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とある政務官の屈託:2.歪な優秀さ

 ギルベルトはそれだけ言うと固まった。年相応に砕けた顔をするとなかなかに可愛げもある。


「どうした、私の直属だ。泣いてもいいところだぞ?」


 政務官になりたい者はごまんといる。皆がこの地位を目指している。これがギルベルトでなければ、飛び上がって喜んでもいいところだが。


「……補佐官でもなんでもない、一研究官を政務官に任命するとはどうかしている。宰相閣下は気が触れたと言われますよ?」


 同時に口調も砕けた。これが彼の本音なのだろう。


「口の利き方に気をつけたまえよ、ギルベルト。政務官の任命条件に研究官ではいけないとの記載はない」


 ランドルフは分厚い書物を一冊机の上に置いた。開いたページは、政務官の任命条件についてだ。内容は全て頭の中に入っている。今更確認するまでもないが、これはポーズというやつだ。


「知らないようだから教えてやろう。宰相である私がその能力があると認めれば、政務官に命ずることができる」


 ただ通例として補佐官から選ぶとなっているだけだ。書面に定められているわけではない。


「俺は、自分が政務官として通用するとは到底思えないのですが」

「ほう。では君は己が出来もしないのにレベルが低いと言ったのか。だとしたらとんだ傲慢だな」


 ギルベルトは、何かを言いかけたように口を開いたが、結局何も言わなかった。閉じた唇を苦々し気に噛みしめる。


「持って生まれた才を生かさないというのなら、それは“怠惰”という罪だよ。ギルベルト」


 性格に難はあるが、屁理屈をこねるほどではないらしい。ここで一気に畳みかけた。


「私の命令を断るなら君はクビだな。今すぐ荷物をまとめて実家に帰りたまえ」


 実家、というところでギルベルトは左手を強く握った。


 この辺りについても少し調べてある。以前、ギルベルト=エインズレイは騎士団の入団試験も受けていた。なおこちらはかなり優秀な成績で合格している。席次は三位。つまり、武術はうまく手を抜いてみせるほどは自信がなかったのだろう。


 けれど、何かしらの訳があって入団を辞退していた。その後、文官の試験を受けている。


 おそらくどうしても実家にいたくない事情があるのだ。まあ、彼が長男だということを考えれば大体の察しはつく。


 さて、鞭はここまでで、ここからは飴をやらねばならない。


「一つ条件を決めよう、ギルベルト」

「なんでしょうか」


 ランドルフは控えの者に目配せをした。

 広げた書物をそっとよけて置かれたのは、クリスタル製のチェス盤だった。


「私にチェスで一度でも勝てたら、なんでも君が思う職に就くことを許そう」


 緑の目がきらりと輝いた。この様子だと、おそらく相当に自信があるに違いない。


「ただし、私が勝っている間は政務官として邁進すること、いいね?」


 目の前の椅子を示せば、ギルベルトはローブの裾を払い、静かに腰掛けた。

 先手を譲ると、彼は白のポーンをe4に置いた。最もよく使われる定跡の手だ。


「一度、でよろしいんですか」


 この歳になれば自分がどちら側かはおのずと理解している。ランドルフは天才と呼ばれる側の人間ではなかった。

 けれど、伊達に宰相位には就いていない。まだ十八の小僧に負ける気はしない。


「私は強いぞ、ギルベルト」

 して、どうやってこの野良犬を手なずけてやろうか。






 ギルベルトは、続けて三回挑んできたが、見事に三連敗を喫した。


「俺の負けです」

 そう言って頭を下げると、長い前髪が流れて何を考えているのか分からなくなった。


 それでも、露骨に悔しさを表に出すことはなかった。顔色は変わらず駒を片付ける手つきも丁寧なものだった。ただずっと、左の手をぎゅっと握りしめていた。


 筋は悪くない。おそらく隣の部屋に詰めている補佐官や政務官と戦わせても、勝率は八割を超えるだろう。


 しかしながら、見切るのが早すぎる。なまじ読みが的確だからすぐ手放してしまう。もう少し粘れば別の局面が見えてくるかもしれないのに。


 ということで、ギルベルトはこの一週間、おとなしく政務官をやっている。

 ただ世の中は異質なものは排除しようとする傾向にある。


「おう、ランドルフ」


 会議の帰りに声を掛けてきたのは、ダグラスだった。左目は何かの任務の時に負傷したようで、いつも眼帯を着けている。見るからにいかついが、王宮で働き始めた時期が同じ頃で、気安い仲である。年はダグラスの方がいくらか下で、こちらも最近騎士団長になった。


「お前、研究官をいきなり政務官にしたって本当か?」

 相変わらず耳が早いと言うべきか、こいつのところまで届いていることに感嘆すべきなのか。


「本当だよ」

「にしてもよくそんなことしたなぁ」


 何もしたくてしたわけではない。他に方法があれば、ランドルフはだってここまで派手なことはしなかった。

 正規のルートを外れた道を進ませることは、この先必ずしもギルベルトにとってプラスとなることばかりではないだろう。


 しかしながら。

「例えば、異常に強い新人がいるとして」


「ほう」

 ひとつしかないダグラスの目の色が変わった。こいつは昔から戦闘狂の脳筋である。自分に向いていることを深く理解していて何よりだ。


「腕は立つが自分以外と鍛錬させたら相手を殺しかねない、となったらお前どうする?」

「そりゃあ俺のところで引き取るしかなくなるな。少なくとも、ある程度躾ができるまでは」


 ダグラスはそう答えてから、「騎士ならともかく、そんな手荒な新人がいるのか?」と怪訝そうに訊ねてきた。


 そう、騎士なら話は早い。

 手合わせして見せれば力の差は歴然だ。騎士は年功序列よりも自分よりも強い者に敬意を表する。


 ただ文官となるとそうもいかないのが厄介だ。

 まず何をもってその力を測るかが、非常に多角的になる。


「別に悪いやつじゃないんだけどなぁ」


 仕事の覚えはすこぶる早い。教えたことは一度で覚える。ついでに教えなくても覚えている。指示をしなくても大体のことはこなしてみせるし、考えていたより察しはいい。見た目ほど傍若無人ではないようだ。


 ただやはり野良犬は野良犬である。


「おい、ギルベルト。お前の歓迎会、やろうぜ」


 控えめの者が多いが、文官もそれなりの人付き合いはある。声を掛けたのは補佐官のアーノルドで、ギルベルトとは比較的年が近い。


「お前がいればきっと、女官が山のように来てくれるんだ! 頼む!」


 いささか書類仕事に雑なところは見受けられるが、アーノルドは気のいいやつだ。特に交渉事には向いている。他に誰も話しかけようとしなかったギルベルトに率先して声を掛けたところは、賞賛に値する。ランドルフはそれを少し離れたところから眺めていた。


「いやです」

 対するギルベルトの返事は取り付く島もない一刀両断である。


「あいつらいつも騎士の異性交遊会(合コン)にしか来ないんだぞ? マッチョがいいっておれたちみたいな文官には見向きもしないんだ。お前は座ってるだけでいいから、先輩を助けると思ってだな」


「ですからいやだと申し上げております」


「お前だってかわいい女の子とイチャイチャしたいだろ、このむっつりスケベが。その顔、いいように使わないと損だぞ」


 そこでギルベルトはぎろりとアーノルドを睨んだ。文官一、いやもしかしたらこの王宮一華やかな顔で。


「イチャイチャしてどうするのですか?」

 こういう時に整った顔というのは威力が増す。その剣幕に一瞬アーノルドが怯んだ。


「そりゃあ、イチャイチャして……まあ付き合って上手くいったら結婚して幸せな家庭を築く、でいいじゃないか」


 当然のようにアーノルドは返すが、ギルベルトは切れ長の目を伏せた。


「幸せとは、一体なんなのでしょうか」


 それは問いかけというよりは独り言に近かった。俯けば、端整な顔に影が落ちる。

 彼は心の底からまるでそれが分からないようだった。


「お前、どうしたんだ? 働きすぎじゃないのか?」

 怪訝そうな先輩の顔を見てギルベルトははっとした。


「なんでもありません」

 手早く荷物をまとめると、ギルベルトは言った。


「俺は、結婚にも幸せな家庭にも興味はありません。ですから、本日はここで失礼いたします」

 そのまま、彼は執務室を後にした。長身はちらりと振り返ることすらしない。


「なんだよ、あれ」


 残された政務官、補佐官一同は呆気に取られているばかりだった。


 実家との関係が悪いことは想像がついていた。ただ、これはそういう次元を超えている。


 世の中には、望んでも与えられないものが多くある。

 けれど人は、届かないものにずっと手を伸ばし続けることはできない。心がもたないからだ。


 では、次にどんな感情を抱くか。それは憎しみだ。

 手を伸ばすのをやめた自分を正当化して守るために、求めた自分を消し去る。そうやって、元から欲しくなかったと思い込んで、一番欲しかったものから距離を取る。


 だからおそらく、ギルベルトは、家庭というもの、ひいては家族というものを憎んでいる。


 彼がそれを、望んでも与えられなかったばかりに。


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