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【完結】いつかわたしを攫ってくれると言った怪盗の正体は、冷徹嫌味な宰相閣下でした  作者: 藤原ライラ
第三部:黄金の女王

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37.贖罪の色

 ギルベルトの母は体調があまりよくないと聞いていたから、こちらから出向くつもりだった。けれど、彼の母親は自分が王宮に参ると言って聴かなかった。


 王女殿下、ひいては次期女王陛下にご足労いただくなどととんでもないとのことらしい。

 仕方がないので王宮から比較的いい馬車を迎えにやったと、ギルベルトがこの世の終わりのような顔をして教えてくれた。


 謁見の間では仰々しすぎるだろう。エレオノーラはギルベルトとともに、客間の一つにエインズレイ家の人々を招き入れた。 


 ギルベルトの継母と弟と。

 弟のアルベルトは、母と同じ鳶色の目をしていた。ギルベルトとはあまり似ていない気がする。


「お会いできて光栄です。エレオノーラ殿下」


 継母は、エレオノーラの姿を認めるやいなや、跪いて頭を垂れん勢いだった。エレオノーラはそれを、必死で押しとどめた。


「わたしもお会いするのを楽しみにしておりました、お義母(かあ)様」


 その言葉に、彼女はぐしゃりと泣き出しそうな顔をした。

 美しい人なのだと思う。そして同時に、その相貌には彼女が重ねてきた苦労が滲んでいる。


「私は、かようなお言葉をいただくような立場ではございません」


 悩まし気に目を伏せる様が、ひどく似ていた。ギルベルトは継母とは血の繋がりはないはずだが、それでも纏う雰囲気には通じるものがある。


「私は、ギルベルトの産みの母ではございません。血が繋がっていることもなければ、あの子に家督を継がせてやることすらもできませんでした。殿下に義母(はは)と呼んでいただけるような資格が私にあるとは到底、思えません」


 同じだと、そう直観した。

 この人の後悔は、そのまま、ギルベルトが(いだ)き続けた贖罪の色だ。


「殿下のお心はどうぞ、あの子をお産みになったマルグリット様に。私はただ、ギルベルトがこんなにも立派になったところをこの目で見ることができた。それだけで十分でございます」


「おかあ様、お顔を上げてください」


 エレオノーラは母を知らない。

 だから、ギルベルトとこの継母の関係を全て正しく理解できるとは思わない。それでも。


「人が」


 エレオノーラは立ち上がり、彼女のそばに寄った。そしてぎゅっと、継母の手を握った。


 血が全てではないことを、わたしは身をもって知っている。

 だから他ならぬエレオノーラが、これを言わなければならない。


「人が真に血でしか分かり合うことが出来ないのなら、誰かと出会う意味も愛する意味も、存在し得ないでしょう」


 エレオノーラを一番支えてくれたのは、ギルベルトだ。そして、彼がそう在ることができたのはこの人がいたからだろう。


「血は繋がらなくとも好意は巡ります」


 誰よりもやさしくて不器用な人。

 出来たことよりも、出来なかったことを数えてしまう人。


 そういう彼をエレオノーラはずっと見てきたつもりだ。そんなギルベルトを、この人が育ててくれた。


 誰かが繋いでいった好意の先に、今のわたしがいるのなら。


「あなた様がギルベルトの母であることに違いはありませんわ。あの方を育ててくださり、わたしに出会わせて下さったことを、心より御礼申し上げます」


 その時、彼女の目から一つ、雫がこぼれ落ちた。それは澄んだ美しい涙だった。


 涙は留まることを知らずそのまま溢れるようにして流れていく。嗚咽に背中を震わせて、継母は泣いていた。


 いつの間にか、すぐそばにギルベルトが立っていた。


 ギルベルトはどんな顔をしたらいいのか分からないと言った時と同じ顔をしていた。しかし、緑の目はもう揺らいではいなかった。


「母上」


 落ち着いた低い声だった。長身の彼は膝を突いた。

 大きな手は一度躊躇った後、母の背に触れた。


 呼びかけるほかは、言葉もない。


 その手は、泣き止まない子をあやす様にやさしく、母の背を撫でた。


 エレオノーラはギルベルトが泣いたところを見たことがない。

 彼は滅多なことでは声を荒げることもしない、冷静沈着な男だ。それは今も変わらない。

 それでも、この今彼がまるで泣いているように見えた。


 何度も何度も、ギルベルトはずっと、彼女が泣き止むまでそうしていた。



 *



 ギルベルトは一つの墓石の前に立った。


 刻まれている名は、《マルグリット=エインズレイ》。日付はそのまま、ギルベルトの誕生日だ。


 ここに母が眠っているのは知っていた。向き合うのが怖くて、一度も来られなかった。母の墓標はそのまま、ギルベルトの罪の象徴だった。


 赦されることなど、ないと思っていたのに。


『血は繋がらなくとも好意は巡ります』


 頭の中で、エレオノーラの声がする。澄んだその声は、しんと静かに響く。


 ギルベルトはそっと、花を手向けた。

 これはエレオノーラが選んでくれた花だ。どこに持っていくとも話していない。だが、彼女は何も言わずに花を選んでくれた。


 ずっと考えてきた。頭の中で何度も問うた。


 ――あなたは、幸せでしたか。


 ギルベルトがいなければ、母はもっと違う人生を歩めただろう。それでも、これは母の望んだ選択だったのだろうか。


 墓石が答えてくれるわけもない。これからもずっと、それは分からないことだ。


 これから先もきっと、悩むのだとは思う。


 ずっと母は不幸だと思っていた。

 けれど、それは違うのかもしれないと考えるようになった。全ては母の心の中にしかない。


 幸も不幸も、目には見えない。問うても答えは無い。それを不幸と決めつけるのは、己の傲慢だろう。


 幸せだったと思い込むことも出来ないけれど、ただ背負って行こうと決めた。


 ぬるい風に花びらが攫われていく。青い空にぽかりと浮かんだ雲の切れ間から日が差して、墓標はきらきらと輝いた。


 花はいつか枯れる。けれど、花が咲いていたことまでなくなるわけではないだろう。


「俺は今、幸せです」


 ギルベルトには愛が分からない。

 おそらく実家に流れていたあの何かがそうだろうということは推察されるのだが、実感はなかった。


 当然だ。だってそれを受け取ろうとはしてこなかったから。食べたことのない料理の味を知ることが出来ないように、自分には愛が分からない。


 それでも、伝わるものはある。過ぎた月日の中で、継母が、エレオノーラが、ギルベルトにくれたもの。


 自分が誰かを犠牲にして生まれてきたことは、変わらない。

 けれど、あなたがいたから俺はここにいることができる。


 何よりも大切な人のそばにいられる。その幸せの全てをあなたがくれた。

 だから、この胸に確かに降り積もった何かを愛と呼ぶことにしよう。


「ありがとう、ございました。母さん」


 あなたが与えてくれたこの人生を、もう少し逃げずに、生きてみようと思います。


 もしかしたら、もうずっと前から赦されていたのかもしれないと、流れていく雲を見上げながらギルベルトは思った。


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