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6.どこにでもあるような

 馬車を走らせて王宮に着いた時には、辺りはもう暗かった。


 文官は、職位が上がれば宛がわれる部屋は広くなるが、基本的には似たようなものである。


 異動に合わせて部屋も変わるため、物を増やせばそれだけ引っ越しの時に面倒になる。だからギルベルトの部屋には備え付けの調度品以外はほとんど何もない。我ながら殺風景だなと思って少し笑いが込み上げてくるほどだ。勿論、あのあたたかなエインズレイの屋敷とは比べるまでもない。


 それでも、こちらの方が落ち着くのだから始末が悪い。


 十五歳で文官の試験に受かり、一人で暮らし始めた時、誰もない部屋に帰った時の感動を今でも覚えている。

  びっくりするほど狭くて何もない部屋だった。けれどその時のギルベルトにとってそこは城に違いなかった。


 母に言われるがままに持って帰ってきた花が、自分の手の中にはある。

 実家にあるような花瓶なんて大それたものはこの部屋にはない。仕方がないので、適当に空いているグラスに水を入れて花を挿した。


「疲れたな」

 カウチに寝転がれば、どっと疲労が押し寄せて来るようだった。


 それは多分、移動の疲れだけでは無いのだろう。今となれば、ギルベルトはあの家で自分がどうやって暮らしていたのか想像もつかない。


 ここには厳格な父も、やさしい母も、弟も、誰もいない。


 このままここで一人で居られればいい。ずっとそう思っているのに、視界の端に花が揺れている。エレオノーラが選んだその花は、場違いなほどに鮮やかだった。


 口に出してみれば、どこにでもあるような話だ。


 とある伯爵家に女が嫁いだ。ほどなくして彼女は身籠ったが、難産の末に亡くなってしまう。残された子を不憫に思った男は、後妻を迎えた。後妻もまた子を授かり、伯爵家には二人の男児がいることとなった。


 こんなことは、この世界に溢れている。それこそ童話にでも語られるぐらいに。

 しかしながら、これは童話ではなくてギルベルトが生きてきた現実である。


 物心ついた時から母と呼んでいた人の他に、もう一人母がいた。

 その人は、自分を産んだせいで死んでしまった。


 父は、先妻に関わるものを一切手元に残さなかった。だから、ギルベルトは産んでくれた母の顔も知らない。


 ややこしいのはここからで、貴族同士の利権が絡んでくる。

 そのことに気がついたのは、七歳の頃だった。


 基本的には、この国では長子が家督を継ぐことになっている。託宣などという仰々しい儀式を要するのは王家ぐらいだ。


 つまりは、ギルベルトがエインズレイ家を継ぐはずだった。けれど、後妻の実家は格上の侯爵家だった。


 祖父と呼べるはずの人は、露骨にギルベルトと弟を区別した。


 今になれば、分かる。自分の血縁の者が可愛いのは普通のことだ。そして当然のように、父にアルベルトに家督を継がせるように強いた。


 このことに一番腹を立てたのは、あろうことかあの“母”だった。


 ――ギルベルトは、私の子に他なりません。アルベルトと同じように慈しみ、育ててまいりました。なにゆえ、我が子がエインズレイ家を継ぐことができないのですか!


 実の父に対してそこまでの啖呵を切ったという。どれだけの覚悟がいったのだろう。ギルベルトには想像もつかない。


 けれどその分だけ、軋轢は深くなる。最終的に祖父が持参金を返してもらうとまで言い出して、父は母に諦めるように言ったという。


 いっそ、もっと突き放してくれたらよかったのに、と頭のどこかで考えてしまう自分が嫌だった。

 連れ子なんて煩わしいばかりだ。可愛いのは己の子だけだと、言ってくれた方がよかった。


 誰のことも、憎んでいるわけでも恨んでいるわけでもないつもりだった。

 自分は大切にされているのだと、頭では分かっている。


 けれど、いつも考えてしまうのだ。


 あの家にギルベルトが座るべき椅子はない。


 俺を産んでくれた人も育ててくれた人も、俺がいなければどれだけ幸せだっただろう。


 ――よく考えておいた方がいいよ、王配選び。


 軽やかにフェリクスが突き刺した棘は今もこの胸に刺さっている。


 どの花よりも可憐に笑ったエレオノーラは、ぎゅっとギルベルトの手を握ってきた。


 王配とは、この先ずっと、彼女の手を引くことを許される者だ。エレオノーラとともに立つことができる男が、この世に一人いるという事実。


 考えていないわけではない。己が抱いている感情の名前が分からないほど、子供ではない。


 ただ、ギルベルトにとって幸せとは、川の向こうにあるものだった。


 アルベルトも父も母も、甥達も、みんなそこで幸せになって欲しいと思ってきたから。


 自分が、あの眩しい人に相応しいだなんてことは、間違っても思えなかった。エレオノーラにはこれからもずっと、川の向こうで笑っていてほしい。それだけだ。



 *



 宣言していた通り、ギルベルトは一日しか仕事を休まなかった。


「昨日は休暇をいただき、ありがとうございました」


 いつものようにお手本のように美しく、ギルベルトは礼をしてみせる。けれどどうしてだろう。エレオノーラの目には、むしろ彼は疲れているように見えた。


 端整な横顔に時折拭い去れない影のようなものが滲む。母親の具合はそんなに悪かったのだろうか。


「殿下にいただいた花を、母は大変喜んでおりました。私には思いつかないことでした」

「そう」


 それならよかったのだけれど。ただ言葉と態度がちぐはぐのような気がする。


「ねえ」


「はい、なんでしょう」

 一度もこちらを見ようとしなかった緑の目が、やっとエレオノーラに向けられる。


「大丈夫……?」

 なんと訊ねるのが一番いいのかを考えて、結局どうしようもないぐらいぼんやりとした問いになった。


「お気遣いいただきまして、恐縮です。しかしながら」

 ちらりと切れ長の目が、執務机の上の書類の山を捉える。


「殿下には他にお考えになるべきことがおありかと」


「そ、それはねっ」

 全部確認しておくように言われていたのにまだ半分も終わっていない宰相閣下からの宿題が、そこに鎮座している。一応頑張って取り組んだのだけれど、到底一日で終わるような量ではなかった。


「私のことはお気になさらず」

「だから、ギル、ちょっと」


「それとも追加の書類をお持ちしましょうか?」


 にやりと片方だけ口角を上げて男が笑う。元から頭の出来が違うのは分かっているが、今日もまったく歯が立たない。


 人への心配なら、あんなにも細やかにして見せるくせに、どんなにエレオノーラが心配してもギルベルトにはするりと躱されてしまう。


「……分かったわよ。やればいいんでしょ、やれば」


「ご理解いただけて光栄です」

 不機嫌そうに返事をしてみても、冷徹宰相はちっとも気にも留めずに今日も片手で書類を捌いていた。大体そう、エレオノーラの三倍ぐらいの速さで。


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