王配殿下 VS 王兄殿下:1.その決戦のはじまり
その男が話しかけてきたのは、ある晴れた日の午後のことだった。
「フェリクス殿下、少しよろしいでしょうか」
「ん? どしたの? 君が僕に興味を持ってくれるなんて明日は雪が降るんじゃないかな」
「この季節に雪はないかと思います。私の予測が正しければ明日は晴天です」
「うんうん、そうだねぇ」
ギルベルトは晴れて王配となったわけなのでフェリクスの義理の弟ということになるのだが、なかなかつれない男である。
元々自分と彼とは水と油というような正反対の性格である。
少々婿入りしたところでそれは変わらないだろう。エレオノーラがいなければまともに関わることはなかった類の人種だ。
だから、そんな人間がこんなことを言い出すとは夢にも思っていなかった。
「一戦、お手合わせ願えますでしょうか」
ギルベルトの言葉にフェリクスは紫の目を見開いた。
「僕はいいけど……君、文官でしょ? 大丈夫?」
フェリクスは王子の常で騎士団に籍を置いていたこともあるが、ギルベルトは違う。自分の性格が歪んでいるのは自覚しているが、一方的な勝負はつまらない。
「ご心配には及びません」
言葉の通り、目の前の黒髪の男はいつものように怜悧な顔で頷いた。
「へえ」
フェリクスは内心目を瞠った。
ギルベルトは慎重な男だ。エレオノーラが思い立ったらすぐ行動するのをしばしば止めるのを目にする。
フェリクスはこの文官一筋の男が剣を持っているのを見たことすらない。その舌鋒の切れ味はどの剣にも勝るだろうが、剣術の才があるとは聞いたことがない。
けれどギルベルトは、絶対に勝てる勝負しかしない。何の策もなく捨て身で飛び込んでくるということは考えにくい。
だとしたら、この男にはあるのだ。フェリクスに勝てるという何かしらの算段が。
それを見てみたい。そう思った。
「これはなかなか楽しめそうだな」
そう言って、フェリクスはにこりと微笑んでみせた。
*
勝負は中庭の一角で行われることになった。
仮にも王配と第一王子なので真剣は用いない。怪我でもしたら大事である。騎士が訓練で使う模擬剣を使うことになった。審判は、いない。
「勝利条件は?」
「どちらかが一撃を食らった時点、ということでいかがでしょうか」
どちらかが死ぬまで、ということにもできないのでこれは妥当なところだろう。
「いいよ、じゃあそれでいこう」
互いに模擬剣を構えて向き合う。
「開始の合図は?」
「いつでもどうぞ」
ギルベルトはこのまま会議に向かうのではないか、というような落ち着き払った顔をしている。ただ構えには隙がない。どうやら基本は体得しているようだ。
待っているのは、フェリクスの性に合わない。
「それでは、お言葉に甘えて、いくよっ!」
片足で地面を強く蹴る。構えた剣をそのまま、振り下ろした。
さて、凡百の相手ならこれで終わるが。
緑の目がぐっと鋭くなる。ギルベルトは、当たると思ったところで軽々と身を捻る。フェリクスの剣はただ空を切る。
かといって、そこからギルベルトが仕掛けてくることはない。
ならば少し揺さぶってみるか。
「あのさあ」
次に、フェリクスは構えた模擬刀を横に薙いだ。
「なんでしょうか」
対して、ギルベルトはステップを踏んで後退し、それを避ける。
「君ってどういう子がタイプなのっ?」
問いかけとともに、フェリクスは今度は振りかぶった剣を素早く振り下ろす。
「特にはありませんが」
ギルベルトはまたそれを身を捻って避ける。動きは軽いが、フェリクスはやや自分が押している印象を受けた。だから、畳みかけるように更に続けた。
「ふーん。じゃあ誰でもいいんだ。可哀想だなー、うちの妹は」
ぐっとギルベルトの眉間に皺が寄ったのが分かった。
「そんなことは申しておりませんっ」
軽い撃ち合いを続けながら、ギルベルトは大きく踏み込んでフェリクスに切り込んでくる。少しはやる気を出してくれたようだ。
フェリクスは金髪をひらりと揺らして、それを躱した。
「だってそうでしょう? 年上派? 年下派? あ、ちなみに僕はどっちでもおっけー」
「……どちらかと言えば年下ですが」
「だよねぇ。エリーは君より八つも年下だし」
「ですが、私は陛下をお慕い申しているだけで、特段年下の女性が好きだということはありません」
ギルベルトがまた剣を振り下ろす。フェリクスはそれを笑いながら片手でいなしてみせた。
「おーなかなかの愛の告白だ。いいねぇ」
ギルベルトの攻撃は的確に隙を突いてくる。なにせ、リーチは向こうの方が長い。長身を巧く生かした堅実な戦法だ。
しかしながら、こちらもそう簡単に食らう気はない。フェリクスはどちらかと言えば小柄な方だが、それならそれでやりようはあるのである。
左足を蹴り上げるようにして、フェリクスはギルベルトの懐に飛び込んだ。そのまま、妹を射止めた整った顔に向けて剣を払った。
「僕はさ、胸の大きい優しい子が好きだなっ!」
顔に迫ってきた一撃を、ギルベルトは右手で剣を構えて受ける。風圧で整えられた黒髪がさらりと揺れる。
「あ、動揺した?」
正直今のを受けられるとは思わなかった。フェリクスはにやりと笑った。
「じゃあ、質問を変えようか。君は、エリーのどんなところが好き?」
「答える義務はないかと」
「へー答えられないんだ?」
「そうとは申しておりません」
淡々と答える声にわずかに棘が宿る。
それと同時に、ギルベルトの打ち込みが鋭さを増していく。この容赦のなさは、彼が部下の政務官を追い詰めている時のものと通ずるものがある。
けれど、ギルベルトはまだ本気ではないだろう。
「僕はね、戦うのって割とすき」
第一王子というのは至極厄介である。
エレオノーラとレオニダスが生まれるまで、フェリクスは幾度となく命を狙われてきた。彼を王子にしたくない者は山のようにいたし、逆も然りだった。それゆえ、自分で自分の身を守る術を身に付けざるを得なかった。
「そうしないと見えてこない地平ってあるしさ。本気で人とぶつかるって案外悪くないもんだよ」
フェリクスはくるりと模擬刀を回して握り直し、目の前の男に向けた。
「でも君の剣はさぁ」
こつこつと、爪先で地面を叩く。少し焦れているのもあるし、挑発している自覚はある。
「つまんないんだよね。定石通りの動きにお手本みたいな戦術。ほどほどに強いけど、それだけだ」
「それに何か問題が」
ギルベルトは不服そうに短く言い放つ。
「うん、文官ならいいよ。宰相でもね。君自身の身を守るだけなら、十分すぎるぐらいだ」
そう、元々この男は文官で宰相だったのだから、何も問題はない。
真に、それだけであるならば。
でも、今は違う。
ギルベルトは大事な妹の伴侶で、王配だ。エレオノーラが決めたことに異を唱える気はないけれど、フェリクスとて、兄として確かめておきたいことはある。
「君自身が全く見えてこないんだよね。魂が乗ってない。上辺をなぞってるだけだ。それじゃあ僕には勝てないよ?」
「恐れながら、私の魂はそこまで軽くはございませんので。そう簡単にお見せすることはできません」
「おお、さすが冷徹宰相だ。ああ言えばこう言う」
しかしながら、このままフェリクスに勝てるとはギルベルトも思っていないだろう。
「君も僕もさ、自分を真っ当だと思えなかった側だろ? そういう人間の取れる選択は二つに一つ。世界を呪うか、自分を殺すかだ」
そう言って、フェリクスは右手に持った模擬刀を左手に持ち替えた。
「もっと、こう、生きてる実感がほしいんだよね。君のその取り澄ました顔がぐっちゃぐちゃになるのが見たい」
そう、実は元々フェリクスは左利きである。普段は文字もカトラリーも全て右でこなしているから、さすがのギルベルトも気づいてはいないだろう。
ここまでは小手調べと言ったところだ。
「なので、こっから先は本気で行くよ。手加減しないから、ごめんね」
何かを見極めるように、ギルベルトが目を眇めた。
「殺す気で来いよ。ねえ、王配殿下。君も綺麗な顔のお飾りかな?」
凄んで手招きするようにちょいちょいと手を振ったら、ギルベルトは一度涼やかなその目を閉じた。
「承知仕りました」
すっと、深く息を吸ってフェリクスに向き直る。
「でしたら、俺もここからは本気とさせていただきます」
負ける気なんて毛頭ない。
整った顔には、分かりやすくそう書いてあった。
「顔で王配をやっている気は、ありませんので」
「いいねえ、その顔。そういうのが見たかったんだ」
フェリクスは剣を構えながら、喉から笑いが零れるのを抑えられなかった。
ギルベルトは182㎝で、フェリクスは172㎝です。




