそう言った。


『お好きな名前を付けてください、姫様』


 恭しく跪いたかと思えば、エレオノーラの手を取ってみせる。見上げてくる緑の瞳が、吸い込まれそうなほどきれいだった。


ヴェルデ


『では、今から俺のことはそう呼んでください』

 独り言のように呟いてしまったそれが、彼の名前になった。


『お願い、わたしをどこかに連れて行って』


 この人ならきっと、願いを叶えてくれるに違いない。そう思ったら、もう口を突いていた。

 どこでもいい。この王宮以外なら、どこだって。


『いつか君が本当のレディになったら、その時は、君を攫ってあげる』


 少しの逡巡の後、彼は言った。


『ほんとう? ほんとうに攫ってくれるの?』

『ええ、本当ですよ』


 するりと首元に腕が回されたと思えば、魔法のようにネックレスが収まっていた。

 金の鎖に舞い踊るようにいくつもの赤い宝石があしらわれている。彼が流れ星だというのなら、その欠片のようなネックレスだった。


『その日までこちらを預けておきましょう』


 こんなにも美しいものを、エレオノーラは今まで目にしたことがなかった。


 それからずっと、誕生日の度に彼を待ちわびている。十一歳の時は、ひらりと翻るその衣装だけが見えた気がした。ふと目を遣れば、プレゼントが置かれていた。


 十三歳の時は、「おめでとう」と囁く声だけが聞こえた。あの時と同じ、やわらかな声だった。

 去年はとうとう、贈り物とカードだけが届いた。けれど、姿形が見えない分だけその存在に惹かれてやまない。


「まあ! なんて罪作りなお方。そうやって、いたいけな姫様の初恋を奪っていったのですわね!!」


「そ、そんなんじゃないわよ!」


 ヴェルデは確かに憧れの人だが、初恋かと言われると少し違う。


「あら、では姫様を『出会った頃のまま子供だと思っているような人』が初恋の方ですか?」

「……それは、そうね」


 長めの前髪から覗く切れ長の目。黒いローブを纏った彼は、それこそ物語の中の悪い魔法使いのようだった。

 たまたまこちらの方が早く会っただけだし、それも一瞬で覚める夢のようなものだったけれど。


 ギルベルトとはじめて出会った時、エレオノーラは十歳になる少し手前というところだった。

 あの頃の彼と同じぐらいの年齢になったから分かる。口だけは達者になってなんでもできるような気になっていたけれど、エレオノーラは間違いなくただの子供だった。


「最近は避けられてる気もするし、もうお手上げよ」

 ぱん、とサンドラは一つ手を叩いた。


「あら、それはいいことではありませんか」

 そして音もなくするりと、カウチのエレオノーラの隣に座った。


「どうして。このままだとそのうちまともに口も利いてもらえなくなりそうよ?」


 距離の詰め方があまりにも自然だった。困惑しながら答えるエレオノーラの手に、白魚のようにすらりとした手が触れる。


「避けるというのは、意識されている証拠ですわ」

「そんなことあるわけないじゃない」


 意を決して抱き着いてみせてもあの人は顔色ひとつ変えないのに。


「よくお考えになってみてください。心の底から真に子供だと思っているのなら、避ける必要はないですわ。どこかで意識しているからこそ、避けるのです」


「なる……ほど」


 あんな涼やかな顔をしているのに、ギルベルトはエレオノーラに思うところがあるというのだろうか。あんな顔をして?


「殿方とはとても臆病なものなのです。本当の自分を見せるのが恐ろしいくせに、踏み込んできてくれるのを待っている」


 きゅっと手を握られた。輝く瞳が蠱惑的な光を宿す。決して強い力ではないのに、まるで金縛りにでも遭ったように動けなくなる。


「ですから、現実を見せて差し上げましょう。姫様はもう、子供ではないのだと」


「そんなの、どうやってやるのよ」

 そんな方法があればとっくの昔にやっている、とエレオノーラは思った。


「簡単なことです」

 サンドラは妖艶に微笑んで、その手を自分の胸元に持って行った。


「姫様が自らお示しになるのです、己はもう十分に女であると」


 豊満な肢体もたおやかな立ち居振る舞いも、今のエレオノーラからは程遠いものだ。こんな風になれたら、さすがのギルベルトも目の色を変えるだろうか。


「ご安心くださいませ。このサンドラ、狙って落とせなかった男はこの世におりませんわ」


 鉄でできた冷徹宰相と、百戦錬磨の未亡人と果たしてどちらが強いのだろう。


 大変なことになったと思いながら、エレオノーラは興味が湧いてくるのを抑えられなかった。


 ほんの一瞬でいい、あの緑の目を奪う方法があるのなら。

 それを知りたいとエレオノーラは思ってしまったのだ。


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