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【完結】いつかわたしを攫ってくれると言った怪盗の正体は、冷徹嫌味な宰相閣下でした  作者: 藤原ライラ
第三部:黄金の女王

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39.告解

 長身が屈んで、エレオノーラと目線を合わせるようにする。


 大きな手が、エレオノーラの頬に触れる。

 見つめ合えば、切れ長の目元がふっとやわらかくなって、男は微笑みかけてくる。普段は決して見せない、エレオノーラだけに向けられた微笑み。


 髪と同じ色の睫毛が、すべらかな頬に影を落としていて彫像のように美しい。


 ここまでは、想像と寸分違わなかった。


 けれど、エレオノーラは微動だにできなかった。頬に触れる手が熱い。いや、熱いのは自分の方か。それすらもう、分からない。


 これからギルベルトが何をしようとしているかは、分かっていたのに。


 静かに長いまつ毛が伏せられていく。

 そして、唇が唇に触れた。


「なに、これ……」

 時間にすればほんの一瞬だったはずだ。けれどそれが永遠のように長く感じた。


「キスですが」


 無意識に手が口元に伸びていた。

 何が起こったかは、頭では理解できる。ただまだ心が追い付いてこない。


「えっと、スズキ目スズキ亜目キス科に所属する魚類の総称。学名はSillaginidae」


「そちらのではありません。あと、いつの間に学名をお調べに」

 別にエレオノーラだって好きで調べたわけでない。


「あなたのせいじゃないの!」

「それは、申し訳ございませんでしたが」


「どっちのなんだっていうのよ」

「これは、そうですね……」


 ギルベルトはすっと目を逸らすと、彼にしては珍しく小声で言った。


「恋人同士でするやつ、です」


 黒髪から覗いた耳が、僅かに赤い。


「えっ」

  

 同じように、エレオノーラも強請った。恋人同士のキスがしてみたいと。


「そんなわけない。ギルがわたしのこと、そんな」

 だって、あの時彼は応えてはくれなかったじゃないか。


 ギルベルトはただ肯定するように静かに頷くだけだ。


「だったら……!」

 ぐっと、ドレスのスカートを握りしめる。白いドレス同じぐらい真っ白になる自分の手。


「なんで。なんで、もっと早く教えてくれなかったの」


 ああ、こんな風にしては皺になってしまうと思うのに、それでも力が入っていくばかりだった。


 もっと早くに彼がヴェルデだと分かっていれば。そうすれば。


「俺だと分かっていたら、どうされましたか?」


 そう問うてきた声には自嘲するような響きが混じっていた。弾かれたように顔を上げれば、裏腹にその目は静かなものだった。


「すみません。意地の悪いことを言いましたね。俺は心からあなたを」

 眩しいものでも見るように、ギルベルトは目を細めた。


「言わないでっ」


 これを聞いてはいけない。エレオノーラは必死で頭を振った。


 確かに、その心が欲しいと思った。どんな宝石よりも、黄金よりも、ギルベルトの心が欲しかった。

 けれど、エレオノーラは強いたのだ。


 忠誠も、人生も、捧げさせた。

 それでもまだ、ただ一人の人として愛されたいと願うのは、あまりにも過ぎている。


「わたし、まだあなたに何も返せてない。ずっと、あなたから奪ってきた」


 守ってもらった命も、支えてもらった日々も、何もかも。

 これから先、返せるとも到底思えないのに、その上心まで与えられるとしたら。


「だから、だめよ」


 長い指が、エレオノーラの頬に触れた。


「もう十分に返してもらいましたよ」


 その手が流れた涙を拭っていった。自分が泣いていたことにも、エレオノーラは気づいていなかった。


「俺の話を聞いていただけますか」


 力んで冷えた手に、ギルベルトは包み込むように触れる。そのまま、彼はエレオノーラの前に膝を突いた。


 エレオノーラは彼に、話をするように言った。

 だから、これを拒むことはできない。彼はそれを分かっていて、今こう口にしたのだ。


「家族の時と、同じです。俺はずっと、あなたから逃げていました。自分に都合のいい、上澄みの自分だけを見せていました。そうやって、何も知らない無邪気な女の子に尊敬されていたかった」


 ギルベルトは訥々と言葉を紡ぐ。


「俺を必死で慕ってくるあなたが、可愛くて仕方がなかった。だから現実のみっともない自分を、知られたくなかったんです。けれど、あなたはもう十分に大人で、きちんとものを考えられるようになっていた。俺の甘えを見透かして、ちゃんと断れるぐらいに」


「そんなこと、ない」


 エレオノーラが少しでもものを考えることができているとしたら、それはギルベルトがいたからだ。


 この人がそれを教えてくれなければ、自分は今もお飾りの王女のままだっただろう。そもそも、生きてすらいない。


「そんなこともあるのですよ、姫様」


 いつもは見上げるばかりの緑の瞳に見上げられるのは、何度体験しても不思議な気分だ。


「殿下。あなたは私に『結婚してもへいき?』とお聞きになりましたね」


 ギルベルトはそう言って、遠くを見るような目をした。


「結論から言えば、俺は、全くもって平気ではありませんでした。ずっとあなたを俺だけのものにしたかった。他の誰にも渡さないで、いっそどこかに隠してしまいたかった」


 そんな執着を、ギルベルトは一度だって覗かせたことはなかったのに。


「ヴェルデは俺の弱さの象徴そのものでした。だからあなたには言いたくなかった」


 彼があの仮面の向こうに隠していたもの。冷徹宰相の裏にあった、本心。


 だとしたら、ギルベルトがこの今、これを晒す意味。


「けれど、どうしても訂正したいことが二つほどあったので」


「なによ、それ」

 そこまでして訂正したいようなことなんて、なんだろう。


「レオニダス殿下の話を聞いていて、思い出したことがありました。俺もずっと、あの方と同じことを考えていました。まかり間違えば、俺だって弟を殺そうとしていたかもしれない」


 落ち着いた低い声が、僅かに掠れて揺れる。


「そんなこと……」

 そんなこと、ギルベルトがするだなんて到底思えなかった。エレオノーラの目を見て、彼は首を横に振った。


「自分から遠ざけたくせに、生まれた家族に愛されているあいつが、ずっと羨ましかった。俺とこいつの一体何が違うんだろうって、ずっと思っていたんです。けれどいつからか、そういうことを考えなくてすむようになった」


 それほど強い屈託を抱いていた彼を救ったもの。


「エレオノーラ殿下、あなたがいたからです」


「わたし……?」

 緑の目が、エレオノーラを真っ直ぐに見る。その目は、嘘偽りのない確かな光を宿して輝く。


「可愛くて小さくてか弱くて、俺がお守りしなければとずっと思っていました。でも違うんです。あなたがいなければ生きていけないのは俺の方でした」


 まただ。ギルベルトの目の中に、自分だけが映っている。


「まず俺は、惚れてもいない女のために命を懸けるほど、暇ではありません」

 これが、一つ目。


「あなたは何も持たない人ではない。何も奪ってなんかない」


 握られた手の力が、少しだけ強くなる。彼の心の内をそのまま映し出すように。


「わたしは、あなたが懸けた命に、見合う?」


 エレオノーラを守るために、ギルベルトが流した血と、その命。

 そしてこれからも彼が、エレオノーラに差し出すもの。


 何度も何度も、繰り返し考えた。

 何を考えれば、どう生きれば、それに見合うことができるだろう。


「見合う見合わないを問う意味はない。あなたがいなければ、今ここに俺はいないのですから」


 ギルベルトが生きるために必要とした何か。辛い時に思い出して、心の拠り所になるようなもの。

 聖堂で問うた時、ギルベルトには確かにそれが見えていた。


「あなたは俺の光で、生きている意味そのものです」


 彼が信じた神様が何だったのか、やっと、エレオノーラにも分かった。孤独の中でずっと、ギルベルトは祈り続けてきたのだろう。


 これが、二つ目。


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