王配殿下はめくるめく初夜の夢を見るか?:2.分かってないのは
「一体どういうつもりなのかしら」
胸元をぐっと掴んで押し倒した。すらりとした痩躯は寝台に倒れ込んで、エレオノーラはちょうどその上に馬乗りになった。広い肩を押さえつけて見下ろす。
「恐れながら、陛下」
ここまでしてもギルベルトは全く動じなかった。
思っていたよりはあっけなく押し倒されてくれたが、この反応は気に入らない。
「お分かりになっていないのは、陛下の方では」
「なによ」
ぐっと顔を近づけたら、切れ長の目はぐらりと揺らいでそっぽを向いた。
「今度この部屋の中で陛下って呼んだら、出禁にしてやるから」
外でなら分かる。それぐらいの分別はエレオノーラにだってある。
けれどどうして、いついかなる時も「陛下」と呼ばれなければいけないのか。
彼はわたしの夫であるというのに。寝室でまで敬われたくて結婚したわけではない。
それぐらいのわがままは許されてしかるべきだと、エレオノーラは思う。
睨みつけたら、ギルベルトは一つ大きく溜息をついた。さすがに出禁は思うところがあったのか。
「失礼」
大きな手が、エレオノーラの手に伸びてくる。そのまま抱きしめられるがごとく強く引き寄せられた。
「へっ」
なんだ、これは。
気が付いた時にはエレオノーラは寝台の上で呆然と天井を見上げていた。背中にやわらかなスプリングを感じる。
「一度、きちんと申し上げようとは思っていたのですが」
ギルベルトの目がすっと細められる。
「なによ」
「行動を仕掛ける時は、その相手の能力をきちんと見極めてからにした方がよろしいかと存じます」
見下ろしていたはずの男が、エレオノーラを組み敷いている。頭の横に突かれたしなやかな腕はまるでエレオノーラを檻のようにたやすく閉じ込めてしまう。
「俺とあなたにどれだけの身長差があるとお思いで。すぐにひっくり返せますよ、これぐらい」
まさに形勢逆転といった様相である。
「俺はいくらでもあなたを好きなようにできる。けれど、あなたはそれをお分かりになられていない。このことがどれだけ危険か」
ギルベルトはまだ何かを淡々と話している。エレオノーラはそれをぼんやりと聞き流していた。
確かに、エレオノーラとギルベルトにはそれなりの身長差がある。けれど、寝台の上なら別だ。
「ばかね」
いつもは遠くにあるギルベルトの頭が、こんなに近くにある。
手を伸ばせばすぐに、届く。
「好きなようにすればいいのよ」
エレオノーラはすべらかな頬に両手を当てて、そのまま御託を並べる口を塞いだ。
「なっ」
ギルベルトが、はっと息を呑んだのが分かった。
だってずっとこうしたかった。
「わたしはやりたいようにしたわ。ギルは?」
こつんと額を合わせて見つめ合う。
緑の目は燃えるような色を宿して、眇められた。
「人がどれだけ我慢しているか、分かっているんですか」
言うが早いか、ぎゅっと抱き締められた。ぴたりと体が密着して、高まる胸の鼓動さえ彼に聞こえてしまいそうになる。
「それは分かってないけど、我慢しなくてもいいとは思うわ」
「分かっていないなら、あまり俺を試さないでください」
悩まし気な吐息が首筋にかかる。その熱さにのぼせてしまいそうになる。
「ああ、もう」
ギルベルトは前髪をわしゃわしゃと掻き上げたかと思うと、しばし天井を仰いだ。
そしておもむろに体を離したと思うと、まるで壊れ物を扱うがごとくそっと、エレオノーラを寝台に横たえた。
乱れた襟元をすっと整える。そのまま彼は寝台から立ち上がった。
「え、何、ちょっと」
ここまでしておいて置き去りとは、どういうことだろう。
「一時間、いえ、三十分で戻ります」
ギルベルトはエレオノーラに背を向けたまま応える。広い背が僅かに震えるように見えた。
「王と王配が二人とも、急に一日休みにするんです。それなりに手回しが必要ですよ」
あれ、今この男は「一日」と言わなかっただろうか。
「一日……?」
何をそんなにすることがあるのだろう。いや、一応一通りのことはサンドラに教えてもらったはずだけれど。
「はい、一日です」
ちらりと顔だけエレオノーラに向けてギルベルトは答える。
「私の想いを分かっていただくにはそれでも足りないぐらいですが、ひとまずは」
燃えるような緑の目がエレオノーラを捉える。はじめて見るような光がその瞳に宿っている。
「ですから、覚悟してお待ちください。エリー」
「う、うん」
エレオノーラは上掛けをぎゅっと握りしめながら、ぼんやりと返事をした。
覚悟って、なんだろう。あと、ひとまずって? まだ何かあるのか。
「え、何が起こるの? どういうこと」
このあとエレオノーラはその意味を嫌というほど思い知るのだ。
*
「本日も陛下はお加減が優れないので、私で出来ることは代行します。皆、そのつもりで」
朝議に現れた王配は、朗々とよく通る声でそう言った。
「なんか今日、ギルベルト殿下、いつもと違いません?」
補佐官の一人がそう呟く。
彼はまだ補佐官になったばかりである。
王配殿下は、冷徹宰相と呼ばれていた頃から輝くばかりと美男として有名だったが、それにしても今日はまた一段と、多分三割、いや四割増しぐらいで輝いている。
勿論、表立って浮かれているような素振りは一切ない。
ただ、こう、仕草や言葉の端々に「積年の悲願を果たした喜び」であるとか、「長年の切望を成し遂げた感動」、のようなものが宿っている、気がする。
ちなみに昨日は王配も急に政務を休みにしたので面食らった。彼は朝一、的確過ぎるほどに的確な指示だけを出して引っ込んだのだ。
「あ、でも陛下は今日もご体調がすぐれないらしいですよね。大丈夫ですかね」
問いかけると、彼が仕える政務官は「なんだそんなことか」と言った。
「それなら心配いらないだろ。よくあることだしな」
政務官の言ったことの意味が、補佐官の彼には分からなかった。即位してまだ間もない若い女王が臥せっていたら誰だって心配になるだろうに。
上司たる政務官は、ちらりとこちらを含みのある目で見て、にやりと笑った。
「陛下はまだ若い。それに、王配殿下もお若い。それだけのことだ」
「はあ」
そういえば、王配殿下が政務官を務めていた頃、上司は補佐官だったはずだ。二人はこの距離感で働いていた頃があるのだ。だとすると、色々と思うこともあるのだろうか、
「いずれお前にも分かる日が来るさ。さ、おれたちは仕事だ。ぼやぼやしているとまた王配殿下に檄を飛ばされるぞ!」
それだけ言うと政務官はすたすたと歩き出した。ただ一言、「ちゃんとイチャイチャできたんだな、あいつ」というのが聞こえた気がした。
「あ、待ってくださいよ。アーノルド政務官!」
執務室に向かい始めた背中を追いかけながら、本当にちゃんと分かる日が来るのかと補佐官は頭の片隅で思った。
初夜すっぽかされそうになった話。
ということで、番外編もこれにて完結です。
本編に加えて、こちらも最後までお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。
少年漫画みたいなお話を書きたい、と思って書いた番外編三本なのですが、お楽しみ頂けていれば幸いです。
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また別のお話でお会いできますように!
ありがとうございました。




