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4.目を逸らしてきたこと

「盗み聞きとは感心しませんが」


 エレオノーラの部屋の扉を閉めてちらりと横を見れば、フェリクスが立っていた。


「嫌だなぁ。可愛い妹に会いにきたら盛り上がってるようだったから空気を読んだだけさ」

「はあ、それはどうも」


 軽妙な口調に柔和な表情。鮮やかな金色の髪は男にしては長めで、いつも無造作に一つに束ねている。

 重厚な造りの王宮にあってその姿は少し異質にも見えるが、彼はれっきとしたこの国の第一王子である。


「にしても困っちゃうよね」


 おそらく見た目そのままの人物ではない。へへっと彼は笑うが、こちらを見上げてくる紫の双眸には理知的な光が宿っている。


「一回きりのつもりで格好付けてみたらさ、相手は本気にして恋しちゃってるんだもんね。こりゃあ当代随一の頭脳を持つ宰相閣下も大変だ」


「何を仰っているのか、私には」

「あのヴェルデってさ、君でしょ?」


 ほら、やはり油断ならなかった。


「そう仰る根拠は」


「まず、そう簡単にエリーの生活圏に忍び込めるような輩がいるとは思えないよね。仮にも王女だしさ。ただ、王宮で仕える者なら話は別になる。あとは僕のお兄様(・・・)としての勘かな」


 ギルベルトは何も答えなかった。これが他の貴族相手ならギルベルトは一切容赦をしないのだが、何せ彼は王子殿下である。否定をしても肯定をしてもフェリクス相手なら分が悪い。


 まあ、全て事実ではあるのだが。


「君も秘密の通路を知ってたりしてね。エリーに教えてもらったのかな?」

「……お話は以上ですか」


 かろうじて牽制するように睨みつけても、フェリクスは「そんなに怖い顔しないでほしいなあ」とどこ吹く風である。


「これがさ、もう一つあるんだよね」

 ぽんと、フェリクスはギルベルトの肩をやけに親し気に叩いた。


「なんでしょうか」


「選ぶ側になるってことはさ、選ばれることはないってことだ。そこのところは大丈夫なの? 大切なものはちゃんと手にしておかないと、失くしてから痛い目見るんじゃないかな」


 やわらかな口調で、まるで突き刺すように彼は核心を突いてくる。それはこの王配選びを命じられてからずっと、自分が目を逸らしてきたことだった。


「どういうことでしょうか」


「いや、君がいいならこれ以上僕が言うことはないんだけどさ。ただ僕は君にお義兄様って呼ばれるの、結構楽しみにしてたんだよね」


 フェリクスは事ある毎にそうけしかけてきた。その意図が全く分からないということはないけれど、我が身にそんなことが起こるとはギルベルトには到底思えなかった。


「よく考えておいた方がいいよ、王配選び。僕が言いたかったのはそれだけさ」


 ひらひらと手を振るようにしてフェリクスは行ってしまうから、それ以上何も訊ねることはできなかった。


 妹に会いに来たというのは口実で、本当は最初からギルベルトに釘を刺しに来たのだろう。


「はあ」


 廊下を曲がるその姿が見えなくなってから、ギルベルトは一つ大きく溜息を吐いた。それでも、フェリクスの言葉が鉛のように胸に沈んで離れなかった。






 用意した土産を積み込ませて、身支度を済ませた。さてそろそろ行くかと思ったところで扉がノックされた。

 そこにいた侍女曰く、「姫様がお呼びです」と。


 ギルベルトは王宮の文官の居住区に居を構えている。基本的には有事の際に迅速に対応するためだが、たまにこういう呼び出しがある。そして、今この王宮で“姫様”という呼称が相応しい方は一人しかいない。


「どういったご用でしょう、エレオノーラ殿下」


 執務机の上には、昨日自分が渡した書類が三分の一ほど減って置かれていた。この調子だと明日までには終わっていないだろうなとギルベルトが思う。


「あのね、ギル。わたし考えたの」


 そんなことはまったく気にしていないようでエレオノーラは机の上で組んだ手に顎をのせて言った。


「お見舞いにはお花を持っていくものよ。準備はした?」


 青い目は星でも宿したかのようにきらきらと、ギルベルトを一心に見上げてくる。


「花、ですか」


 一通り必要そうなものは選んだつもりだった。王都で流行りの菓子やら絹織物やら、思いつくものは全て。けれど、花なんてギルベルトは一度も考えたことがなかった。


「気持ちが落ち込んでいる時にお花があるとそれだけでも癒されるでしょう? きっとお母様もお喜びになるわ」


 花なんて、食べられるわけでも、生きていくのに必要なわけでもないだろう。

 そんなことが頭に浮かんだが、エレオノーラがなんとも得意げな顔で歩き出すので、ギルベルトは何も言えなくなった。


「こちらは」


 王族しか入れない区画である。

 例えば大きな式典の際などに招かれて入ったことがないわけではないが、宰相としては普段何の用もないので数えるほどである。


「大丈夫よ」


 躊躇うギルベルトの手を、小さな手が引いた。


「庭師にはもう話を付けてあるの。なんでも好きな花を持って行っていいって」


 幾何学模様の花壇は、整然と手入れされて緑が鮮やかだ。咲き誇る花々の芳香に満ちている。けれど普段執務室で感じるとは全く異なるこの甘やかさは、むしろギルベルトを落ち着かなくさせる。


 左右対称の庭園はどこか迷路にも似ているのに、その中をエレオノーラはまるで踊るように迷いなく歩いていく。


「せっかくお渡しするのだから、好きな花がいいわよね。お母様のお好きな花は何かしら?」


「好きな花……」

 そんなもの、夢にも考えたことはなかった。


 屋敷を預かる女主人の常らしく、生まれ育った伯爵家の玄関や食堂にも母が選んだ花が飾られていたことは覚えている。ただそれがどんな花なのかをギルベルトは一度も気に留めたことはなかった。


 母は何を思い、何のために、花を選んでいたのだろう。


「ただ咲いて散るだけのものを贈る意味が、どこにありますか」


 思わず漏れ出てしまった本音に、エレオノーラがきょとんとした顔をする。


 咄嗟に傷つけてしまった、と思った。これがエレオノーラの好意であるということは分かっていて、それを否定したいわけではないのに。


「申し訳ございません、殿下のお気持ちを」


 きゅっと、小さな手がギルベルトの手を強く握った。


「いいじゃない、意味なんて。ギルはいつも難しく考え過ぎなのよ」


 彼女は空いている方の手を花壇の花に伸ばす。細い指先が愛おし気に花びらを撫でる。うっとりとその香りを堪能するように、エレオノーラは大きく息を吸った。


「すてきなものを一緒に見たいとか、ただ少し励ましたいだとか。誰かを思って選ぶお花はそれだけで特別なものよ」 


 振り返ると、絹糸のような金の髪が揺れる。


 晴れた日の空によく似た瞳が、ギルベルトを捉える。

 そして、にこりと微笑んだ。


 まるで光の粉を振りまいたかのように、ここだけがきらきらと煌いて見えた。


「綺麗ですね」


 エレオノーラの髪は細くからまりやすい癖っ毛で、ふわりと広がりやすいのを本人はひどく気にしている。だから束ねたり編み込んだりしていることの方が多いのだが、こんな風に自然に下ろしている方がギルベルトは好きだ。


「でしょう、ギルもそう思うでしょう」


「ええ、本当に」

 嘘は言っていない。ただ主語を明確にはしなかっただけだ。


 思わず触れたいと願ってしまうほどに、エレオノーラを取り囲む全てが美しかった。


「どうしたの?」


 エレオノーラが顔を傾げて、己の迂闊さに気が付いた。


「あ、いえ。あちらの花が気になるなと思いまして」


 誤魔化すように伸ばした手でそのまま指差せば、またエレオノーラはぱっと顔を輝かせる。


「あっちの花壇の花はね、この季節しか咲かないのよ。お見舞いにはちょうどいいかもしれないわ」


 手を引かれるままに歩を進めながら、ギルベルトは思う。


 どうせなら、もっと遠くの花を示しておけばよかった。

 そうすれば、彼女が自分の手を引いてくれる時間を、もう少しだけ長くすることができたのに。


 なんて幼稚な感情だと思うのに、それはギルベルトの心を掴んで離さないのだ。


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